第134話 農耕具の開発
眼下に流れる景色は、相変わらず音速を超えて光の線になっていた。
わずか数時間のフライトで、俺たちは無事に懐かしきエーデル村の広場へと着地した。
「あー、やっぱり村の空気が一番だね!」
リナが背伸びをし、エルも「なんだか、帰ってきたという感じがします」と微笑んでいる。エリックは「おおぅ、エル殿の微笑み、まさに故郷の女神……!」と一人で感動して震えていた。
「皆さんは長旅の疲れがあるでしょう。今日はゆっくり休んでください。……俺は、さっそく作業小屋にこもりますので」
俺は荷降ろしを終えると、まっすぐに村の端にある俺の作業小屋へと向かった。
扉を開けると、そこには使い込まれた鉄のクワやシャベル、剪定バサミといった、ごく一般的な手作業用の農具だけが静かに立てかけられている。
トラクターも、自動種まき機も、大規模な灌漑設備も、今の俺の手元には何一つない。
「……さて。相手は広さ数万ヘクタールにも及ぶ、完全に死滅した岩盤の砂漠。そして極度の乾燥と、栄養素ゼロの土壌だ」
俺は広々とした作業台の前に立ち、空間収納から三つの精霊結晶を取り出してゴトリと並べた。
真紅、蒼氷、黄褐色の光が、薄暗い小屋の中を神秘的に照らし出す。
「まずは、あの硬い岩盤を深さ十メートルまで一気に粉砕し、耕し進むための『圧倒的な動力と刃』を持つ重機……魔導トラクターの開発からですね」
俺は羊皮紙を広げ、羽ペンを手にして、前世の知識と王立魔術師団時代の錬金術のノウハウをフル回転させ始めた。
土の大精霊ノームの超重力(質量)をいかにして刃に集中させるか。
いかにして俺の内包魔力を動力源とするエンジンを組み上げるか。
カツカツカツカツ……!
静かな村の作業小屋に、図面を引く羽ペンの音だけが響き続ける。
前代未聞の死の砂漠を緑に変えるための、規格外の農具開発の幕が、今ここに切って落とされた。
夜の帳が下り、エーデル村が静寂に包まれる中、俺の作業小屋の窓からは煌々とした魔力の光が漏れ続けていた。
「……よし。機体の基本フレームと、メインとなる『破砕刃』の設計図はこれで完成ですね」
俺は羊皮紙から顔を上げ、凝り固まった首をコキリと鳴らした。
図面に描かれているのは、全長十メートルにも及ぶ巨大な装軌式(キャタピラ式)の魔導トラクター。
その後部には、カマキリの鎌を極端に太くしたような、恐るべき巨大な一本のすきが取り付けられている。
死の砂漠の岩盤は、星の地脈が枯渇したことで鋼鉄以上の硬度に変質している。通常の農具で表面を撫でたところで、弾き返されて刃がこぼれるだけだ。
ならば、農業の基本たる「深耕」――トラクターの爪を地中深くまで突き立て、硬盤層を底から物理的に粉砕し、空気と水が通る道を作るしかない。
コンコン、と。
控えめなノックの音と共に、作業小屋の扉が開いた。
「師匠、夜食をお持ちした! リナ殿が腕によりをかけた、特製の夜鳴きうどんだぞ!」
入ってきたのは、頭に手ぬぐいを巻き、すっかり農夫の出で立ち板についた第三王子エリックだった。お盆の上からは、出汁の効いたうどんの芳醇な香りが漂ってくる。
「ありがとうございます、殿下。ちょうど一息つこうと思っていたところです」
「うむ! して、進捗はどうなのだ? 私にも手伝える力仕事があれば、なんでも言ってくれ!」
エリックが目を輝かせながら、作業台の上の図面と、その横に置かれた三つの精霊結晶を覗き込む。
「では、うどんを頂いたら、さっそくその『力仕事』をお願いしましょうか。あそこの隅にある鉄くずと、前に王都から持ち帰らせた魔導金属のインゴットを、ここへ運んでください」
俺がうどんのつゆをすすりながら指示を出すと、エリックは「承知した!」と威勢よく返事をし、総重量数百キロはある金属の塊を、顔を真っ赤にしながら次々と作業台の前に運び込んだ。
王族のひ弱な体だった彼も、この村での過酷な(俺基準の)農作業修行を経て、立派な筋力を身につけているようだった。
「ごちそうさまでした。では、錬成を始めます」
俺は空になったどんぶりを置き、山積みになった金属の塊の前に立った。
本来、これほどの質量の金属を溶かして鍛造するには、巨大な溶鉱炉と熟練のドワーフの鍛冶師が数十人がかりで数ヶ月の時間を要する。
だが、明日の朝から砂漠を耕し始めたい俺に、そんな悠長に待っている暇はない。
「【極大熱量・錬成陣】」
俺が右手をかざすと、金属の山の周囲に複雑な幾何学模様の光の陣が展開された。
直後、小屋の内部の温度が急激に跳ね上がり、鉄とミスリルの塊が、まるで蝋燭のようにドロドロに溶け始めた。俺は内包魔力を直接バーナーとハンマーの代わりにして、空中に浮かんだ液状の金属を強引に捏ね回し、成形していく。
「お、おおぅ……!? 魔術で直接、これほどの質量の金属を精錬するなど、王立魔術師団の長老たちが見たら泡を吹いて卒倒するぞ……!」
熱気に当てられながら、エリックが驚愕の声を漏らす。
「農業は時間との勝負ですからね。モタモタしていては、種まきの適期を逃してしまいます」
俺は金属の不純物を完全に焼き尽くし、トラクターの頑強なフレーム(骨組み)と、後部に取り付ける巨大な「破砕刃」の形へと固定化させた。
冷気魔術で一気に冷却すると、シューゥゥッという白煙と共に、漆黒に輝く強靭な魔導鋼鉄のパーツが床に重い音を立てて着地した。
「ふむ、物理的な強度は申し分ありません。しかし、これだけではただの『硬くて重い鉄の爪』に過ぎない。岩盤に打ち込めば、いずれ摩耗して折れてしまいます」
俺は作業台から、黄褐色の光を放つ【土精の宝玉】を手に取った。
神話の時代から大地と重力を支配してきた、土の大精霊の心臓部。
「そこで、このノームの結晶を刃の先端に組み込みます。殿下、その刃の根元をしっかりと押さえていてください」
「ハッ! ……ぐぬぬッ、お、重い!」
エリックが全体重をかけて刃を固定するのを確認し、俺はノーム・コアを刃の中心部に押し当てた。
「【物質融合】――『疑似重力場構築』」
バチバチバチッ!! と、黄褐色の稲妻が小屋の中に弾け飛んだ。
ノーム・コアが金属の内部へと沈み込み、完全に同化していく。
その瞬間、作業小屋の床がミシミシと悲鳴を上げ、エリックが「うおぉぉッ!?」と地面に這いつくばった。
刃の周囲の空間だけが、陽炎のように歪んでいる。
「な、なんだこれは!? 刃が重くなったわけではないのに、周囲の空気が重圧で押し潰されているような……ッ!」
「ええ。ノームの持つ『重力操作』の力を、刃の先端十センチの範囲にのみ常時展開するように術式を刻み込みました」
俺は這いつくばるエリックを見下ろしながら、淡々と解説した。
「名付けて、『超重力破砕深耕機』。この刃が触れた岩盤は、物理的に切断されるのではありません。
刃の周囲に発生する数百倍の局所重力によって、岩盤そのものが自らの重さに耐えきれずに『自壊』し、細かい砂利へと粉砕されるのです」
「……刃を立てる前に、重力で大地をすり潰すというのか。もはや農具ではなく、局地殲滅用の戦略兵器ではないか……」
「硬盤層をぶち抜くには、これくらいのパワーが必要なんですよ。それに、刃自体が岩盤と直接摩擦しないため、摩耗して刃こぼれする心配もありません。永遠に耕し続けられる、究極のスキです」
俺が満足げに頷くと、刃の周囲の重力異常がスゥッと収まった。アイドリング状態に移行したのだ。
「さて、これで土を砕くための『刃』と『車体』は完成しました。しかし、この巨大な鉄の塊を砂漠で動かし続けるためのエンジンと、乾ききった土を潤すための水源が必要です」
俺は作業台に残された、真紅の【イグニス・コア】と蒼氷の【ウンディーナ・コア】へと視線を移した。
「引き続き、徹夜での作業になります。殿下、次はあの重いフレームの組み立てを手伝ってもらいますよ。気合を入れてください」
「おおぅ……! し、承知した、師匠! このエリック、過労で倒れるまで付き合わせていただく!」
エリックが気力を振り絞って立ち上がる。
王宮の温室育ちだった王子が、深夜の村の作業小屋で油と汗にまみれながら、世界を変える農具の組み立てに熱狂している。
その様子は、少し滑稽でありながらも、妙に頼もしく見えた。
時計の針は深夜を回っている。
規格外の農家による「神話級農具」の開発は、休むことなく次の工程――エンジンと水源の錬成へと進んでいった。




