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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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14/202

第14話 さあ、行こうか

翌朝。

俺は、エリアが届けてくれた重みのある書類一式を抱え、宿屋の食堂の扉を開いた。

そこには、既に出発の準備を終え、傲慢な笑みを浮かべたドレクがいた。


部屋の隅に立つリナの顔は、昨夜の決意とは裏腹に、幽霊のように青白い。

「ドレク殿。出発の前に、少し話をしましょう」

「……準備はできたのか。手間をかけさせるな、話など無用だ」


男が鼻で笑い、リナの腕を取ろうとした瞬間。

「座ってください」

俺の声が、食堂の空気をピシャリと叩いた。


ドレクの動きが止まる。

彼は俺の瞳の奥にある「何か」に当てられたように、毒気を抜かれた顔で椅子に腰を下ろした。

俺は書類を一枚ずつ、獲物を追い詰めるようにテーブルへ並べた。


「まず、この借財証文。……ヴェイン・カルロ氏の署名の日付が、本人の死亡日から数えて十四ヶ月後になっています。幽霊にでもサインさせたのですか?」

「それは……転記のミスだ。些細な——」

「王都筆跡鑑定ギルドによる公式証明書です。署名は精巧な偽造である、と結論づけられました」


ドレクの顔から、余裕の笑みが剥がれ落ちる。俺は追撃の手を緩めない。


「次に利息ですが、王国商業法第十二条。個人貸付の上限は年利15%です。この証文の38%という数字は、法定上限の二倍を優に超えています。……法を無視した契約は、その時点で無効。これが王都法務局の見解です」

「貴様……ただの農夫が、なぜ王都の法を……!」


「さらに、ルードマン商会が過去十年間に手がけた『奉公斡旋』の全記録です。被害者は二十三名。……王都騎士団の団長、セルジオ閣下の署名入りの調査資料ですよ」


沈黙が食堂を支配した。御者たちが顔を見合わせ、出口へと後退り始める。

「……脅しのつもりか」

「いいえ、事実を提示しているだけです。このまま騎士団に通報すれば、貴殿はここを出る前に拘束されることになる。……分かりますか?」


ドレクの喉が、ひきつったように動いた。

彼は俺の手元にある「騎士団の紋章」が入った書面を凝視し、やがて力なく立ち上がった。

「……今日のところは、引き下がろう」

「『今日のところ』ではありません。ヴェイン家への請求、すべてを正式に取り下げていただきます。今、この場で」


俺は真っ白な書面を突き出した。

ドレクは震える手でペンを走らせ、屈辱に顔を歪めながら署名した。

「……これで、満足か」

「ええ。お気をつけて、二度とこの村の土を踏まないように」


三頭の馬が街道の彼方へ消えていく。俺はその砂埃が収まるまで、無言で見送った。


食堂に戻ると、リナが椅子に座ったまま石のように固まっていた。

その瞳は、まだ現実を捉えきれていないように彷徨っている。

「……リナさん。終わりましたよ」


俺の声に、彼女がゆっくりと顔を上げた。

「……終わったの? 本当に?」

「ええ。もう誰も貴女を連れて行くことはできません。借金も、署名も、すべて消えました」


リナは、深いため息を吐いた。

肺の中にある毒をすべて吐き出すような、長く、深い息だった。

「……終わったんだ……。私、ここにいてもいいんだ……」


リナが両手で顔を覆い、肩を小さく震わせ始めた。

俺はかける言葉が見つからず、ただ隣に立っていた。


朝の陽光が、静かに彼女の背中を照らしている。

しばらくして、彼女が顔を上げた。赤くなった瞳で、俺を見て少しだけ笑った。


「ありがとう。……本当に、ありがとう、ガイウスさん」

「どういたしまして。エリア達にも礼を言ってやってください。実際に走り回ったのは彼女らですから」


「ガイウスさんもだよ! ……本当に、変な人」

「……そうですか?」

「そうだよ。こんなに凄いことができるのに、なんでこんな村で畑を耕してるのさ」


俺は少し考え、窓の外の青空を見上げた。

「……静かだからですよ。俺は、今の生活が気に入っているんです」


外から、騒がしい声が聞こえてきた。

ゴードンやグラント、それにマルクたちが心配して集まってきたようだ。

ふと見ると、村の入り口ではエリアが「あっちに川があるはずなのに……」と逆方向へ歩き出そうとしている。リナが窓から身を乗り出し、「エリアさん! そっちは森だよ!」と叫んだ。


村に、いつもの賑やかさが戻ってきた。

俺は椅子から立ち上がり、埃を払った。


「さて、俺は失礼します。薬草の水やりが遅れていますから」

「えっ、今から!? こんな時に?」

「薬草は待ってくれません。朝の露が乾ききる前に済ませたいので」

「……あはは! 本当に、ブレないんだから」


リナが可笑しそうに笑った。

その顔は、俺がこの村で初めて見た時の、屈託のない笑顔に戻っていた。

「わかった。終わったら、ちゃんとお祝いしようね。宿屋の最高のご馳走、用意しとくから!」

「……まあ、楽しみにしておきます」


食堂を出ると、春の柔らかな風が頬を撫でた。

空は、どこまでも高く、澄み渡っている。

何も心配することのない、ただの美しい一日だ。


俺のスローライフは、今日から、また少し賑やかに、そして順調に続いていく。

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