【1-8】
翌日。七月二十三日。シーゼル先輩とのデート当日。
場所は首都クリスタッドのメインストリートの一角にある六階建て丸ごと映画館の入り口。待ち合わせ時刻の午後一時より十分前に到着した僕らは、入り口を入ってすぐのところで壁に寄り掛かって腕組みしていたシーゼル先輩を見つけ合流する。
「――シーゼルさん、お待たせしてすいません」
ぺこりと会釈をするメア先輩。あくまでも今日はデートということでいつもとは違う装いだ。ラベンダーカラーのロングワンピースと同色のヒール付きサンダルで着飾り、手にはどこかのブランド物のミントグリーンのハンドバッグというコーデ。ワンポイントで首元には飛翔する鳥(鳩のような形)を象ったネックレスをしている。髪も結んでおらず滑らかでサラサラなストレートにセットされていて、普段とは違う新鮮なメア先輩のデート服姿にまだ僕の目も慣れきっていない。
「やあ……。俺もついさっき来たところだ」と、怪訝な顔つきで言うシーゼル先輩。
王子の服装は、上はグレイッシュブルーと白のストライプのシャツに、下は膝丈ちょうどの白のハーフパンツ、足元はグレーめのスニーカーというキレイめに纏まった見た目。カジュアルに着こなしており、パンツからアウトしたシャツ、肘が隠れる程度にロールアップした袖、手首には高そうな腕時計、第二ボタンまで開けた胸元からは縦長のプレートネックレスがちらりと見える。……悔しいが、男の僕から見ても相当カッコイイ。
「そちらの、オカ……レディは誰だい?」と、メア先輩の横に並んで立つ僕の姿を見て、シーゼル先輩は不審がって顔を顰める。
今、確実にオカマって言いかけたよな? まあ正解っちゃ正解なんだが……今日だけはレディとして見てもらわないと困る。なんとか信じ込ませなければ。
女になったつもりで。自分より頭一つ分は高い長身のシーゼル先輩の顔を見上げる。そこから注がれる訝る視線に負けじと一歩前に進み出て、特訓したオネェ口調を披露する。
「あらやだっ。テレビのニュースで見たときよりもずっといい男じゃないっ。――初めましてイケメン王子。あたいの名はジョゲフィーヌ・ケ・ハエルネよ。今日はメアちんが心配でいても立ってもいられなくてついて来ちゃったの。よろしくお願いするわね」
昨日と同様のメイクと衣装に身を包み、ノースリーブから見えるパンパンな太い腕とヘソ出しスタイルから見えるシックスパックのエセ筋肉の凹凸をさりげなく見せつける。それらに加え新たに茶色のカラコンも装着し全身隙なしフル装備と化した僕は、シーゼル先輩に向かってあざとくウィンクをパチパチと放つ。――どうだ、どぎつい紫のアイシャドウに震えやがれ。
謎のオネェメイクを施したマッスルレディの登場にシーゼル先輩は仰け反ってあからさまに引いた表情を浮かべる。ぴくぴくと片方の瞼を痙攣させ、メア先輩の方を見る。
「……これはどういうことだ?」
説明を求める視線に。メア先輩は笑みを交え余裕綽々といった態度で臨む。
「この前、私のこと心配してくれたのか、彼氏のフリをしてくれるって言ってくれましたよね? お気遣いいただいてありがとうございます」
そこで軽く一礼してから、続けて言う。
「でも新しくお付き合いすることになったのでもうその必要はありません。なので二人っきりでデートというわけにもいかなくなったので、今日は紹介ついでに恋人のジョゲフィーヌも連れて来ちゃいました」
シーゼル先輩は、理解に苦しむ、といった冷ややかな視線でメア先輩を睨む。
「恋人? ……今度は一体何の作り話だ?」
すかさず。ラブラブアピールをするために、ジョゲフィーヌになりきった僕はメア先輩の肩に片腕を回して抱き寄せる。頬と頬を寄せ合い、いつもよりワンオクターブ高い口調で反論する。
「あら。信じてないのかしら? あたいたちは本当にお互いを尊敬して愛し合ってるんだから。――ねぇ~っ、メアちん」
密着して胸がバクバクなのがバレないように自然な笑顔を心掛け、メア先輩を横目に見る。
「もぉ~っ、ジョゲりんったら」と、メア先輩もはにかんで笑う演技をしながらジョゲフィーヌたる僕を横目に見返し、臭い台詞回しを即興で合わせる。加えて「愛の形は人それぞれですよ、シーゼル先輩」と、コンボを仕掛けにいく。
ジョゲフィーヌ姿の僕にシーゼル先輩の冷淡な視線が刺さる。頭の天辺から足の爪先までじっとりと隈なく観察され、数秒の黙考を挟んだ後、シニカルに口を歪ませて開く。
「――なるほど。つまりは俺を騙すために色々と準備してきたってところか。……面白い。その小芝居がいつまで保つか、良い見物になりそうじゃないか」
こっちの思惑に早速気づかれてる……。まあだろうな。メア先輩の近況を知る人ならば疑うのも無理はない。正直ここでシーゼル先輩が憤慨でもして帰ってくれればベストだったが……果たしてここからメア先輩のことを諦めさせるまでどう持って行くか、それが問題だ。
メア先輩曰く、「人間観察が趣味でプライドの高いあの王子なら絶対に三人で映画なんて観ない」って断言していたけど、本当に作戦通りにいくのか、王子の動向に着目する。
シーゼル先輩の冷淡な笑みから輪を掛けて皮肉さが浮かび上がってくる。まるで弱みを握ったと言わんばかりに、強気な口調で詰める。
「予定変更だ。映画なんか観るよりもそこの恋人のことを根掘り葉掘り詳しく聞かせてもらった方がよっぽど楽しめそうだからな」
かくして。メア先輩の読みが的中し、僕らは決戦の場を館内一階に併設されているカフェへと移した。
映画客で賑わう店内で壁際隅っこのテーブル席を陣取り向かい合って椅子に座ったシーゼル先輩と僕たちは、注文も疎かにして早々に舌戦の火蓋を切る。
「しかしこうも早く新しい恋人に乗り換えるとはね。婚約指輪をくれた前の恋人とはどうなったんだい?」
冷めた目つきに薄い笑みで言うシーゼル先輩に、メア先輩は誇張強めのニコニコ顔で応戦する。
「もうシーゼルさんってば、分かってるくせに今さら意地悪なこと訊かないでくださいよ。あれは恋愛目当てで近寄ってくる男の人を避けるために吐いていた嘘で、初めからそんな恋人存在しなかったんですから」
今度はドン引きされても致し方ないメア先輩のぶっちゃけに対し、シーゼル先輩は無表情の仮面の下に隠しきれない加虐心を募らせ、淡々と言う。
「実在の嘘を用意できたから架空の嘘は用済みってわけか。これが嘘で塗りたくられた作り話じゃなければ変わり身の早さに感心にしてたところだ」
うかうかしていたらこの二人の存在感に喰われそうになる。バチバチに応戦し合うメア先輩とシーゼル先輩の間に割って入るにはテンションと語尾を上げていくしかない。
「ちょいお待ちぃ~! コレ言うの二度目二度目~! あたいたちが付き合ってるのはマジのマジなんだから!」
ゲテモノでも見るかの侮蔑的な視線をこちらに寄越すシーゼル先輩。
「そもそも君は誰なんだ? 普段は何をしているんだ?」
想定していた質問に。ドヤ顔で答えるジョゲフィーヌこと、僕。
「今は絶賛お仕事お探し中よ」
「は?」シーゼル先輩の片眉が吊り上がる。
「あたい、産まれてからずっとド田舎暮らしでクリスタッドにはつい先日引っ越してきたばかりなの。だから早く収入が欲しいんだけど、お仕事よりも先に恋を見つけちゃったのよ、テヘッ。なんつって~!」
オホホ~、と言い出しかねないような仕草で右手の甲を左頬に宛てがい、ふざけた顔で笑ってみせる。
「あははっ。ジョゲりん面白すぎっ」と、メア先輩が興じて同調する。
二人の世界についていけず、シーゼル先輩は苛立ち混じりに次の質問に入る。
「――君のことはもういい。それより二人の馴れ初めでも訊かせてもらおうじゃないか? どこで知り合って、いつから付き合い始めたんだ?」
昨日のフードコートで練った設定を踏まえ、メア先輩は受け答える
「一昨日、ルトロヴァイユでシーゼルさんと話した日ですよ。シーゼルさんが帰った後に一部始終を見ていたジョゲりんが心配して私に声を掛けてくれたんです。そこで話しているうちにすっかり意気投合しちゃって、彼女にビビっと来るものを感じて出会ったその日に私からアプローチをかけてお付き合いすることになったんです」
忌々《いまいま》しそうにシーゼル先輩が毒を吐く。
「あの日か……。まるで俺への当てつけじゃないか」
ジョゲフィーヌに視点を合わせまじまじと見つめながら、シーゼル先輩は言う。
「……いや、店内で君を見かけた覚えはないな。こんなにインパクトしかない女性を見かけたら忘れるわけがない。――本当にあの場にいたのか?」
用意しておいた回答通りに抜かりなく答える。
「見てたわよ。ちょうどあたいがお手洗いから戻ってきたら、座ってた席の近くであなたとメアちんが何やら言い合ってたから戻ろうにも戻れなくて物陰からこっそり覗いてたのよ」
再度。突き刺さるぐらいの訝しむ視線でシーゼル先輩から見つめられる。
「……前にどこかで会ったことあったか?」
「だからルトロヴァイユで一度遭遇してるんだってば」
「いやそうじゃない。それより以前にどこかで君を見かけた気がするんだが……」
一瞬胸がヒヤッとする。
「やだ王子ったら。ひょっとしてあたいのこと口説いてるのかしら? あなたを見たのは今日が二度目でこうして話すのは初めてよ」
数秒ほど鋭い視線を突き付けられたが、目力を緩めたシーゼル先輩は零すように言う。
「もっと前にどこかで見たような気がしないでもないが……勘違いだったか」
あっぶねぇ……。変装してるのがバレたかと思った……。クリスティアでも王子とは特に接点はないけど、学区内で何度か擦れ違ってはいるからな。
見かねたメア先輩がフォローを入れてくれる。
「ジョゲりんってなんだか初めて会った気がしない親近感があるんですよね。そういうとこも好きなところの一つなんですけど」
演技だと分かっていても好きって言われるとドキっとしてしまう。気を抜くと表情がニヤけてしまいそうだ。
眉間に皺を寄せたシーゼル先輩はフンッと鼻息を鳴らす。
「好きなところ、ね……。まだ付き合い始めて三日目だろ? 出会ったその日に告白だなんて、一体彼女のどこにそんなに惹かれたって言うんだ?」
「私の性癖にどストライクなところです」と、満面の笑みでメア先輩が即答する。
「…………っ」
流石にこれにはシーゼル先輩も唖然として絶句する。
平静を装っているが隣で見ていたジョゲフィーヌたる僕も内心ショックは否めない。いくら設定とはいえメア先輩の完全無欠なイメージがどんどん崩れて…………いや思い返せばそんなイメージはとうの昔に崩壊して瓦礫の山と化してたわ。儚い幻想だったな……。
左隣に座っていたメア先輩がジョゲフィーヌの片腕に抱きつく。スリスリと擦りついては恍惚とした表情で言う。
「あぁぁ……この逞しい筋肉。正に私の理想のマッスルレディそのものだわ!」
メア先輩の渾身の演技を見て率直に思う。――何だろ、末期のヤバい人かな?
狂気じみたものをシーゼル先輩も感じ取ったようで、変人を見るかの引いた目つきを僕らに向ける。
「……信じられるか、こんな話」と、ぽつりと零す。
焦燥感による眉間の皺が普段のクールな印象を薄めていく。表情からは絶対嘘を暴いてやるという頑なな意志を感じられるが、やがて、それを形にしたギロリと殺意すら感じる視線をジョゲフィーヌに向ける。
「――言葉だけでは何とでも言える。本当に付き合ってるなら今すぐここで証明してみせろ」
「証明って……どうやって?」と、メア先輩が訊く。
すると。気迫のこもった真剣な眼差しでシーゼル先輩は答える。
「キスだ」
「「えっ」」驚いてメア先輩とジョゲフィーヌが同時にハモる。
思わず出てしまった素のリアクションに。シーゼル先輩はニヤリと意地悪げに言い募る。
「付き合ってるならキスすることぐらい造作もないだろ? それとも何か? やっぱり小芝居の間柄じゃキスなんてできませんって認めるのか?」
気になってメア先輩を横目に見る。
「………………」
何も言い返さず固い表情で真っ直ぐにシーゼル先輩を見つめるメア先輩――の唇に、つい目が行ってしまう。
メア先輩とキス――。いやいやいや……想像しただけで顔が熱くなってくる。恋人になりきるためとはいえ、演技に託けてそこまでしても許されるのか? ……独断で行って不興を買っても嫌だな。こればっかりはメア先輩の意思を確認しないと。
「どうなんだ? 黙ってちゃ分からないだろ。できるのか、できないのか、どっちなんだ?」
シーゼル先輩が追い打ちをかけてくる。見ると、ニタニタと勝ち誇った顔を浮かべている。
どうする……。ってかよくよく考えたら元々男性が苦手だったメア先輩からしたら異性とキスするなんて無理難題なのでは? 黙ってるってことはそういうことなんじゃ……。謝るなら今の内かもしれない。
弱気にそう思った矢先。
「ジョゲりん」
左から呼ばれ、メア先輩に振り向いた瞬間――。
「――――ッ」
僕の唇に、柔らかい感触が伝わる。視界が目を瞑ったメア先輩の顔で覆われる。僕の右頬に添えられたメア先輩の左手が逃げ場を塞ぐ。
思考停止の数秒間。メア先輩の唇の瑞々《みずみず》しい感触だけが鮮明に刻み込まれる。
何秒間そうしていたのか分からないが、いつの間にか顔を離したメア先輩はシーゼル先輩の方を向き、にっこりと強調された笑みで見返す。
「いきなり言われたから驚いちゃったけど、もちろん恋人だしキスするのだって全然嫌じゃないですよ? ちょっと人前でするのは恥ずかしかったけど……」
そう言って。俯き気味にメア先輩が両手で頬を隠して照れる……フリをする。
「………………」と思わず放心する僕。
すぐにでも何かリアクションを返した方がジョゲフィーヌ的には絶対に良かったはずだが、小悪魔な女優のように振る舞う先輩から目が離せずにいた。
ようやく思考の片隅にいたシーゼル先輩の存在を思い出し、反射的に正面を向く。
「…………ッ」
王子にも相当なダメージがあったようで驚愕のあまり目を見開く様を見て、メア先輩は穏やかな声でチェックメイトをかけにいく。
「これでもまだ信じられないですか?」
言われたシーゼル先輩は歯痒そうに奥歯を噛み締めて僕らを睨んだ。
その様子に。確実に効いていると思い、自分もここぞとばかりに畳み掛けにいく。
「そうよっ。まだ信じられないって言うなら信じるまで何度だってキスしてみせるわよっ」
押せば勝てると強気に出たジョゲフィーヌの、
「つゥゥ――ッ」
足の甲を、メア先輩がニコニコ顔をキープしたまま、足でぐりぐりと踏む。……流石にそれはダメだったみたい。ボーダーラインが難しいよ……っ。
ギリギリと歯軋りが唸りそうなほどの苛立ちの色を見せていたシーゼル先輩だったが、付き合いきれないと悟ったのか、途端に意気消沈した様子で溜め息を吐く。
「はぁぁ……。――もういい。これ以上そんな君を見たくない」
仏頂面で席を立ち、
「君はもっと品がある女性だと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。将来のロイヤルレディになる条件として相応しくない。――今日はこれにて失礼する」
負け惜しみのセリフを残して僕らに背を向けると、カフェの入り口から出て帰っていった。
二人黙ってシーゼル先輩が完全に見えなくなるまで見届ける。
「………………」
いざシーゼル先輩がいなくなると、さっきは演技のために抑えていたが、キスをしてしまったという事実が再び心に浮かんでくる。ようやく湧いてきた現実味が鼓動を加速させていく。恥ずかしさのあまりどんな表情をすればいいのか迷子になり、気まずくて顔を上げられずにいた。
そんな僕とは反対に。メア先輩は何事もなかったかのように、
「――帰っちゃったね」と、
隣でぼんやりと遠くを見つめながら、あっけらかんとした口振りで沈黙を破る。
……意識してるのは僕だけなのか? キスぐらいなら先輩の女優魂からしたらなんてことないんだろうか? ……敢えて平然と振る舞っているだけだと思いたいけど。
自分だけが意識していると思われたくなくて、僕も努めて何事もなかったかのように、
「帰っちゃいましたね」と、
オネェ口調をやめ、遠くを見つめたまま返した。
「無事成功だね」と静かな調子でまた返ってきたので、僕も「ですね」とだけ返す。
「あ~あ、でももうちょっとだけ見てみたかったなあ」と、
急に脈絡なく名残惜しそうに言うのが隣から聞こえたので、僕はメア先輩を見て『何を?』という表情で小首を傾げる。
すると。先輩は僕の方を向き、にやにやと茶目っ気が見え隠れする笑みを見せて言う。
「もしあれでも引き下がらなかったら、最後の切り札で、ジョゲフィーヌの色仕掛けで王子様を誘惑して撃退してもらうつもりだったから。きっと面白いことになってたと思うよ?」
「いや~! ホンット諦めてくれて良かったっすね! うんうん! マジ助かったあああ!」
急にテンションが上がってきた。九死に一生を得た気分。
胸の支えが取れた喜びから、メア先輩が朗らかに言う。
「想定していたプランよりも早く片付いちゃったね。まだ時間もあるし――どうする? 映画でも観てく?」
あの勉強熱心なメア先輩からの意外な提案に、
「え? 帰って論文書いたりしなくていいんですか?」
誘われるなんて思ってもみなかったのでまじめに返してしまった。
「たまの息抜きもできるくらいには順調だし、なんたって私と映画を観れるのは今日だけだよ?」
「えぇー。そんな特別感出されたら行きたくなるじゃないですかー」
メア先輩と一緒というのも当然嬉しいが、そもそも映画館で映画を観るのが僕の人生においてまだこれで二回目なので(一回目はダグとアーシュと行ったけど)とてもそそられる。
「じゃあ決まり。ここでコーヒーだけテイクアウトして何やってるか見に行こ?」




