第11話 エーデル村の市
朝、いつものようにクワを手に畑へ向かうと、村の広場が妙に騒がしかった。
朝靄が残る中、様子を見に行くと、村長のゴードンが声を張り上げて指示を出している。
広場の中央には無造作に木机が並べられ、数人の男たちが威勢よく荷物を運び込んでいた。
「何か行事でもあるんですか?」
声をかけると、ゴードンがこちらを振り返り、深い皺の刻まれた顔を綻ばせた。
「おお、ガイウス殿か。今日は月に一度の市の日でな」
「市、ですか?」
「ああ、昔から細々とやってはおった。だが、去年までは閑散としたもんで、来るのも村人くらいだったんだがな……」
老人は目を細め、設営が進む広場を見渡した。
「今年に入ってから、外の行商人が顔を出すようになってな。どこで噂を聞きつけたか、お前さんのポーションを仕入れたいという輩が増えたんだ」
「……俺のせいですか」
「いいや、お前さんのおかげだと言っておる」
言葉尻は同じでも、込められた意味は正反対だった。
称賛を投げかけられ少し返答に困る。
「ガイウスさん!」 背後から弾んだ声がした。
リナがこちらへ駆けてくる。
エプロン姿に、少し乱れた髪。
額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
朝早くから立ち働いていたのだろう。
「ガイウスさんも出店してよ!」
「出店? 俺がですか?」
「そう、ポーション。行商人たちが首を長くして待ってるんだから」
「わざわざ市に出さなくても、作業場に来れば売りますが‥」
「そういうことじゃないの。お祭りみたいな、雰囲気が大事なんだよ」
論理的な説明とは言い難かったが、リナのこの屈託のない笑顔には、どうにも抗いづらい力がある。
「……テーブル一つ分でよければ」
「十分! じゃあ決まりね!」
リナは満足そうに頷くと、風のように去っていった。
昼前になると、広場はかつてない熱気に包まれていた。
村人だけではない。
荷馬車を引いた行商人が十数人、近隣の村から来た農民、さらには腰に剣を帯びた旅の冒険者の姿もちらほら見える。
俺がこのエーデル村に来てから、これほど賑わっている光景を見るのは初めてだった。
俺の手狭なテーブルには、二十本ほどの瓶を並べた。
回復薬、解毒薬、解熱薬。
それに、最近ようやく形になった試作品の魔力回復薬。
店を開いて三十分も経たないうちに、早くも在庫の半分が消えた。
「これ、本当に中級品か?」
一人の行商人が、回復薬の瓶を太陽に透かしながら呟いた。
四十代半ば、日に焼けた屈強な体格の男だ。
「はい。そのはずですが」
「ううむ、色が違う。王都のギルドで仕入れる中級品より、ずっと澄んでやがる」
「……精製の手順を少し変えているので」
「それで効き目はどうだ?」
「通常のものより、1.5倍程度は底上げされているかと」
男が鋭い目で俺を見た。
「……本当にこの値段でいいのか?」
「材料費と手間賃を考えれば、それで十分です」
沈黙が流れた。
男はじっと俺を見定め、やがて短く「全部もらう」と断言した。
「残りは七本ですが」
「ああ、全部だ。次の市にも来る。その時は二十本、いや、あるだけ用意しておいてくれ」
「承知しました」
男は無造作に革袋を置き、瓶を一本ずつ丁寧に布で包んで収めていった。
去り際、彼は少し躊躇してから、低い声で尋ねた。
「あんた、名は」
「ガイウスです」
「エーデル村のガイウス、か。覚えておく」
隣のテーブルでは、リナが宿屋特製の焼き菓子を売っていた。
「売れてますね」 俺が声をかけると、リナは弾けるような笑顔を向けた。
「そうなの! お母さんのクッキー、初めて外に出したんだけど、もう完売しそう」
「それはよかった。喜ばれますよ」
「ガイウスさんのほうこそ! あの人、きっと有名な行商人だよ。すごいね!」
「想定外の売れ行きで、在庫が心配なほどです」 「嬉しい悲鳴ってやつだね!」
昼を過ぎた頃、酒場のグラントが重たそうな樽を一つ転がしてきた。
広場の隅に置くなり、彼は無言でエールを注ぎ始めた。
麦の香ばしい匂いがふわりと漂う。
「おっ、始まったか!」と、あっという間に人だかりができた。
グラントは相変わらず無口だが、ジョッキを捌く手つきは鮮やかだ。
普段の三倍、いやそれ以上のペースで樽が空いていく。
息子のマルクも、父親の隣で小気味よくコップを配っていた。
家業を手伝うその姿は、以前よりもずっと頼もしく見える。
「ガイウスさん、エール飲む?」
マルクが俺を見つけて寄ってきた。
「昼から飲むつもりはなかったんですが……一杯だけもらいましょう」
「父ちゃんが『これは景気づけだ、金はいらねえ』って」
グラントと目が合ったが、彼はすぐに視線を逸らして次のジョッキに泡を立てた。
否定はしないらしい。
一口、喉に流し込む。
昼の陽光の下で飲むエールは、夜の酒場で味わうものとはまた違う、晴れやかな味がした。
悪くない。いや、かなり美味い。
市が落ち着きを見せ始めた午後、村長のゴードンが俺の隣に腰を下ろした。
「どうだ、商売のほうは?」
「想定以上でした。次回までに在庫を補充しておきます」
二人は夕暮れの色が混じり始めた広場を眺めた。
行商人と村人が肩を並べて笑い合い、子供たちがその間を縫うように走り回っている。
「この村が、これほど賑やかになると思っていたか」
「いえ……思っていなかったです」
「そうだな、わしもだ」
ゴードンは、懐かしむように目を細めた。
「お前さんが来る前は、本当に静かなものだった。若い者は街へ出ていき、畑を畳む家も増える一方だった」
「それは、俺の功績ではありませんよ」
「わかっている。だが、きっかけはお前さんだ。魔獣が減り、道が安全になり、質のいいポーションが手に入る。……希望があれば、人は集まってくるものだ」
俺は改めて、広場の光景を眺めた。
確かに、初めてこの村の土を踏んだ時とは、空気がまるで違う。
「……悪くないですね、こういうのも」
「ふん。もう少し素直に喜べばどうだ」
「これでも、かなり素直に言っているつもりです」 ゴードン「頑固者め」と愉快そうに笑った。
片付けが始まる頃、リナがまたやってきた。
「今日の売り上げ、村の記録更新だって! ガイウスさんのおかげだよ」
「お役に立てたのなら光栄です」
「明日もまた、ポーション作るの?」
「ええ。在庫が空ですから」
「……たまには休みなよ」
リナにそう言われ、俺は少しだけ考えた。
「……明後日からにします」
「よし、それでいい」 リナは満足そうに夕焼けを見上げた。
「いい一日だったね今日は、来月も楽しみ‥」
「わかりました。次はもっと在庫を積んでおきます」
「もう! そういうところだよ、ガイウスさんは」
「……? 何かおかしなことを言いましたか」
「『楽しかったね』って、一言言えばいいの!」
俺は少し口を噤み、それから、自分でも驚くほど自然に言葉を溢した。
「……今日は楽しかったです。」
「よろしい!」
リナが笑い、広場に撤収の合図が響く。
テーブルを片付ける村人たちの笑い声が、心地よい残響となって耳に届く。
静かな隠居生活を求めて辿り着いたこの村は、少しずつ、けれど確実に賑やかさを増している。
かつての俺なら、それを「煩わしい」と感じたかもしれない。
けれど、空を染める美しい夕焼けを眺めながら、俺は思った。
賑やかさというのも、案外、慣れてしまえば心地よいものだと。
スローライフは、今日も——少しだけ騒がしく、それでいて順調だ。




