第18話 神託の本当の意味
朝。
エリアが息を切らして作業場に飛び込んできた。
抱えていた羊皮紙の束や地図を、床にばら撒きながら叫ぶ。
「わ、わかりました!」
「落ち着いてください。大事な資料が全部散らばっていますよ」
「それどころじゃなくて!」
エリアはずり落ちた眼鏡を勢いよく押し上げた。
かなり走ってきたらしく、肩で息をしている。
「神託の術式、全部調べ終わりました!」
「どうでしたか」
「やっぱり根本的な問題がありました。ガイウスさんが指摘した通り、発動時の術式に歪みがあったんです。——でも、それだけじゃなかった」
エリアが床から拾い上げた羊皮紙を、バンッと机に広げた。
そこには、素人には解読不可能な細かい図形と数式がびっしりと並んでいる。
「神託の術式は、本来『二段階』で意味を構成する設計になっています。一段階目が『人物の特定』。そして二段階目が『その人物の役割の特定』です」
「二段階目」
「はい。ところが今回の神託、一段階目は正常に発動してガイウスさんを特定したんですが、二段階目が——」
エリアが、複雑な図式の一点を力強く指差した。
「ここで完全に術式が途切れていました。おそらく術者の疲労による魔力の乱れで、二段階目が発動しきれなかったんです」
俺は羊皮紙に目を落とした。
確かに、術式の連結部が不完全なままプツリと止まっている。
「つまり」
「神託が示したのは『ガイウスさんが次の王になる』ではなかった可能性が高いです。抜け落ちた二段階目を補完して計算し直すと、本来の意味は——」
エリアが大きく深呼吸をした。
「『王国の礎となる者』です」
「礎、ですか」
「はい。王座に就くのではなく——王国を根本から支える基盤になる、という意味です」
俺はしばらく考え込んだ。
「……それは、今現在もやっていることですが」
「そうなんですよ!」
エリアが興奮したように声を上げた。
「辺境の安全を守って、質の高いポーションを流通させて、冒険者に助言を与えて——ガイウスさんは既に、王国の立派な『礎』になっているんです。神託は最初から正しかった。ただ、王都の連中が誰も二段階目の欠落に気づかなかっただけで」
俺は小さく息を吐き、天井を見上げた。
「……つまり、俺がこのままエーデル村で農家をやっていれば、それで神託の予言は完全に成立していると」
俺は少し間を置いた。
「よかったです」
エリアが脱力したように額に手を当てた。
「よかった、じゃないですよ。歴史的な大発見レベルのすごいことですよ、これ」
「俺にとっては、平穏な農家を続けられることのほうがよほどすごいことなので」
「……まあ、いかにもガイウスさんらしいですね」
昼前に、いつもの面々を広場に集めた。
レオ、カナ、エリア、セルジオ、ゴードン、グラント、リナ。
エリアが皆の前で術式のからくりを説明した。
途中で魔術の専門用語が多くなり、頭を抱えたレオが「わかんないですが、つまりどういうことですか!」と泣きついた。
エリアが端的に答える。
「ガイウスさんは王様になる必要はなくて、ただの村のおじさんでよかった、ということです」
「おじさん……」
「あ、失礼しました。村のお兄さんで」
「三十二歳ですが」
「どちらにせよ、本質は変わらないので」
レオが「なるほど!」と晴れやかな顔をした。
カナが「つまり、今まで通りでいいんですね」と念を確認する。
「そういうことです」とエリアが力強く頷いた。
ゴードンが難しい顔で腕を組んだ。
「だが、王都の貴族どもの動きはどうする。
派閥を作ろうとしている輩がいるのだろう」
「神託の正確な意味が公式に発表されれば、ガイウス殿を神輿に担ぐ理由が完全に消滅します」とセルジオが言った。
「すぐに発表できますか」
「フォルク神官長に直接話を持っていけば、すぐ動いてくれるはずです。エリア殿の完璧な調査結果があれば、反論の余地などない十分な根拠になります」
「なら、俺が今から王都に行って、神官長と貴族のトップに直接話をつけます」
「今から日帰りで!?」とリナが目を丸くした。
「日帰りで」
リナが深い、深いため息をついた。
「……わかった。とりあえずお昼ご飯、多めに食べてから行きなさいよ」
「そうします」
昼食後、すぐに出発した。
セルジオが「私も証人として同行します」と言ったので、二人で向かうことになった。
馬を走らせながら、セルジオが感慨深げに言った。
「……ガイウス殿は、結果的にずっと神託通りの人生を歩んでいたわけですね」
「そうみたいです」
「なんとも不思議な話だと思いませんか?」
「俺がもし追放されなければ、王都でずっと面倒な雑務をやらされていたでしょう。
そのほうが、よほど『国の礎』という神託から遠かった気がします」
「追放されたことで、真の礎になれた、と」
「宰相閣下に感謝すべきですかね」
セルジオが苦笑した。
「それはご本人には伝えないほうがいいと思います。閣下がひどく複雑な、そして胃が痛そうな顔をされるので」
「そうですね」
王都に着いたのは二日後の昼過ぎだった。
久しぶりの王都は、相変わらず騒がしく、空気が重かった。
硬い石畳の道、見上げるほど高い建物。
行き交う人と馬車の群れ。
悪くはないが、どうにも落ち着かない。
「懐かしいですか?」とセルジオが聞いた。
「特には」
「…そうですか」
「早く済ませて帰りましょう」
「……わかりました」
まずは神官長の元を訪ねた。
フォルク神官長は執務室でエリアの調査結果を受け取ると、食い入るように図式を読み込んだ。
しばらく沈黙が落ち、それから重々しく口を開いた。
「……我々の、完全な確認不足だった」
「責める気はありません。あれは相当に複雑な術式なので」
「いや、申し訳なかった。あの時、君の指摘に反論できなかった時点で気づくべきだったのだ。この結果を、正式な神託の訂正として速やかに発表する。時間をいただければ、一週間以内には」
「よろしくお願いします」
神官長が、真意を探るような目で俺を見た。
「……ガイウス殿は、今の辺境での暮らしで本当に満足されているのか?」
「はい」
「神託の真の意味が正しく伝わったとして、その暮らしを続けると」
「続けます。俺には王座より、陰で支える『礎』という意味のほうが、遥かに性に合っています」
神官長は少し考え込み、やがて憑き物が落ちたように静かに笑った。
「……そうか。それがこの国にとって、一番良いことなのかもしれんな」
次に、俺を担ぎ上げて貴族の派閥を動かそうとしている首謀者の元へ向かった。
セルジオが裏で素早く場所を調べておいてくれていた。
五十代の有力貴族で、名をヴァンクロフト伯爵という。王都では野心家で政治的に活発な男として知られているらしい。
豪奢な応接室に通されると、伯爵が目を輝かせて立ち上がった。
「おお、ガイウス・ノア殿! よくぞ参られた。ようやく我々の——」
「単刀直入に申し上げます。神託の意味は間違っていました」
伯爵が、満面の笑みのまま石像のように固まった。
「……は?」
「神託の二段階目の術式が発動していなかったため、本来の意味が欠落していたと判明しました。
正しい意味は『王国の礎となる者』であり、俺に『王になれ』という神託では決してありませんでした」
「そ、それは……何かの間違いでは——」
「一週間以内に、神官団から正式な訂正発表が出されます。派閥などを作られては互いに迷惑なので、事前にお伝えしておこうと思って来ました」
伯爵はしばらくの間、間の抜けた顔で口を開けていた。
「……それは、確かな情報なのか」
「はい。有能な魔術師が術式を検証し、先ほどフォルク神官長も非を認めて確認済みです」
伯爵が、ドサリと豪華なソファに沈み込んだ。
「……派閥を組もうと声をかけていた連中に、頭を下げて回らなければならんな」
「お手数をおかけします」
「いや——」
伯爵が、鋭い視線で俺を見た。
「『礎となる者』、か。……なるほど、実はそのほうがよほど腑に落ちる」
「そうですか」
「君ほどの途方もない器の人間が、ただの農家をやっているのは不自然だとずっと思っていたのだ。だが『礎』という役割なら——君は今の辺境での暮らしのままで、すでにその意味を完璧になしている」
「そう解釈していただけると、大変助かります」
伯爵が少し黙り、探るように言った。
「一つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「満足しているのか? 今のその暮らしに」
「はい」
「……本当に?」
伯爵がしばらく俺の顔をじっと見つめた。
そこには一片の嘘も野心もないと悟ったのだろう。
やがて、彼は深く、長く息を吐き出した。
「……心底、羨ましいな」
野心家の顔が消え、ただの一人の男の顔になっていた。
「どうぞ、いつかエーデル村に遊びに来てください。酒場のエールがとても旨いですよ」
伯爵が、少しだけ声を上げて笑った。
「……前向きに検討しよう」
王都を出たのは夕方だった。
帰り道、セルジオが呆れたように言った。
「本当に日帰りで、王都の重鎮たちを全部片付けましたね」
「思ったより話が早くて助かりました」
「神官長もあのヴァンクロフト伯爵も、驚くほどあっさり話が通りました」
「覆しようのない正しい情報があれば、話は早いですから」
セルジオが肩をすくめて笑った。
「ガイウス殿は、本当に一切の無駄がない」
「面倒なことは長引かせたくないので」
「それも、実にガイウス殿らしい」
見上げれば、空が鮮やかな夕焼けに染まっていた。
遠く、エーデル村の方向に馴染み深い山の稜線が見える。
「早く帰りたいですね」
「やはり畑が気になりますか」
「ええ、水やりがいなかった分ずれていますから」
「……わかりました。では、少し急ぎましょう」
村に戻ったのは、二日後の夜になってからだった。
宿屋の前に、ランタンを持ったリナが立っていた。
「おかえり」
「ただいまです」
「……全部、終わったの?」
「はい、終わりました」
リナがふうっと息を吐き、安堵した顔を見せた。
「怪我はしてない?」
「ないですよ。ただ事実を話して説得してきただけなので」
「よかった」
リナが宿屋の重い扉を開けた。
「ご飯できてるから、早く来て。みんな待ってるよ」
温かい匂いのする食堂に入ると、レオ、カナ、エリア、ゴードン、グラント、マルクが勢揃いしていた。
グラントが待ってましたとばかりに、冷えたエールをドンとテーブルに置く。
マルクが「お帰り! どうだったの!」と声を上げた。
俺は椅子を引いて腰を下ろした。
「全部終わりました。神託の訂正発表が一週間以内に出ます。貴族の派閥も、これで完全に動きが止まります」
「やったー!」とレオが両手を突き上げた。
カナが静かに微笑み、エリアが「私の術式の計算が合っていて本当によかったです」と胸をなでおろした。
ゴードンが「大仕事、お疲れさん」と短く労い、グラントが無言でエールの入ったジョッキを追加した。
リナが俺の隣に座った。
「ねえ、神託の本当の意味、結局何だったの?」
「『王国の礎となる者』、だそうです」
「礎……?」
「俺がここで農家をやっていれば、それで成立する予言らしいです」
リナがしばらく、俺の顔をじっと見つめた。
それから、吹き出すように笑った。
「……なんか、本当にガイウスさんらしいね」
「そうですか?」
「うん。きらびやかな王様じゃなくて、縁の下の礎。辺境で畑を耕しながら、結果的に王国全体を支えてるなんて、ガイウスさんにしかできないよ」
「大げさな話ですが」
「全然大げさじゃないよ」
リナがエールを一口飲み、少し真面目な顔になった。
「……これからも、ずっとここにいてね」
俺は少しだけ考えた。
「いますよ。畑の世話もありますし、村に卸すポーションも作らなければいけない。それに、リナさんの上級ポーションの調合練習もまだ途中ですから」
「もう、全部仕事の理由じゃん!」
「俺は自分の仕事が好きなので」
「じゃあ、私達のことも仕事の延長なの?」
「……仕事ではないですが」
「じゃあ何よ」
ほんの少しだけ、二人の間に間があった。
「俺がこの村に居る、大切な理由の一つです」
リナが目を丸くして固まった。
それから、彼女の耳の先まで一気に真っ赤に染まった。
「……もうっ、本当に変な人!」
「そうですか?」
「そうだよ!」
照れ隠しのようにそっぽを向くリナを見て、俺は小さく笑った。
食堂は今日も賑やかだった。
レオが早くも三杯目のエールをおかわりし、エリアがゴードンの昔の武勇伝に目を輝かせている。マルクが父親に何かをねだり、セルジオが静かに温かいスープを飲んでいた。
窓の外には、満天の星が広がっていた。
俺は王にはならない。国の礎になる。
それは、ここに来た日から最初からやっていたことだ。
これからも、変わることは何もない。
俺のスローライフは、今日も——そしてこれからも——順調だ。




