第144話 規格外の新人魔術師と、畑の雑草抜き
大賢者ソフィアの遺した『静寂の谷』を後にして、俺は王国の中心である王都へと足を踏み入れた。
王都の正門をくぐった俺の第一印象は、「土の匂いが全くしない、息の詰まる場所」というものだった。
見渡す限りの石畳、空を遮るようにそびえ立つ石造りの建築群。
そこを行き交う何万という人々の熱気と、下水から微かに漂う汚濁の臭い。
自然の循環サイクルから完全に逸脱したその人工都市は、生粋の農家である俺にとって、存在するだけでストレスの溜まる環境だった。
だが、目的は果たさなければならない。
師匠の「世界が危機に陥った時、少しだけでも助けてやってくれ」という最期の遺言。
それを最も手っ取り早く、かつ効率的に達成するためには、国家の中枢である王立魔術師団に身を置き、世界の危機という危機を片っ端から排除していくのが最適解だ。
俺は王宮の隣に併設された、王立魔術師団の訓練場へと足を運んだ。
ちょうどその日は、年に一度の魔術師団の新規入団試験の日だった。
貴族の次男坊や、各地の魔術学園で神童と呼ばれた若者たちが、緊張した面持ちで列を作っている。
「次、平民出身……ガイウス・ノア。前へ出ろ」
試験官を務めるのは、高慢な顔つきをした中年の高位魔術師だった。
彼は俺が身に纏っている漆黒のローブ(ソフィアの遺品であり、神話級の魔導アーティファクトだが、彼らにはただの古ぼけた布切れにしか見えないらしい)を見て、鼻で笑った。
「なんだその薄汚いローブは。まあいい、我々王立魔術師団は実力主義だ。あそこにある的へ向かって、お前の持つ最大の攻撃魔術を放ってみせろ。威力、詠唱速度、魔力の練度を総合的に評価する」
試験官が指差した先には、数十メートル離れた場所に設置された「的」があった。
それはただの的ではない。高さ三メートルほどの、鈍い銀色に輝く『ミスリル製の訓練用ゴーレム』だった。
通常の炎や氷の魔術では傷一つ付かない、高位魔術師の威力を測るための特注品だ。
先ほどの受験者たちが放った火球の煤が、わずかに表面にこびりついている程度である。
「……最大の、攻撃魔術ですか」
「そうだ。遠慮はいらんぞ、平民。どうせお前の魔力など、あのミスリルの装甲の前ではそよ風――」
俺は試験官の言葉を最後まで聞かず、右手の人差し指と親指を弾くように構えた。
最大火力など放てば、王都が消し飛んでしまう。
俺がやるべきは、このゴーレムという「硬い土塊」を、最も魔力効率良く粉砕することだ。
前世の知識である「物質の固有振動数」と、今世の「風魔術による極小真空刃」を組み合わせ、的の分子構造の脆い部分(結合の隙間)にのみ、ピンポイントで衝撃を叩き込む。
俺は無詠唱で、指先から目に見えないほどの小さな風の弾丸を弾き出した。
俗に言う、デコピンだ。
「【局所共鳴・微小風刃】」
パチンッ、という乾いた音が響いた。
次の瞬間。
三メートルのミスリル製ゴーレムは、爆発音すら立てることなく、まるで目に見えない巨大なハンマーでガラス細工を叩き割ったかのように、数万の細かい銀色の破片となって空間に弾け飛んだ。
粉々になったミスリルの砂が、サラサラと音を立てて訓練場の地面に降り注ぐ。
「…………は?」
試験官の持っていた採点用の羽ペンが、ポトリと地面に落ちた。
周囲の受験者たちも、何が起きたのか全く理解できず、口を半開きにして静まり返っている。
「的が壊れてしまいましたが、これで合格基準は満たしていますか? 威力は出しすぎないように、極限まで抑えたつもりなのですが」
「あ……う、あ、りえん……」
試験官は白目を剥いて泡を吹き、そのまま後ろに倒れて気絶してしまった。
こうして俺は、実技試験を一瞬で終わらせ、特例中の特例として王立魔術師団への即日入団を認められることとなった。
入団直後の俺は、それなりに充実した日々を送っていた。
魔術師団の研究室には、俺の知らない古代の文献や未知の魔石が山のように保管されており、魔術の理を探求し、新しい術式を構築する日々は、前世の農学研究にも通じる緻密なデータ収集の連続で、非常に楽しかった。
何より、魔術師団の寮の自室のベランダに小さなプランターを置き、土をいじってハーブやミニトマトを育てるわずかな時間が、俺にとって最大の癒しだった。
だが、魔術師団員である以上、どうしても「任務」がついて回る。
俺の異常な魔力出力に目をつけた上層部は、俺を新人の分際でいきなり最前線の戦場へと送り込んだ。
「くそっ! 第三防衛線が突破されたぞ! オークの重装歩兵の数が多すぎる!」
「上空からはワイバーンの編隊が来ます! もう駄目だ、王国軍はここで終わりだ……!」
国境沿いの荒野。
王国の騎士団一個大隊が、数万の魔物の軍勢を前に完全に包囲され、絶望のどん底に叩き落とされていた。
騎士団長は血まみれの剣を握りしめ、天を仰いで死を覚悟している。
そんな地獄のような戦場の中央に、俺は【空間転移】でふらりと現れた。
「な、なんだ貴様は!? 魔術師団の援軍か!? なぜたった一人で来た!」
「……状況は把握しました。騎士の皆さんは、俺の背後へ下がっていてください」
俺は漆黒のローブをはためかせ、前線へと歩み出た。
地平線を黒く染め上げるほどの魔物の大群。
オークの雄叫びと、ワイバーンの羽ばたきが大地を揺らしている。
周囲の騎士たちから見れば、俺は「一切の恐怖を持たず、たった一人で軍勢に立ち向かう恐るべき魔術師」に映っていただろう。
だが、その時の俺の内心は、全く別のベクトルで激しく煮えたぎっていた。
(ああ……クソッ。今日の夕方から、ベランダのミニトマトの間引きと、腐葉土の切り返しをやろうと思っていたのに。こんな辺境の戦場に呼び出されたせいで、スケジュールが完全に狂ってしまったじゃないか)
生粋の農家にとって、作物の世話のタイミングを逃すことは死活問題だ。
土にまともに触れられない王都での生活ストレスがすでに限界を突破しかけていた俺にとって、この魔物の群れは「王国の脅威」ではなく、「俺の家庭菜園の時間を奪う忌まわしき害虫」に他ならなかった。
(一秒でも早く帰る。そのためには、一撃でこの面をクリアするしかない)
俺は大きく息を吸い込み、右手を空高く掲げた。
手加減はしない。俺の家庭菜園の時間を奪った罪は、文字通り灰にして償わせる。
「【極大殲滅炎】」
俺が冷徹に指を鳴らした瞬間。
空が、真っ赤に染まった。
太陽がもう一つ地上に落ちてきたかのような、超高密度の熱線が雲を突き抜け、魔物の軍勢の中心へと着弾する。
爆発音すらなかった。すべてを焼き尽くす圧倒的な光と熱の奔流が、放射状に広がり、数万のオークも、上空のワイバーンも、一瞬にして蒸発した。
数秒後。
光が収まった荒野には、地平線の彼方まで続く、ガラス状に融解した真っ赤な大地だけが広がっていた。魔物の死骸はおろか、灰すら残っていない。
「お、おおお……! た、たった一撃で、数万の軍勢が……消滅した……!?」
「あれが、今年入ったばかりの化け物新人……。なんという無慈悲な力……。まるで『黒衣の死神』だ……」
背後で控えていた騎士団長たちが、畏怖と恐怖の入り混じった声を上げ、俺に向かってガタガタと震えながら膝をついた。
俺は融解した大地を一瞥し、感情の読めない冷たい声で告げた。
「任務完了です。王都へ帰還します」
(しまった……早く終わらせたくて火力調整をミスった。こんな無意味に平原を広範囲に焼いたら、土壌の貴重な微生物群まで死滅してしまうじゃないか。俺としたことが、農家としてあるまじき失態だ……)
そんな俺の内心の深い後悔(農業的な意味で)を知る由もなく、王国軍は俺のその「一切の情を挟まない圧倒的で冷徹な仕事ぶり」を上層部に大々的に報告した。
その後も、国家の危機と呼ばれるような災害級の魔物や、隣国の理不尽な侵略軍が現れるたび、俺は片っ端から、文字通り「畑の雑草を素早く抜くように」無表情で焼き払い、押し潰し、処理していった。
すべては、師匠との約束を早く終わらせ、早く寮に帰って植物の世話をするためだ。
だが、その圧倒的な武勲のせいで、俺の評価は天井知らずに跳ね上がっていった。
結果として、俺は入団からわずか数年という、王国史上最速の異例のスピードで、魔術師の頂点たる『筆頭魔術師』の座にまで登り詰めてしまったのである。
そして――これが、俺の地獄の始まりだった。




