第123話 精霊との戦い4
「――【超高密度環境制御結界】」
俺の口から静かに紡がれたその言葉と共に、死の砂漠を分厚く覆っていた暗雲が、円形にポッカリと吹き飛ばされた。
星の瞬く夜空から、俺の放った莫大な内包魔力が「透明なドーム」となって降り注ぎ、三柱の大精霊ごと、直径数キロに及ぶ空間を完全に隔離したのだ。
キィィィン……ッ、と。
結界が閉じた瞬間、耳鳴りのような高い音が空間を満たし、直後にあらゆる「自然の音」が消失した。
結界の外で吹き荒れていた風の音も、雷鳴も、もはやこの内側には届かない。
ここは星の理から完全に切り離された、俺の魔力だけが支配する『完全独立環境(温室)』である。
『……ナ、ニ……!? 魔力ガ……星トノ繋ガリガ、絶タレタダト……!?』
最初に異変に気づいたのは、俺の拳よって大地に叩き伏せられていた土の精霊ノームだった。
彼は自身の肉体を修復しようと、地脈から魔力を吸い上げようとしたが、結界の床面――星の地殻との境界線で、そのアクセスが完全に遮断されていることに気づいたのだ。
『……コノ結界ヲ壊セェェッ! イグニス! ウンディーナ!』
ノームの悲痛な叫びに呼応し、炎の巨神イグニスが立ち上がる。
『……人間風情ノ小細工ガァッ! 灰ニシテクレル!』
イグニスが両腕に超高密度のプラズマを圧縮し、透明な結界の壁面に向かって全力で叩きつけた。
太陽の表面温度にも匹敵するその一撃は、王国の防壁であれば触れる前に蒸発させるほどの熱量を持っている。
だが。
結界の内壁に激突したイグニスの炎は、壁を溶かすどころか、波紋一つ起こすことなく「ジュッ」という間抜けな音を立てて鎮火してしまった。
『……バ、バカナ……!? 我ガ炎ガ、何ノ痕跡モ残セナイダト……!?』
「無駄ですよ、イグニス」
俺は空中に留まったまま、軍手を失った右手を軽く振りながら見下ろした。
「それは魔力で作った単なる物理障壁ではありません。内側の熱や衝撃を吸収し、結界の『維持エネルギー』へと変換する循環システムです。
攻撃すればするほど、この温室の壁は分厚く、強固になっていく。
……冬場のビニールハウスは、内側の熱を逃がさないように二重構造にするのが基本ですからね」
外部からの魔力供給を断たれ、内側からの破壊も不可能。
その絶対的な絶望に、ノームとイグニスの動きが止まった。
だが、三柱の中で最も冷徹で、そして最も『流動的』な思考を持つ存在が、静かに牙を剥いた。
『……ナラバ、コノ檻ノ中ヲ、貴様ノ生存デキナイ環境ニ変エテヤルマデノコト』
ギリギリギリッ……!
空気が凍りつくような音が響いた。
水の聖霊ウンディーナ。巨大な氷と水流で構成された水竜が、その蒼い瞳を俺に向け、顎を限界まで大きく開いたのだ。
『……我ガ身ヲ削ッテデモ、貴様ヲ永遠ノ氷河ニ沈メル。コノ閉鎖空間、逃ゲ場ハナイゾ……!』
ウンディーナの体内にある『超高純度精霊結晶』が、危険なほどの輝きを放ち始めた。
外部の魔力に頼れないと悟った彼女は、自身を構成する魔力そのものを犠牲にして、結界内を水と氷で「満たし切る」という自爆紛いの飽和攻撃に出たのだ。
「――ッ!」
ドバァァァァァァァァッッ!!
ウンディーナの口から、そして彼女の全身の鱗の隙間から、致死量の『絶対零度の激流』が間欠泉のように噴き出した。
それはただの水ではない。触れたものを瞬時に凍結させ、分子の運動すらも停止させる死の濁流だ。
凄まじい勢いで、結界内の水位が上昇していく。
逃げ場のない温室の中で、俺の足元は一瞬にして荒れ狂う氷の海と化し、その水かさは数秒で数十メートルの高さにまで達した。
『……イグニス! ノーム! 我ガ水ニ触レルナ!』
ウンディーナの警告に、炎の巨神と土の巨人が結界の壁際に張り付き、迫りくる氷の濁流から身をかわす。
彼らでさえ触れれば致命傷になりかねないほどの、濃密な死の冷気。
「……なるほど。結界を壊せないなら、結界の中を水槽にして、俺を溺れさせるか凍らせる魂胆ですか」
俺は足元に【重力操作】の足場を作り、上昇する水位に合わせて高度を上げていく。
だが、ウンディーナの激流は止まらない。
結界内の空気は極限まで冷却され、俺が吐く息は一瞬でダイヤモンドダストのように凍りついて落ちていく。
『……凍レ! 砕ケロ!』
ウンディーナが水面から首をもたげ、咆哮を上げる。
すると、海と化した結界内の水面から、数千、数万という「氷の刃」がミサイルのように射出され、全方位から俺に向かって襲いかかってきた。
「……やりすぎですよ、ウンディーナ」
俺は自身の周囲に『冷却障壁』を展開し、飛来する氷の刃を弾き落としながら、眼下で荒れ狂う水竜を冷ややかに見据えた。
「過剰な水分は、農業において最も警戒すべき敵の一つです。水はけの悪い土壌は、根が呼吸できずに窒息する『根腐れ』を引き起こし、植物を根本から枯らしてしまう」
俺は漆黒のローブを翻し、急上昇を停止した。
これ以上逃げれば、結界の上部に行き場をなくしてしまう。
それに、こんなジメジメとした極寒の環境を放置しておけば、明日の朝には俺自身の関節が冷え切って農作業に支障をきたしてしまう。
「プランターの下には、必ず穴を開け、軽石を敷いて水はけを良くする。それが基本中の基本です」
飛来する無数の氷の刃を、俺は『回避』することをやめた。
代わりに、空中で両手を広げ、結界の底――水没したノームの岩の残骸と、死の砂漠の砂に向けて、莫大な魔力を流し込んだ。
「あなたたちの力を、少し『ブレンド』させてもらいますよ。――【土壌透水性最適化】ッ!」
俺が術式を発動した瞬間。
結界の底に沈んでいた、先程俺が砕いたノームの巨大な岩盤と、イグニスの熱でガラス状になっていた砂漠の砂が、俺の魔力によって強制的に「物理構造」を書き換えられた。
ボコォォォォォォッ!!
ウンディーナの絶対零度の水底で、無数の気泡が爆発的に発生した。
硬かった岩とガラス砂が、まるでスポンジや巨大な「軽石」のように、無数の空洞を持つ多孔質の物質へと強制変異させられたのだ。
『……ナッ……我ガ、岩盤ガ……!?』
ノームが驚愕の声を上げる。
「さあ、ウンディーナ。排水の時間です。あなたのその過剰な水、俺の作った特製の『軽石層』に、残らず吸い取ってもらいましょうか」
直後、結界内を満たしていた氷の濁流に、巨大な「渦」が発生した。
俺が作り出した超巨大な軽石層が、凄まじい毛細管現象と魔力的な引圧によって、ウンディーナの絶対零度の水を、まるで掃除機のように「地中」へと吸い込み始めたのだ。
『……バ、バカナッ! 我ガ絶対零度ノ水ガ……タダノ泥ニ吸ワレルダト……!? 凍結セズニ……!?』
ウンディーナがパニックに陥り、吸水されるのを防ごうと水そのものを凍らせようとする。
だが、ノームの岩盤とイグニスの余熱を含んだ特製の土壌は、水が凍るよりも早く、その水分を物理的な「重さ」として内部に取り込んでいく。
数十メートルあった水位が、みるみるうちに下がっていく。
ウンディーナが自らを削って放った必殺の激流は、俺に届くどころか、ただの「適度な湿り気を帯びた良質な土」を作るための作業工程へと成り下がってしまったのだ。
「……さて。水はけの処理は終わりました。次は、このジメジメした空気を乾かさなければいけませんね」
水位が下がり、ドロドロの泥沼と化した結界の底に、巨大な水竜ウンディーナが這いつくばるようにして取り残された。
自身の魔力を過剰に放出したため、その巨体はひと回り小さくなり、息も絶え絶えになっている。
俺はゆっくりと高度を下げ、泥沼の上空に浮かびながら、結界の端で震えている炎の巨神イグニスに視線を向けた。
「イグニス。次はあなたの番です。この温室、少し冷えすぎました。……ストーブの代わりになってくれませんか?」
冷徹な農家の瞳に見つめられ、世界を焼き尽くすはずだった炎の大精霊が、初めて「恐怖」に後ずさりをした。




