交渉その2
「今日はここしか空いておりませんの。堪忍してくださいましね?」
「いいえ、お構いなく」
シロウは執務室から少し離れた部屋に通された。アルビオンのロッジには何度か来た事のあるシロウだが、この部屋に入るのは初めてだった。古い羊皮紙とインクの匂いがシロウの鼻腔に入り込んで来る。
「ただいま団長が参りますわ。暫時お待ちくださいまし」
微笑を湛えたミランダが丁寧にお辞儀をして部屋を出て行く。すると静寂に耳が慣れて、中庭の方向から喧騒が聞こえて来た。団員たちが訓練に励んでいるのだろう。バララッ、バララッというのは木剣で木偶人形を叩く音に違いない。前回の探索に参加した冒険者はまだ休暇中のはずで、彼らはアルビオンの中では二番手以下の者たちという事になる。当然アランもいないはずだ。
一人になったシロウは深呼吸をして気を引き締める。顧客の将来に関わる話し合いだ。いや将来に関わらない話し合いなどする必要はないのだからその表現は適切ではない。顧客の経歴において致命的になりかねないという意味において重大だという意味だ。アルビオンを出て中堅のクランに籍を移すとなると、端的に言って能力の劣る者だと世間は見なすかも知れない。いわゆる「都落ち」という謗りだ。そういった風評を跳ね返すのはアラン自身なのだが、それとて移ったクランで十分に活躍できるという保証はどこにもない。冒険者の移籍にはそういった危険が常に付きまとうものなのである。実際のところ、代理人に過ぎないシロウには実戦面で支援でしてやれる事はない。何事も冒険者が実力で切り拓くしかないのだ。無論、それ以外での物心の支援を惜しむつもりはないのだが、それにはまず円満に交渉を進める必要があった。下手に拗らせて周囲の心象を悪くしてはならない。
そう心に定めるとシロウは改めて部屋を見回した。品のある丁度が整然と置かれている部屋だったが、それらを圧するかのように大量の書類が所狭しと積まれている。匂いの原因は明らかにこれらだ。詰め込み具合ではシロウの自室とて引けは取らないはずだが、整理整頓の行き届き具合には天地の開きがある。どちらが地かは言うまでもない。隅の方に大きな木箱があり、形も大きさも様々な物品が入れられていた。先ほども見た、訪問客らが持参した贈り物やら土産物なのだろうか。それにしても大量である。つまりここは物置き部屋としても利用されているという事なのだろう。この部屋の贈答品の量だけでも今のアルビオンの権勢の一端を見る思いがした。ふと目をやると、木箱の中に板状の物が何枚かまとめられて差し込まれている。こじゃれた額に収められた絵画のようだった。時の人の歓心を引くに美術品を持って成すのは常套手段といえるが、それも相手がその価値を心得ていればこそだ。それがこんな珍重しているとはとても言えない状況に甘んじているのは、贈り主の気持ちとしてはいかばかりなのだろうか。
つい、悪戯心が出て、シロウは絵画を確認したくなった。額を手前に少しだけ倒すと重なった奥の絵柄の一部が見える。静物画、風景画と見ていくと、人物画に当たった。たおやかな女性が微笑んでいる。さらに額を倒すと女性の纏う薄衣が見えた。大胆にも肩が大きく開かれ、健康的な色の肌が柔らかく表現されている。思わずシロウの目にじっとりとした光が浮かぶ。もう少し倒すことで全身が見えるのだろうか。
「気に入ったら持ってっていいぞ」
シロウの体がビクリと跳ねた。
「ラ、ラウズ……」
振り返るとアルビオンの団長、ラウズが呆れ顔で立っている。シロウは「ハハ……」と誤魔化すような苦笑いで返すしかなかった。ラウズが笑って席を勧める。
間を置かずミランダが盆を持って現れた。盆の上の2つの杯から仄かに湯気が立っている。彼女はシロウとラウズの前にそれを置くと、「ごゆっくり」と言い残し、再び優雅に一礼をして扉を閉めた。
「改めて、第八層到達おめでとう、すごいよ、アルビオンもお前も」
シロウは藤の小箱を差し出す。
「おお、済まないな。これが来るとお前が付いてくる」
「逆だろ」
「逆なものか、これが楽しみなんだ……うん、美味い」
ラウズはホイルエマ夫妻の焼き菓子を手づかみで頬張った。わざわざ礼儀ぶらない当たり、素直に美味いと言った言葉に偽りはないのだろう。ラウズの表情は穏やかだった。
「やっぱり人に貰う物は食い物が一番だな。彫像だの絵画だのは俺にはさっぱり分からん」
ラウズは苦笑いで木箱を見ながら言う。
「ハハ、今度から木箱いっぱい用意しようか」
「おお、お前の顧客にこいつを召喚する召喚師はいないのか、いたら一番の俸給で雇うぞ」
「そんな奴がいたら職人が失業しちまうよ」
「それもそうか、ハハハ」
ラウズは快活に笑った。シロウもまた妖しげな魔術師の杖の振るうところ、虚空から突如現れる大量の赤や青の焼き菓子、というのを想像して可笑しかったが、ラウズの人懐っこそうな笑顔が印象的だった。そこに前回の迷宮探索で見せた刃物のような鋭さは無かった。いま目の前にいるラウズこそが本来の性情の彼なのでであり、クラン団長としての立ち居振る舞いは後天的に身に付けたものなのだと分かる。
「ダリルと言ったか、身体の具合はどうなんだ」
少し口調を改めてシロウが聞いた。第七層での探索で巨大な百足の突進を受け止めて負傷した戦士の事である。
「ん?ああ、しばらくは……三ケ月で起き上がれれば良い方だろうな」
「そうか……。それで、アランの事なんだが」
「うん?」
明朗であったラウズの声に影が差したようにシロウには感じられた。
「前衛に立てるか?こう言っちゃあ悪いが、その、席は空いたんだろう?」
ふう、とラウズは息を吐いて椅子に身を沈めた。
「序列は上がるさ、間違いなくな」
「前衛になれるのかと聞いたんだ」
「……」
逃げるようなラウズの口上にシロウは質問を重ねたが、返ってきたのは沈黙だった。それを見て思い切ってシロウは切り出す。
「俺はあいつが実力を発揮できる場所を求めてる。あいつの剣の冴えが鈍ってゆくのはアルビオンにとっても損失のはずだぜ」
「つまり、何が言いたい?」
「このままの状況が続くなら、アランを外に出したい」
シロウの言葉を聞いたラウズは目を事務卓に落とした。
「アランはまだ若い。今しばらくアルビオンで鍛えるのが最適だと思うが?」
「それじゃあダメなんだ。あいつが腐っちまう」
ラウズが目線を上げる。亜麻色の髪が目に掛かり、それを掻きあげる。軟質の髪がサラリと流れた。
「お前も見ただろう、俺の戦法が破られかけた。七層より上ではあり得なかった事だ」
「う、うむ」
シロウは思い出す。先ほどのダリルの事だ。一瞬の隙を突かれて、精鋭のはずの戦士が小石でも蹴るように吹き飛ばされたのだ。僅かの差でアランの配置が間に合い、あの戦いは勝利を収める事ができたが、1つ間違えばアルビオンの全面崩壊もあり得たのだと今にしてみれば思う。
「俺たちは常に迷宮最深部を進む。アルビオンとはそういうクランだからだ。今後俺たちが相対するのはああいう魔獣どもになる、いいや、あれより強い奴らがいるのかもしれん」
「それは、そうなんだろうが……」
「そういう時に後ろが手薄になるのは、困る」
ラウズの声は冷静だが、少しずつ険しいものが混じって来ている。その有り様は森厳であり、並みの者ならその威光に近寄ることすら躊躇いを覚えただろう。
しかし、シロウは退かなかった。
「俺はアランには最前衛を張って欲しい。あいつは後ろの方で燻ってるようなそこいらの冒険者じゃない。と言うか、この前の探索はアランの現状を見せる為に俺を同行させたんじゃなかったのか?」
自分の主張を述べつつ、気になっていた事をシロウは聞いた。
「ん?いや、お前には……」
「何だよ」
言いかけてラウズは立ちがった。窓際に立ち、シロウに背を向ける。シロウは少しむっとして言う。
「お前程のやつなら、アランをもっと使いこなしてくれると思っていた」
「見込みが甘かったのは認めるよ。七層に降りてからは若手を育てる余裕が無かった」
アルビオンを始めとする大クランには大陸中から腕利きの冒険者が集まる。誰も彼も一線級の即戦力として働ける者ばかりで、少しでも実力の劣る者に出る幕はない。彼らを吟味して入団の可否を決めてゆくだけで手一杯となるのも無理からぬところだ。ただ問題もある。その時の働き盛りばかりを揃えた場合、数年は最高の戦力を維持できたとしても、彼らが一斉に峠を越える頃合いには後に続く者がおらず、クラン全体の能力を大きく落とすことになってしまう。有望な若手は常に確保しておきたいと思うのは、クランを率いる者の当然の望みであった。
「ここを出してどこに移すつもりだ」
「それはまだ言えん」
「あの女のところか?ロサリオンの、ヴァレリアといったか」
「……」
今度はシロウが沈黙する番である。背中でそれを感じたラウズは何かを腹に収めるかのように大きく息を吐いた。無言をもって秘匿とするシロウの企みは破られたようだった。ラウズの目は窓外の街並みに向けられていたが、見ているものは違ったのだ。
「まああそこなら、冒険者を無下に扱わんか」
席に戻ったラウズが杯を手に取る。乳白色の液体がラウズの口内に滑り落ちてゆく。山羊の乳だ。
「……、よかろう」
空になった杯を置いたラウズが短く言った。
「良かった、ありがとう」
シロウがそう礼を言って握手の手を伸ばしかける。そこにラウズが付け加えた。
「一年だ」
「ん?」
「一年間、アランを先方に貸し出そう」
「何?それは……」
「アランとの契約はまだ残っている。その契約ごと買い取る金は、多分そっちにはないだろ。だから籍はこっちに残したまま、貸してやる。俸給は折版だ」
「ラウズ……」
実際契約を解除するための金銭に関してはシロウも頭の捻りどころであった。最高級の冒険者ではないとはいえ。仮にも大クランに所属する者の移籍である。子供のこづかいという訳にはいかないだろう。ヴァレリアの懐具合というのもあるが、交渉事の常として予想外の高値を吹っ掛けられる可能性もある。だからこのラウズからどんな風に値切ってやろうかと、昨晩からあれこれ問答を想定していたのだ。
それがラウズの方から思わぬ方策が出た。冒険者の貸し出しだと言う。そう言われれば確かに利点の多い方法だ。まずアランには活躍の機会が広がる。このままアルビオンにいても前衛に立つ目は無いのだから、自分を必要としてくれるクランへ移る意味は大いにはある。ラウズにしても実戦経験を積ませられない二番手以下の冒険者を他のクランに預けることで育成の肩代わりをさせる事ができる。ヴァレリアにとっても時限付きとはいえ優秀な冒険者を比較的安く確保できる。まさに三方良しだ。
実のところ、同じような手はシロウも考えていた。ラウズとの交渉が拗れた時に切るべき手札として残しておいたのだ。それをラウズの方から提案されてしまった。やられた、と思った。先に提案する事でラウズはシロウとヴァレリアに恩を売ることが出来る。お前らの望みはこれだろ、いいぜやってやるよ、と言った感じだ。これによってヴァレリアはアランを手に入れたとしても、ラウズとアルビオンによって育てさせてもらっているという状況になりかねない。それでは交渉として平衡を欠く。アラン貸し出しの件は受け入れるとして、別の何かをラウズに飲ませる必要がある。
「わかった一年だな、承知した。では一年経った時に、買取の条件を付けさせてくれ」
「条件だと?」
ラウズが不思議そうな顔を向けて来る。
「一年の貸出期間が終わった段階で、もしアランがこっちのクランに居残りたいと言えば、こっちがアルビオンに5000の金を払う。それでアランは完全にこちらのクランに所属する」
「ふうむ……」
「一年でアランがアルビオンの前衛に足る冒険者に成長する保証はないだろう。そうなればアランはまた籠の鳥、元の木阿弥だ。お前としても余剰の戦力をいつまでも抱えてはいられないはずだぜ」
シロウの説得をラウズは静かに聞いていた。だがそれは決して全面的に同調するという符丁ではなかった。
「それは分かるが、5000というのは出来の悪い冗談だな。少なくとも1万は払ってもらう」
「おいおい、そりゃ暴利だぜ」
「適正価格だ」
「アランを自由にしてやれ」
「不当に安売りするのがアランの為になるのか?」
「ううむ……」
「嫌ならこの話はなしだな」
ラウズが席を払って立ち上がりかける。
「待て、7000でどうだ?」
シロウは最後にそう言って、ラウズを見つめた。ラウズもまたシロウを見る。そのまましばし硬直したような時間が流れた。中庭からは変わらずに訓練の声が響いてくる。それが永遠に続くのではと錯覚を覚えそうになった。
先に目を伏せたのはラウズだった。
「わかった。それで決まりだな」
「ああ、助かったよ」
緊張を解いたシロウは今度こそ手を差し伸べる。そしてラウズはそれをしっかりと握り返すのだった。二人に笑顔が戻っている。爪の先ほどの苦さを混ぜた笑顔だった。
ラウズが一枚の紙を取り出し、素早くペンを走らせる。そこに目を落としたまま言う。
「アランに伝えてくれ、アルビオンの前衛に立ちたければ奮励努力あるのみだとな」
「ああ、言っておく」
シロウがそう返すと今度はミランダを呼んだ。二度ほど扉が叩かれ、美しい秘書が入って来る。
「こいつで仮契約書を作ってくれ、分かるな」
「はい、畏まりました」
紙を受け取ったミランダが恭しく答える。
「それと、代理人殿はお帰りだ」
「はい、それではこちらに」
ミランダに誘われてシロウは部屋を出た。歩きながらミランダは呟いた。
「あら、残念」
ラウズの書いた契約の要点を見ている。
「私、あの子の真っ直ぐな目が好きだったのですよ。将来のアルビオンを背負うのは、あの子のような冒険者だって思ってましたの」
後ろのシロウに語り掛ける。半分以上はお世辞だとはシロウにも分かる。
「自分の力不足です」
「あ、いえでも、一年後には戻って来ますのでしょう?」
「それは、その時になってみないと、何とも……」
「そうですの……でしたら、戻って来る方に賭けて待ちますわ」
「フフ、苦労を掛けますね」
「いいえ、楽しみです」
そう言ってミランダは微笑んだ。ミランダの笑顔に見送られてシロウはロッジを出るのだった。
一人残ったラウズは肩を揉み、ぐるぐると回す。そして立ち上がると伸びをした。好敵手との丁々発止はこの青年の魂を幾ばくか満たしたが、その時間は短かった。ラウズは体の奥に根源的な飢えを感じていた。前回の探索の終わりにはあれだけ安堵を噛み締めたにもかかわらず、早くも再び迷宮に潜り、強力な敵を相手に知略の限りをぶつけたいと思い始めている。ラウズは少しだけ憂鬱な顔をした。まだ訪問客の応対は終わっていない。それはシロウとの交渉よりも気の重い行事であった。




