第132話 王宮でのひと時
翌朝。
王宮の朝は早い。
幻のろーるけーきを致死量ほど平らげたヴェルダは、幸せそうな寝顔のまま客室の特大ベッドに沈んでいた。
俺が早朝の空気を吸うため、王宮のテラスに出た時のことだった。
眼下に広がる美しい大庭園で、何やら微笑ましい光景が繰り広げられていた。
「え、え、エル殿! も、もしよろしければ、この後、王宮が誇る大温室と薔薇園を案内させてくれないだろうか! そ、その、二人きりで……!」
エリック殿下が、顔を真っ赤にしてガチガチに緊張しながら、しどろもどろにエルを誘っている。
対する魔族のエルは、殿下の必死な恋心に全く気づいていない様子で、不思議そうに小首を傾げながらも丁寧にお辞儀をした。
「はい、エリック殿下。王宮の珍しい植物には興味があります。ぜひ拝見したいです」
「おおぅ……! あ、ありがとう! き、きっとどんな薔薇よりも、エル殿の微笑みの方が美しいだろう……ッ!」
「……? 殿下、顔が赤いですがお加減でも悪いのでしょうか?」
「い、いや! 全く問題ない! 私の心臓が今にも破裂しそうなだけだ!」
「え!?大丈夫なのですか‥?」
エリック殿下は両手で胸を押さえ、感極まったように天を仰いでいた。相変わらず、王族の威厳が微塵もないポンコツぶりだった。
平和なことだ、と俺はテラスで温かい紅茶をすすりながら、一人静かに頷いた。
その後。
朝食を終えた俺は、ハーヴェル宰相に呼ばれ、王宮の奥にある重厚な執務室で向かい合っていた。
机の上に広げられた王国の地図。
その南の国境付近一帯には、赤黒いインクで大きくバツ印が引かれている。
先日のエルフの異形と、三大精霊との戦いによって生まれた、広大な『死の砂漠』だ。
「……南の避難民たちのケアは順調だ。怪我人も少なく、暴動も起きていない。だが……」
ハーヴェル宰相が、深く刻まれた眉間のシワを揉みながら口を開いた。
「問題は、あの失われた広大な土地だ。王国最大の穀倉地帯が、今は草木一本生えない灰色の砂漠と化してしまった」
宰相の言葉に、俺は無言で頷いた。
あれは単なる砂漠ではない。星の地脈から魔力を強制的に収奪された結果生まれた、完全な「死の土壌」だった。
「帝国側に莫大な賠償を求めようという声も、王宮内では強く出ている。これだけの被害を出されたのだから当然だろう。だが……」
「今はやめておいたほうがいいでしょうね」
俺は地図を見下ろしたまま、冷淡に言い放った。
「彼らは今、信じていた大精霊を失い、完全に怯えきって森に引きこもっています。いわば、極限状態にある。窮鼠猫を噛むと言いますし、今無闇に刺激して自暴自棄なテロでも起こされれば、また俺の畑に被害が及ぶかもしれない」
「……私も同意見だ。エルフどもにはいずれ必ず落とし前をつけさせるが、今は下手に突っついて戦火を広げるよりも、国内の復興を最優先すべきだと判断した」
ハーヴェル宰相は深く息を吐き出し、そして、真っ直ぐに俺の目を見つめて頭を下げた。
「そこでだ、ガイウス。お前の力を見込んで、正式に頼みがある。……あの南の死の砂漠を、再び緑豊かな土地に『緑地化』して復興する手助けをしてはもらえないだろうか」
「緑地化、ですか」
「そうだ。王立魔術師団の者たちにも調査させたが、あの砂は魔力を通さず、通常の水や土魔法ではどうにもならないらしい。だが、あのデタラメな大精霊たちを『農業資材』に変えてのけたお前の農業技術なら、あるいは……と」
なるほど。
王国の復興という名目ではあるが、要するに「王国最大規模の土壌改良」をしてくれという依頼だった。
星の力を失い、完全に死滅した広大な大地。
通常の農家であれば、一生かかっても開墾できない絶望的な土壌だ。
だが――俺の空間収納の中には、昨日回収したばかりの、純度一〇〇パーセントの【炎・水・土の精霊結晶】が眠っている。
(あの大精霊の力を試す、巨大な実験農場としては、これ以上ない舞台かもしれないな)
「……いいでしょう」
俺が小さく笑みを浮かべて頷くと、ハーヴェル宰相はパァッと顔を輝かせた。
「おお! 引き受けてくれるか!」
「ええ。ただし、やり方は俺の好きにさせてもらいますよ。あの砂漠を極上の土壌に作り変えるのは、並大抵の『耕し方』では済みませんからね」
「も、もちろんだ! 費用も人手も、王国が全力で支援する!」
こうして、王都の観光旅行は一転。
規格外の農家による、国家規模の超大型緑地化プロジェクトへと発展していくのだった。




