第64話 報告、忘れてた‥
作業場に、摘みたての薬草の爽やかな香りが満ちていた。
俺が乾燥したミントの束を整理していると、リナがどこか落ち着かない様子で入ってきた。
「ガイウスさん、作業中にごめん。ちょっと……いや、すごく大事なことを確認してもいい?」
「なんですか。急ぎなら手を貸しますが」
「ううん、手じゃなくて頭の話。あのさ、例の『黒龍との一騎打ち』のことなんだけど……王都に報告、もう済ませたよね?」
俺は手を止めた。
記憶の地脈を遡ってみる。一騎打ち、勝利、和解、そして開拓地の整備……。
「……していないですね」
「やっぱり、していないんだ」
「開拓の準備が、あまりに充実していたので」
「あれ、三週間も前の話だよ? 王都側は今頃、ガイウスさんが黒龍に食べられたか、逆に黒龍を絶滅させたか、どっちかの予想で大騒ぎしてるはずだよ」
リナがさらに身を乗り出す。
「じゃあ、カインさんたちが来て、魔王軍と共同開拓を始めたことは?」
「もちろん、していないですね」
「……ガイウスさん」
「なんですか?」
「王都のセルジオさん、今ごろ心臓が止まってないかな。あるいは、ストレスで胃に穴が五つくらい空いてない?」
俺は窓の外を見た。
「大丈夫だと思いますが。あの人は達人ですから」
「達人でも解決できる次元を超えてるよ、絶対に」
念のため、エリアにも相談してみた。 彼女は俺の「未報告リスト」を聞いた瞬間、手に持っていた測量図を落とした。
「三週間、王都を放置……? 黒龍を屈服させ、魔王軍を農作業に従事させているこの状況を、一行も伝えていないと?」
「していなかったですね。伝えるより、土を耕す方が建設的だと思ったので」
「ガイウスさん、それは『建設的』ではなく『隠蔽』に近いです。セルジオさんが心配で夜も眠れませんよ」
アルトに話せば「俺も、報告役じゃなくて良かったです」と遠い目をし、カインに至っては「……三週間か。我が国の諜報部が混乱している理由がようやく分かった」
と、敵国(?)のずさんな情報管理に呆れ果てていた。
ヴェルダだけは、楽しそうに笑っていた。
「ガイウスらしいね。目の前の苗のことばかり考えて、外の世界がどうなろうと知ったことか、というわけだ」
「らしいですか」
「らしいよ。でも、さすがに書いてあげたほうが良いね、わらわも横で見守っててあげるから」
「……そうします」
俺は作業場の机に座り、一枚の羊皮紙を広げた。 ヴェルダが隣に座り、興味津々で俺のペン先を覗き込む。
「見ますか?」
「うむ、わらわがどう描写されるのか楽しみだ」
「急かさないでください」
「急かしてない、見たいだけだ。……もう!」
俺は迷いなく、事実だけを簡潔に記していった。
【報告書】
セルジオ殿。 報告が遅れました。
三週間前、黒龍ヴェルダと一騎打ちを行い、これに勝利しました。 現在、ヴェルダは私の管理下でエーデル村に留まっています。
また、一週間前から戦跡の開拓を開始しました。 この作業には魔族の皇太子カイン殿を含む魔王軍の精鋭十一名も、農夫として参加しています。
収穫物の四割を魔族領へ提供することを条件に、平和的に共同作業を行っています。
報告が三週間遅れたことをお詫びします。
ガイウス・ノア(農家)
書き終えると、背後から読んでいたエリアが絶叫に近い声を上げた。
「短すぎます! 三週間分の、世界史に残るような大事件がたったこれだけですか!? セルジオさんへのお詫びも、一文で済ませるつもりですか!?」
「必要な事実は網羅しましたが?」
「内容は十分でも、温度感が死んでいます! せめて、もっとこう……相手を安心させる追伸でも足してください!」
「安心できること、ですか……。分かりました」
俺は追伸を書き足した。
追伸:薬草畑は順調です。
「薬草畑!? セルジオさんが知りたいのは、あなたの生存確認と村の平和であって、薬草の成長具合じゃありません!」
「順調なので、一番の安心材料だと思ったのですが」
「書き直してください! 『農家として元気にしています』だけでいいですから!」
俺は溜息をつき、さらに書き加える。
追伸:農家として元気にしています。薬草畑も、かつてないほど順調です。
「薬草畑を重ねましたね……。まあ、もういいです。これ以上関わると私の胃にも穴が空きそうです」
エリアが諦めた顔をした時、ヴェルダがペンを奪い取った。
「わらわも書く! このセルジオという男、ガイウスの知り合いなのだろう?」
「書きたければ、どうぞ」
ヴェルダはさらさらと、俺の署名の下に追伸その二を書き加えた。
追伸その二:ヴェルダである。ガイウスは元気だ。わらわが毎日あやつの隣で監視――もとい、確認しているので、王都の者たちは安心するがよい。
(字、書けるんだ‥)
「……黒龍からの直筆メッセージ。これを読んだ瞬間、セルジオさんは白目を剥いて倒れるでしょうね」 エリアが遠い目をして呟く。
「大丈夫だと思いますが」
「ガイウスさん、いいですか。あの人の限界は、あなたの手紙が届くたびに更新されているんです。今回でついに神の領域に達するかもしれません」
「面白いね。限界が更新される人間というのは」
「面白くないですよ。……はあ。この手紙、私が届けます。アルト、準備はいい?」
隅で待機していたアルトが「また俺がナビ兼護衛ですか」と小声で言ったが、誰も否定しなかった。
夕暮れ時。 王都へと向かうエリアとアルトの背中を見送りながら、俺はふと思った。
「本当に、セルジオさんは大丈夫でしょうか」 「大丈夫だろう。わらわが『元気だ』と書いたのだ。最高級の保証書付きだぞ」
スローライフは、今日も――三週間分の衝撃を一枚の紙に詰め込んで――順調だった。




