蝋翼亭その1
「私ことサフラン・ライスは、クラン・アルビオンが過日、迷宮第七層最深部にて、さらなる下層へと続く縦穴を発見した事を、ここに証言するものであーる!」
公証人サフランの朗々たる声が酒精漂う店内に響いた。蝋翼亭。ズズリの街で最も大きい酒場兼宿屋である。ズズリがまだ小さな鉱山町であった頃から蠟翼亭はあったというから、規模だけでなく歴史の面でも街一番の酒場だ。
サフランは居合わせた酒場の客をぐるりと見回した。客の半ばは飲み食いに熱中しているか酒を片手に他愛もない噂話に興じている。赤い頬と虚ろな目のまま鼻の下を伸ばして給仕の娘を口説いている者もいた。そうでない者は最初ぼんやりと太った公証人を眺めるともなく眺めていたのだが、その男が放った言葉が耳から頭へと染みこむにつれて酔いの回っている筈の目が丸く大きくなった。芳香を放つ液体を口腔へと運ぶ手が止まる。どよめきの波が最初は小さく沸き起こったが、それが蝋翼亭の広い客席に広がるのにそれほど時間は掛からなかった。
「即ち!第八層の発見であーる!」
特別に設えられた壇の上からサフランが高らかに言う。数年ぶりの新階層の発見。迷宮探索を生業とする冒険者らにとってそれは衝撃を持って受け入れられるべき事実であり、その歴史的な瞬間に立ち会っただけでも意味のある事であった。それ程の事実であれば事の真偽を問う声が起こってもおかしくなさそうだが、そこは手練れの公証人である。虚偽であるとの謗りが出る前に決定的な証拠をお披露目するのだった。大人一人が抱え込める程の大きさの物が壇上に現れる。それには天鵞絨の布が被せられていて、大仰な事にいかにも屈強な男がその傍にぴったりと張り付いている。聴衆の目に好奇の色が浮かんだ。サフランはそれを見極めると芝居じみた動作で布を引く。現れたのは人間の腕程もある巨大百足の牙であった。前回の探索でアルビオンが仕留め、シロウが切り出したものだ。その象牙質の妖しい艶が聴衆に晒される。
「おお……」
という感嘆ともため息とも取れる声が方々から上がった。後ろの方では立ち上がって見定めようとする者もいる。
「既にやんごとなき方々からの引き合いも多数来ておる。これが今生の見納めやも知れぬ。もって目に焼き付けるべし」
サフランはそう言うと聴衆を見渡し、ぐんと胸を張った。その瞬間こそが彼の仕事の核心であるのだろう。
「それではアルビオン団長から一言頂こう」
最後にそう言ってサフランは引き下がる。相変わらず芝居がかって入るものの、全ては手馴れた所作である。入れ替わるようにその後ろからラウズが歩み出た。
「ありがとう。みんなのお陰で、アルビオンの名を歴史に刻む事が出来た。世界一の冒険者たちと共に旅が出来て俺は幸せだ。頑張ったのは彼らだ、ぜひ祝ってやって欲しい」
晴れ晴れとした表情でラウズは淀みなく述べた。ラウズを見る客の目は多くの羨望と少しの嫉視がない交ぜになったものだったが、あの深淵なる迷宮の奥に人間の足跡を残した者への尊崇は一様に感じられた。手を叩いて祝福とする客もいる。今やこのズズリの街で最も名声を得ている者と言えば市政を担う評議会員などではなく、陽の光の届かぬ深い迷宮に命を賭けて、常に危険な未踏破領域を突き進む最強のクランであるアルビオンであり、その冒険者たちであり、団長であるラウズであった。アルビオンがそうするまでもなく、迷宮の最深部に潜り、人知の及ばぬ領域を解明し、目も眩むほどの財宝を得るのは全ての冒険者の望むところである。彼らの頂点に立つと言える男こそがラウズであり、その男が目の前で己の実力を誇示している。うむ、その実績は評価しようじゃないか、新階層の発見、まことに結構。ラウズ天晴れなり。さて、名はお前に与えた。今度は実の方を俺たちに振る舞って欲しいのだがな、もう話の方はそのぐらいで良いんじゃないか。
ラウズの言葉に耳を傾ける客たちの目がいつの間にか期待の熱を帯びている。ラウズはそれを感じたのか薄く笑って言うのだった。
「ささやかだが、アルビオンの冒険者と今日集まってくれた皆の労をねぎらいたい。遠慮せずに楽しんでくれ」
その言葉が終ると同時に厨房から次々と料理が運ばれて来る。芳醇な脂の香と湯気を振りまきながら肉や魚の大皿が客の前に並べられる。蝋翼亭に歓声が満ちた。名誉で腹が膨れるかとでも言わんばかりであるが、それこそがこの街で生きる人々の逞しさであった。料理はどれも質と量ともに贅を尽くしたと言えるもので、居合わせた客の目と鼻と舌、そして胃袋を十分に満足させた。骨付きのもも肉を手づかみで食らいつく者、取り分けた切り身が小皿の上で山になっていたかと思えば瞬く間に平地に変えてしまう者など様々だ。給仕たちが空の杯に様々な色の酒を注いで回る。杯の半ばを残していた一人が大急ぎで飲み干しておかわりを受け取っている。
その光景を和やかな気持ちで眺めつつ、ラウズは静かに壇上から去る。ようやく肩の荷が下りた思いがあった。迷宮探索は緊張の連続だ。特に最深部の未踏破領域を進む事を宿命づけられているアルビオンを率いるともなればその苦労も一通りではない。だがそれも今日ばかりは解放される。僅かの時間でそれは雲散して、また新たな探索に気を引き締めなければならぬ日々が始まるのだが、今だけは穏やかに緩やかに、このような人々の熱気と喧騒の間に身を漂わせていたい。給仕の一人が杯を差し出す。礼を言いつつ受け取って口を付ける。勝利の美酒というものが比喩表現ではなく実在するものなのだと感じた。ラウズとしてはこの美味さを団員と共有して彼らを励ましてやりたいと思うのだが、彼らとしてもこのような場で上司と同席するもの息苦しいものだろう。ラウズは決して孤独を愛する者ではなかったが、酒にかこつけて部下や年少者に絡むみっともなさは心得ているつもりだった。ふと顔を上げて店内を見回す。こんな時に話し相手になりそうな奴と言えば、あの黒髪ののっぽなのだが、生憎とその姿は見えなかった。ふん、特別に副公証人なんぞという肩書まで付けてやって探索に同行させたというのに、随分とご挨拶な事じゃないか。一杯ぐらい注ぎに来いよ、とラウズは思った。
「まあいい。奴と話す事ならこれからいくらもあるさ」
ラウズはそう独り言ちると杯を一気に傾けた。




