第156話 玉ねぎと極上ステーキ
「さて、極上のアイアン・ボアの肉は手に入りました。次はこの肉の旨味を極限まで引き出す『特製オニオンソース』の仕込みです」
昼下がり。
村の共同調理場に、ガイウスの声が響いた。
テーブルの上にドンッと置かれたのは、普通の三倍ほどの大きさがあり、微かに青白いオーラを放つ玉ねぎの山だった。
「玉ねぎ……? なんだか、嫌な魔力を感じるんですが」
シルフィードが警戒するように数歩下がる。
「これは『バンシー・オニオン』。
特別交配種です。
非常に甘みが強いのですが、切った時に飛散する『催涙成分』が尋常ではありません。……では、カイン殿、精霊の皆さん。みじん切りをお願いします」
ガイウスはそう言って、彼らの前に包丁とまな板をセットした。
「はっ! たかが野菜の汁だろう。魔界の毒霧すら跳ね返すこの俺が、玉ねぎごときで涙を流すはずが……」
カインが鼻で笑い、自信満々に包丁を握る。
イグニスたち精霊も「大精霊を舐めないでくださいな」と余裕の表情で包丁を構えた。
――五分後。
「うおおぉぉんッ!! 目が……俺の目がァァァッ!!」
「ひぐっ、うぅっ……! なんで、こんなに悲しくもないのに涙が……!」
「目が開けられませんわーッ!!」
調理場は、さながら阿鼻叫喚の地獄と化していた。
カインはまな板に突っ伏して号泣し、イグニスやウンディーナは滝のように涙を流しながら、手探りで玉ねぎを刻んでいる。
バンシー・オニオンの催涙成分は、魔力耐性や物理防御を完全に無視し、「直接粘膜と魂に訴えかける」という極悪な仕様だったのだ。
「イグニス! 目を擦らない! 汁がついた手で触ったら悪化しますよ!」
「だ、だって痛いんですぅぅッ! ガイウス様、これ【極炎】で丸焼きにしちゃダメですか!?」
「ダメです。生から炒めないと甘みが出ません。……ほら、ベルグさんを見習いなさい」
ガイウスが指差した先では、巨漢のベルグが、滝のような涙を流しながらも一切表情を変えず、機械のような正確さで「タタタタタタッ!」と美しいみじん切りを完成させていた。
「ベルグさん……漢ですわ……(ボロ泣き)」
「……何、俺の故郷の冬に比べれば、これしきの痛み……(ボロ泣き)」
「あーあ、あんたたち馬鹿ねぇ。ガイウスの野菜を舐めるからそうなるのよ」
そこへ、水中ゴーグル(ガイウスお手製)と鼻栓を完全装備したリナが、余裕の足取りでやってきた。
「いい? この村で生き残るには、プライドを捨てる防具が必要なの。ほら、交代してあげるから顔を洗ってきなさい」
「ありがとうございます……ッ!」
精霊たちと魔族の皇太子が、リナの優しさに(物理的な涙と共に)感動しながら井戸へ駆け出していった。
日が完全に落ちた頃。
村の広場には、香ばしい肉の焼ける匂いと、飴色になるまで炒められた玉ねぎの甘い香りが立ち込めていた。
分厚く切られたアイアン・ボアの肉が、巨大な鉄板の上で豪快に焼かれている。
ジュゥゥゥゥッ! という音と共に、極上の脂が弾け、炎が舞い上がる。
「よし、焼き加減は完璧なミディアムレアです。ここに、先ほどのバンシー・オニオンと醤油、特製ハーブを煮詰めたソースを……」
ガイウスが、熱々のステーキの上からソースをたっぷりとかける。
ジワァァァッ!! と一気に立ち昇る湯気。
その暴力的なまでの「美味そうな匂い」に、広場にいた全員の喉がゴクリと鳴った。
「…さあ、完成です。存分に召し上がれ」
配られた皿には、顔の大きさほどもある巨大なステーキ。
カインがフォークとナイフを構え、大きく切り分けて口に運んだ。
「――ッ!!」
瞬間、カインの動きがピタリと止まる。
「ど、どうしたカイン! 毒でも入っていたか!?」
ザルクが慌てるが、カインはワナワナと震えながら、天を仰いだ。
「……溶けた。あの鋼鉄のように硬かった猪の肉が、口の中で……。そして、このソース! 涙を流したあの玉ねぎの強烈な甘みが、肉の暴力的な旨味を完璧に包み込んでいる……!!」
カインは狂ったように肉を切り、次々と口へ運んでいく。
精霊たちも一口食べた瞬間、雷に打たれたように目を見開いた。
「なんという生命力……! 嚙み締めるたびに、大地のエネルギーが直接流れ込んでくるようですわ!」
「美味い……! 号泣しながらみじん切りにした甲斐があった……!」
大精霊も、魔王軍の幹部も、もはや言葉を失い、ひたすらに肉と向き合っていた。
朝にあれほどの恐怖と脅威を振りまいた災害級の魔物は、今や彼らの血肉となり、明日への活力へと変わっていく。
「ふふん、どう? 」
ヴェルダが誇らしげに胸を張りながら、自分の分のステーキ(五人前)をぺろりと平らげている。
「ええ。皆さんが畑の土を良くしてくれたから、玉ねぎも過去最高の出来になりました。農業は、手をかけた分だけ必ずこうして『最高の形』で応えてくれるんです」
ガイウスは自分の分の肉を切り分けながら、穏やかに微笑んだ。
「……ガイウス」
ふと、ベルグが皿を空にして口を開いた。
「なんだろうな。
俺は今まで、魔族として何年も戦ってきたが……。今日、自分が耕した土で育った野菜と、自分の手で仕留めた獲物を食っているこの瞬間が……一番『生きている』と実感できる」
その言葉に、カインも、精霊たちも深く頷いた。
力で他者をねじ伏せるだけでは得られない、根源的な充足感。
土に触れ、命を奪い、そしてそれを頂くという、純粋で絶対的な「生」の営み。
「それが、農業ですから」
ガイウスが静かにエールのジョッキを掲げる。
「「「「農業に、乾杯!!」」」」
大精霊や魔界の王族、そして黒龍。
世界を滅ぼす力を持つ者たちが、今はただの「開拓仲間」としてジョッキをぶつけ合う。
(……それにしても、これほど大量のアイアン・ボアが逃げてくるなんて、東で何が起きているんでしょうね。
まあ、美味しいお肉が手に入ったから良しとしましょう)
ガイウスは星空を見上げながら、遠い地で好き勝手暴れているであろう「勇者たち」のことなど露知らず、最高級のステーキを口に運んだ。
エーデル村のスローライフは、大精霊の涙と極上ジビエの旨味をスパイスに加え、今日も圧倒的に平和であった。




