第62話 魔王軍再来(農業をするために来ました)
種を蒔いてから五日が経った。
跡地へと向かおうとした俺の耳に、村の入り口からひどく騒がしい物音が届いた。
普段は静かなエーデル村に、場違いなほど重厚な轍の音と、鎧が擦れる金属音が響いている。
村の入り口には、漆黒の漆塗りが施された立派な馬車が三台。
それを守るように配置された六人の魔族の護衛たちは、まるで戦場にでも赴くかのような鋭い眼光を四方に放っていた。
馬車の扉が開き、一人の青年が降りてくる。 魔王軍の軍服ではなく、動きやすさを重視した革製の丈夫な服を纏ったカインだ。
「……来たぞ、ガイウス」
「来ましたね。予定より少し早いですが」
「いやな、居ても立ってもいられなくてな。皇太子としてではなく、一人の『農夫』として馳せ参じた」
カインが真っ直ぐに俺を見て、真剣な顔で告げる。
「農夫として迎えます。歓迎しますよ」
「恩にきる。……おい、お前たちも降りてこい」
カインが後ろを振り返ると、続く馬車から次々と見知らぬ、いや、見覚えのある顔ぶれが降りてきた。
巨体を揺らし、どこか気まずそうな顔をした魔王軍幹部のベルグ。 身軽な装備で退屈そうに欠伸をするザルク。
そして、好奇心旺盛な瞳を輝かせているドリス。
それだけではない。後ろの馬車からは、さらに屈強な魔族たちが続々と降り立ち、最終的には総勢十一人の魔族が村の広場に整列した。
「……ちょっと多いですね」
「人手は多いに越したことはないと思ってな。精鋭を選りすぐってきた」
(幹部を連れてきて、自国の運営は大丈夫なんでしょうか‥)
「そうですね。……多すぎはしませんが、一つ、大きな問題があります」
「なんだ、問題とは。魔力の供給か? それとも食料か?」
カインが身構える。俺は平然と答えた。
「農具が、足りません」
「……のうぐ?」
「農作業に使う道具です。カイン一人が来る前提で準備していたので、まさか最高幹部を含めた十一人が一斉にクワを握りに来るとは想定していませんでした」
カインが絶句し、背後のベルグたちが「やはりか……」という顔で天を仰いだ。
「すまない、ガイウス殿。勇み足だった」
「いえ、人数を確認しなかった俺の落ち度です。村の鍛冶屋に発注すれば三日で作れますが、それまではどうしますか?」
「三日か。……その間、我々はただ遊んでいるわけにはいかない」
「では、地脈の修復を『手』で手伝ってもらえますか。魔力を直接地面に流し込む作業なので、道具がなくてもできます」
カインが「農家は臨機応変だな」と感心したように言う。
「農業は自然を相手にするものですから。予定通りにいかないのが当たり前なんです」
総勢十三人の奇妙な集団が、跡地へと足を踏み入れた。 先に来ていたヴェルダが、岩の上で「やっと来たか」と顎を引く。
全員が、一歩入ったところで足を止めた。
朝の光に照らされた、広大な平地。
かつては黒龍と人間の死闘によって焼き尽くされ、灰と岩しかなかったその場所に、今は「変化」が起きていた。
「……広いな」 ベルグが、地鳴りのような低い声で漏らした。
「このすべてを、農地にするのか」
「そうです。人手があれば、三年ほどで一帯を緑で埋め尽くせるでしょう」
「三年……。魔族の寿命からすれば一瞬だが、これほどの広さを開拓するには短すぎはしないか?」
「慣れれば、土は応えてくれますよ」
「……農家らしい根拠だな」
ザルクが茶化すように笑うが、その目は足元にある「緑の点」に釘付けになっていた。
「おい、この小さな芽はなんだ? まさか、あの戦いの後に生えてきたのか?」
ドリスがしゃがみ込み、五日前に蒔いた麦の芽を指さす。
「麦の芽です。あと数ヶ月もすれば、皆さんが食べるパンの原料になります」
「こんなにひ弱なものが、パンに……? まるで信じられん」
「育てれば信じられるようになりますよ。土は裏切りませんから」
「農家みたいなことを言うね」
ドリスが笑う。俺は迷わず答えた。
「農家なので」
ヴェルダが横から小声で言った。
「……みんな同じことを言うね、ガイウス。様式美にすら見えてきたぞ」
「そうかもしれませんね」
「では、作業を始めます。農具がない間は、全員で地脈の修復を行います。こうして地面に手を当て、魔力を水のように流し込んでください」
俺がお手本を見せると、カインを筆頭に十一人の魔族たちが一斉に地面に這いつくばった。
魔王軍の幹部たちが土に膝をつき、必死に地面を触っている光景は、客観的に見れば異様としか言いようがない。
「……ガイウス、これで合っているか? 魔力が弾かれるような感覚があるのだが」
カインが、額に汗を浮かべて聞いてくる。
「合っています。その『弾かれる感覚』こそが、地脈が詰まっている証拠です。力任せに押し込まず、土を撫でるように流してください」
「簡単そうに見えて、ひどく神経を使うな……」
「最初はそうです。続けるのが大変なんですよ。今日はとりあえず、お昼まで続けましょう」
「お昼までか。……短いな」 カインが意気込むが、三十分も経つと、隣にいるベルグのため息が聞こえ始めた。
「カイン。顔に力が入りすぎているぞ。魔力は精神の反映だ。そんなに殺気立っていては、土が怯えて固まる」
「分かっている! 分かっているが、加減が……」
「農作業は顔でするものじゃない。もっとリラックスしろ」
「……お前に言われたくない!」
ヴェルダがその様子を見て、愉快そうに肩を揺らす。
「皇太子、本当に真剣だね。農夫になる覚悟が、空回りしている感じ」
昼時。 リナの母親が、両手に抱えきれないほどの重そうな籠を持ってやってきた。
「はーい、お昼だよ! 皆さん、しっかり食べてね!」
「重くはなかったですか?」
「マルクに手伝ってもらったから大丈夫。魔族の方はよく食べるって聞いたから、多めに作ってきたよ」
ザルクが、渡された山盛りの弁当を疑わしそうに眺める。
「……なぜ、魔族の食欲について知っているんだ? 人間の村人は、我々を恐れるのが普通だろう」
「あら、だってこの前、ヴァルドさんが来た時にたくさん食べていったもの。エールも三杯お代わりして、いい飲みっぷりだったわよ。いい人だったわねぇ」
ザルクの箸が止まった。
「……魔王陛下を『いい人』と呼ぶ村人が、この世に実在するのか……」
カインが苦笑しながら、おにぎりを口に運ぶ。 「この村は、本当に変わっている。……だが、悪くない」
「よかったです」
「農夫として、これから学ぶことが多そうだ。……ガイウス殿、三日後に農具が届いたら、真っ先に使い方を教えてくれるか?」
「もちろんです。……実は、絵でしか見たことがなかったでしょう?」
カインが、ぴくりと肩を揺らした。
「……なぜ分かった」
「手の使い方が、重い剣を持つ者の動きでしたから。土に触れる時の優しさが、まだ『絵』をなぞっているようでした」
「農家は何でもお見通しか。……ベルグ、聞いたか。調べ方が足りなかったそうだ」
「だから言っただろう、カイン。実際に触れてこいと」
「今聞いている。必要な時に、必要なことを聞く。それが最短だ」
「それを遅いと言うんだ」
ヴェルダが、その二人のやり取りを見て俺の顔を覗き込む。
「あの二人、息が合っているね。……でも、ガイウスとわらわほどじゃないね」
「そうですか?」
「そうだよ。わらわたちは、もっと深いところで通じ合っておる」
ヴェルダが、少しだけ誇らしげに胸を張る。
すこし照れた。
「こやつ照れたな。ふふん」
彼女の得意げな顔。
北の跡地には、人間と、龍と、魔族が入り混じり、同じ土の上で弁当を囲んでいた。
かつての戦場は、今、多種多様な種族が「明日への糧」を語り合う、奇妙で穏やかな場所へと変わりつつある。
スローライフは、今日も魔王軍が村の家庭料理に舌鼓を打ちつつ順調だった。




