第192話 鍛治士の街とエルフの国へ
「――さて。アダマンタイトとヴェルダの鱗、最高の素材は揃いましたね」
俺は黒龍ヴェルダの広大な背の上で、手にしたばかりの『黒龍の逆鱗』を大切にアイテムボックスへとしまい込み、北の空を見据えた。
眼下には奈落の火口から立ち上る熱雲が広がり、遠くには俺たちの帰りを待つ中央大陸のシルエットが、月明かりの中に微かに浮かんでいる。
「ヴェルダ。次はエルフの帝国です。世界樹の枝を手に入れるには、彼らの協力が必要になります」
俺がそう告げると、背中に同乗していたドワーフ王が、複雑そうな顔をして溜息を漏らした。
「……ガイウス殿。すまぬが、我らドワーフはエルフの国へは同行できぬ。いや、したくないのだ」
「おや、どうしてですか? 共に戦う仲間ではありませんか」
俺が不思議に思って尋ねると、王子の片方が肩をすくめて答えた。
「ガイウス殿、ドワーフとエルフは『犬と猿』……いや、『油と水』のような関係なのです。
あやつらの気取った性格は、我ら実直な職人には耐え難い。ましてやこの非常時、余計な火種を増やすだけでしょう」
「なるほど。歴史的な仲の悪さというわけですね。農家でも、隣の畑の主と水利権で揉めることはよくありますから分かりますよ」
俺が納得して頷くと、ドワーフ王は「それとは少し規模が違う気がするがな……」と苦笑し、地図の一点を指差した。
「その代わりと言っては何だが、中央大陸へ戻る途中に、この『黒鉄の街』で我らを降ろしてはくれまいか」
そこは南の大陸の北端、先ほどの火口にもほど近い場所にある、ドワーフの伝統的な街だった。
「ここは『鍛冶師の街』と呼ばれ、火口から引き入れた地熱を動力源とする、世界で唯一の特殊な溶鉱炉がある場所だ。
アダマンタイトや龍の鱗といった神話級の素材を加工するには、王都の工場よりもこの街の古き設備の方が適している」
「素晴らしい。餅は餅屋、農具は鍛冶屋、というわけですね」
俺はヴェルダに頼み、進路を少しだけ西に逸らしてもらった。
ヤマトの艦隊が出撃するまで、あと九日。素材を集め、さらにそれを『形』にしなければならない俺たちにとって、移動時間の短縮は命に関わる。
「行くわよ。一気に高度を落とすから、しっかり捕まってなさい!」
ヴェルダが漆黒の翼をたたみ、垂直に近い角度で降下を開始した。
雲を突き抜け、眼下に広がってきたのは、巨大な煙突が林立し、迷路のように入り組んだレンガ造りの街並みだった。
だが。
「……おかしいですね。煙が、一本も上がっていない」
俺は結界越しに街の様子を窺い、眉をひそめた。
本来であれば、昼夜を問わず火花が散り、槌音が響き渡っているはずの『鍛冶師の街』。
しかし、そこには墓場のような静寂だけが支配していた。
ヴェルダが街の中央広場に着陸すると、俺たちは慎重に地面へと降り立った。
「……誰もいない。ドワーフが一人も、見当たらないじゃない」
元の姿に戻ったヴェルダが、辺りを見回して不審そうに呟く。
広場には、作りかけの荷車や、道に投げ出されたままの金槌が転がっていた。
争った形跡はない。
まるで、生活の途中で住人全員が神隠しに遭ったかのような、不気味な光景だ。
「…………」
メリル王女が、通りの奥にある巨大な工場の建物を凝視し、その顔を苦痛に歪ませた。
「ガイウスさん。……精神操作されたドワーフたちは、おそらく全員、王都へ連行されたのだと思います」
「連行、ですか?」
「はい。ヤマトは、飛空艇の艦隊を完成させるために、一刻も早い労働力を求めています。
この街に住む熟練の鍛冶師たちは、彼にとって最高に都合の良い『部品』なのでしょう。……きっと今も王都の地下で、不休不眠で強制労働に従事させられているはずです」
メリルの言葉に、ドワーフ王が拳を固く握り締め、壁をドンと叩いた。
「おのれ、ヤマト……! 誇り高き職人を、道具のように使い潰すとは、断じて許せん!」
「……事情は分かりました。ならば、俺たちがやるべきことは決まっていますね」
俺は、アイテムボックスから先ほど『収穫』した漆黒のアダマンタイトの結晶と、ヴェルダから預かった『黒龍の逆鱗』を取り出した。
「王様。この素材をあなたに託します。俺たちがエルフの国から世界樹の枝を持ち帰るまでに、最高の『刃』の基礎を打ち出しておいていただけますか?」
「……うむ、任せておけ! この街の火は消えておるが、王家の秘術を使えば、地熱を強引に再起動させることは可能だ。
我が命に代えても、魔人の権能を打ち砕く至高の刃を完成させてみせよう!」
ドワーフ王の瞳に、職人としての、そして王としての不退転の炎が宿る。
二人の王子も、「俺たちも手伝います!」と力強く頷いた。
「お願いします。……では、俺たちはエルフの帝国へ向かいます」
俺がヴェルダに向き直ると、隣にいたメリルが、決然とした表情で俺の服の袖を掴んだ。
「ガイウスさん。私も、私も一緒に連れて行ってください」
「メリル王女? ここに残って、お父様たちの手伝いをした方が安全ですよ」
「いいえ。エルフの国へ行くのなら、ドワーフの王族である私が行くべきです。仲が悪いからこそ、私が誠意を持って交渉に立ちたいのです。それに……」
メリルは潤んだ瞳で俺を見つめ、小さな声で続けた。
「……最後まで、見届けたいんです。この世界が、どうなるのかを」
俺は、彼女の細い肩が微かに震えているのを見た。
怖くないはずがない。
神話の魔人と対峙し、世界の崩壊を目の当たりにしているのだ。それでも彼女は、自分の足で前へ進もうとしている。
「……分かりました。共に行きましょう、メリル王女」
「ありがとうございます!」
俺たちは、ドワーフ王たちと再会を約束し、再びヴェルダの背に乗って夜空へと舞い上がった。
眼下で、鍛冶師の街に一筋の赤い火が灯るのが見えた。王たちが作業を開始した合図だ。
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「見えてきたわよ。……うわ、本当にガチガチじゃない」
数時間の飛行の後、ヴェルダが呆れたような声を上げた。
中央大陸の南東部。そこには、大陸最大の面積を誇る大森林地帯――エルフの帝国が存在する。
しかし、普段なら深緑に包まれているはずのその場所は、今や異様な光景に塗りつぶされていた。
地平線の彼方まで続く巨大な森全体を、淡いエメラルドグリーンの光の膜が、ドーム状に覆い尽くしていたのだ。
「あれが……エルフの絶対防御、神話級結界『アイギスの障壁』……」
メリルが、結界から漏れ出す圧倒的な魔力に圧倒され、息を呑む。
「ほう。森全体を結界にするとは、さすがは魔法に長けたエルフの皆さんですね。風通しは悪そうですが、防御力は相当なものです」
俺はヴェルダの背から、眼下に広がる輝く緑の壁を見下ろした。
結界の表面には、複雑な古代文字の術式が絶え間なく流れ続け、外部からの干渉を一切拒絶している。かつて俺がこの国を訪れた時とは比較にならない、まさに「鎖国」の構えだ。
「ガイウス、どうするの? このまま突っ込んだら、あたしの鱗でも弾き飛ばされそうなんだけど。……というか、結界の維持に必死すぎて、中の連中、外の声なんて全く聞いてないわよ、これ」
ヴェルダの言う通り、結界からは「何があっても開けない」という、エルフたちの極限の恐怖と拒絶の意志が伝わってきた。
魔人の出現を知り、彼らは世界を救うことよりも、自分たちの森を守ることにすべてを賭けてしまったのだろう。
「……説得は、難しそうですね」
俺はクワを肩に担ぎ直し、結界の接地面である草原へと降り立った。
「メリル王女。少し下がっていてください。……門を開けてくれないのなら、農家として、少しばかり『ド派手な枝打ち』をして道を作るしかありませんからね」
俺は、一歩。
世界樹を守るための『絶対防御』の前に、静かに歩みを進めた。
ヤマトの出撃まで、あと九日。
最強の農家による、エルフの帝国への「強制的訪問」が、今まさに始まろうとしていた。




