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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第61話 土が眠りから覚める時

北の跡地を開拓し始めて、十日が過ぎた。

地脈を整え、龍の魔力によって焼かれた大地の「詰まり」を一つひとつ解きほぐす作業は、地味で根気のいるものだったが、その成果は俺の予想よりもずっと早く、そして劇的な形で現れた。


その日の朝、俺が跡地に足を踏み入れると、そこには既にヴェルダがいた。

いつもの巨岩の上に座るのではなく、彼女は地面に膝をつき、何かを食い入るように見つめていた。

藍色の衣が朝露に濡れるのも構わず、金色の瞳が一点を凝視している。


「おはようございます。今日は随分と早いですね」

「遅いぞ、ガイウス。わらわは太陽が顔を出す前からここにいたのだ」

「昨日より十分は早く来たつもりですが」

「十分など誤差だ。わらわはもっと、ずっと早くから……見たいものがあったのだ」


ヴェルダはそう言うと、弾かれたように立ち上がり、平地の中央へと向かってさっさと歩き出した。

「来い、ガイウス。お前の『魔法』が、ついに形になったぞ」

俺は彼女の後を追った。 辿り着いたその場所で、ヴェルダが足元を指さす。


そこには、爪の先ほどの小さな、しかし鮮烈なまでに鮮やかな「緑」が、ひび割れた土を押し退けて顔を出していた。 一本ではない。


よく目を凝らせば、周囲のあちこちに、小さな緑の点が星屑のように散らばっている。

「……雑草、ですね」 俺の呟きに、ヴェルダが弾かれたように振り返った。


「雑草? それだけか? わらわは、死んだはずの大地から新しい命が芽吹いたと言っているのだぞ!」

「いえ、最高の結果ですよ。雑草が生えるということは、土が再び呼吸を始め、生命を育む力を取り戻したという証拠です。

生命力の強い雑草が育つ場所なら、どんな作物だって育てられる」


ヴェルダはその言葉を聞くと、もう一度地面にしゃがみ込んだ。

細く白い指先が、小さな芽にそっと触れる。まるでものすごく壊れやすい宝物に触れるような、慎重な手つきだった。


「十日で、ここまで変わるものなのか?ただの瓦礫の山だったのだぞ」

「地脈が動き始めた影響でしょうね。土の中に眠っていた種が、その振動を聴いて目を覚ましたんでしょう」

「眠っていた種……」


「ええ。百年、あるいはそれ以上。焼かれた土の中で、誰にも気づかれず、ただ『その時』が来るのをじっと待っていた者たちがいた。それが、俺たちが地脈を通したことで、十日で目を覚ました。それだけのことです」


ヴェルダはしばらくの間、黙ってその芽を見つめていた。

彼女の脳裏には、龍としてこの地を統治してきた長い時間が流れていたのかもしれない。


「……百年以上も、暗い土の中で待っていたのだな。わらわの戦いの余波で、眠らされていた者たちが」

「そして、起きたら目の前には龍の少女がいた。種たちにとっても、驚きの目覚めだったでしょうね」


ヴェルダが立ち上がった。

その表情には、どこか誇らしげな色が混じっている。

金色の瞳で平地を見渡し、あちこちに点在する緑を確認すると、彼女は俺に向かって不敵に笑った。


「思ったより早かったな。ここは、わらわの縄張りだ。土までわらわに似て、物分かりが良いのかもしれぬ」

「そうですね。手入れに正直に応えてくれる、とても『素直な土』です」

「素直か……。わらわの縄張りが、褒められたのだな?」

「縄張りを褒めましたが」

「同じだ。わらわの土地が優れているということは、わらわが優れているということだ!」


得意げに胸を張る龍。 縄張りを「素直だ」と褒められてここまで喜ぶ龍は、世界広しといえど彼女くらいだろう。

だが、その無邪気な自信が、今の俺にはとても頼もしく思えた。


「では、今日から『本番』に移りましょうか」 俺が背負ってきた袋を下ろすと、ヴェルダが興味津々で首を傾げた。


「本番? 何をするのだ」

「種を蒔きます。雑草がこれだけ勢いよく生えるなら、麦も育つはずです。まずは試しに、一区画だけ」

「麦か! 人間がエールにする、あの黄金の草だな?」

「そうです。やってみないと分かりませんが、挑戦する価値はあります」


ヴェルダの目が輝いた。

「わかった、わらわもやる! 蒔き方を教えよ!」 「いえ、最初は見ていてください。やり方は一つですが、コツが要ります。一緒にやるのは、次の区画からで十分ですよ」


「むぅ、わらわを役立たず扱いするか!」

「役立たずではありませんが、農家はまず『見る』ことから始まります。それが一番の近道ですよ」


ヴェルダは不服そうに唇を尖らせたが、結局「……わかった。見てやる」と言って腕を組んだ。

その顔は、魔王ヴァルドと対峙した時よりも真剣だった。

俺はクワを入れ、土を軽く解きほぐしていく。 等間隔に小さな穴を空け、麦の種を丁寧に置いていく。


「ガイウス、深さは? どれくらい埋めるのだ」

「指の第一関節くらいです。深すぎれば芽が出ず、浅すぎれば鳥に食われます」

「第一関節……。そんな、指先一つの違いで決まるのか?」

「そうです。最初は感覚ですが、慣れてくれば、土を触るだけで指が勝手に深さを覚えます。土の湿り気や柔らかさを、指が『聴く』ようになるんです」


「土を聴く、か……」 ヴェルダは俺の手元を凝視していた。 一度も飽きることなく、小一時間。

俺が数百の種を蒔き終えるまで、彼女はずっと隣で、その「一関節の深さ」を記憶しようとしていた。


「終わりました」

「……これで、育つのか?」 「いいえ、これから『育てます』」


「育てる? 蒔いたら終わりではないのか?」

「水を引き、草を抜き、毎日様子を見ます。地脈の修復より、よほど手間がかかりますよ」


「なぜだ。地脈のほうが魔法的には高度なはずだろう。なのに、なぜ農作業のほうが毎日来る必要がある」


「土が、生き物だからです。朝と夕方で表情が変わり、雨が降れば機嫌を損ね、日が照れば喉を乾かす。一刻たりとも、同じ状態ではありません」

「毎日変わるから、毎日見る。……なるほどな」


ヴェルダは、種を蒔いたばかりの、まだ何も見えない土をじっと見つめた。

「ならば、わらわも毎日来るぞ」

「どうぞ。断る理由がありません」

「……もう少し、嬉しそうにせぬか。前も言ったであろう!」

「内側では、かつてないほど喜んでいますよ」


「その、内側というやつ、いい加減見せてほしいものだな! 全く、お前という奴は……もう!」

俺は笑った。

「……何がおかしい。不敵な笑みを浮かべて」

「……バレていましたか」


ヴェルダがいたずらっぽく笑った。 その瞬間、跡地を渡る風が、小さな雑草の芽を一斉に揺らした。

昨日まで死んでいたはずの場所が、今は確かに、二人の笑い声と命の鼓動で満たされている。


「わらわの素直な土から麦たちが育つといいな」

「育てますよ。俺は、農家ですから」

「……もう! 結局それを言うのだな!」


夕焼けに染まる前の高い空の下、新しい「農家」と「龍」の日常が、一粒の種と共に土深くへと刻み込まれていった。


スローライフは、今日も――土が百年の夢から覚める音と共に――絶好調だった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。

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