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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第32話 魔族と王国の交渉


エーデル村の朝は、いつになく厳かな空気に包まれていた。


出発を待つのは、魔王ヴァルドとカイン、側近を含めた魔王軍とエリア、そして俺を含めた総勢十二人だ。


村の入り口では、リナが一人で立っていた。

朝日を浴びた赤毛が、風に小さく揺れている。


「いってらっしゃい、ガイウスさん」

「いってきます。……留守をお願いしますね」

「うん。……ねえ、うまくいくかな?」

不安げに揺れる瞳を見て、俺は少しだけ言葉を選んだ。

「やりますよ。やるべきことは、もう決まっていますから」


リナが、どこか安心したように小さく笑った。 「早く帰ってきてね、忘れないでよ」

「約束します」

馬が歩き出す。


振り返ると、リナの姿がどんどん小さくなっていく。

俺が手を振ると、彼女も大きく振り返した。 「……ガイウスの大切な人か?」

隣を並走するヴァルドが、面白そうに目を細めて聞いてきた。


「いえ、そう言うのでは無いですね、ポーション作りの助手候補です」

「ほう、それだけか」

「それだけです」

魔王は「そうか」とだけ言ったが、その顔は「嘘をつけ」と雄弁に語っていた。


翌朝。

王都の城門で待っていたセルジオは、死地から生還した兵士のような顔をしていた。

魔王軍の軍装を間近に見て、彼の顔から血の気が引いていく。


「……本当に、本当に来られたのですね」

「直接乗り込むのが、一番の近道だと思ったので」

俺の答えに、セルジオは深い溜息をついた。

「城内は大混乱ですよ。

農家が魔王を連れてきたという報告を、誰が信じると思いますか? だが、通すしかない。……ご案内します」


そして城内の会議室に案内される。

通された会議室には、重苦しい沈黙が満ちていた。

王国側はハーヴェル宰相を筆頭に、ロスベルク侯爵、フォルク神官長。

対する魔族側はヴァルドとカイン。

その中心に、ただの農家である俺と、地図を抱えたエリアが座る。


王国側が魔族側をちらちら見る。

魔族側が王国側を真顔で見る。

カインだけが、最初から腕を組んでいた。

「では始めます」と俺は言った。

資料を配った。


「地脈の現状分析と、過去二十年間の変化の記録です。

王城の文書庫から取り出した報告書と、エリアによる現地調査の結果を合わせたものです」

全員が資料を読み始めた。

しばらくして、ハーヴェルが顔を上げた。


「……この報告書は、確かに王城の記録ですね」

「はい」

「握り潰されていた、とのことでしたが……これは‥」 資料を読み終えたハーヴェル宰相が、絞り出すように言った。

「この二十年間、王国は地脈の異変を知りながら、利益のために見て見ぬふりをしてきた。……謝罪の言葉もありません」


「謝罪で済むなら、この三年間、我らが使者を門前払いにする必要もなかったはずだ」

カインの声が低く響く。

彼は身を乗り出し、ハーヴェルを鋭く射抜いた。

「その三年間で、北の集落がいくつ消えた? 土地を失った子供たちが、どれだけ飢えたと思っている!」


「カイン、引け」 ヴァルドが静かに制する。

「しかし父上!」

「……お前の怒りは正しい。だが、今日ここに来た理由は、過去を断罪するためだけではないはずだ。違うか?」


カインは奥歯を噛み締め、拳を握りしめたまま、ゆっくりと椅子に深く座り直した。

「……続けてくれ」


境界線の話になった。

北の山岳地帯のどこまでを魔族の居住域とするか。

ロスベルク侯爵が地図を広げた。

「この線より北を魔族の領域とする案を提案します」

カインが地図を見た。

「狭すぎる」


「現在の王国との境界から考えれば、十分な広さだと——」

「十分じゃない。この範囲では、移住してきた魔族全員を収容できない」

「しかし、これ以上広げると王国の——」

「王国の何が問題なんだ。人が住めない山岳地帯だろう」


「採掘権の問題があります。あの山岳地帯には鉱脈が——」

「鉱脈」

カインの目が鋭くなった。

「鉱脈のために、魔族が住む土地を削るのか」

「そういうことではなく——」

「そういうことだろう!」

「カイン殿下、落ち着いて——」

「落ち着いている」


「声が上がっています」

「事実を言っているだけだ」

テーブルの空気が、一気に張り詰めた。

ヴァルドが「カイン、一度引け」と言った。

カインが「しかし——」と言った。


「一度引け」

カインが椅子を引き立ち上がった。

部屋の端に歩いていった。


ドリスが「殿下……」と小声で言った。

カインが「わかっている」と小声で返した。

テーブルが沈黙した。

ハーヴェルが額に手を当てた。

俺はエリアを見る、エリアが頷いた。


「一つ提案があります」とエリアが言った。

全員がエリアを見た。

「地脈の観点から見ると——この境界線では、地脈の修復が難しいです」

エリアが地図に新しい線を引いた。


「ここまで広げると、地脈の流れが自然に戻ります。

王国側の魔術研究所への影響も、こちらのほうが最小に抑えられます」

「それは——」とロスベルク侯爵が言った。


「鉱脈から少し外れます。完全に諦める必要はないですが、採掘の規模は縮小することになります」

侯爵が地図を見てしばらく、黙っていた。


「……縮小はどのくらいですか」

「三割程度です」

「三割か」


「はい。ただ、地脈が修復されれば、王国側の魔術研究所の効率が上がります。長期的には、採掘の減少分を補える可能性があります」

侯爵がさらに地図を見た。


ハーヴェルが「侯爵、どう思われますか」と聞いた。

侯爵がため息をついた。

「……採掘権を盾にするのは、私も本意ではなかったです。この案で、進めましょう」

カインが部屋の端から戻ってきた。


地図を見た。

「この範囲なら——」

少し間があった。

「受け入れられる」

ヴァルドが頷く。

「俺も同意する」

テーブルの空気が、少しだけ緩んだ。


そこからさらに一時間、細かい条件を詰めた。

移住の時期。

支援体制の具体的な内容。

地脈修復の共同研究チームの設置。

年に一度の定期会議。

途中、カインとハーヴェルが再び言い合った。

移住の期間の件だ。


「三年では短すぎる」とカインが言った。

「五年では長すぎます。王国内の調整が——」

「魔族の土地があと何年持つかわかっているか」

「ですから——」

「あと五年で、北の集落の半分が消える試算が出ている」

「それは——」

「では四年でどうだ」

ハーヴェルが少し考えた。


「……四年で進めます」

「約束できるか」

「約束します」


カインがハーヴェルを見た。

「覚えておく」

「はい」


カインがヴァルドを見た。

ヴァルドが小さく頷いた。


全員が署名した。

魔族と王国の、初めての正式な協定書だ。

ハーヴェルが署名して、ヴァルドに渡した。

ヴァルドが受け取った協定書をしばらく、見ていた。


「二十年、かかったな」

ヴァルドが、署名された羊皮紙を見つめて呟いた。


「……はい。もっと早く、こうあるべきでした」

ハーヴェルの言葉に、カインが俺を見て、一度だけ深く頷いた。


会議が終わった後、カインが俺の隣に並んだ。

「ガイウス」

「なんですか?」


「……ありがとう。これで皆に報告できる。来年も同じ場所にいられると」

彼の声には、もう鋭い刺はなかった。

一人の若者としての、純粋な安堵が混じっている。


「いつか、ガイウスにも魔族の子に会わせてやりたい。お前という『変な農家』が世界を救ったんだと教えたら、きっと目を丸くするだろうな」


カインはそれだけ言って、ヴァルドの背中を追っていった。

会議室を出る間際、ヴァルドが俺を呼び止めた。

「ガイウス・ノア。村に戻ったら、あの無口な男……グラントに伝えてくれ」

「何をですか?」

「エールを定期的に送ってほしい。魔王軍の公式飲料としたい。……あれを飲まぬ人生は、損失だ」

「……伝えておきます」


後ろでセルジオが「魔王軍御用達の村になるのか……」と、遠い目をして呟いていた。


村へ向かう帰り道。夕焼けが街道を橙色に染めていた。

「ガイウスさん、焦りませんでしたか? カインさんが怒鳴った時」

エリアが馬の上で聞いてきた。

「いいえ。ヴァルドさんが止めると思っていましたから」

「どうしてそんな自信が?」

「親ですからね。あの方は、カインの将来を誰よりも考えている。エールを飲んでいる時の、息子の話を出す目がそう言っていましたよ」


エリアは俺の顔をまじまじと見た。

「……農家は観察が大事だって、本当なんですね」

「ええ。薬草も、人も、よく見ないと枯れてしまいますから」

村の入り口に着いたのは、夕暮れ時だった。

そこには、朝と同じようにリナが立っていた。


「おかえりなさい!」

「ただいまです。……約束通り早く帰って来たでしょう?」

「うん! それで、どうなったの?」

「全員が署名しました。和平成立です」


リナの瞳が、驚きと喜びで大きく見開かれる。 「すごい……本当にやっちゃったんだ。ガイウスさんが、世界を仲直りさせたんだね」

「俺はただ、境界線を引く場所を教えただけですよ」

「またそうやって謙遜する。……でも、ありがとう。あなたがここにいてくれて、本当によかった」


リナがもう一歩踏み出し、泣きそうな顔で笑った。

「じゃあ、ずっといてよ。約束だよ?」

「約束します。俺の畑は、ここにありますから」

広場では、グラントが既にエールの準備を始めていた。

ゴードンが「よし、宴会だ!」と声を張り上げ、マルクが走り回る。

エリアが「一回も迷わずに帰れました!」と胸を張り、全員が「本当か?」と疑いの目を向ける。


俺はグラントから受け取ったエールを一口飲んだ。

喉を焼く心地よい刺激と、薬草の香り。

明日からは、また畑の追肥が待っている。

ポーションの在庫も作らなければならないし、リナに教える課題も山積みだ。


「ガイウスさん、スローライフ、戻ってきた?」 「ええ。これが俺の、一番忙しくて静かな日常ですから」


スローライフは、今日から本当の意味でまた、順調に続いていく。


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