第26話 閑話 魔王軍 急進派
魔王軍本拠地、北の城塞。
魔王——ヴァルド・グリムは、玉座に深く沈んで、天井を見上げていた。
見た目は四十代の、端整な顔の男だ。
魔王にしては、穏やかな目をしている。
「陛下」
側近のミラが入ってきた。
「何だ」
「ザルク隊長から報告が届きました」
「ほう」
ミラが羊皮紙を広げた。
「『エーデル村の制圧を試みましたが、失敗しました。 理由は村の守り人によるものです。 なお、守り人のガイウス・ノア殿より、王国との交渉の仲介を申し出ていただきました。 北の山岳地帯の件、交渉の余地があるとのことです。 詳細は帰還後に報告します。 追伸:エールが旨かったです』」
沈黙があった。
「……失敗したか、300体も率いたのに」
「先遣隊最強のドガもか」
ヴァルドは目を閉じた。
「守り人の名前は?」
「ガイウス・ノア。 Sランクの元王立魔術師団筆頭で、現在は農家をされているそうです」
「農家、Sランクが?」
ヴァルドはしばらく黙った。
「……エールが旨かったと?」
「ザルクらしい追伸かと」
「……」
ヴァルドがため息をついた。
「交渉の件は」
「本当に仲介してもらえるなら、こちらとしては願ってもないことです」
「確かに」
「ただ——」
ミラが少し考えた。
「Sランクの農家が王国と魔王軍の仲介をする、というのは」
「前代未聞、だな」
「はい」
「でも——」
ヴァルドが立ち上がった。
窓の外を見る、北の大地が広がっている。
少しずつ、灰色になっていく土地だ。
「前代未聞でも、うまくいくならそれでいい」
「陛下」
「三年前、使者を送ったときから、俺はずっとそれを望んでいた。 戦わずに、話し合いで解決することを」
「……はい」
「ザルクに返事を書いてください。 交渉を進めるよう、と」
「わかりました」
「それと——」
ヴァルドが少し考えた。
「そのエールというのは、どこで飲めるのか」
ミラが少し固まった。
「……陛下、まさか」
「交渉が成立したら、一度行ってみたい」
「魔王様が辺境の村の酒場に——?」
「駄目か?」
「いえ、警備上の問題が——」
「なら一人で行く」
「それが一番問題です」
ヴァルドがため息をついた。
「……分かった」
「どうしてもと言うなら護衛を十人つけます」
「む、多すぎる、何とかならんか?」
「分かりました‥六人で手を打ちます、これ以上は譲れません……交渉が上手ですね、陛下」
「ハッハッハ、魔王だからな」
ミラがため息をついて、羊皮紙を手に取った。
「……わかりました」
城塞の外で、北風が吹いていた。
少しずつ、灰色になっていく土地に——
小さな光が、見えた気がした。
——
魔王軍本拠地、北の城塞。
東棟の一室に、男たちが集まっていた。
夜の集まりだ。 公式な会議ではない。
中心にいるのは、黒いマントを羽織った若い男だった。
二十代後半で端整な顔だが、目が鋭い。
魔王軍の皇太子——ヴァルドの息子、カイン・グリム。
「父上は、また甘いことをおっしゃっている」
カインが地図を広げた。
「交渉などと。 三年前も交渉しようとして、門前払いされた。 それでも交渉か」
「殿下のおっしゃる通りです」
隣に座った男が頷いた。 五十代の、がっしりした体格だ。 名をベルグという。 急進派の古参幹部だ。
「先遣隊が失敗したことで、父上はさらに弱腰になっている。 このままでは魔族の土地が失われる一方だ」
「ではどうされますか」
カインが地図の一点を指した。
「ここ、エーデル村だ」
「……また、あの村ですか」
「ザルクを退けた守り人がいる村だ。 あそこを制圧すれば、王国側に対して強いメッセージになる」
「しかし、Sランクの魔術師が守っている村を——」
「それはザルクのやり方が甘かった。 話し合いなど、最初から無駄だ」
ベルグが地図を見た。
「制圧ではなく——人質を取る、という手もありますが」
カインが少し考えた。
「村の人間を?」
「はい、Sランクと言えど、守るべき人間がいれば動けなくなる。 手加減させることができます」
「……なるほど」
「ザルクの報告によれば、村に赤毛の娘がいると。 守り人と親しい様子だったと」
カインが目を細めた。
「その娘を確保すれば——」
「殿下」
別の声がした。
部屋の隅に、静かに座っていた男が立ち上がった。
三十代の、細身の男だ。 名をドリスという。 急進派の中では比較的若い。
「何だ、ドリス」
「……それは、やめたほうがいいと思います」
「なぜ」
「Sランクを怒らせることになる」
「だから人質で——」
「殿下、Sランクというのは——」
ドリスが少し間を置いた。
「Sランクの魔術師が本気で怒った場合、私たちの戦力では対処できません。 ザルクの報告では、三百体を二分で制圧したとのことです」
「それは——」
「人質を取れば、その守り人は本気になります。 本気になったSランクは、我々の全戦力を持ってしても——」
「弱気なことを言うな」
カインが手を振った。
「父上のように、交渉交渉と言い続けて、魔族の土地が消えていくのを待てというのか」
「……殿下の焦りは、わかります」
ドリスが静かに言った。
「ただ、やり方を間違えると——取り返しのつかない事になります」
カインが地図を畳んだ。
「考えておきます」
「殿下——」
「くどい」
ドリスが静かに座った。
ベルグが小声でカインに言った。
「殿下、実行部隊の手配は——」
「三日後に動く。 父上には内密に」
「わかりました」
部屋が静かになった。
ドリスは窓の外を見た。
北の空に、厚い雲がかかっていた。
(……まずい)
誰かに知らせなければならない。
ただ——誰に?
ドリスは少し考えた。
そうか、ザルクなら止めてくれる。
あの男は、頭が回る。
ドリスは立ち上がった。
「少し外の空気を吸ってきます」
誰も気にしなかった。
廊下に出た。
急いで、ザルクの部屋に向かった。
ザルクは起きていた。
机に向かって、何かを書いていた。
「ドリスか。 何かありましたか」
「殿下が動く」
ザルクの手が止まった。
「……内容は?」
「エーデル村への急襲。 村人を人質に取る計画らしい」
ザルクがため息をついた。
今日何度目だろう、と自分でも思った。
「三日後、とのことだ」
「わかりました」
ザルクが立ち上がった。
「止められるか?」とドリスが聞いた。
「父上に話します。 殿下を止めるには、それしかない」
ザルクが少し考えた。
「エーデル村にも知らせたほうがいい」
「ガイウス・ノア殿に?」
「あの人なら、対処できます。 ただ、不意打ちは危険だ。 事前に知っていれば、村人を逃がすなり、準備ができる」
「しかしどうやって知らせる?」
ザルクが机の上の羊皮紙を手に取った。
「手紙を書きます。 今夜のうちに使者を出す」
「間に合いますか」
「三日ある。 急げば間に合う」
ドリスが少し安堵した。
「……よかった」
「ドリス」
「はい」
「よく知らせてくれました」
「当然のことです。 人質など——そんなやり方は、間違っています」
ザルクが頷いた。
「そうです」
羽根ペンが、羊皮紙の上を走り始めた。
同じ夜。
魔王、ヴァルドは書斎で本を読んでいた。
ミラが入ってきた。
「陛下、ザルクから緊急の報告が」
「読んでください」
ミラが手紙を開いた。
「『カイン殿下が独断でエーデル村への急襲を計画しています。 三日後に実行部隊が動くとのことです。 村人を人質にする計画です。 殿下を止めるには、陛下のご判断が必要です。 至急、対処をお願いします。 なお、ガイウス・ノア殿へも別途連絡を取りました。 ザルク』」
沈黙があった。
ヴァルドが手紙を読み終わる。
「……カインが」
「はい」
「また、か」
「陛下——」
「わかっている」
ヴァルドが立ち上がった。
穏やかな目が、少し暗くなっていた。
「カインを呼べ直ちに」
「承知しました」
ミラが退室した。
ヴァルドは窓の外を見た。
北の大地が、月明かりに照らされていた。
息子のことは、わかっている。 焦りも、怒りも、わかっている。
ただ——
「人質など、許さなれない」
誰もいない書斎で、静かに言った。
それから、椅子に座って待った。
カインが来るまでの時間、ヴァルドはずっと、窓の外を見ていた。
灰色になっていく土地を。
それでも諦めたくない、という気持ちを抱えながら。




