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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第194話 世界樹の管理者と、命の等価交換


エルフの王都の最奥。

そこは、周囲の白亜の街並みとは完全に切り離された、神話の時代から続く『原始の森』だった。


一歩足を踏み入れた瞬間、空気が劇的に変わるのを感じる。

肺を満たすのは、むせ返るような濃密な生命の息吹と、一切の不純物を許さない澄み切った魔力。


ただ呼吸をするだけで、体の内側から細胞が若返っていくような、圧倒的で神聖な気配が満ちていた。


その森の中心に、天を支えるようにそびえ立つ一本の巨木――『世界樹』。

見上げても頂上すら霞むほどの威容は、まさにこの星の生命の源泉たる風格を備えている。


「すごい……。結界の外から見た時よりも、ずっと……大きくて、息が詰まりそうですわ」

メリルが震える声で呟き、ヴェルダも緊張した面持ちで周囲を警戒していた。


「ええ。立派な樹です。これほど見事な大樹を育むには、どれほどの歳月と土壌が必要だったか。……おや?」


俺が世界樹の根元へと歩みを進めようとした、その時だった。

ザワッ……!!

突如として森全体の木々が意志を持ったかのようにざわめき、大地が微かに震えた。


次の瞬間、世界樹の周囲を取り囲んでいた無数の巨木が、まるで生きた大蛇のように根や枝をうねらせ、四方八方から俺たちを串刺しにせんと襲いかかってきた。


「歓迎されてないみたい!ガイウス、燃やすよ!」

ヴェルダが手に黒炎を宿して身構えるが、俺はすぐに彼女の腕を掴んで制止した。


「駄目です、ヴェルダ。彼らは世界樹を守るための防衛機構……いわば、立派な番犬であり、大切な『自然の恵み』です。

ここで暴れて森を傷つければ、交渉どころではなくなります」


「でも、このままじゃ串刺しにされるじゃない!」

迫り来る枝葉の槍は、すでに物理的な逃げ場を完全に塞ごうとしている。

少しでも力技で弾き飛ばせば、森全体がさらに激しい殺意を持って襲いかかってくるだろう。


俺は瞬時に状況を判断し、隣で強張っているメリル王女へと向き直った。

「メリル王女、少し失礼します。舌を噛まないように、しっかり掴まっていてくださいね」

「えっ? きゃあっ!?」


俺はメリルの華奢な体を軽々と横抱きに抱え上げた。

そして、無尽蔵の魔力をすべて『身体強化』に振り向ける。


「ヴェルダ、一本の枝も折らないように、俺についてきてください!」

「無茶言うね! やるけど!」

俺はメリルを抱えたまま、殺意を持って迫り来る木々の防衛網の中へと跳躍した。


右から迫る丸太のような太枝を、紙一重の捻りで躱す。下から突き上がる根の槍を、落ち葉を蹴るほどの微かな足場にして跳び越える。


前後左右、あらゆる死角から襲い来る神話級の防衛機構。

だが、長年の農作業で培った「作物を傷つけない」ための繊細な足捌きと、極限の動体視力の前では、そのすべてが止まって見えた。


俺はメリルに一切の衝撃を与えぬよう、まるで風そのものになったかのように、密集する枝葉のわずかな隙間を縫って滑り抜けていく。


後ろからは、ヴェルダが龍の身体能力を活かし、アクロバティックな動きで俺の軌跡を正確にトレースしてついてきていた。


「すごい……! ガイウスさん、木に全く触れていない……!」

腕の中で、メリルが驚愕に目を見開く。


力でこじ開けるのではない。

敵意を持たず、ただ自然の営みの隙間を間借りするように。

俺たちは、木々の怒りをヒラリと躱し続け、ついには一本の枝葉も傷つけることなく、ぽっかりと空いた世界樹の巨大な根元へと辿り着いた。


そこには、淡い光の粒子が舞い散っていた。

そして、巨大な根の窪みに腰掛けるようにして――一人の『少女』がいた。


透き通るような翠色の髪。エルフよりもさらに長く尖った耳。

そして、どれほどの時を生きてきたのか想像もつかないほど、深く、静謐な『翠玉の瞳』。


「……来たんだ」

少女が、鈴の音のような、それでいて世界そのものが響くような声で告げた。


俺はメリルをそっと地面に下ろすと、乱れた息を整えることもなく、丁寧に一礼した。


「お初にお目に掛かります。俺は農家のガイウス・ノア。こちらは相棒の黒龍ヴェルダと、ドワーフ王国のメリル王女です」


少女は不思議そうに小首を傾げた。

「防衛機構を、一つも壊さずにここまで来た人間は初めて。……あなたは、何が目的?」


「世界に迫る厄災……魔神ヤマトと七柱の魔人を討つため、最強の『農具』を作っています。その柄とするために、どうか、世界樹の枝を一本お譲りいただけないでしょうか」


俺が真っ直ぐに見つめて交渉すると、少女――世界樹の管理者は、静かに、しかし冷酷なまでに冷たい声で拒絶した。


「駄目」

「……理由を、お伺いしても?」

「世界樹は、この世界のいしずえ

その一部を切り離すということは、世界の理を一つ削り取るのと同じこと。

……魔神が世界を滅ぼそうとしているのは知っているけれど、だからといって、私が世界の礎をタダで渡す理由にはならない」


精霊である彼女にとって、人間の存亡や魔神の脅威すら、自然のサイクルの一部でしかないのだ。

「そうですか。……ですが、俺としてもここで引き下がるわけにはいきません。

とはいえ、あなたやこの美しい樹を力で傷つけて奪うつもりは毛頭ありません」


俺は武器を持たぬ両手を広げ、静かに問いかけた。

「どうすれば、枝をいただけますか?」

少女は、底知れぬ深さを持つ翠玉の瞳で俺をじっと見つめた。


「等価交換。……世界樹の枝は、世界の重み。それに見合うだけの、あなたにとって『大事なもの』を差し出してくれるなら、枝をあげる」


「大事なもの……」

俺が思案していると、少女はメリルとヴェルダを指差した。

「例えば、その後ろにいる『仲間の命』。それなら、十分な価値がある」


「っ……!」

メリルが息を呑み、ヴェルダが鋭い殺気を放った。

「お断りします」

俺は即座に、一切の迷いなく言い切った。


「仲間を肥料にして育つ作物など、俺の畑には必要ありません。そんな方法で手に入れた農具で、彼らの笑顔を守れるはずがない」


「……そう。じゃあ、何をくれるの?」

少女の問いに、俺は少しだけ沈黙した。

アイテムボックスの中には、金銀財宝や希少な素材が山ほどある。


だが、この神話の精霊がそんな物質的な価値で動くはずがない。

彼女が求めているのは、俺自身の『根源』に関わるものだ。


迷いは、一瞬だった。

「……それじゃあ、俺の『命』を差し出しましょう」

俺が静かに告げると、その場の空気が凍りついた。


「な……ッ! ガイウス!バカじゃないの!? 自分が死んだら、誰がその農具を振るうの?!」


ヴェルダが血相を変えて俺の胸倉を掴む。メリルも顔を真っ青にして首を横に振っていた。


「安心してください。すべてを渡すとは言っていません。……世界樹の枝に見合うだけの『寿命』です。俺の命の残りの時間、それを対価とします」


「寿命を削るっていうの!? そんなの……どれだけ持っていかれるか分からないじゃない!」

ヴェルダが叫び、そして彼女は俺を庇うように、少女の前に立ちはだかった。


「……なら、わらわの命を持ってて! わらわは黒龍、寿命なら人間なんかよりずっと長いよ! わらわの命を持っていきなさい!」

「ヴェルダ! 駄目です、あなたこそ先ほど逆鱗を抜いて魔力が……!」


俺とヴェルダが庇い合うのを見て、少女は小さくため息をついた。

「どちらが欠けてもいけないみたいね。……分かった。じゃあ、半分ずつもらうね」


その言葉と同時だった。

少女が指先をこちらに向けた瞬間、俺とヴェルダの足元から、眩い翠色の光陣が展開された。


「ぐぅぅッ……!?」

「あァァァッ……!!」

光が体を包み込んだ瞬間、言葉では言い表せないほどの『激痛』が全身を駆け巡った。


肉体を刃で切り裂かれるような痛みではない。魂の根幹、存在の芯そのものを、無理やり引き剥がされ、削り取られていくような絶対的な喪失感と苦痛。


「ガイウスさんッ! ヴェルダ様ッ!!」

メリルが泣き叫ぼうとするが、光の障壁に阻まれて近づくことができない。

(……くそっ、これほど、痛いとは……!)


俺は歯を食いしばり、必死に意識を保った。

隣ではヴェルダも、龍の強靭な精神力で膝をつきながらも、決して悲鳴を上げまいと耐え抜いていた。


命を取られる、寿命を削られるということが、これほどまでに恐ろしく、耐え難いことだとは。


だが、あの『堕ちた正義』の理不尽な暴力を打ち砕くためには。

この世界に、そしてエーデル村に、平穏なスローライフを取り戻すためには――この程度の痛み、農作業の腰痛に比べれば安いものだった。


「……う、おぉぉぉぉぉッ!!」

永遠にも似た数分の後。

翠色の光が弾け、痛みが嘘のようにスッと引いていった。


「はぁ……っ、はぁ……っ……!」

俺とヴェルダは、その場に力なく倒れ込んだ。全身が鉛のように重く、立っていることすら困難なほどの虚脱感に襲われる。


「……契約は成立した」

少女の声が響いた。

顔を上げると、少女の手から、淡い黄金の光を放つ、真っ直ぐで力強い一本の『木の枝』が、ふわりと俺の目の前へと降りてきた。


大きさはクワの柄として完璧なサイズ。

だが、その質量と内包する生命力は、これ一本で一つの森を創り出せるほどの圧倒的なものだった。


「……ありがとうございます。大切に、使わせていただきます」

俺が震える手で枝を受け取り、深く頭を下げて礼を言うと、少女は目を丸くして不思議そうな顔をした。


「どうして、お礼を言うの? これは『等価交換』。あなたの命の半分と引き換えたのだから、気にしないで」


人間の『感謝』や『礼儀』という概念が、理を司る彼女には理解できないようだった。


少女はそれだけを言い残し、光の粒子となって、世界樹の根元へと静かに溶けて消えていった。


「ガイウスさん! ヴェルダ様!」

光の障壁が消え、メリルが泣きながら二人に駆け寄ってきた。


「……大丈夫。ちょっと……息が上がってるだけ……」

ヴェルダが強がりながらも、俺の肩を借りてなんとか立ち上がる。


「ええ……俺も、まだまだクワを振るえますよ」

俺もヴェルダを支えながら、ゆっくりと立ち上がった。


寿命が半分になったことによる実感はまだない。だが、確実に体の中の『何か』が削り取られた喪失感は残っていた。


それでも、俺たちの手には、神の金属を束ね、龍の魔力を制御する、至高の『世界樹の枝』が握られている。


「……さあ、急ぎましょう」

俺は、心配そうに見つめるメリルに微笑みかけた。


「ヤマトの出撃まで、時間は限られています。

待たせているドワーフ王たちの元へ……『鍛冶師の街』へ戻り、あの害虫を駆除する『究極の農具』を完成させるんです」


半分になった命の重みを噛み締めながら。

俺たちは、神話の厄災を打ち砕く最後の仕上げを行うため、エルフの帝国を後にして、決戦の地たる南の空へと再び飛翔した。


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