第190話 星の鼓動と、鉱石
奈落の火口、第二層。
上層の溶岩百足を氷漬けにして突破した俺たちは、さらに深く、星の核へと続く縦穴を下っていた。
俺の展開する結界内は春のような陽気だが、一歩結界の外に目を向ければ、そこは地獄そのものだった。
岩壁は熱でドロドロに溶けて滴り、空間そのものが高熱で歪んで陽炎を生んでいる。
「……ガイウス殿。ここから先は『重力』も狂い始める。気を引き締められよ」
先頭を行くドワーフ王が、王家秘蔵の重力安定ランタンを掲げながら警告した。
彼の言う通り、一歩進むごとに体が何倍もの重さに押し潰されるような感覚に襲われる。
星の核に近いこの場所では、膨大な質量が集中し、重力の理すらもねじ曲がっているのだ。
「なるほど、これほどまでの圧力……。まるで、千年も放置されてカチカチに固まってしまった不耕起地のようですね」
俺が肩の力を抜いて周囲を見渡すと、王子の片方が「いや、そもそもここに作物を植える人はいませんよ……」と、息を切らしながらツッコミを入れてきた。
彼は重力に抗うだけで精一杯のようだ。
「ですが、ドワーフ王。この『圧力』こそが、アダマンタイトを育むための重石なのでしょう?」
「いかにも。極限の熱が不純物を焼き払い、極限の圧力が分子の隙間を埋め尽くす。
そうして数万年の時を経て、この世で最も硬く、最も密度の高い『星の骨』が生まれるのだ。……見てくだされ。あそこです」
王が指差した先。
縦穴の最奥、巨大な空間が広がっていた。
そこには、マグマの海に浮かぶ孤島のような岩盤があり、その中央に、周囲の赤光を吸い込むような『漆黒の結晶体』が突き刺さっていた。
大きさは、大人の背丈ほど。
表面は鏡のように滑らかで、時折、深淵のような紫色の魔力がその内側で脈動している。
「あれが……原石状態のアダマンタイト……」
二人の王子が、その圧倒的な存在感に気圧されたように立ち止まった。
「……美しい。これほどまでの純度、間違いなく逸品です。
これなら、あの魔人の権能すら跳ね返す最高の『刃』が作れるでしょう」
俺はクワを担ぎ直し、その漆黒の結晶へと歩を進めようとした。
だが、その時だ。
ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴッ……!!
空間全体が、これまでとは比較にならないほど激しく振動し始めた。
アダマンタイトの結晶を囲むマグマの海が、まるで意思を持っているかのように巨大な渦を巻き、隆起していく。
「来るぞ! 鉱脈の主、この火口そのものの防衛本能が実体化した守護者だ!」
ドワーフ王がつるはしを構え、声を荒らげた。
マグマの渦の中から姿を現したのは、全長二十メートルはあろうかという、半透明の赤い結晶で構成された巨象――『焔殻の巨獣』だった。
それは生き物というより、凝縮された火属性の魔力と重力の塊だった。一歩歩くたびに、強固な黒曜石の床が粉々に砕け散る。
「ガァァァァァァッ!!」
巨獣が咆哮を上げると、空間の重力がさらに数倍へと跳ね上がった。
「ぐぅぅッ……!」
「お、重い……! 息が……ッ!」
ドワーフ王と二人の王子がたまらず膝をつき、地面に這いつくばる。
王の掲げていた重力安定ランタンすら、圧力でガラスがひび割れていた。
「ガイウス殿、下がりなされ! この巨獣の周囲は、触れるだけで鉄すらひしゃげる超重力界だ! 物理的な攻撃など、届く前に地に叩き落とされる!」
「……なるほど。確かに、これは生活魔術の延長でどうにかなる相手ではなさそうですね」
俺は肩からクワを下ろし、それをそっと、空間収納の中へとしまった。
「ガイウス殿……!? なぜ武器を!」
「あのクワは、先の魔人との戦いですでに限界を迎えています。
これほどの理不尽な質量と重力を前に、あのボロボロの相棒を振るえば、完全に砕け散ってしまう。
……土を耕すのは後回しです。
まずは、目の前の『巨大な岩盤(障害物)』を、徹底的に爆破・撤去させてもらいますよ」
俺は両手をだらりと下げ、無防備な姿勢のまま、重力に押し潰されることなく巨獣へと歩み寄った。
「ギ、ギャォォォッ!!」
巨獣が俺を外敵と認識し、その巨大な前足を高く振り上げた。
数万トンの質量と超重力を伴った、回避不能の圧殺攻撃が俺の頭上に迫る。
「……少しばかり派手になりますが、目を閉じないでくださいね」
俺は右手を天に掲げた。
「『重力魔術・反転領域』」
俺の頭上数メートルの空中に、目に見えない不可視の「壁」が出現した。
いや、それは壁ではない。巨獣の叩きつける超重力を、完全に上回る『真逆のベクトルを持った重力場』だ。
「ギャ……ッ!?」
巨獣の巨大な足が空中でピタリと止まり、あまつさえ、その規格外の巨体が反発力によって空へと「フワリ」と浮き上がった。
「な、ば、馬鹿なッ!? 星の重力を司る巨獣を、魔術の力だけで宙に浮かせただと!?」
ドワーフ王が驚愕に目を見開く。
巨獣を無力化させただけでは終わらない。
俺は浮き上がった巨獣の腹部に向けて、左手を突き出した。
「相手は極限の熱と岩の塊。ならば、すべてを凍てつかせて粉砕するまで」
俺の体から、周囲のマグマすら凍りつくほどの、凄まじい冷気と魔力の奔流が渦を巻き始めた。
空気が悲鳴を上げ、俺の足元の岩盤が耐えきれずに放射状に割れていく。
「『氷結大魔術・永久凍土の柩』ッ!!」
俺の左手から放たれた極低温の光線が、空中の巨獣を真っ向から呑み込んだ。
数千度の熱を放っていたマグマの体躯が、白煙を上げる間もなく、一瞬にして青白い氷の彫像へと変貌していく。
巨獣がもがき苦しむ暇すら与えない、分子の運動そのものを停止させる絶対零度の檻。
「す、すごい……! あの巨獣が、一瞬で……!」
王子たちが、寒気と恐怖、そして圧倒的な力への畏怖で震える声を上げた。
「まだです。完全に砕かなければ、星の魔力で再生してしまいますからね」
俺は両手を胸の前で合わせ、莫大な魔力を限界まで圧縮し始めた。
指の隙間から漏れ出す紫電が、バチバチと空間を弾く。
農家の顔はすでにない。
そこにあるのは、かつて王国最強と謳われ、単騎で軍勢を消し飛ばした大魔術師の姿だった。
「消え去れ。――『超新星の槍』」
カッ!!!
目を開けていられないほどの閃光が地下空間を包み込んだ。
俺の両手から放たれたのは、極限まで圧縮された純粋な魔力の光柱。
それは氷漬けにされた巨獣の胸元に直撃すると同時に、強烈な爆発を伴って、その巨体を氷の欠片ごと文字通り『原子レベルで粉砕』した。
ゴオォォォォォォォッ!!!
衝撃波が空間を吹き荒れ、周囲のマグマの海が大きく波打つ。
やがて光が収まり、もうもうと立ち込めていた水蒸気が晴れると……。
そこには、巨獣の姿はおろか、その欠片すら残っていなかった。
静寂を取り戻したマグマの海の中央に、傷一つない漆黒のアダマンタイトの結晶だけが、ポツンと残されている。
「…………」
ドワーフ王と王子たちは、もはや言葉を発することすらできず、ただ口を開けて俺の背中を見つめていた。
「ふう……」
俺は小さく息を吐き、乱れた服の襟を正した。
久々に本気の戦闘魔術を連続行使したため、少しばかり魔力を消費したが、俺にとっては準備体操のようなものだ。
「お見苦しいところをお見せしました。どうしても、あの結晶だけは傷つけずに周囲の障害物を取り除きたかったもので」
俺が完璧な営業スマイルで振り返ると、ドワーフ王はようやく我に返り、震える手で額の汗を拭った。
「が、ガイウス殿……。貴殿、本気を出せば、あのような巨獣を、クワも持たずに一瞬で塵にできるのか……?」
「ええ、まあ。でも、魔術で吹き飛ばすのは大味すぎて、土壌(環境)へのダメージが大きいんです。できれば日々の生活では使いたくない力ですね」
俺は苦笑しながら、マグマの海を凍らせて作った氷の橋を渡り、ついにその漆黒の結晶――アダマンタイトの前に立った。
間近で見ると、その密度と魔力は恐ろしいほどだ。この素材なら、絶対に空間の断層にも耐えうる刃が作れる。
「さて、安全も確保できましたし、ここからは本来の作業(採掘)に戻りましょう」
俺は空間収納から、再びボロボロのクワを取り出した。
「このアダマンタイト、周囲の不純物ごと『根こそぎ』持っていきますよ。アイテムボックスの容量はいっぱい空けてありますからね」
圧倒的な力で障害を排除し、最強の素材(土塊)を前に目を輝かせる男。
「究極の農具」を完成させるための第一のピースが、今、俺の手の中に収まろうとしていた。




