見晴らし台
ズズリの街の北に小高い丘がある。大昔、まだこの街が鉱山の町であった頃、掘り出した岩や質の悪い鉱物がこの場所に捨てられて小山ができた。それを百年程前のとある貴族が私財を投じて見晴らし台として整備したのだと言う。だから本来そこはその貴族の名を取って”アルモデウスの丘”というのだが、ズズリの街に暮らす者でそんな名を言うものはいない。誰もが単に「見晴らし台」で通している。丘の一番高い所にそのアルモデウスの像が佇立していた。広げた右手を高々と掲げた威風堂々たるものなのだが、今では鳩のフンに塗れるばかりで顧みる人も少なくなっている。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
見晴らし台に走り込んで来たアランが長椅子に腰を降ろす。肩で息をしながら滲む汗を訓練着の袖で拭う。襟首から胸にかけても湿って色が暗くなっている。厳冬期であれば、彼から立ち上る白い湯気を見ることが出来ただろう。
休暇、と言われても何をすればいいのか思いつかない。街を散策するにしてもこの街の大体は巡り尽くしてしまった。自室に籠って何か趣味を、というのも柄じゃない気がする。だからと言って訓練に打ち込もうにも、アルビオンではその時間すら管理されていた。冒険者の体調の維持という名目で超過訓練は厳に戒められているのだ。迷宮探索空けにロッジに行っても回復調整ばかりを命じられて、つまらないのである。
そういう時アランはこの見晴らし台に来る事にしている。この場所へと続く石の階段を駆け上がっては降り、駆け上がっては降りを繰り返すのだ。ラウズ団長などに見つかれば叱られるのかもしれないが、身体を動かしたい衝動には勝てなかった。アランが目線を上げると、丘の上からズズリの街並みが見えた。漆喰の白壁が夕暮れになりつつある日の光を浴びて赤黄色に浮かび上がっている。額に張り付く金髪を払いながら、その風景をアランは複雑な心境で眺めていた。数日前から彼の代理人であるシロウが慌ただしく動いている。それが自らの身の上に何かが起きる前兆なのかと思うと気もそぞろになろうというものである。
アルビオンに入団できると知った時は本当に嬉しかった。世界一のクランに入って存分に剣を振るう事ができるなんて、何て幸せなのだろうと思った。その後の現実も、まあ悪い事ばかりではないとアランは思う。何しろどこを見ても当代一流の剣士や魔法使いばかりなのだ。彼らの秘剣の冴え、神業のごとき法陣を間近で見る事ができた。それはアランにとってかけがえのない財産となっている。惜しむらくは未だ彼らと肩を並べるに至っていない自分の実力だった。いや、一言に実力と言っても、具体的な剣捌きや体運びで彼らに劣っているとはアランは思わない。今すぐ前衛に入れと言われても、それなりにやってみせる自信はある。アランが自分に足りないと痛感しているのは実戦経験だけだ。多少自分を甘く採点しているとしても、それは大きく間違ってはいないだろう。もっと俺を使ってくれと団長には訴えたい。アルビオンに貢献する用意はいつでもできているのだ。
アランは息を整え終えると懐を探った。金属製の小さな板が見える。冒険者が持つ徽章だ。万一が迷宮内で武運拙く斃れた時、これを身に付けていれば亡骸を見てどこの誰だか分かるというものである。アルビオンのそれは手のひらに収まる大きさの銀の楕円の板に金細工で縁取りをしたもので、中央には王冠の意匠が精緻に象嵌されている。王冠の下の方にはアランの名前も刻まれていた。入団以来、肌身離さず持っていろと言われて実践しているのだ。アランはそれをかざして見る。夕映えを受けてキラリと光った。アルビオンに貢献するとは言った。だが、それが叶わないのなら、この王冠を戴いて戦う事を辞めなくてはならないのだろうか。
アランはふと己の人生を占ってみたくなって徽章を真上に放り投げた。それは虚空を舞い、ある一点で上昇を止めると今度は地上に吸い寄せられる。アランは間合いを計ってそれを片手で受け止めた。パシっという音がする。手の中に握り込んでいる徽章が表なら吉、裏なら凶、アランはそう定めてから手を開いてみる。裏だった。再び放り投げる。まだまだ、一度で何がわかるものか。パシっと音がして徽章が手に収まる。今度は表。いいぞ、次で決めてくれ。
橙色と藍色のせめぎ合う空に徽章が舞い上がる。それはゆっくりと回転しながら同じような軌道を描いてアランの手に戻るはずだった。しかし一瞬黒い影が走ったかと思うと、そこにあった徽章が消えた。
「あっ」
アランは一瞬あっけにとられたが、直ぐに目線を地上に戻すと背を向けて走り去る小男が見えた。スリだ。
「待てっ!」
アランは跳ねるように飛び上がると小男を追った。走りながらあからさまに値打ちのありそうなものを人目のある所で弄んだ自分の迂闊さを悔いた。小男は妙にすばしっこく、見晴らし台の見物客をスイスイと掻き分けて走り去ってゆく。手練れの盗人と思しき動作だった。しかし、アランとて並みの人間ではない。彼は足に力を入れると強く地面を蹴った。みるみる小男に追いついてゆく。気配を感じた小男が振り向き、猛然と迫るアランを見て目を丸くしたが既に手遅れであった。金髪の剣士を見くびった報いというべきであろう。アランは跳躍して小男の尻に組み付く。二人は突き飛ばされたようになって地に伏すことになった。土埃が舞い、徽章がコロコロと地面を転がって倒れ込む。
「このスリめ!恥を知れ!」
「う、うう……」
アランはさらに小男を罵倒してやりたかったが、視界の端で光る物を見て、先にそちらを確保しようと思った。素早く徽章に駆け寄る。だがアランが手を伸ばしたところで別の手がそれを掬い上げてしまった。
「んん?こりゃ何だあ」
「アニキー、こいつが因縁付けるんだよぉ~、助けてくれよぉ~」
スリの小男がアニキと呼んだ男の後ろにサッと隠れる。その男は小男の倍ほどの体格を持ち、太い両腕に青黒い不気味な入れ墨を施していた。入れ墨男は徽章をしげしげと眺めている。
「あ、るび……、アルビオンて、あのアルビオンか?」
「それは俺のだ、返してくれ」
アランはそう訴えたが、 入れ墨男はアランの声が聞こえていないかのように徽章を掲げて見ている。
「う~ん、こいつは値打ちものだな、金貨5枚、いや10枚は下らんかもなあ」
それを聞いたアランはかっと怒った。
「冒険者徽章を売り払うなんて事したら、街中の冒険者から恨まれることになるぞ。それはどこにも持ち込めないんだ、返してくれ」
「売るう?」
入れ墨男が初めてアランの方を向いたかと思うと、わざとらしい動作でギロリと睨み付ける。
「売るなんてとんでもねぇ。こいつはお前の物なんだろう?だったらよぉ、落ちてたこいつを拾ってくだすったこの俺様によ、お前は感謝しなきゃいけねえんじゃねぇのかぁ、ああん?」
入れ墨男は一向に徽章を返さないばかりか奇妙な理屈を捏ね始める。アランはそれを歯がみしながら聞くしかない。入れ墨男の後ろでスリの男がニヤニヤと笑っている。
「そこでお前は真心からありがとうございますと言いたくなる訳だ。ほんのちょびっとの誠意と一緒によ。そうだろう?俺、間違ってねぇよなあ」
「へへっ、そうだぜアニキ。アニキはいつだって正しいんだぜ」
「くっ、お前らはスリばかりか集りもするのか」
「人聞きの悪い事言うんじゃねぇよ、小僧。弟も可愛がってくれたみてえだし、誠意の見せ方がわからねぇってなら礼儀を教えてやるしかねぇなぁ」
「へへへっ!アニキを怒らせちまったぁ、やっちまえアニキ!」
入れ墨男が首を左右に振ってゴキリゴキリと聞かせるように音を鳴らしつつ、見下すような目をアランに向ける。まずい、とアランは思った。こんなゴロツキもどきでも一般人だ。クランに所属する冒険者である自分が手を上げる事はできない。間違って喧嘩沙汰だなどという事にでもなればアルビオンの名に傷が付く。悔しいが諦めるか、金で片が付くなら……。
「へへ、どうした震えてんのか、ああ?泣いて詫びるんなら今のうちだでででで……!」
突然入れ墨男が苦しみ出した。アランは最初何が起きたのか分からなかった。見ると入れ墨男の腕は捻り上げられていて、いつの間にか現れた背の高い男がそれを釣り上げるようにして掴んでいる。アランにはその男の気配を察知する事が全くできなかった。
「シロウさん」
アランの顔がぱっと明るくなった。
「あででで、な、何だてめぇ」
「そのぐらいにしとけよ。大の大人がみっともないぜ」
シロウが呆れたようにそう言うと掴んだ腕をさらに締め上げた。入れ墨男が「うぐっ」と呻いて手から徽章が零れ落ちる。シロウは掴んだ手と反対の手でそれを受け止めると、アランに向かって投げた。徽章は弧を描いてアランの両手の中に納まる。良かったと、アランは本気で安堵した。
「てんめぇ、よくもやりやがったな!」
無理矢理腕を振りほどいた入れ墨男が今度はシロウに食って掛かる。
「おいおい、俺はお前さんの為を思って言ったんだ。こいつが本気になったらお前さん、骨の一本や二本じゃ済まないぜ?」
「舐めやがって!俺にそんな口を聞いた奴がどうなるか知らねぇようだな」
入れ墨男は目を血走らせつつ、今度は指の関節をボキリボキリと鳴らす。
「はあ、俺は売られた喧嘩は買わない主義なんだが……、生憎主義に殉じるって柄でもないんでね」
シロウの顎の高さに2つの拳が上がり、 陽炎の様に揺らめいた。
「ふざけるなー!」
入れ墨男が腕を振り上げ、シロウに襲い掛かる。男の拳がシロウの顔面を撃つかに思われたその瞬間、シロウは半身をさっと引くと片足を軽く上げた。上がった足の甲の部分だけが男の進路上に残された形だ。
「ぐわぁっ」
シロウの足に躓いた入れ墨男はつんのめり、平衡を崩して地面と熱烈な接吻することになるのだった。
「俺が構えたから殴り合いになると決め込んだな。足りてないんだよ」
シロウが自分のこめかみを押さえながら言う。
「て、てんめぇ……」
埃塗れになった入れ墨男が起き上がる。いきり立った男は腕を振り回してシロウに殴りかかるが、シロウはそれを見事な体捌きでひょいひょいと躱してゆく。それはアルビオンで研鑽を積むアランから見ても刮目するべきものだった。どこでこれ程の技を、と内心で不思議がるアランをよそに、余裕さえ見せるシロウは男の攻撃をいなし続ける。入れ墨男の拳はひたすら虚空を切るばかりだった。尚も男は腕を振り続け、それが20回を越えた時だった。シロウが素早く男の側面に回り込むと、男の太い腕を下から救い上げるように抱えた。
「せいやっ」
そのまま男の体重移動を利用して腕を回転させる。すると男の天地も入れ替わるように足が跳ね上がった。支えを失った入れ墨男は顔面の前に続いて後頭部を強かに地面に打ち付ける事となり、「う、うぐ」とうめき声を漏らすとそのまま動かなくなってしまうのだった。
「さあ、行くぞ」
呆然としているアランにシロウが短く声を掛ける。その声に我を取り戻したアランがシロウを見る。シロウは真剣な顔をしていた。見物客が集まりつつある。確かにアランのような人間がこの場に留まるのは色々とまずい。
「は、はいっ」
アランはそう答えるとシロウと共に足早に日の沈む見晴らし台を後にするのだった。
「ア、アニキー、しっかりしてくれよぉー」
入れ墨男を心配するスリ男の声がしばらく響いていたが、すぐに届かなくなった。




