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Sランク宮廷魔術師、理不尽な理由でクビになったので田舎でスローライフ(農家)始めました  作者: 仁科異邦


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第101話 出会いは突然に

北の開拓地、その最果て。

エリックは最後の一杯の堆肥を撒き終え、その場に膝から崩れ落ちた。


「……終わった。終わったぞ、ファレル……。私は、ついにこの広大な大地を、悪臭で支配してやった……」


「殿下、言い方が不穏ですが、よくやり遂げられました……!」

側近のファレルが、鼻を摘まみながらも涙ながらに拍手を送る。

一週間、不眠不休(に近い状態)で続いた地獄の堆肥運び。

王族としてのプライドはとうの昔に泥の中に埋まり、今の彼はどこからどう見ても、ただの「死にかけの労働者」だ。


そこへ、巨大なクワを杖代わりにしたカインが歩み寄ってきた。


カインは無言でエリックを見下ろすと、手元にあった革袋――冷えた水が入ったそれを、エリックの顔面に放り投げた。


「ぶふっ!? ……な、何をするのだ……」

「飲め。……まともに動けねえ奴に、次の仕事は任せられねえからな」

「あ、ありがとう」


エリックが慌てて水を飲み干すと、カインは少しだけ視線を逸らし、ぶっきらぼうに言った。

「……正直、初日で逃げ出すと思ってたぜ。人族の、それも温室育ちの王子が、まさか魔族でも嫌がるこの量を一人で撒ききるとはな。……根性だけは、認めてやるよ。“エリック“」


エリックの目が見開かれた。

「……カイン殿。今、私の名を呼んで……?」

「一度しか言わねえぞ。……明日からは『石拾い』じゃねえ。俺の隣で、地脈の調整を手伝え。魔力操作の基礎くらいは、叩き込んでやる」


それは、魔族の皇太子が人族の王子に送った、最高の「戦友」としての言葉だった。

エリックは泥だらけの顔を綻ばせ、「……ああ、よろしく頼む、カイン!」と力強く答えた。


それを見ていた俺は、遠くでヴェルダと並んで頷いた。 「男の友情ですね。……堆肥の臭いがなければ、もっと感動的なシーンなのですが」

「全くだ。あやつら、近づくだけで鼻が曲がるぞ」


そんな暑苦しい男たちの空気感を一変させる出来事が起きたのは、その直後のことだった。

「――お騒がせしております。カイン様、こちらにいらっしゃいますか?」


鈴の音を転がしたような、清涼感のある声。

開拓地の入り口に立っていたのは、一人の魔族の少女だった。

近くにある魔族の集落から来たという彼女を見た瞬間、その場にいた全員の動きが止まった。


透き通るような白い肌に、夜空を溶かし込んだような深い紺色の髪。

頭部から覗く小さく上品な角は、磨かれた宝石のように輝いている。

彼女が歩くたびに、堆肥の悪臭すらも浄化されていくような、圧倒的な「美」のオーラが漂っていた。


「……エルか」 カインが面倒そうに手を振った。 「集落の長から、何か伝言か?」

「はい。開拓地の進捗を伺うようにと。それと、こちらで採れた薬草のお裾分けを……」


彼女の名はエル。

魔族一の美人と謳われ、その美貌は魔界の王宮ですら噂になっていたほどだという。



「……あ」

エリックの口から、間抜けた声が漏れた。 彼は立ち上がろうとした姿勢のまま、固まっていた。

泥だらけ。 髪はボサボサ。

服は堆肥で汚れ、自分でも分かるほど凄まじい匂いを放っている。

そんな人生最悪のコンディションの時に、彼は人生最高の「理想の女性」に出会ってしまったのだ。


エルの視線が、不意にエリックの方へ向いた。 「……あら。そちらの方は、ガイウス様がおっしゃっていた研修生の方でしょうか?」

エルが丁寧にお辞儀をし、エリックに向かって微笑みかける。


「初めまして。エリック様とお呼びしてもよろしいでしょうか? 私はエルと申します。……その、一生懸命にお仕事をされていたのですね。とても、素敵な汚れ方ですわ」


エリックの顔が、一瞬で耳まで真っ赤に染まった。

「あ、あ、ああああ……! ぱ、ぱぱぱ、はじめ……まして……!」

王都の舞踏会で、数多の令嬢から言い寄られても一度も動じなかった鉄の心臓を持つ王子が、今、完全に壊れた。


「……おいエリック、鼻の下が伸びてるぞ。汚ねえ顔がさらに汚くなってやがる」

カインが呆れたようにツッコミを入れるが、エリックの耳には届いていない。


「……ガイウス殿。私、私は……」

エリックが震える声で俺を振り返った。

「私は、今すぐ風呂に入りたい! 全身を薔薇の水で洗い清め、最高の礼服に着替えたい! なぜ、なぜ私は今、堆肥を担いでいるんだぁぁぁ!」


「手遅れですよ、殿下。……まあ、エルさんは中身を見てくれるタイプですから、頑張ってください」


俺は、青春の爆発を目の当たりにしながら、そっと彼にハーブの消臭スプレーを差し出した。


王都の策略や野望すらも、今は恋に落ちた王子の叫びにかき消されていく。


スローライフは、今日も――新たな恋の予感に(臭い付きで)翻弄されながら――順調だ。


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