第126話 精霊との戦い 決着
深夜の死の砂漠の上空に浮かぶ、直径数キロにも及ぶ巨大な透明のドーム。
【超高密度環境制御結界】。
その内部は今や、完全に俺の支配下に置かれた「完璧な温室」と化していた。
ウンディーナの絶対零度は適度な湿度へと変換され、イグニスの超高温は空間を均一に暖めるボイラーとなり、ノームの鋼の泥沼は俺の魔力の根によってガチガチに固定された苗床となっている。
『……ハナセ……! 我ラヲ、星ノ理ヲ、コノヨウナ辱メニ遭ワセルカ……ッ!』
俺の足元で、緑色の魔力の根に全身を縛り上げられたノームが、岩の顔を歪ませて呪詛を吐き出す。
だが、その声はすでに虫の息だった。
大気からも地脈からも魔力供給を完全に断たれた彼らは、今や結界内に残された自身のエネルギーを無駄に消耗しているに過ぎない。
「辱め? 人聞きの悪いことを言わないでください」
俺は漆黒のローブの袖を整え、両手をゆっくりと水平に広げた。
「無秩序に暴れ回り、星の環境を無差別に破壊するあなたたちは、ただの自然災害(害虫)でした。ですが今、あなたたちは互いの力を補い合い、この空間に一つの完璧な『調和』を生み出している。……農家として、これほど素晴らしい土壌環境はありませんよ」
『……フザケルナ! 我ラハ精霊王ノ命ニヨリ、貴様トイウ異物ヲ……』
「その精霊王とやらに伝えておいてください。深夜の安眠と、明日のレタス収穫を邪魔した罪は重い、と」
俺は広げた両手を、ゆっくりと胸の前で合わせる動作に入った。
それに呼応するように、夜空に浮かぶ超巨大な結界そのものが、恐るべき重低音を響かせながら「内側」へと収縮を開始した。
ゴゴゴゴゴゴォォォォッ!!
「――【環境制御結界・極限収縮】」
結界の直径が、五キロから三キロへ、そして一キロへと、尋常ではない速度で小さくなっていく。
内部の空間が圧縮されることで、ウンディーナの水分、イグニスの熱、ノームの土砂が、逃げ場を失って互いに強烈に押し付け合い始めた。
『……ア、ァァァァッ!? 空間ガ、潰レル……!?』
『……イグニス! ノーム! 圧ガ……我ガ水ガ、限界ヲ超エル……ッ!』
結界の端でボイラー代わりになっていたイグニスと、泥沼に溶け込んでいたウンディーナが、圧縮される空間の中で悲鳴を上げる。
物理法則を無視した極限の圧力が、三柱の大精霊の「自我」と「肉体」を強制的に剥がし、ただの高純度なエネルギーの塊へと還元していくのだ。
「農業において、良質な『堆肥』を作るには、適度な水分と温度、そして空気を遮断しての発酵(圧縮)が必要です」
俺は合わせようとする両手のひらの間に、凄まじい反発力を感じていた。
星の理を体現する三柱の全エネルギーを、手のひらサイズにまで圧縮しようというのだ。少しでも気を抜けば、大爆発を起こして王国の南半分が消し飛ぶだろう。
だが、俺は顔色一つ変えず、己の『内包魔力』を万力のように使って、容赦なく結界を押し潰していく。
「暴れないでください。均等に混ざり合わないと、肥料の品質が落ちるんです」
結界のサイズが、百メートル、五十メートル、十メートルへと収縮する。
もはやその内側には、巨神も水竜も岩の巨人も存在しなかった。
ただ、真紅、蒼氷、黄褐色に輝く三つの『純粋な魔力の流星』が、極小の空間の中で互いに激しくぶつかり合い、混ざり合おうと蠢いているだけだ。
『……ア……我ラハ……星ノ……』
『……シルフィード……様……』
『……カ、エ……ル……』
三柱の自我が、最後に残したノイズのような思念。
それすらも、絶対的な圧力の前にプツンと途切れ、完全に沈黙した。
「――収穫」
俺が両手を完全に合わせた瞬間。
パァンッ!! と、乾いた破裂音が夜空に響き渡った。
今まで世界を滅ぼさんばかりのエネルギーを内包していた結界が、一瞬にして手のひらサイズにまで極小化し、そして光の粒子となって霧散した。
強風が吹き抜け、俺の漆黒のローブを大きく揺らす。
「……ふぅ。少々骨が折れましたね」
俺はゆっくりと両手を開いた。
空間収納から取り出した新しい軍手をはめた右手。その手のひらの上には、驚くほど静かに、三つの小さな結晶がコロンと転がっていた。
燃えるような真紅の輝きを放つ【炎精の宝玉】。
深海のように透き通った蒼色を宿す【水精の宝玉】。
そして、大地の力強さを凝縮した黄褐色の【土精の宝玉】。
ほんの数分前まで、この星の気象を狂わせ、俺のレタスを脅かしていた三大災害の成れの果て。
今やそれらは、一切の危険性を排除され、純度100パーセントの無害で極上の「農業資材」へと変貌していた。
「素晴らしい出来です。これなら、炎の結晶で冬のビニールハウスの暖房を永遠に賄い、水の結晶で枯れない自動散水機を作り、土の結晶で畑の地盤を強化できますね。……最高の肥料です」
俺は満足げに頷き、三つの宝玉を空間収納へと丁寧に仕舞い込んだ。
ふと見下ろせば、眼下に広がっていた死の砂漠は、ノームの泥沼や俺の根の魔術が消え去り、再びただの静寂な荒野へと戻っていた。
だが、空を覆っていた禍々しい暗雲は完全に晴れ渡り、美しい星空が顔を出している。
エーデル村の方角に目を凝らすと、「魔力解析」に映っていた異常な気象データ――急激な気温変化や湿度異常も、完全に平常値へと戻っていた。
「どうやら、間に合ったようですね。これで明日のレタスの収穫も万全です」
俺は空中で軽く背伸びをし、凝り固まった肩をほぐした。
『……ガイウス。終わったの?』
頭の中に、ヴェルダの思念が届く。
上空はるか遠くから、村の防衛結界を維持していた彼女が、信じられないものを見るような気配を漂わせていた。
「ええ、終わりましたよ。害虫はすべて駆除し、便利な資材にリサイクルしておきました」
『……リサイクルって。ガイウス、本当に四大精霊のうちの三柱を退けるじゃなくて。一人で屠ったの? 星のバランスとか、後でどうなるか考えてる?』
「俺の知ったことではありません。俺の畑のバランスを崩そうとした落とし前をつけさせただけです。……それより、早く帰りましょう。もう深夜ですよ」
俺は呆れたように念話を返す。
「明日は早朝から、キャベツとレタスの収穫が待っているんです。睡眠不足で手元が狂ったら、リナに怒られてしまいますからね」
『……ハァ。ガイウスのその徹底した農家脳には、呆れを通り越して感心する。分かったわよ、すぐ戻るから、あんたもさっさと降りてきなさい』
ヴェルダの通信が切れ、俺は再び夜空を見上げた。
かつて宮廷魔術師として生きていた頃は、こんな星空を見上げる余裕すらなく、ただ国の都合で魔物を殺し続ける日々だった。
だが今は違う。
俺のこの手には、土の匂いと、野菜を育てる喜びがある。
「さて、帰ったらグラントのエールを一杯だけ引っ掛けて、すぐに寝るとしましょう」
世界を滅ぼす大精霊の脅威は、こうして「農作業の準備」という名目のもとに完全粉砕された。
漆黒のローブを翻し、規格外の農家は、愛すべきスローライフが待つエーデル村へと、静かに夜空を駆けていくのだった。




