第131話 王宮の晩餐会と、幻のろーるけーき
白銀の騎士団に護衛された豪華な馬車は、王都の中心にそびえる王宮の正門を静かにくぐった。
「うわぁ……! お城の中って、こんなに広いんだ……!」
窓の外を見つめるリナが、感嘆の声を漏らす。
手入れの行き届いた広大な庭園、天を突くような白亜の尖塔、そして至る所に飾られた芸術品のような彫刻の数々。
エーデル村の素朴な風景しか知らない彼女たちにとって、それはまるで別世界のおとぎ話に迷い込んだかのような光景だった。
エルも、魔族の里では見たこともない豪奢な建築物に目を奪われている。
グラントは相変わらず無表情だったが、庭園に植えられた珍しい果樹を熱心に観察していた。
馬車が本殿のエントランスに到着すると、そこにはすでに赤絨毯が敷かれ、王国の重鎮たちがずらりと並んで一行を待ち構えていた。
「おおお! よくぞ、よくぞおいでくださった、ガイウス様! そしてエーデル村の皆様!」
馬車の扉が開くや否や、宰相のハーヴェルが涙を流しながら駆け寄ってきた。
その後ろには、南の防衛戦で行動を共にした第三王子エリックと側近のファレルも立っている。
「ガイウス殿、本当に来てくれたのだな! 貴殿の顔を見られて、これほど嬉しいことはない!」
「感動の再会は結構です、エリック殿下。俺たちはただ、観光と夕食のついでに寄っただけですから」
俺が馬車から降りて淡々と返すと、王族に対しても全く態度を変えない俺の様子に、出迎えた貴族たちがヒヤリとした顔をした。
だが、エリック殿下は全く気にする様子もない。いや、それどころか彼の視線は俺を通り越し、馬車からおずおずと降りてきたエルへと完全に釘付けになっていた。
「あ、え、え、エル殿も……よ、ようこそ、い、いらっしゃった……! そ、その、王都への長旅、お疲れではなかっただろうか……!」
「……? はい。ご招待いただきありがとうございます、エリック殿下」
顔を真っ赤にして挙動不審にどもるエリック殿下に対し、エルは不思議そうに小首を傾げながら、控えめにお辞儀をした。
エリック殿下は密かにエルに恋心を抱いており、彼女を前にすると途端にただの恋する青年に成り下がってしまうのだ。
エルの仕草一つで「おおぅ……可憐だ……」と奇妙な声を漏らして胸を押さえる主君に、隣のファレルが「殿下、王族の威厳が崩壊しています」と銀縁眼鏡を押し上げながら小声で突っ込んでいる。
「……エリック殿下。お気持ちは分かりますが、早く中へ案内していただけませんか。ヴェルダさんが空腹で暴れる寸前です」
「ハ、ハハハ! そ、そうだな! さあ、皆様! 最高の晩餐を用意してある。どうか心ゆくまで楽しんでいってくれ!」
エリック殿下は咳払いで強引にごまかし、俺たちを最上階の大広間へと案内した。
天井には巨大なシャンデリアが輝き、長大なテーブルには、王国の三ツ星料理人たちが腕を振るった極上の料理が山のように並べられていた。
巨大な猪の丸焼き、深海から取り寄せたという珍しい魚のムニエル、そして金箔の散らされた透明なスープ。
「す、すごい……! これ、全部私たちが食べていいの!?」
リナが目を回しそうになりながら、席に着く。
「ええ。皆様は王国の命運を救った大英雄の、大切なご友人だ。遠慮はいらん!」
ハーヴェル宰相が上機嫌で胸を張った。
乾杯の音頭と共に、晩餐会が始まった。
エリック殿下がチラチラとエルの方を盗み見ながら、甲斐甲斐しく料理を取り分けているのを横目に、俺は冷静にテーブルの上の料理を分析していた。
(……ふむ。肉の焼き加減は完璧だし、ソースの味付けも複雑で繊細だ。だが……)
俺は付け合わせのサラダを一口食べた。
(……野菜の鮮度と甘みは、圧倒的に俺の畑の勝ちですね。収穫してから王宮の厨房に届くまでの間に、どうしても水分と細胞壁にストレスがかかっている)
ふと隣を見ると、グラントさんが王宮特製の高級ワインを一口飲み、小さく首を傾げていた。そして、ボソッと一言だけ呟く。
「……うちのエールのほうが、キンキンに冷えてる」
俺は思わず口元を緩ませた。
どうやら、王宮の贅を尽くした料理をもってしても、エーデル村の「完璧なスローライフの味」を完全に超えることはできないらしい。
あの素朴だが愛情のこもった食事のほうが、俺たちの舌には合っているのだ。
「ちょっとガイウス! なに余裕ぶってサラダなんか突いてるのよ! メインはこれからよ、メインは!」
隣の席で、すでにテーブルの上の肉料理を三分の一ほど平らげたヴェルダが、バンバンとテーブルを叩いて急かしてきた。彼女の目は血走り、口元からはわずかに涎が垂れている。
「落ち着いてください、ヴェルダ。城の料理人が怯えていますよ」
俺がたしなめたその時、大広間の扉が重々しく開かれた。
十人ほどの宮廷菓子職人たちが、恭しく巨大な銀のワゴンを押し出してきたのだ。
「お待たせいたしました、黒龍様。王宮が誇る幻の甘味……『特製ろーるけーき』でございます」
料理長が恭しく銀のドーム型の蓋を開ける。
フワッ……と、甘く濃厚なバニラと生乳の香りが広間いっぱいに広がった。
そこに鎮座していたのは、丸太のように太く、真っ白でフワフワのスポンジ生地に、雪のように純白のクリームがたっぷりと巻き込まれた、巨大なケーキだった。
「……おおおおお……っ!!」
ヴェルダが、椅子から立ち上がり、両手を組んで神を拝むような姿勢をとった。
その背中には、目に見えない巨大な龍の幻影が、歓喜の咆哮を上げているのが視える。
「さ、さあ、黒龍様。どうかお召し上がりを……!」
料理人が切り分けた分厚い一切れが、ヴェルダの前に置かれた。
彼女は震える手でフォークを持ち、その純白のケーキを大きくすくい取って、口の中へと運んだ。
「…………ッ!!」
ヴェルダの動きがピタリと止まった。
瞳孔が限界まで開き、頭のてっぺんから足の先まで、雷に打たれたように硬直している。
「…ヴェルダ? 大丈夫?」
リナが心配そうに覗き込む。
「……溶けた……」
ヴェルダが、虚ろな目でポツリと呟いた。
「口に入れた瞬間、生地が消えたわ……。それにこのクリーム……濃厚なのに後味がすっきりしていて、まるで雲を食べているみたい……。美味しい……美味しすぎるわぁぁぁぁっ!!」
ヴェルダは感極まったように叫び、そのまま猛烈な勢いでケーキを貪り始めた。
一切れなど秒で消え去り、ワゴンに乗っていた丸太サイズのケーキに直接かぶりつかんばかりの勢いだ。
「ああっ、黒龍様! まだ奥に予備がございますから、どうか落ち着いて!」
「足りないわ! 城の地下にある小麦粉と砂糖を全部持ってきなさい! わらわが全部食べるのよ!!」
「ひぃぃぃっ!」
料理人たちが悲鳴を上げて厨房へと走っていく。
そのドタバタ劇を見ながら、俺は食後の紅茶を静かにすすった。
「……まったく。あんなに砂糖を摂ったら、明日の朝は胃もたれで動けなくなるぞ」
「あはは、ヴェルダ本当に嬉しそう。王都に来てよかったね、ガイウスさん」
リナが笑いながら、紅茶のカップを両手で包み込んでいる。
「ええ。たまの息抜きには、悪くないかもしれませんね」
豪華絢爛な王宮の広間で、エリック殿下の挙動不審な求愛と、黒龍の底なしの食欲が交差する、いつものエーデル村と変わらない騒がしい時間が流れていく。
幻のろーるけーきは、こうして黒龍の胃袋へと無限に吸い込まれていくのだった。




