決着
「夕方の礼がまだなのを思い出してな。俺は折り目正しい人間だからよぉ」
暗がりから大男がぬるりと現れた。見晴らし台でシロウが昏倒させた入れ墨の男だった。男はニヤついた口元をさらに歪ませるようなせせら笑いを浮かべている。だがシロウに向けられた感情が嘲笑だけではないのは明らかだった。復讐に狂う事で倍増された嗜虐心が、男の全身から瘴気のように立ち上っている。
男に続いて手下なのか子分なのか、目つきの悪い男たちが沸き上がるように現れてシロウを半円に囲んだ。
「お前らみたいなゴロツキ未満が礼儀を語るとは、お星さまでも落っこちてくるんじゃないか」
「口の減らねぇ唐変木だな、礼節ってのは大事だぜぇ、誰に逆らっちゃならねえかが分からんと痛え思いをするからよ、なあ?」
不意に入れ墨男が頭の上に目線を向けた。シロウは一瞬男の意図を計りかねた。それが油断になった。突然頭上から何かが降り掛かってきて、シロウは衝撃を感じた。
「ケケッ、さっきはアニキによくもやってくれたなあ!」
アランの冒険者徽章を盗んだ小男が後ろから飛び掛かり、シロウの首に纏わりついていたのだ。
「くそっ、離しやがれっ……」
シロウは振りほどこうとするが、小男はシロウに乗り上げたまま喉元をグイグイと締め上げる。シロウの顔が見る間に赤くなり、腰ががくりと崩れて片方の膝が地面に付いた。それを入れ墨男は見逃さなかった。入れ墨男の足蹴りがシロウの腹を打つ。肉のぶつかる鈍い音がして男の足先がシロウの臍の辺りにめり込んだ。
「ぐっ、ぐふ」
シロウは耐え難い痛みのあまり、身体の内部からせり上がるものを感じた。生暖かいものの逆流は止めようがなく、半消化の液体が口から地面に零れる。
「うへっ、汚ね。なっさけねぇなあおい、ひゃっひゃっ」
小男が蔑むように笑い、飛び跳ねながら囃し立てる。
「殴り合いをする奴は足りないんだったよなあ、教えてくれてありがとうよ」
「や、野郎……」
口に残った不快な逆流物を唾と共に吐き出すと、シロウは入れ墨男を睨み付けた。
冒険者代理人などというものを生業とする以上、人から恨みを買う事を全く無くすというのは難しい。クランからすれば大枚を叩いて獲得した冒険者が期待通りの働きをするとは限らないし、冒険者の側としては聞いていた待遇と違うという事もよく聞く話だ。そういう時には中を取り持った代理人が板挟みにされてしまう。親の顔は忘れても、クラン側と冒険者側からの悪口雑言が尽きる事は無い。
だがこれはそれらとは違う。目の前の男はただ己の暴力衝動を満たす為だけの加害性の塊となっている。野生の肉食動物でも食い扶持以外はむやみに襲わないと言うのに、こいつはそれ以下ではないか。
入れ墨の男はうずくまるシロウの頭を踏みつけた。
「けっ、減らず口はもう終わりか」
男の足のねじり込むような動きがシロウを押さえつける。
「く、臭え足をどけろ下種が」
「ふん、吐いたせいで食い足りねぇようだな!」
入れ墨の男はシロウの顔面を蹴った。一撃を下顎の辺りに受けたシロウは10歩ほど吹き飛んで転がった。口の中に鉄の味が広がって来る。
「う、うう……」
「まだ宵の口におねんねは早いぜ、こいつらだって手ぶらで帰るって訳にはいかねぇからなぁ」
入れ墨男が周りを見ながら勝ち誇ったかのように言う。周りの男たちは親分の嗜虐心が乗り移ったかのようなギラついた目をシロウに注いでいた。
「いいぜ。好きにやっちまいな」
それが合図になって、男たちがシロウに群がった。芋虫のように地べたに這いつくばるシロウに複数の足が降り落ちる。シロウは身を捩って致命の攻撃を避け続けたが、それにも限界がある。
(こいつは、ちょっとばっかりヤバいかな……しかしな!)
シロウは間合いを見極めて一人の男の足を掴むと跳ね上げた。突然の反撃に全く予測していなかった男は派手に体を回転させると地に伏した。強かに腰を打ち付けたらしく苦しんでいる。男たちが怯んだ隙に立ち上がるシロウ。一番近くにあった怯え顔に素早く拳を打ち込むと、その男は鼻血を迸らせて倒れた。
「ハァ、ハァ……、さあ次はどいつだ」
シロウにそう凄まれて、残った男たちは後ずさる。シロウは口にたまった血を吐き出すと鋭い目で睨んだ。視界の一部が像を結んでいないが、気取られるわけにはいかなかった。
「何だよ寝てりゃあ楽に逝けたもんをよお」
委縮した手下を左右に突き飛ばして入れ墨男が進み出る。
「寝るなとか寝てろとか忙しいやつだな」
シロウの悪態に入れ墨男の顔が苦々し気に歪んだ。男が懐から手を閃かせる。そこには金属の質感が握られていて、その切っ先が僅かな星明りを受けて光るのが分かった。シロウは驚き、距離を取るのが一瞬遅れた。
「そんなに苦しんで死にてえならなあ!」
入れ墨男は刃を腰だめに構えると突進した。害意そのものとなった塊がシロウに迫る。それは直線的な単純な動きで、あの見晴らし台で見せたシロウの身のこなしであれば楽に躱す事ができたであろう。しかし、悪漢らの暴行にシロウの身体は痛んでいた。切っ先がシロウの胸先を掠める。半身を捻って絶命の一撃をどうにか避けたが、シロウが灼熱感を覚えるのと上着の一部が裂けてハラりと落ちるのが同時だった。晒された地肌の胸骨から脇腹に掛けて横に赤い線が走っており、半瞬遅れて同じ色の滲みが広がる。
ギリリ、という自分の奥歯が軋む音をシロウは聞いた。うめき声を押し殺したためだ。こめかみから汗が吹いているのが分かる。入れ墨男は淫虐な笑みを浮かべながら刃を揺らめかせていた。次の攻撃を躱せるかどうか、シロウにも分からない。
入れ墨男は足に力を入れて地面を踏みしめる。跳躍の前駆運動である事は明らかだ。次の瞬間には男は飛び、シロウの心臓を間合いに収める。指呼の距離に死がある、シロウがそう思った時だった。
甲高い笛の音が夜空に響いた。それは正に空を切り裂くと言えるもので、長い単音が連続して続きながら次第に大きくなるのだ分かった。それに加えて多数の地を踏みしめる音も湧き上がってくる。その意味するところは、加害者の側の方が良く知っていた。
「うえぇ、警吏だ!」
手下の一人がそう叫んだ。
「ア、アニキー、逃げようよー」
小男が入れ墨男に取り縋って動揺している。
「ケッ!悪運の強いやつだぜ」
入れ墨男は吐き捨てるように言うと、シロウに背を向けてると倒れている仲間を見捨てて走り出した。一拍遅れて多数が橋のたもとに流れ込んで来る。みな黒い革鎧と兜を身に付けており、それはまさしくズズリの治安維持機関の装備であるかのように見えた。
「待て、治安騒擾の賊め!大人しく縛に付け!」
警吏の一人が怒鳴った。よく通る声だった。その声を背に受けて入れ墨男とその手下は逃げ散ってゆく。シロウは唖然としていた。声を上げた警吏がそれを一瞥する。だがそれだけであった。警吏は賊どもを追いかけてゆく。しかしシロウは確かに見た、兜の奥の人を食ったような笑みを。
「ケッ、待てと言われて待つバカがいるかよ!」
入れ墨男は毒づいていた。あの奇妙な男に借りを倍にして返した後は気分よく引き上げるつもりだったが、意に反して男が頑健でてこずってしまった。おかげで時間を浪費し、公権力に追われる身だ。あいつめ、次に見つけたら確実にあの世に送ってやる。しかし差し当たってはこの場を逃げ切ることだ。せっかく牢を破ってこの街に辿り着いたのだ、迷宮だかなんだか知らんがよそ者ばかりのここは居心地がいいい。せいぜい生き延びてやるさ。
入れ墨男がそう思った時だった。彼らの行く手に立つ影があった。黒い革鎧に黒い兜、警吏だ。奴らの一人が回り込んでいたのかと入れ墨男は思った。警吏は静かに剣を抜き放つ。馬鹿めと男は笑った。俺たちを囲んだつもりだろうが、たったの一人きりを配置したのはどうみても悪手だ。あれぐらいなら踏み潰して、何としても逃げおおせてやる。入れ墨男は刃を警吏に向けた。血を求めた輝きが今度こそ命を奪うはずだった。
一瞬、風圧を感じた。手に衝撃が走り、それが短刀を弾かれたためだと分かるのに時間が掛かった。目の前の警吏に向かって突進していたはずなのに、そいつは消えている。それだけでなく、足が固まったように動かない。体が何かの抵抗を受けて前に進まない。視線を下げると、鉄剣が自分の腹にめり込んでいた。信じられなかった。全く太刀筋というものが見えなかった。
「安心しろ、刃は引いてある」
すぐ脇から低い声が聞こえた。そこに警吏がいた。兜の奥に怒りを湛えた炯々とした目を男は見た。いや、見ることが出来たかどうかわからない。男の眼球は裏返り、口からは赤黒いものがごぼりと零れた。一日で2度昏倒するなどという経験はこの男にもなかったであろう。入れ墨男はその場に崩れ落ちると堆積した汚泥のように地面にへばりついた。
警吏はそれを確認すると男の手下を睨み付けた。手下どもはたじろいで数歩後ずさる。警吏が徐に鉄剣を水平に構えるとそれを見た手下どもは蜘蛛の子を散らすように逃げるばかりであった。それを立ち尽くして見送る。彼としては奴らを追うのは任務ではない。警吏は素早く駆け戻ると、傷ついたシロウに寄り添った。
「大丈夫ですかシロウさん」
「いいのかよ」
シロウはそれだけを返す。警吏はシロウの言葉を理解したように薄く笑って兜の前面を開けた。柔らかな金髪が零れる。
「顔は見られてません」
「無茶しやがって。お前は冒険者なんだぞアラン」
「無茶なのはシロウさんですよ、本当に間に合って良かった」
そう言われたシロウは言い返さなかった。お前が来なくったってこれぐらい、というような事を言おうとして、止めた。アランの言葉を聞き分けざるを得ないという風だった。その代わりに、シロウは笑った。アランの姿が可笑しかったのだ。革鎧の寸法が全くあっておらず、その場にあったものを急いで間に合わせたであろう事が見て取れた。ズズリの警吏は確かに黒く染めた革鎧を身に付けるが、よくよく見るとアランのそれはどうにか黒く見えるというような色合いのものであり、形状も警吏の物とまるで違う。偽装するにしても雑に過ぎるものであって、夜の闇に紛れてこその代物であった。
意外に元気そうなシロウを見てアランも安心したようだった。しばらくするとアラン以外の警吏の偽物も戻って来る。そのうちの一人が兜を開いて言った。
「随分男前になったじゃないか、死にかけた気分はどうだ」
「芝居が凝り過ぎだヴァレリア、本物の警吏に見つかったらどうする」
「本物の税金泥棒なら今頃寝てるさ」
シロウにそう軽口を言いつつ手を差し伸べる。シロウはそれを取って立ち上がると一同を見回した。言うまでもなく、ヴァレリアと彼女のクランであるロサリオンに所属する冒険者たちが合力してくれたのだ。彼らもめいめいにアランと同じように黒い革鎧に見せかけた者を着用していて、シロウは思わず微笑んだ。
「済まなかったな、ヴァレリア」
「まったくアランが飛び込んで来た時は何事かと思ったよ。もうすぐ訓練も上がろうって時だったから、あんた、幸運だったんだぜ?」
ヴァレリアがアランの肩に手を置く。
「シロウさん、ロサリオンのロッジに行きましょう、手当てしないと」
「馬鹿、こんな成りの奴が出入りするとこ見られたら噂が立つだろうが、俺なら大丈夫だ」
「でもそんな体じゃ……」
「平気だって。それより真面目な話、本当に本物の警吏が来るかもしれん。すぐにここから去った方がいい」
シロウにそう言われて、ヴァレリアの顔が少し引き締まった。
「わかった。おいみんな!引き上げだ、固まってるのはまずい。小人数に分かれて戻る!」
ヴァレリアがそう号令するとロサリオンの冒険者たちはきびきびと従うのであった。それを見たシロウが改めてヴァレリアに向き直る。
「アランを頼む」
言葉に真剣さがあった。
「あんたの仕事の手際は良く分かった。これ以上ない優秀な若手さ、これから存分に働いてもらう」
ヴァレリアはそれだけ言うとアランに帰ろうかと言い、アランは尚も迷っていたようだったが、結局彼女に従った。その時アランの後ろ姿を見たシロウが何かを思い出して呼び止めた。
「ラウズの言伝だ」
「だん……ラウズさんの?」
「頑張れってさ」
「……はい、わかりました」
アランは晴れやかにそう言うとゆっくりと踵を返してヴァレリアを追った。
シロウはアランがすっかり闇に消えるのを見届けてから大きく息を吐き、空を見上げた。無数の星の瞬きが、ズズリの夜を見下ろしていた。




