第146話 神託の凶兆と、終わりの始まり
王国は平和だった。
俺が国の脅威という脅威を物理的に消し炭にしてしまったため、外敵の心配は皆無と言ってよかった。
だが、外の脅威がなくなれば、人間という生き物は必ず内側で争い始める。
「次期国王の選定」。
それは、数百年の歴史を持つこの王国において、最も神聖で、かつ血生臭い権力闘争の引き金となる一大イベントである。
誤解のないように言っておくが、現在の国王陛下はまだ健在で、毎日馬に乗って狩りに出かけるほど元気そのものだ。
通常、この国の王位継承は「継承権の順位が最も高い者」や「他を圧する実績を持つ者」が順当に選ばれる。
しかし今回ばかりは事情が違った。
第一王子アルベルト、第二王子ユリウス、そして第三王子エリック。
この三人が、文武の才、背後についている貴族の勢力、そして人望において、見事なまでに完全に互角であり、優劣がつけがたい状態になってしまっていたのだ。
後に俺の開拓村に入り浸り、頭に手ぬぐいを巻いて泥だらけになりながら「師匠!」と俺を慕うことになるあの第三王子エリックも、当時は次期国王候補の筆頭格として、兄たちとバチバチの権力闘争を繰り広げる立派な王族の一人だった。
(今の彼を見ていると、あの頃の威厳はどこへ捨ててきたのかと小一時間問い詰めたいが)
元気な国王は、将来自分が倒れた時に、優秀すぎる三人の息子の間で国を三分する凄惨な内乱が起きることを危惧した。
そこで、彼らの優劣を人間が決めるのではなく、王国の最終手段である『次期国王を占う神託の儀式』によって、神の意志として次期王太子をただ一人決定することにしたのだ。
国中の高位聖職者と魔術師が集まり、星の巡りとマナの奔流、そして建国神の遺した魔導具から「次の王にふさわしき者」の名を弾き出す、国家の最重要行事である。
儀式の日。俺は責任者として、大聖堂の片隅に立っていた。
(……早く終わらないかな。昨日の夜から仕込んでいる、新しい堆肥の発酵具合が気になるんだが)
大司教が厳かに呪文を唱え、祭壇に安置された巨大な水晶玉が眩い光を放ち始める。
第一王子アルベルトも、第二王子ユリウスも、第三王子エリックも、そして彼らを支持する三派閥の貴族たちも、固唾を呑んでその光の行方を見守っていた。国王陛下も玉座から身を乗り出している。
やがて、光が収束し、空中に文字となって『次なる王の名』が浮かび上がる。
そこに現れたのは、アルベルトでも、ユリウスでも、エリックでもなく。
――『ガイウス・ノア』
「…………は?」
その瞬間、大聖堂の時が止まった。
誰かが間抜けな声を漏らした。
それが俺だったのか、大司教だったのか、それとも王子たちだったのかは分からない。
よりにもよって、王家の血を引く者でもなく、有力貴族ですらない、一介の(いや、筆頭ではあるが)魔術師に過ぎない俺の名前が、次期国王として弾き出されたのだ。
神託の魔導具は、血筋よりも純粋な「個人の力(マナの総量)」や「国を救った実績」を基準に選定してしまったらしい。
数秒の沈黙の後、大聖堂は文字通り蜂の巣をつついたような大パニックに陥った。
「ば、馬鹿な! なぜ平民の魔術師が!」
「神託だ! 神が彼を王に選ばれたのだ!」
「狂っている! 儀式のやり直しだ!」
俺を「傀儡の王」として担ぎ上げて実権を握ろうとする新興貴族たちと、王室の血筋を重んじる三王子の派閥が入り乱れ、怒号が飛び交う。
(……最悪だ)
神託というのは、時として残酷なほど出鱈目だ。
俺は王様になんて、天地がひっくり返ってもなりたくない。
一日中ふかふかの玉座に座って書類の束にサインをし、ドロドロの権力闘争に巻き込まれ、農作業をする時間など一秒たりとも与えられない人生。
それは俺にとって、死よりも恐ろしい「永遠の地獄」を意味していた。
「……とにかく、俺は辞退しますから。失礼」
俺は詰め寄ってくる貴族たちを空間転移で躱し、さっさと自室へと逃げ帰った。
だが、この騒動を自らの権力基盤を固めるために利用しようと企む者がいた。
いずれかの王子の派閥に属し、あわよくば自身が国を裏から支配しようと目論む、あの腹黒い宰相である。
彼にとって、神託で王に選ばれてしまった上に、圧倒的な武力を持つ俺は、絶対に排除しなければならない邪魔で目障りな「逆賊」以外の何者でもなかった。
俺の自室の周辺には、露骨に監視の近衛兵が配置されるようになり、暗殺者らしき影が窓の外をうろつくようになった。(面倒なので、結界に触れた瞬間に王都の遥か上空へとランダム転移するように設定しておいたが)
「……なるほど。これは、好機かもしれないな」
儀式から数週間が経ったある日の明け方。
俺は自室の机で、徹夜作業の真っ最中だった。
作っていたのは、クーデターの計画書でも、宰相を暗殺するための魔術でもない。『王妃の迷子猫の、居場所を完全自動で特定する魔術構築』の最終アップデート版である。
これを完成させておけば、俺がいなくなっても後任の魔術師がボタン一つで猫を回収できる。立つ鳥跡を濁さず、だ。
窓から白み始めた王都の空を見上げながら、俺は久々に心からの笑みを浮かべていた。
俺から辞表を出すのは角が立つ。
「やはり王位を狙って野に下る気か」と疑われるだろう。
だが、宰相が「神託で選ばれたことを利用し、王位を簒奪しようとしている逆賊」という大義名分をでっち上げて、俺を不当解雇にしてくれるというのなら話は別だ。
王国側から縁を切ってくれるのなら、師匠のソフィアも草葉の陰で「なら仕方がないな、向こうがクビだと言っているのだから」と納得してくれるだろう。
俺は十年間、文句も言わずにこの国に尽くしたのだ。もう十分すぎるほど義理は果たした。
コンコンコンッ!
激しいノックの音が鳴り、ドアの向こうから近衛騎士の切羽詰まった声が響いた。
「筆頭魔術師ガイウス殿! 宰相閣下が、至急謁見室へ参れとのことです!」
「……来ましたね」
俺は徹夜明けの重い体を起こし、シワの寄った漆黒のローブを羽織った。
十年間の疲労が蓄積した体だが、足取りは驚くほど軽かった。
(ようやく……これでようやく、眠れる。そして、大好きな畑が耕せる……!)
心の中で盛大なガッツポーズを決め、顔の筋肉が歓喜で緩みそうになるのを必死に堪えながら、俺は「冷徹な黒衣の魔術師」の仮面を被って、白大理石の謁見室へと向かった。
謁見室の扉が開く。
そこには、赤黒い顔をした宰相と、彼に同調する貴族たちがズラリと並び、俺を憎悪と恐怖の入り混じった目で睨みつけていた。
俺が静かに歩み寄り、冷たい大理石の床に膝をつく。
「ガイウス・ノア。お前は今日限りでクビだ」
宰相のその罵声を、俺がどれほど歓喜に満ちた心で聞き流したか、彼らは知る由もなかった。
「……はぁ。承知いたしました」
「『はぁ』ではない! 次の王を占う神託で、あろうことかお前の名前が出たのだぞ、この逆賊めが!」
宰相の怒声が響き渡る。
俺は心の中で、すでに王都から遠く離れた辺境の村での生活を夢見ていた。
どんな土だろうか。どんな野菜を育てようか。朝は鳥の声で目覚め、夜は星を見ながらエールを飲む。そんな当たり前の、人間らしい生活が、ついに俺の手に入るのだ。
「……一応ご説明しますが。その神託は、術式の誤作動による可能性が――」
「黙れ! 弁解など聞かん! 今すぐ王都を去れ。二度とその顔を見せるな!」
俺を追い出せば、自分が推す王子が王位に近づけるとでも思っているのだろう。
「わかりました。今日付で退職させていただきます」
「なっ、なんだその反応は……! 普通もっと取り乱すだろう!」
「あいにく、取り乱す体力が残っていないんです。昨日も徹夜で『王妃の迷子猫』を探すための広域索敵魔法を編んでいましたので」
俺はゆっくりと立ち上がり、ローブの埃を払った。
十年、この城に尽くしてきた。もう、終わりにしよう。
背後で「後悔しても遅いぞ!」という叫びが聞こえたが、後悔するのは俺の方ではない。俺がいなくなった後の王城の防衛結界、誰が維持すると思っているんだろう。
「……さて、お暇といきましょうか」
王宮の重い扉を抜け、城門をくぐる。
春の風が頬を撫でた。
見上げた空は、驚くほど高くて青い。
毎日歩いていたはずの王都の街並みが、今日はやけに輝いて見えた。
――かくして、王立魔術師団の筆頭魔術師は追放された。
あらゆるしがらみから解放された一人の「規格外の農家」が、愛する土と完璧なスローライフを求めて、辺境の地・エーデル村へと旅立ったのである。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ガイウスの過去編はこれにて終幕となります。
さて次はどんなお話になるでしょうか。
(実は案を考案中です)
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