閑話 白花の丘の下で
もうすぐ花見シーズンですね。
朝、作業場の扉がいつもより早く開いた。
入ってきたのはヴェルダだった。
朝日を背負った金色の瞳が、どこか落ち着かない様子で揺れている。
「ガイウス!ガイウス!」
「なんですか?朝の地脈調査なら、もう少し後ですが……」
「わらわ、花見をしたい!」
俺は薬草を束ねる手を止めた。
「花見、ですか?」
「そう。みんなで、だ。リナも、ゴードンも、アルトも、エリアも……あと、あの魔族の後輩たちもだ」
全員、というわけか。
「今は開拓の最盛期ですが‥」
「見てほしいものがある。……わらわ知ってる穴場スポットなのじゃ」
ヴェルダは少しだけ視線を逸らして続けた。
「ガイウス!今日、仕事は休めるか?」
「休めますが。……ヴェルダが直接声をかければいいのでは?」
「……わらわが言ったら、みんな来ないだろう。お前が言え。お前が言えばみんな来ると思う!」
ヴェルダが小さく笑った。
どうやら、ガイウスから断られるとは思っていなかったらしい。
村の面々に声をかけると、反応は驚くほど早かった。
リナ: 「花見! 行く行く! お弁当の準備しなきゃ!」
ゴードン: 「ふむ、たまには土を離れて空を見るのもいい。……酒はあるか?」
アルト: 「黒龍様推奨の花見スポット……。生存の保証はありますか? ……いえ、行きますけど」
エリア: 「地図に『観桜適地』として追記します。観光資源としての価値を調査せねば」
魔族のキャンプにも足を運んだ。
カインがクワを置いて汗を拭う。
「花見……? 散りゆく植物を愛でるために、作業を中断するというのか、解せん‥」
「嫌なら来なくてもいいですが」
「……いや行く。ベルグ、ザルク、貴様らもだ。農夫たるもの、土地の四季を知らねばならんからな」
ベルグは「花の下で飲むだけか」と呆れていたが、ドリスが「花って食えるのか?」と食いついた。
結局全員参加が決まった。
昼前。村の入り口には、リナの母がこしらえた大量の弁当と、そしてグラントが担いできた大きな樽が揃っていた。
「……グラントのエールか。相変わらず重厚な樽だな」
カインがその樽を見て、期待に目を細めた。
彼は既に、この村で最も美味い飲み物を知っている。
グラントは無言で頷き、ヴェルダが「わらわ、これ好きなんだ」と言うと、無骨な顔をわずかに赤らめて、また黙って歩き出した。
ヴェルダの案内で村の東へ十分ほど歩くと、緩やかな丘が見えてきた。 そこを登り切った瞬間、全員の足が止まった。
そこには、白い花が雪のように咲き乱れる老木が並んでいた。
風が吹くたび、花びらが光を反射して舞い上がる。
視界のすべてが、淡い白と春の匂いに支配されていた。
「……きれいだな」 カインが、魔族の皇太子であることを忘れたような声で呟いた。
「数百年前から、ずっとここに……?」とゴードンが問いかける。
「そう。地脈が淀み、誰も来なくなった間も、この木はずっと咲いていた。わらわが一人で、毎年ここでそれを見ていた穴場スポットじゃ」
ヴェルダは丘の先に視線をやり、静かに続けた。
「寂しくはなかった。だが――今年は、折角皆がいるので誰かと見たくなったのだ」
リナがヴェルダの手をそっと握った。
「呼んでくれてありがとう、ヴェルダ」 ヴェルダは照れくさそうに「うむ、来てくれたから、よかったのだ」と返した。
木の下にゴザを敷き、宴が始まった。 リナの母の弁当を囲み、グラントのエールが注がれる。
「うまいな……やはりこのエールは、労働の後にこそ響く」
カインが満足げに喉を鳴らす。
「グラント殿は無口だが、貴殿の醸造技術は魔王領のどの宮廷絵師よりも繊細な仕事だ」
グラントは、花びらが浮いた自分の杯を見つめたまま、一言も発さずに、ただ深く頷いた。
「ザルク、これが花見だ。食べて飲んで、花を見る」
「……悪くないな。魔族の国にも、こういう文化があれば良かった」
「開拓が進めば、また北にも花が咲きますよ。そうなったら、次はあちらでしましょう」
「……農家と花見の約束か。農家らしい、気の長い約束だな」
ザルクが笑う。
皇太子カインもそれを見て、エールを煽った。 「父上にも見せたかったな……ガイウス殿。お前」
「そうですね」
丘の上では、子供たちが花びらを追いかけて走り回っている。
エリアは真剣な顔で手帳を広げていた。 「ここを地図に載せでも良いですか?名前はそうですね‥白花の丘』なんてどうでしょう?
もしくはヴェルダ様、冠名にあなたのお名前を入れますか?」
「やめてくれ。恥ずかしい」
「なぜです? あなたが知ってる穴場スポット場所でしょう」
「ここは……恥ずかしいのだ。白花の丘、でいい」
ヴェルダはそう言って、舞い落ちる花びらを掌で受け止めた。 「……白花の丘。まあ、悪くない」
「そうですね」
「ガイウス」
「なんですか?」
「来年も皆で来よう」
「ええ、そうしましょう」
ヴェルダは、今度は隠さずに嬉しそうな顔をした。
夕方、茜色の空の下、一行は村へと戻った。 帰り道、リナが隣に並んで歩いてきた。
「ヴェルダ、本当に楽しそうだったね」
「ずっと一人で見ていた景色に、みんながいる。……なんだか、素敵」
「よかったね、ガイウスさん」
リナがくすくすと笑った。
村の灯りが見えてくる。 北の跡地のさらに先、今はもう見えなくなった白花の丘では、明日も誰もいない中で花が舞うだろう。
けれど、来年のその日には、また賑やかな足音が響く。
それが、少しだけ楽しみだった。
スローライフは、今日も――花びらが肩に乗りながら――順調だった。




