第121話 精霊との戦い2
真紅の炎の巨神イグニスと、蒼氷の水竜ウンディーナ。
相反する属性を持つ二柱の大精霊が、俺というただ一人の「農家」を排除するために並び立った。
その影響は、凄まじいものだった。
イグニスの放つ数千度の超高温と、ウンディーナの纏う絶対零度の冷気が、南の死の砂漠の上空で直接ぶつかり合う。
極端な温度差は激烈な上昇気流を生み出し、瞬く間に天を覆い尽くすほどの巨大な積乱雲を形成した。
世界を引き裂くような落雷が、狂ったように大地を叩き据える。
空からは、大粒の氷雹と、煮えたぎるような熱湯の雨が同時に降り注ぎ始めた。
それはもはや魔法の攻撃という枠を超え、星そのものが引き起こす「異常気象の暴力」だった。
俺は中空に浮かびながら、自身の周囲に結界を展開し、その理不尽な気象から身を守っていた。
だが、俺の心の中は、かつてないほどの焦燥と怒りで煮えくり返っていた。
「……最悪ですね。本当に、最悪のタイミングで最悪の環境を作り出してくれました」
俺は黒いローブの袖を強く握りしめた。
「急激な温度変化と、過剰な湿気。あなたたちは、明日収穫を迎えるキャベツがこの気候に晒されたらどうなるか、知っていますか? 水分を吸いすぎて結球が内側から破裂するんです。さらに、高温多湿は『軟腐病』を引き起こし、畑全体を一晩でドロドロに腐らせる」
俺の低い声は、雷鳴にかき消されることなく、二柱の大精霊にまっすぐと届いた。
「俺がどれだけ土壌の酸性度を調整し、害虫を手で払い、完璧なタイミングで追肥を行ってきたか。……その数カ月の結晶を、たった一晩の気まぐれな暴風雨で台無しにする。これだから、自然災害は嫌いなんですよ」
『……狂人ガ……。世界ノ終焉ヲ前ニシテ、ナオ土イジリノ妄言ヲ吐クカ……ッ!』
『……イグニス、コノ人間ハ理ヲ解シナイ。一撃デ、原子ノ塵マデ消滅サセル……!』
二柱の大精霊が、同時に動いた。
ウンディーナが巨大な顎を開き、周囲の水分を極限まで圧縮した「絶対零度の破壊砲」を放つ。
それと完全に同調するように、イグニスが自身の核から最高純度の「プラズマの閃光」を撃ち出した。
蒼と紅。
二つの極大魔法が空中で螺旋を描きながら交じり合い、互いの反発力を推進力に変えて、光の速度で俺へと迫る。
それは、触れれば一瞬で凍結し、次の瞬間に数千度で気化させられるという、物理的な破壊の極致――『熱衝撃』の複合魔法だった。
「――っ!」
回避は不可能。俺の展開している通常の防護結界など、この温度差の前ではガラスのように粉砕されるだろう。
「ならば、農業の基本で応じましょう。【多重浸透膜】ッ!」
俺は両手を前に突き出し、幾重にも重なる「半透明の魔力膜」を展開した。
それは物理的な壁ではなく、特定のエネルギーだけを透過させ、あるいは屈折させる特殊なフィルターだ。農業において、強すぎる直射日光や冷気を和らげる「寒冷紗」や「遮光ネット」の概念を、魔術の術式に組み込んだものである。
ズガガガガガァァァァァッッ!!
蒼と紅の複合破壊砲が、俺の浸透膜に激突する。
凄まじい衝撃波が広がり、背後の雲が一瞬で吹き飛ばされた。
だが、俺の膜は破られない。
ウンディーナの絶対零度は、幾重にも張られた膜を通過するたびに『熱』を奪われてただの冷水へと変質し、イグニスのプラズマは、膜を通過するたびに『冷気』を奪われてただの温風へと落ちていく。
「相反する属性を混ぜれば強い? 素人の考えですね。混ざり合うということは、互いの長所を殺し合うことでもある」
俺は膜を通して二つのエネルギーを強制的に中和させ、無害な水蒸気へと変換して周囲に散らした。
『……バカナ……我ラノ渾身ノ一撃ヲ、防御魔法スラ使ワズニ……透カシタダト……!?』
ウンディーナが、信じられないものを見るように後ずさる。
「さて、今度は俺の番です。あなたたちが作ったこの『不快な湿気』と『熱気』、俺の畑に流れる前に、あなたたち自身で片付けてもらいましょう」
俺は両手を高く天に掲げた。
莫大な内包魔力が、周囲の大気に直接干渉を開始する。
「【天候強制操作】――『疑似台風』」
ゴオォォォォォォォォッ!!
二柱の大精霊の周囲で、突如として超巨大な竜巻が発生した。
俺は、イグニスの熱気とウンディーナの冷気が生み出していた「不安定な大気」を利用し、魔力で強制的な回転を与えたのだ。
『……ガァァァァッ!? 風ガ……我ラヲ吸イ込ム……ッ!』
『……オノレェェェェッ! コノ程度ノ風雨デ、我ラヲ――』
「ええ、ただの風ではありませんよ。これは『巨大な攪拌機』です」
俺が指を鳴らすと、竜巻の内側の気圧が極限まで低下した。
逃げ場を失ったイグニスとウンディーナは、竜巻の中心で強制的に体をぶつけ合わされる。
イグニスの炎がウンディーナの体を蒸発させ、ウンディーナの冷気がイグニスの炎を凍結させる。互いの属性が、互いの存在を削り合う地獄の連鎖。
俺はただ外側から風の壁を維持しているだけで、二柱は自らの力で自らを殺し合っていく。
『……グァァァァァァッ!!』
『……アァァァァアアアッ!』
竜巻の中から、大精霊たちの悲痛な叫び声が響き渡る。
理性を失った彼らには、互いの力を止めて協力するという知恵はない。ただひたすらに、目の前にある相反するエネルギーを消そうとして、さらに力を放出してしまうのだ。
「……ふむ。順調ですね。このまま互いに相殺し合って、消滅してくれれば――」
俺が結末を確信した、その時だった。
ズズズズズズズズッ……!!
突如として、俺の足元の空中――いや、重力そのものが『下』に向かって異常な力で引っ張られた。
「……ッ!? なんだ!?」
俺は慌てて【重力操作】の出力を上げ、墜落を免れる。
だが、その強烈な重力波は俺だけではなく、俺が構築していた『疑似台風』の術式すらも物理的に引きちぎり、大地へと叩き落としたのだ。
ドシャァァァァァァンッ!!
竜巻が崩壊し、満身創痍となったイグニスとウンディーナが、死の砂漠へと叩きつけられる。
そして、二柱が墜落した大地の中心が、まるで巨大な花が咲くように、パカァッと割れた。
『……遅クナッテ、スマナカッタナ……同胞タチヨ……』
地鳴りのような、耳を塞いでも脳に直接響く重低音。
割れた大地の中から、鋼よりも硬い黒々とした岩盤と、高密度の重力波を纏った『巨大な山』そのものが、ゆっくりと立ち上がった。
土の精霊、ノーム。
三大精霊の最後の一柱が、ついに戦場に顕現したのだ。
「……遅れてきた大物、というわけですか」
俺は上空から、立ち並んだ三柱の大精霊を見下ろした。
左に、息を吹き返す炎の巨神。
右に、絶対零度の牙を剥く水竜。
そして中央に、重力と大地の化身たる岩の巨人。
神話の時代から続く星の理が、たった一人の農家を殺すためだけに、完全に揃い踏みした。
絶望的な光景。王国の騎士団であれば、その気配を感じただけで発狂して死を選ぶだろう。
だが、俺は漆黒のローブの襟を正し、小さく息を吐いた。
「手間が省けました。どうせなら、畑の肥料は三種類まとめてブレンドしたほうが、栄養価が高くなりますからね」
深夜の死の砂漠の上空。
真の規格外による、神々への「害虫駆除」の総仕上げが、ここから始まろうとしていた。




