第27話 閑話 父と子
深夜の書斎。
カインが呼ばれた。
扉を開けると、ヴァルドが窓際に立っていた。 こちらを向いていない。
「座れ」
「……立ったままでいい」
「いいから座れ」
もう一度だけ言った。
カインが椅子を引いた。 音を立てて、座った。
ヴァルドが振り返った。
穏やかな目だった。 ただ、今夜は違う。
「ザルクから報告を受けた」
「……そうか」
「エーデル村への急襲。 村人を人質に取る計画だと」
カインは何も言わなかった。
「やめろ」
「なぜやめなければならない?」
魔王ヴァルドが息を吐いた。
「人質を取るのは間違いだ」
「間違い?」
カインが立ち上がった。
「親父の言う正しいやり方で、三年間何が変わった」
「——」
「変わっていない。 土地は死んでいく。 魔族は北に押し込められていく。 それでも交渉か。 それでも待つのか?王国が原因なのに」
「カイン」
「俺は待てない」
カインの声が、少し割れた。
ヴァルドが静かに息子を見た。
「……お前は、ミナに似てきたな」
カインが止まった。
ミナ、母親の名前だ。
「それは関係ない」
「関係ある」
ヴァルドが窓の外を向いた。
「お前の母は、焦りやすい人間だった。 正しいことのためなら、手段を選ばなかった」
「……」
「それで、死んだ」
静寂があった。
カインが拳を握った。
「親父が守れなかったんだろう」
「そうだ」
あっさり言った。
「守れなかった。 今でも後悔している」
「……」
「だから——」
ヴァルドが振り返った。
「お前には同じことをさせたくない」
カインが目を逸らした。
「俺は母親じゃない」
「似ている、と言っている」
「……うるさい」
しばらく沈黙があった。
カインが椅子に座り直した。
膝の上で、拳を握ったまま。
「……じゃあどうすればいい」
「交渉を続ける」
「だが三年間続けてきた、しかし何も変わらなかった。」
「それが、変わるかもしれない」
「根拠は?」
ヴァルドが少し考えた。
「ザルクが、仲介を頼んできた人間がいると言っていた」
「エーデル村の守り人だ。 ガイウス・ノアという」
カインが目を細めた。
「‥Sランクの自称農家か」
「そうだ」
「信用できるのか?」
「ザルクが信用している」
「ザルクは人がよすぎる」
「人がよすぎる人間のほうが、信用できることもある」
カインが黙る。
ヴァルドが息子の前に立った。
「三日、待て」
「……」
「三日だけ待て。 その間に、仲介の話が動くかどうか確認する。 動かなければ——そのときは、俺が考える」
「俺が考える、って何を」
「お前の案とは別の、第三の手だ」
カインがヴァルドを見上げた。
「親父が動くのか」
「動く必要があれば」
「……魔王が直接動いたら、余計に王国が身構える」
「そうとも限らない」
「どういう意味だ」
ヴァルドが少し笑った。
「エーデル村のエールが旨いらしい」
カインが固まった。
「……何を言ってる?」
「飲みに行こうかと思っている」
「は?正気か」
「至って正気だ」
カインがしばらく父親の顔を見た。
どこまで本気なのか、読めない。
昔から、そういう男だった。
穏やかな顔で、突拍子もないことを言う。
「……わかった」
カインが立ち上がった。
「三日だけ待つ、約束しろ」
「分かった」
「‥カイン」
「なんだ?」
ヴァルドが息子の肩に、一度だけ手を置いた。
「お前が焦るのは、魔族を愛しているからだ。 それは間違っていない」
カインが黙った。
「ただ——」
「やり方が間違っている、だろ」
「そうだ」
「……わかってる」
小さく言った。
ヴァルドが手を離した。
カインが扉に向かった。
「親父」
扉の前で、振り返らずに言った。
「母さんのこと——俺は、親父を責めていない」
「……」
「守れなかったのは、親父だけのせいじゃない」
それだけ言って、出ていった。
扉が閉まった。
書斎に一人残されたヴァルドは、しばらく動かなかった。
それから、窓の外を見た。
北の大地が、月明かりに照らされていた。
「……難しい子だ」
誰もいない部屋で、静かに言った。
同じ夜、別の場所。
ドリスがザルクの部屋を出て、自分の部屋に戻ってきた。
窓から北の空を見た。
カインのことは、わかっている。
幼い頃からずっと、あのお方は魔族のために動いてきた。
間違った方向に、全力で走るのも——愛しているからだ。
「……止まってくれよ、殿下」
呟いた。
ガイウスと会ったことで、何かが変わるかもしれない。
変わってほしい、と思った。
翌朝、ベルグがカインの部屋を訪ねた。
「殿下、実行部隊の準備が——」
「三日、止めろ」
ベルグが目を細めた。
「……魔王様に止められましたか」
「俺が決めた」
「殿下——」
「三日だと言った」
ベルグが少し間を置いた。
「……わかりました」
カインは窓の外を見た。
南の方向を。
(ガイウス・ノア)
名前を、頭の中で繰り返した。
農家が仲介をすると言っている。
信用できるのか、できないのか、まだわからない。
ただ——
ザルクが信用しているなら、見てみる価値はある。
焦りは、まだある。
ただ今夜は——少しだけ信じようと思った。




