シロウとアラン
アランとシロウは見晴らし台の麓を走り降りた。路地を抜け4つ角を折れ曲がり、市街を流れる川に掛かる橋のたもとに差し掛かったところでシロウの方に限界が来た。既に日は暮れ、空に一番星が輝き始めている。
「はあ、はあ、昔はもうちょっと走れたんだがな……」
シロウはすっかり息が上がっていて、橋の欄干にしな垂れかかるように体を預けていた。
「あの、すみませんでした、迷惑かけちゃいましたね」
「いいさ、お前ならあそこにいるかと思って行ってみたが、運が悪かったな」
二人はお互いを見合って笑った。
「まあ、気にすんな」
ふと、シロウが何かを気づいたように、腰に縛ってある薄緑色の布を解いた。布を下敷きにして、中の物を石造りの橋の欄干に置く。細長いパンに肉と野菜を挟んである。シロウの下宿先の女将さんであるエマの作ってくれた弁当だ。それが食べやすいよう幾つかに切り分けてある。ここで広げるのは行儀のよい作法ではないが、腹の虫には逆らえない。
「結局この時間になっちまった、ほれ、食うか」
アランは頷いて、端の一切れを取る。保存の為であろう塩が少し強く感じられたが、肉も野菜も良く煮込まれていて、美味かった。
「昔お金がない時、よく奢ってくれましたね」
アランが川の水面に視線を落としながら、しみじみと言った。
シロウとアランが出会ったのはアランがまだ少年の頃だった。冒険者代理人として駆け出しだったシロウはとにかく迷宮の浅い層を活動域とするクランに朝から晩までくっ付いて、多くの冒険者を見て回っていた。その中にアランはいた。いつの間にかズズリに流れて来た子供で、親もいないのだと言う。一目見て、この子の剣は天賦だと思った。正式に学んだ経験もないというのに、流れるような剣捌きに全く無駄がなく。群がる魔獣を次々に切り伏せていった。これならすぐにでももっと深い階層でやれるのではないか、冒険者の真価を決めるのに年齢は二次的な意味しか持たないはずだ、シロウはそう直感した。しかし地上に帰還した時、陽の光の下で見たアランがやけに青白く、妙に痩せているのが気になった。聞いてみるとクランから支給される糧食を毎日の食事がわりにしているとのことだった。シロウはアランを手近な食堂に連れ出して存分に食べさせる事にした。最初は遠慮がちだった少年も、シロウが何度か勧めるとようやく料理に口を付けた。それからはまさに堰を切ったようだった。少年は驚くべき食欲を発揮し、卓に置かれた皿が次の瞬間には空になる程だった。その時の少年の幸せそうな顔をシロウは今でも覚えている。彼本来の血色というのもそこで初めて見たように思う。腹を満たした後の流れとして色町の歩き方についても手ほどきしてやろうかとの一瞬考えたが、今にして思えば余計な事をしないで本当に良かった。
いずれにしても環境の重要性をシロウは痛感した。アランの実力を伸ばすのには小さなクランでは駄目だ。冒険者の価値を正しく理解し、将来に渡ってのその維持伸長を考えられるクランとなればおのずとその規模も限られてくる。ましてやこの天才剣士の才能に引き合うクランとなれば尚更だ。シロウはアランを売り込む為、名だたる大クランの門を叩いた。しかし、彼らはほとんど無名に近い代理人には会おうとすらしなかった。シロウは悔しがったが、その中で唯一門戸を開いたクランがあった。それがアルビオンであったのだ。
「ん、そうだったか」
シロウはとぼけてみせる。
「俺がじじいになった時に金が無かったら、そん時はお前が奢ってくれ」
「シロウさんがじじいになったら僕もおっさんですよ」
「その時は豪邸に住んでるんだろ、綺麗な嫁さんと可愛い子供と色っぽいメイドに囲まれて」
「フフ、そうなるといいですね」
「なるさ、お前なら。自分を信じろ」
揺らめく水面に2つの頭が移り込んでいる。が、それも急速に夜の闇に溶けて見えなくなりつつあった。
「その……、クビなんですか?」
不意にアランが不安げな声色で聞いた。シロウの咀嚼が止まる。再びシロウの口が動き、中の物を飲み込むまでアランは待った。
「そうじゃない、武者修行ってやつだ」
「武者修行?」
シロウは昼間ラウズと交渉した内容を話した。アランはそれを真剣な眼差しで聞いていた。
「一年間……」
「ああ、喜べ、今度は前衛に立てるんだ。そこで1回りも2回りもデカくなれ。その後はアルビオンに戻ってラウズの野郎を見返してやるも良し。奴の羈束を離れて自由にやるも良しだ」
言い聞かせるようにシロウは述べる。
「尤もこれは仮契約だ。お前が拒めば白紙にできる。俺は悪い話じゃないと思うが、ま、ゆっくり考えるんだな」
「いいえ、それで良いです。シロウさんに従います」
「違う」
シロウは拳を握り込むと、アランの胸板にそっと置いた。
「お前が従うのは俺じゃない。冒険者が従うのはここだ。他の誰でもない、自分の心だけを信じるんだ」
その言葉はアランに染みた。
「はい……」
「ようし、明日にしようかと思ったが、お前の新しいボスに会いに行ってみるか、本人じゃなくても誰かいるだろ」
シロウがそう言った時だった。ザシュという足音と共に四方に暗い影が立った。空気を汚染するような殺気を放っているのが感じられる。
「シロウさん」
アランが険しい声で警戒する。
「かぁーっ、しつけぇな」
シロウは吐き捨てるように言った。
「どうします?警吏に訴えますか?」
「脅されてますってだけじゃあ、まともり取り合わねぇよあいつらは。こっちだ」
シロウはアランの肩を叩いくと橋のたもとの下をくぐらせる。
「川の縁に土が溜まってるからそこを行け。迷宮冒険者なら夜目も利くだろ」
緩い流れの水面を刺してシロウは言った。
「いいか、流れに沿って橋を3つ越えた所で上がるんだ。そこから東の五番通りに出ろ。紅い看板のロッジだ。わかるな」
「じゃあ、シロウさんも一緒に」
「へへっ、ここからは大人のお楽しみの時間だぜ」
「で、でも!あの二人だけじゃないですよ。5、6人はいます」
「心配するな、あんな奴らに負ける俺だと思うか」
「でも……」
「冒険者が一般人相手に手なんて上げられないだろ?これに関しちゃお前は役に立たないの。さ、もうひとっ走りだ。行け!」
アランは不安そうな表情でシロウを見ていたが、やがて決心したように川に飛び降りた。大きな水音が1つした後、小さな水音が規則正しく連続して沸き起こり、それが遠ざかってゆく。
シロウは暗い水面にほっとしたような顔を見せたが、それも一瞬だった。振り向いはシロウは暗闇に向かって決然と言い放つ。
「出て来いよ、図体のでかいのがコソコソしたって、ちっとも様にならねぇぜ」




