第113話 作戦会議
「……本当に、このヴェルダ殿に乗るのか?」
「殿下、王族たるもの、いかなる移動手段であれ優雅さを保つべきかと……ひぃっ!?」
エーデル村の裏山。再び巨大な漆黒の姿へと変じた黒龍ヴェルダの背中の上で、第三王子エリックと側近のファレルが、ガタガタと震えながら巨大な鱗にしがみついていた。
『舌を噛まないようにね、人間の坊やたち。王都までノンストップでかっ飛ばすわよ!』
ヴェルダが巨大な翼を一度打ち下ろした瞬間、暴風が巻き起こり、俺たちは弾丸のような速度で上空へと打ち上げられた。
俺は今回も【流体制御】と【慣性中和】の結界を張っていたが、眼下で音速を置き去りにして流れていく景色に、王都の精鋭であるはずの二人も顔面を蒼白にしている。
「ヴェルダ、少し急ぎましょう。事態は一刻を争うようです」
『分かってるわよ。私の獲物(食材)を荒らす害獣は、一秒でも早く駆除しないと気が済まないわ』
通常なら馬車で数日かかる王都までの道のりも、本気を出した黒龍の飛翔にかかれば、ほんの数十分の空の旅に過ぎなかった。
――王都、王城の大バルコニー。
南の空を不安げに見つめていた宰相ハーヴェルと文武の百官たちは、突如として上空から舞い降りた『神話の黒龍』の姿に、悲鳴を上げて腰を抜かしていた。
「ひ、ひぃぃぃっ! エルフの次は竜の襲撃だと!?」
「衛兵! 衛兵を呼べぇっ!」
パニックに陥る大バルコニー。
だが、巨大な黒龍の背中から、一人の男が静かに飛び降りたことで、その喧騒はピタリと止んだ。
「お久しぶりです、ハーヴェル宰相。少々派手な登場になり、申し訳ありません」
かつてこの王城から追放された時と同じ、漆黒の『王立魔術師団・筆頭のローブ』を身に纏った俺が頭を下げると、ハーヴェルは幽鬼でも見たかのように目を剥いた。
その後ろから、足元をふらつかせたエリック殿下とファレルも降りてくる。
「ガ、ガイウス……!? まさか、その黒龍を従えて……いや、エリック殿下もご無事で! おお、神よ!」
ハーヴェルが涙ぐみながらすがり寄ろうとするが、俺はそれを手で制し、極めて事務的な声で本題に入った。
「感動の再会は結構です。今は一秒が惜しい。南の状況を正確に教えてください。俺の畑の土に影響が出る前に、原因を排除しなければならないので」
「……は、畑?」とハーヴェルが間抜けな声を漏らしたが、ファレルが「気になさらないでください」と眼鏡を押し上げながら促した。
すぐに王城の巨大な作戦会議室へと場所を移す。
円卓の上に広げられた王国の地図は、南の半分が赤黒い染料で塗り潰されていた。
「事態は最悪だ、ガイウス」
ハーヴェルが血走った目で地図を指差す。
「一時間前を最後に、南の領土からの通信が完全に途絶えた。第一から第三までの防衛線に駐留していた騎士団も、避難誘導にあたっていた領主たちも、誰一人として応答がない。ただ、観測用の魔導具が弾き出したのは……南の大地が『死の砂漠』へと変異しながら、王都に向かって北上しているという事実だけだ」
会議室に絶望的な沈黙が下りる。
「生き残った斥候からの断片的な報告によれば、敵は単なるエルフの軍勢ではない。体長三十メートルを超える、歩く大樹のような『異形』だそうだ」
「異形、ですか」
「ああ。全身から草木や人体を腐らせる猛毒の瘴気を放ち、物理的な攻撃は巨大な腕の前に無力。そして何より恐ろしいのが……」
ハーヴェルは息を呑み、震える声で続けた。
「奴の周囲三十メートルに近づいただけで、あらゆる魔術が強制的に消滅させられるらしい。大気中の魔力ごと吸い上げられ、怪物を動かすためのエネルギーに変換されてしまうのだ。あれはもう、生物というより『動く呪い』だ」
「なるほど」
俺は腕を組み、脳内で凄まじい速度で演算を始めた。
相手の能力は「大気魔力の強制収奪」と「超広域の瘴気散布」。
通常の魔術師が束になっても、近づくことすらできずに腐り落ちるだろう。
「ガイウス」
ふいに、俺の背後に控えていたヴェルダ(王城に入るために人間の姿に戻っている)が、腕を組んだまま真剣な声で口を開いた。
「あれはただの魔物じゃないわよ。精霊王の『理』を直接ねじ込んだ、狂気そのものよ」
「ヴェルダ、何か分かるんですか?」
「ええ。長生きしてるからね。奴のやっていることは魔法じゃなくて『星の地脈との同化』よ。だから、あんたがどれだけ強力な外部魔術をぶつけても、星ごと攻撃する覚悟がなけりゃ、大地の魔力に変換されて吸われるだけね」
ヴェルダは俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「いい? 奴を倒すには、二つに一つよ。奴が大地の魔力に変換しきれないほど、あんたの『内包魔力』を超圧縮した物理質量で一撃で圧殺するか。……それとも、奴と大地(地脈)の繋がりそのものを、あんたの結界で完全に切り離すか、よ」
「――なるほど。さすがはヴェルダだ」
俺はニヤリと笑い、円卓に広げられた地図の「赤黒い染み」の最前線に指を突き立てた。
「エリック殿下。すいません、王国の騎士団は、怪物の討伐には参加させないでください。彼らでは瘴気で命を落とすだけです」
「なっ、だがそれではガイウス殿一人が……!」
「騎士団には、怪物の進軍ルートのさらに北側で、取り残された民の避難誘導と、二次被害を防ぐための防護陣形を敷いていただきます。殿下とファレル殿は、その指揮をお願いします」
俺は漆黒のローブを翻し、会議室の扉へと歩き出した。
「作戦はシンプルです。俺が単騎で怪物の懐に飛び込み、ヴェルダさんの助言通り、奴の周囲の空間ごと『星から切り離す』絶対結界を展開します。瘴気も、魔力収奪も、その結界の外には一切漏らしません」
「空間ごと切り離すだと!? そんな神のごとき御業が……!」
驚愕する魔導院の老人たちを背に、俺は首を鳴らした。
「あとは、その閉鎖空間の中で、俺の内包魔力で構築した特大の『質量』を叩き込んで、物理的にすり潰すだけです」
「ガイウスさん」
ヴェルダが背中から声をかける。
「夕食の串焼き、まだ半分残してきてるのよ。早く終わらせて帰りなさい」
「ええ、分かっています。最高のトマトの味が落ちる前に、サクッと片付けてきましょう」
王国の命運を懸けた、前代未聞の害虫駆除。
俺とヴェルダは、死の瘴気が渦巻く南の最前線へと向けて、再び空へと飛び立った。




