第63話 耕す
「……本当に一日で作り上げたんですか」
届けられたクワの束を見て、俺は思わず聞き返した。鍛冶屋の親父は、煤けた顔で自慢げに鼻を鳴らした。
「ああ。魔族の皇太子がクワを握るなんて、お伽話でも聞かねえ。そんな歴史的な瞬間に、俺の打った道具がねえなんて鍛冶屋の恥だろ? それに……」
親父は少し声を潜め、岩の上で退屈そうに足を揺らしているヴェルダを仰ぎ見た。
「伝説の黒龍様までいるんだ。ここで本気を出さなきゃ、いつ出すんだよ。……いい仕事をした。農家に褒めてもらえる自信作だ」
俺は一本、クワを手に取った。
重さを確かめ、重心のバランスを探る。手に吸い付くような柄の曲線。
一振りすれば、狙った場所へ自然と落ちる、極上の「相棒」だった。
「いい仕事ですね。一月は砥石がいらないくらい、刃も立っています」 「へへ、ありがてえ。農家にそう言われると、徹夜も報われるってもんだ」
跡地に全員が揃い、俺は一人ひとりにクワを手渡した。
カインがその一本を両手で受け取る。
彼は剣でも扱うかのように、神妙な面持ちでクワの重さを計っていた。
「重いな。……これを、一日中振るうのか」
「そうです。慣れるまでは、肩より先に腰に来ますよ」
「農家は、毎日これを? 弱音一つ吐かずに?」
「慣れれば重さを感じなくなります。道具が自分の腕の延長になるんです」
カインがクワを握り直す。
その瞳には、魔王軍を率いる将の鋭さではなく、未知の領域に挑む一人の「開拓者」の光が宿っていた。
俺は全員を整列させ、実演を始めた。
「いいですか、クワは腕で振るうものではありません。足は肩幅、重心は低く。腕の力ではなく、腰の回転と体重移動で、土を『置いてくる』イメージです」
一振り。 ザクッ、という小気味良い音と共に、固い土が深部まで綺麗にほぐれる。
「さあ、やってみてください」
一斉にクワが振り下ろされた。 ザ
ルクが「こうか!」と叫んで力任せに振り下ろすと、爆発したように土が舞い、地面に巨大なクレーターのような穴が空いた。
「ザルク、力が強すぎます。農作業は破壊ではなく、リズムです」
「リズム? 音楽か何かかよ」
「一定の速度で、同じ深さを保つ。それができないと、種が迷います」
次はカインだ。
彼の動作は正確だったが、どこかぎこちない。腰が引け、腕の筋力だけで土を削り取っている。
「カイン、もう少し膝を曲げて。足の向きが内側に入っています。……そう、そこから腰を回して」
「こうか……?」
カインが再び振る。今度は、土が抵抗なく、さらりと裏返った。
「……できた。今、手応えが消えたぞ」
「それが『道具と話ができた』瞬間です。実際にやってみないと、絵図面では分からないことですね」
「……そうだな。農家の言葉は、常に実践の中にある、か」
カインが静かに笑った。彼にとって、それは魔術の極意を悟った時よりも新鮮な喜びだったのかもしれない。
「わらわも! わらわにもクワを貸せ!」
ヴェルダが我慢できなくなったように、ガイウスの隣に飛び込んできた。
「カインに先輩風を吹かせた手前、わらわが一番上手く使えねば格好がつかぬ」
「動機が不純ですが……いいですよ。こう持って、腰から動かしてください」
ヴェルダは言われた通り、完璧なフォームでクワを構えた。
だが、最初の一振り。 「えいっ!」という可愛い掛け声とは裏腹に、地面が地響きを立て、クワの刃が岩盤まで突き刺さった。
「ヴェルダ、力が……」
「わかっておる! 七割だな? 七割の力でやればいいのだな!」
(いや7割でも‥)
「もっと優しくしてください、置いてくるイメージです」
「わ、わかった」
彼女は黄金の瞳を集中させ、再び振るった。 今度は、俺の模範と寸分違わぬ深さで、土が美しく耕された。
「できたぞ、ガイウス! 見たか!」
「ええ、筋がいいですね」
「ふふん。また言ってくれたな」
ヴェルダが鼻高々に笑う。
その姿を、遠くから作業していたカインが見ていた。
「……黒龍、様になっているな」
「見ていたのか、後輩よ。ガイウスの教えがいいからな」
「……俺も、いつかその様になるだろうか」
「なるよ。事実、お前もさっきよりはマシだ」
「黒龍に励まされる日が来るとはな」
とカインが笑う。
「励ましてなどおらぬ。……ただの事実だ‥さ、続きをやるかのう」
意外だったのは、魔王軍幹部のベルグだった。 彼は最初から、驚くほど無駄のない動きでクワを使いこなしていた。
「ベルグさん、経験があるんですか?」
「……昔、北の荒廃した集落を通りかかった時に、少しな。食うに困っている連中に、魔力で土を耕す方法を教えてやろうとしたが、結局は己の手で耕すのが一番早いと気づいただけの話だ」
「大した話ではない」と彼は言うが、そのクワ捌きには、土地と人への確かな慈しみが籠もっていた。
「いや、それは立派な『農家』の経験ですよ。照れることはありません」
「……照れてなどいない」
「照れておるな。カイン、見ろ。あの鉄面皮のベルグが赤くなっておるぞ」
ヴェルダが茶化すと、ベルグはますますクワを振るう速度を上げた。
作業の音だけが響く跡地。
かつての戦場は、今や誰もが土と向き合い、汗を流す平和な開拓地となっていた。
夕暮れ時。
カインが自分の掌を見つめ、ぽつりと呟いた。 「豆が……できた」
「一日でできますね。慣れるまでは痛みますよ」
「農家は、毎日これができるのか。そして……いつか消えるのか?」
「消えはしません。皮が厚く、硬くなり、どんな作業にも耐えられる『農家の手』になるんです。俺の手も、そうですよ」
カインは俺の手を、おずおずと取って確かめた。
「……本当だ。岩のように硬い。これが、土を愛し続けた証か」
「農家なので」
ヴェルダが、俺たちのやり取りを少し寂しそうに見つめていた。
「わらわの手も、いつかそうなるか?」
「龍の皮膚ですからね。おそらく、豆ができる前に治ってしまうでしょう。硬くはならないと思いますよ」
「……そうか。ならないのか」
ヴェルダが、小さく呟いた。
自分の手と、俺の手を見比べ、彼女は少しだけ俯いた。
その理由は、あえて聞かなかった。
彼女はきっと、俺たちと同じ「証」が欲しかったのだ。同じ土の上で、同じ苦労を分かち合ったという、目に見える証拠が。
「豆はできなくても、ヴェルダが耕した土はここに残りますよ。それが一番の証です」
俺がそう言うと、彼女は少しだけ顔を上げ、橙色の夕焼けの中で小さく笑った。
スローライフは、今日も――新しい豆の痛みと、重くなったクワの充足感と共に――順調だった。




