第七層その2
「やった……」
シロウが息を吐きながら言った。こめかみに浮かんでいた汗が流れ落ちる。呆然とするシロウの脇を抜けて、サフランが羊皮紙の束を抱えて飛んで行った。焼けた百足の死体に取りつき、おお、これは、などと言いつつあれこれ調べてはてきぱきと記録に残してゆく。さすがの専門職というべきだろうか。
「大丈夫か、ダリル」
ラウズは重傷を負った戦士の元に寄るとそう言った。
「団長、申し訳、ありません……」
「何を言う、お前はよくやった。しゃべるな、手当てを受けろ」
その様子を少し離れた所からアランは見ていた。良かった、息はあるようだった。しかし、である。アランは自分の手をみた。厚手の手袋と手甲で覆われて見えないが手のひらの汗が凄まじい。あまりに強く柄を握りしめていたために少し痺れている。無論クランの勝利は喜ばしい。だが、そこに自分はいなかった。クランに貢献できずに何の冒険者だろうか。いわんやそれがアルビオンの冒険者であればである。大きく息が漏れた。それが安堵のものなのか落胆から来るものなのか、アランには分からなかった。
「おおい、代理人殿、こっちに来てくれ」
サフランがシロウを呼ぶ。ややあってシロウがランタンを掲げたサフランの元に参じた。
「あれを取ってくれんか」
肥満の公証人が百足の死体の上の方を指差す。サフランの指の先に鈍く光るものがあった。巨大百足の口の端の当たりから牙が一本突き出ている。
「うむ、心得た」
シロウは百足の死体に足を掛けると器用に登ってゆく。焼けた肉の匂いが鼻を突いて不快だったが、足取りは軽い。目的の物が見えた。大人の腕ほどもある牙は切り立った氷のようにに鋭く、自然の反り具合は名工による宝剣と見まごうばかりだ。それが象牙のような艶を放ち、時折七色の反射が煌めいている。シロウはその美しさに息を呑みながらも百足の体に小刀を突き立て慎重に切り出していった。迂闊に触れればシロウの指など手袋ごと簡単に切り飛ばされてしまいそうだった。
「お!?おお……、団長!来てくれ」
サフランは今度はラウズを呼んでいる。忙しい事だな、とシロウは百足に取りつきながら思った。
「どうされた、公証人殿」
ラウズがサフランの元に行と、神妙な面持ちのサフランが足元をランタンで照らした。
「これは……」
ラウズが呻く。長い百足の体の先が地面の闇に溶け込んでいた。ラウズが闇の際に立ちランタンを掲げるが、暗黒が広がるばかりで底は知れない。手近な小石を1つ、試しに投げ込んでみる。それはたちまち闇に消え、しばらくの後に固い音が木霊となって響くのが聞こえた。
ラウズとサフランは顔を見合わせる。明らかに色めき立っていると互いが思った。
「さらなる下層が……ある……」
「うむ、つまり第八層ですな、やや、これはやりましたな団長」
「第八層……」
喜色を表すサフランの横でラウズはしばし立ちすくんだ。未踏破領域の、さらにその先を誰よりも先に発見したのだ。その成果を実感するのにはラウズといえども時間が必要だった。
「……よし、団旗を立てよう」
振り仰いだラウズが宣言する。彼の喜びがアルビオンの隅々に行き届いたかように、冒険者たちの表情も明るくなった。第八層へと続く縦穴のすぐ近くの壁面に、金糸で縁取られた白亜のアルビオン団旗が貼られる事になった。中央に描かれた金の王冠の意匠を誰もが誇らしげに見ている。
「交代で小休止。休憩の終わった者から撤退の準備だ。引き上げる」
簡潔にラウズが言うと、安堵がクランに広がった。新たな踏破域を大幅に広げただけでなく、それまで知られていなかった下層までも発見した。強大な魔獣にも勝った。確かに潮時であろう。これを見誤って迷宮の闇に消えたクランも数知れないのだ。だがともかく今回はそうはならず、再び太陽と空の青さを見ることができる。名うての冒険者が生きる実感を得るとすれば、実際そんな時かも知れなかった。
石畳に座り込む者、傷の手当てを受ける者、歩哨に立つ者とある中で、ラウズも石壁に寄り掛かって一時緊張を解いた。そこにシロウが百足の牙を持って現れる。
「お前の物だ」
シロウは短く言い、布に包んだそれを見せた。
「おお……」
濃厚な艶やかさと輝きを見せる牙を見たラウズの瞳もまた輝いた。
「すまんな、シロウ」
「何、俺だってこんな一生の語り草にできる所まで連れて来てもらったんだ、礼には及ばんさ」
「ハハ……そうか」
「帰ったら蝋翼亭で報告するんだろう?他のクラン連中のぶったまげる顔が思い浮かぶぜ」
「ああそうだな……。これで彼らにも報いてやれる」
ラウズはアルビオンの冒険者たちを見た。誰も疲労を見せているが満足そうである。シロウも同じように思っていた。ただ気になるのは金髪の若い剣士だった。アランは所在なげに佇んでいる。燃え残った気持ちのやり場に苦労しているとでもいった様子であった。それを見たシロウは地上に戻ったらやらねばならぬ事が増えそうだと思った。それは彼とアランの将来を決める事になるだろう。楽しい事ばかりではないかも知れない。シロウはかぶりを振る。彼の黒髪が揺れた。ともかく今は無事に帰還する事だけを考えるべきだ。次の事はそれからでいい。
シロウは迷宮を振り返った。冷たい石造りは人間が照らす部分だけが虚空に浮かぶ小島のようであり、それ以外は永遠に続くのではないかとさえ思える暗闇があるばかりだ。彼は闇に押しつぶされる錯覚を感じた。




