第155話 二日酔いの大精霊と、害獣駆除
「……あ、頭が割れそうですわ……。誰か、お水を……って、私自身が水でしたわ……」
翌朝。エーデル村の広場の片隅で、水の大精霊ウンディーナが地面に突っ伏して呻いていた。
昨晩、魔王ヴァルドのペースに巻き込まれ、村の特製エールを樽ごと飲み干した結果、神話の存在である彼女は人生初の「二日酔い」という名の状態異常に苦しめられていた。
イグニスやシルフィードも目の下に隈を作り、どんよりとした空気を漂わせている。
そこに、爽やかな朝日を背負ったガイウスが、麦わら帽子を被って現れた。
「おはようございます、皆さん。よく眠れましたか? さあ、朝の涼しいうちにトマトの収穫を――」
ガイウスが言いかけたその時。
ズシン、ズシン、と村の南側から地鳴りのような音が響いてきた。
「……な、何事だ!?」
イグニスが跳ね起きる。地鳴りは次第に大きくなり、土煙を上げて『何か』がこちらへ向かって猛進してくるのが見えた。
「ブモォォォォォォッ!!」
現れたのは、体長五メートルを超える巨大な猪の群れだった。
その皮膚は鋼鉄のように黒光りし、赤く血走った目と、岩すら砕く巨大な牙を持っている。
「あ、あれは『鋼鉄猪』の群れ!? しかも何十頭も!」
シルフィードがあわあわした顔で叫ぶ。
アイアン・ボアは、通常なら一頭でも討伐隊が組まれるほどの凶悪な魔物(Aランク)だ。
それが群れを成して押し寄せる様は、まさに災害である。
「どうやら、何かがあって、住処を追われて逃げてきたようですね。……困りましたね」
ガイウスが顎に手を当てて呟く。
「こ、困りましたね、ではありませんわ! ガイウス様、早く避難を……!」
「避難? 何を言っているんですか、ウンディーナ」
ガイウスはスッと目を細め、クワを構えた。
「あいつらの進行方向には、昨日皆さんが苦労して作った『かぼちゃの畝』があります。……我々の畑を荒らす害獣は、一匹たりとも逃がしませんよ」
「えっ」
「イグニス! 極炎で一網打尽に――」
「駄目です。焦げたら肉が不味くなりますし、畑の微生物が死にます」
「シ、シルフィード! かまいたちで細切れに――」
「駄目です。血が畑に撒き散らされると、土の窒素バランスが崩れます」
ガイウスの「農家としての絶対の縛り(ルール)」に、精霊たちは絶望した。
魔法が使えない状態で、どうやってあの鋼鉄のバケモノの群れを止めるというのか。
「……おいおい、朝から騒がしいな。二日酔いに響く」
そこへ、あくびをしながら現れたのは、昨晩村に泊まっていった魔族の皇太子カインと、巨漢のベルグだった。
彼らの手には、すっかり使い馴染んだ『マイ・クワ』と『マイ・スコップ』が握られている。
「おお、カイン殿、ベルグさん。丁度いいところに」
「ガイウス、『害獣駆除』か?」
「ええ。ただし、畑に傷をつけず、肉も綺麗な状態で確保してください」
「……無茶を言う。だが、農家としては当然の要求だな」
カインがニヤリと笑い、クワを肩に担いだまま群れに向かって歩み出る。
「先頭は俺が貰う!」
カインがアイアン・ボアの猛突進を正面から迎え撃つ。激突の瞬間、彼はクワの『柄』の部分を巧みに使い、猪の突進の力を利用して脚を払い、そのまま急所(首の骨)へ柄の先端を正確に打ち込んだ。
ゴキッ、という鈍い音と共に、一滴の血も流さず、畑の土を全く荒らすことなく、巨大な鋼鉄猪がコトリと沈黙した。
「なっ……!?」
イグニスが目を剥く。
「遅いぞ、カイン! 後ろが詰まっている!」
続くベルグは、突進してくる二頭のアイアン・ボアの牙を素手でガシッと受け止めた。
そのまま「ふんっ!」と気合を入れると、百キロを超える巨体を軽々と持ち上げ、畑の外の空き地へ『ドスッ』と綺麗に並べて気絶させた。
まるで、収穫した大根を箱に詰めるかのような手際だ。
「ベルグさん、流石です。置き方が非常に丁寧ですね」
「……照れるな」
ガイウスが拍手喝采を送り、ベルグが少し頬を染める。
「な、なんだこの光景は……。これが、魔王軍の最高幹部……? ただの熟練の猟師と農夫ではないか……!」
シルフィードが戦慄する。
「ほら、ボーっとしてないで手伝って!」
黒龍ヴェルダが、ほうきで落ち葉を掃くように、残りの猪たちを綺麗に一箇所へまとめ上げた。
「……あ、あの。私たちは、何をすれば……?」
すっかり出番を失った精霊たちが、おずおずと尋ねる。
ガイウスはニコリと微笑み、彼女たちに麻縄を渡した。
「皆さんは、気絶した猪たちを縛って、解体所まで運んでください。……ああ、ウンディーナ。
お肉の鮮度を保つために、あなたの水魔法で『適度な冷却』をお願いできますか?
凍らせては駄目ですよ、細胞が壊れるので『チルド状態』で維持してください」
「チ、チルド……! 魔王の軍勢すら一瞬で氷河に沈める私の絶対零度を、お肉の鮮度保持に……!?」
「できますよね? 先輩は、炎のブレスで完璧な『低温調理』ができますよ」
「――ッ! や、やりますわ! 完璧なチルド肉にしてご覧に入れますわ!!」
ヴェルダへの対抗心を燃やしたウンディーナが、神話級の繊細な魔力コントロールで猪たちを冷やし始める。
かくして、東から逃げてきた災害級の魔物の群れは、エーデル村の「畑を傷つけない」という異常な縛りルールの前で、ただの『新鮮なジビエ肉のデリバリー』として処理されたのであった。
「よし、これで今日の夕飯は『アイアン・ボアの極上ステーキ・特製オニオンソース掛け』で決まりですね」
ガイウスの宣言に、その場にいた全員(精霊、魔族、黒龍)の顔がパァァァッと輝いた。
「よっしゃ! 腹を空かせるために、さっさとトマトの収穫に行くぞ!」
カインがクワを振り上げ、精霊たちも「お肉! お肉!」と歓声を上げながら畑へと向かっていく。
遠くの地で、勇者たちがどれほど己の力を誇示し、世界を蹂躙しようと企んでいようとも、
このエーデル村のスローライフと、農家の『食欲』という強固な平和を脅かすことは、決してできないのであった。




