第165話 魔族領の危機
エーデル村からさらに北、険しい山脈を越えた先に広がる魔族領近郊。
少し前、ガイウスと黒龍ヴェルダの規格外の戦闘によって北の山の一部が丸ごと吹き飛び、巨大な「更地」が誕生し、そこに農業技術を活かして巨大な『開拓地』を作り上げた。
魔族の食糧問題を根本から解決するための、希望の畑である。
そしてそのすぐ傍らには、畑を管理する
非戦闘員の魔族が暮らす『開拓村』が築かれていた。
だが今、その魔族の希望たる村と畑は、無惨にも漆黒の炎に包まれていた。
「あっははは! なーんだ、魔族って言ってもただの農民じゃん! 弱すぎー!」
「ヤマトさんがくれたこの『闇の力』、最高だぜ! ステータスが前の倍以上になってやがる!」
空を舞うリカが、黒く染まった【極大爆炎】を無造作に放つ。
魔族たちが飢えを凌ぐため、血のにじむような努力でようやく実らせた金色の麦畑が、一瞬にして黒焦げの灰へと変わっていく。
地上では、闇のオーラで全身を硬化させたゴウが、逃げ惑う開拓村の民たちを家屋ごと吹き飛ばしていた。
「やめて……! みんなで一生懸命育てた畑が……!」
エルが、燃え盛る畑を前にへたり込み、絶望の涙を流す。
「クソッ……! 貴様ら、何者だ! ここは非戦闘員の村であり、我らの命綱たる畑だぞ!」
燃え盛る村の広場に、巨大な戦槌を構えた魔族のドリスが立ちはだかる。
彼は魔王ヴァルドから直々に、この重要な開拓地の護衛を任されていた。
「俺か? 俺は世界を救う大勇者様だよ。……まあ、今は『魔神の代行者』って言った方がカッコいいかもな」
ケンヤが薄ら笑いを浮かべ、黒い瘴気を纏った魔剣を軽く振った。
(なんだ、このおぞましい気配は。神話の魔神ヤマトの力……それが人間の勇者と融合しているというのか!?)
ザルグは戦慄しながらも、エルや村の民を守るために激昂と共に戦槌を振り下ろす。城壁すら粉砕する全力の一撃。
しかし。
ガキィィィンッ!!
「なっ……!?」
「遅えよ、ザコが」
ザルグの渾身の戦槌が、ケンヤの放った不可視の斬撃によって飴細工のようになかばから両断された。
チートスキル【絶対切断】に、魔神の『闇の加護』が上乗せされたその一撃は、ザルグの強固な魔力障壁すらも容易く切り裂き、彼の胸に深い裂傷を負わせた。
「がはぁッ……!」
血を吐き、仰向けに倒れ伏すザルグ。
「ザルグ様ぁっ!!」
エルが悲鳴を上げる。
「終わりだね、おじさん。俺たちがこの村も畑も全部サラ地にして、最高の遊び場に変えてやるよ」
ケンヤが冷酷に魔剣を振り下ろそうとした、その時。
「通信兵! 今すぐ魔王城へ急報を……ッ!!」
生き残っていた数名の魔族兵が捨て身の魔法を放ち、土煙を上げてケンヤの目を一瞬だけ眩ませた。彼らは重傷のザルグとエルを抱え、間一髪で後退して防衛線を張る。
しかし、全滅は時間の問題だった。
それからわずかな時間後。魔族領の中心、魔王城。
「なんだと……!? 北の開拓村が、三人の人間に壊滅させられかけているだと!?」
玉座から立ち上がった魔王ヴァルドの声が、謁見の間に轟いた。
血まみれで辿り着いた通信兵が、息も絶え絶えに報告する。
「は、はい……。茶髪の剣士、巨漢の格闘家、派手な女魔術師……奴らはその身に魔神の……闇の魔力を纏っておりました。ザルグ将軍も重傷を負い、エルたちも危険な状態です。我らの食糧となる畑も、次々と灰に……!」
「魔神の加護を受けた勇者だと……ッ!?」
ヴァルドは愕然とした。
エーデル村から逃げ出したあの愚か者たちが、最悪の力を手に入れて魔族の命綱を蹂躙しているというのか。
(……自ら前線に出て奴らを討つべきか。いや、魔神の力を得たチート勇者三人を相手にすれば、被害は計り知れん。何より、あの開拓地そのものが消滅してしまう)
ヴァルドは血が滲むほど強く拳を握りしめ、苦渋の決断を下した。
魔族の王としてのプライドよりも、民の命と、懸命に耕した大地を守ることを優先したのだ。
「……ライラ!!」
「はっ!」
有翼の魔族であるライラが、ヴァルドの前に跪く。
「今すぐ飛べ! 人間界の『エーデル村』へ向かい、あそこに残っている息子のカインと……『ガイウス』に伝えろ!」
ヴァルドは血走った目で、最後の希望となるであろう理不尽の化身たる最強の農家の名前を口にした。
「『闇の力に堕ちた勇者が、かつて貴殿が拓き、我らが耕した畑を蹂躙している』と! 魔族の王としてのプライドなど、泥に捨てて構わん。彼に土下座してでも……あの畑を、魔族の未来を救ってくれと頼むのだ!」
「魔王様……ッ! 了解いたしました……!!」
ライラは涙を振り払い、漆黒の翼を羽ばたかせて人間界の方角へと全速力で飛び立った。
一方その頃。人間界、エーデル村。
「うむ! この皇帝かぼちゃのスープ、最高に美味いな!」
「魔力を吸われながら運んだ甲斐がありましたぜ……!」
村の広場では、魔族の皇太子カインやベルグ、精霊たちが、苦労して収穫した巨大カボチャの絶品スープに舌鼓を打っていた。
俺――ガイウスも、その様子を縁側から満足げに眺めながらお茶を飲んでいた。
その時だった。
『ドサァァァッ!!』
上空から、極度の疲労でボロボロになった有翼の魔族が、広場の中心に墜落してきた。
「なっ!? お前は……父上の近衛兵のライラではないか! どうした!」
カインがスープの皿を放り出し、慌ててライラに駆け寄る。
「カ、カイン様……! も、申し訳、ありません……!」
ライラは息も絶え絶えに報告を始めた。
「魔族の食糧問題を解決するために作った、北の開拓地の村が……三人の人間の襲撃に遭い、壊滅寸前です……。防衛に当たっていたザルグ将軍も重傷を負い、エルたちも危険に……」
その特徴を聞いた瞬間、その場にいた精霊たちの顔色が変わった。
「あいつら……! 俺たちの村から逃げ出した挙句、魔族の連中が必死に作った畑を荒らしているってのか!?」
イグニスが声を荒らげる。
ライラはカインの腕を力強く掴み、懇願した。
「魔王様からの、言伝です……! カイン様、どうか……どうか……」
ライラはそこでカインから視線を外し、縁側に座っていた俺の方を真っ直ぐに見つめた。そして、地面に額を擦り付けるようにして叫んだ。
「ガイウス・ノア様! 魔族の誇りなど、どうなっても構いません! どうか我が国を……エルたちが泥だらけになって耕した、あの『畑』を救ってください……ッ!!」
悲痛なSOSが、静かなエーデル村に響き渡った。
カインも、ベルグも、黙って俺の方へ向き直り、深く、深く頭を下げた。
「ガイウス殿……。恥を忍んで頼む。魔神の加護を受けた奴らを止められるのは、あんたしかいない。どうか、力を貸してはくれないか」
次期魔王であるカインが、農家である俺に土下座をして救援を乞う。
俺は、手にしていた湯呑みをコトリと置き、静かに立ち上がった。
「……彼らは、魔族の皆さんが飢えを凌ぐために作った『畑』を焼いたのですね? 魔族が懸命に育てていた、あの麦を」
「え、ええ……! 一瞬で、灰に……」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の中で、何かが決定的に『プツン』と切れる音がした。
「……なるほど。あの更地から石を取り除き、土を作り、水路を引き……ようやく実った努力の結晶を、理不尽な暴力で燃やしたと」
俺の声は、自分でも驚くほど冷たく、そして低かった。
周囲の温度が急激に下がり、大精霊たちですら息を呑んで後ずさるほどの、圧倒的で濃密な魔力が俺の体から溢れ出す。
「許せませんね」
俺は傍らに立てかけてあった、使い慣れた『クワ』を手に取った。
「カイン殿、頭を上げてください。彼らはエーデル村から逃げ出した害獣であり、世界で最も尊い『農業』を冒涜した大罪人だ。……農家として、責任を持って『害虫駆除』に向かいますよ」
俺の背後で、黒龍ヴェルダがニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、四大精霊たちが静かに戦闘態勢に入る。
「……さあ、急ぎますよ。北の開拓地へ、出張除草と行きましょうか」
チートと魔神の力に溺れた愚かな勇者たち。
彼らは知らなかったのだ。世界で最も怒らせてはいけない「農家の逆鱗」に、自ら触れてしまったということを。




