蝋翼亭その2
その気の利かない黒髪の長身男といえば、店の隅の薄暗い卓で酒を舐めるように飲んでいた。彼の好物の小鳥の軟骨揚げが半分ほど消費されている。シロウには壇上で成果報告をするラウズのような華やかさは無かった。目下の彼の悩みと言えば彼の顧客についてである。アランは優秀な戦士だ。剣術の才には無二のものがあり誰もが一目を置く。シロウもそこに惚れ込んで飯と酒で代理人契約に持ち込んだのだ。何よりまだまだ若い。将来有望株というのであれば数あるクランに所属する冒険者の中でも一、二を争うだろう。だが、それだけで最強クランであるアルビオンの前衛に立てる程、迷宮は甘くなかったという事だ。アランの希望は出逢った時から一貫してクランの最前衛を任されるという事にある。しかし今回の探索でも分かった通り、今の彼は前衛の穴を埋める後詰めの遊軍、さもなければ公証人のような非戦闘員を守る護衛役という所に留まっている。このままアルビオンに籍を置いていれば迷宮探索の中で成長して、遠くない未来に栄光あるクランの前衛の一員になる、そういう将来が見えていれば問題はないのだが、生憎シロウは予言者だとか占い師の類ではない。占いで人の未来が拓ければ苦労はいらない。
「時期尚早だったかなぁ……」
そう言いつつ頭を掻く。迷宮で垣間見た、アランのもどかし気な表情が思い出される。今さらながら若干の後悔が押し寄せて来る。まずは迷宮の中階層を活動域とするクランで経験を積ませ、しかる後にアルビオンのような大クランへと導く、そういう道筋を辿らせるべきであったかと自問せざるを得ない。だがあの時期、偶然が重なってアルビオンの団長であるラウズの知己を得た。その幸運を逃すまいと思った。少々強引だったかも知れないが、熱意をもってアランを売り込んだつもりだ。ラウズの口から入団に関して諾の言葉が出た時、アランとは肩を叩き合って喜んだものだ。これで俺の運も開けると、シロウは本心で思ったのだった。
しかしここ最近の目覚ましいアルビオンの躍進の影でアランは停滞している。このままでは大事な顧客を腐らせてしまうのではないか。それは切実な感情であり、足元の床が少しづつ削られて、奈落へと続く穴がじりじりと拡大していくような焦燥感がある。何かを動かす時が来ているのかも知れなかった。
「よお、何だ、随分辛気臭いじゃないか」
シロウの頭の上から声が落ちて来た。見上げると深海の様な深い碧色を湛えた髪が優雅に揺れるのが見えた。一人の女性が少し呆れたような顔をシロウに向けている。
「ヴァレリア、他のクランの報告会に顔を出すなんて珍しいな」
「アルビオンは別さ」
ヴァレリアはシロウの隣に座ると料理をいくつかと酒を注文する。肉料理が中心で、どれも香辛料を強く効かせたものだった。
「何と言っても飯が美味いからな」
「ハハ、報告会は金のあるクランに限るってか」
「抜かせよ、中小には中小の矜持ってもんがあるのさ」
ヴァレリアが放ったのは軽口であったが、シロウはその中に力強い信念のようなものを感じた。彼女もまた1つのクランを率いる団長である。
「第八層だって?凄いじゃないか」
「降り口みたいなものを見つけたってだけだよ。それに俺は後ろから付いてったに過ぎん」
「それにしたって大したもんだ、どんな感じなんだ」
「別に上と大して変わらんさ。どこまでも石造りの迷路が続く。ああ、デカい百足が出た」
「百足!?おお怖い」
ヴァレリアは肩をすくめて大げさにおどけてみせる。その間に料理が運ばれて来た。重厚な肉の香りがシロウの鼻腔を刺激する。
「んぐ、うん美味い。んぐ……しかし、これで増々大きなクランと私らとの差が広がるな」
「そうだな、一流どころのクランはどこも貴族や大商人が後援に付くようになってる。奴らの自己顕示欲は底が知れない、まるで迷宮みたいだ。奴らが金に糸目を付けずに最深部を探索するクランを支援しているが、新階層発見で奴らは大いに煽られるだろうなぁ」
「はあ……、おかげで実力のある冒険者の報酬はうなぎ登りだ。私のクランの総報酬でアルビオンの冒険者が何人雇える?」
「二人ってところじゃないか。まあ、お前さんの苦労も分かるが、この流れは当分変わらんだろうな」
「流れを加速させてる側が何言ってんだ」
ヴァレリアは豪快に肉を口に運びながらも非難めいた事を言った。その旺盛な食欲にシロウは胸のあたりが灼けつくような感覚を覚えるのだが、彼女の物言いは可笑しかった。冒険者代理人などという得体の知れない人間の、世間の受け止め方を揶揄しているのだ。曰く、冒険者に法外な報酬契約を結ばせて手数料という暴利を貪る者である。曰く、無理矢理いくつものクランを渡り歩かせてそのたびに高額の移籍料を掠め取る者である、といった具合のものだ。この世界にそう言った手合いが全くいないと言えば嘘になる。しかし、とかく金の亡者であるかのような印象を持たれがちで、シロウ自身はそんな陰口には当に慣れてしまったのだが、だからと言って決して気分の良い物でない事も確かだ。無論、ヴァレリアがそういった世間の風評を信じている訳ではない。現にシロウを商売相手としているのである。世の風当たりそのものをあげつらって笑い飛ばしているだけだ。
「第五層だ」
ひとしきり皿を片づけたところでヴァレリアがぽつりと言う。
「うん?」
「学者を入れる」
「第五層に?そいつはちょっと危険じゃないのか」
ズズリの街の迷宮は広大である。たとえ浅層、中層であっても人間が全てを調べ尽くした訳ではない。浅い所で新たな発見があるという事も決して珍しくない。
「学術協会のじじいどもがやいのやいのうるさいのさ、寝ても覚めてもいつになったら調査できるんだって矢の催促でさ」
ヴァレリアがため息まじりに言う。十分に酒精の混じったため息だった。
「ふうん、やいのやいのねぇ……」
シロウはヴァレリアの愚痴を聞き流しつつさりげなく彼女を見た。心なしか体の線が強調されるような服装ではないだろうか。履いているスカートはくるぶしに届くほど長いのだが、大きく切り開かれたスリットから彼女のしなやかな脚が覗いている。さも学者に押し切られたかのように彼女は言ったが、学術協会とやらからどんな風に契約を取ったのか知れたものではない。学者のじじいたちは大いに顔の下半分を緩ませたことだろう。
「ジロジロ見るな。使えるものは何でも使うってのが私のモットーなんだ」
心の中を読まれたシロウは慌てて目を逸らす。焦りを表情に出さないようにするのに努力を要した。しかしそれを言うヴァレリアにも心当たりがあるという事でもある。
「ははあ、それはいいが、危険なのは変わらんだろう」
「だからさ」
ヴァレリアがシロウに向き直る。声の響きに真剣さが増していた。
「護衛が足りない。何とか都合を付けられないか」
「ふうむ……」
シロウは少し考えてから軟骨揚げを齧り、少なくなった酒で流し込む。捨てる神の後に拾う神が現れるとはどこの国の格言であったか。いや、少し違ったか、まあ細かい事はいい。
「こっちはあくまで前衛を出す。護衛役はやり繰りしてくれ、と言ったらどうする?」
「優秀な人間なら願ったりだ」
ヴァレリアの返答は明快だった。それは半分以上は本心だろう。だが残りは対外的な仮面だ。今こうしていても彼女の体内では様々な計算が駆け巡っているはずである。自分のクランの配置換えに及ぶかも知れない事なのだから。
「わかった、何とかしてみる。十日、いや五日くれ」
「そんなに早く?助かる」
「若いのになるかもしれん。あんまりいじめんでくれよ」
「私がそんな事するか」
「ふむ、そうだったな」
シロウはゆっくり立ち上がるとヴァレリアと別れを告げた。




