【1-9】
そんなこんなで。
チケット売り場に向かった僕らは、デジタルサイネージに出てる上映スケジュールからメア先輩がテレビのCMを見て気になっていたという『未確認少女グーニャ』を選び鑑賞することに。
正面の席は上段の方しか空いてなかったのでその辺りで並んで座れるところをそれぞれ購入し、劇場内に入り席に着く。
これからメア先輩と隣り合わせで映画を観る――。これでマッスルレディの変装がなければ文句のつけようがない理想通的なデートだったのに。……ちなみに、もうこの格好にも慣れてきて周りから感じる視線も案外気にならなくなってきた。人間の慣れってすごい。
照明が消え幕が上がり、上映開始。
ざっくりあらすじを説明すると、物語はジャングルの秘境に潜んでいるという噂が絶えない未確認少女グーニャを捜索するところから始まる。捜索隊のメンバーは、民俗学の研究者で若く勇敢な探検家でもある主人公のラッセル(男)、グーニャの研究や調査を独自にしているという中年の生物学者のリヒター(男)、ラッセルの幼馴染みで今回のプロジェクトに取材同行することになったカメラマン兼記者のナタリー、現地のジブラル人で案内人を務めるカルロスの四名。
道中のいくつもの困難を乗り越え、捜索隊のメンバーがヘトヘトになりながらもジャングルの奥地に辿り着いたとき、ナタリーが驚いて指を差す。
「見て! あそこに誰かいるわ!」
指し示した先の岩陰に一人立ち尽くす少女の後ろ姿が見える。ボロきれのような布を纏い
全身泥だらけの状態で、ボサボサの野獣のような黒髪が腰まで伸びている。
「――グーニャだっ。間違いない……っ」
その姿を見て。目を輝かせたリヒターが生唾を飲み込んで言う。
高揚を隠しきれない様子で、ラッセルは必死に少女に呼びかける。
「……グーニャ? こっちを向いてくれグーニャ!」
声に気づいたグーニャの――頭だけがフクロウみたいに百八十度後ろに振り返ってこちらを向く。
「キャアアア――ッ!?」大声で悲鳴をあげるナタリー。
「――――ッ!?」顔面蒼白で腰を抜かすラッセル。
カルロスが慌てて驚く二人を制止する。
「落ち着け。びっくりして逃げちまうぞ。あれこそがお前さんたちが探していた未確認少女だ。オイラたち現地人は軟体動物系女子――通称、グーニャって呼んでるけどな」
「………………」と、言葉を失う僕。
いやちょと待て。この映画フィクションだけどさ…………存在しとったんかワレッ。
隣のメア先輩の方をちょこっと向いて見る。気づいた先輩は不思議そうに少し眉根を持ち上げ、『どうしたの?』と言いたげな視線を僕に返す。
そんな先輩に。『きっとCMかなんかでこのシーンだけ先に見てたから告白断るときにこれも出てきたんだろうな』と思ったら、なんだが少し可笑しくて微笑み混じりにとりあえず『なんでもない』と首を横に振っておく。
僕の微笑ましい考えなど当然分からないメア先輩は不可解そうに小首を傾げるが、またすぐに映画の方に集中し始めた。
僕も映画に集中するが、てっきりホラー映画なのかと思いきやそうではなく、およそ三、四歳くらいの頃に親から気味が悪いと捨てられ、それから十年間ジャングルで一人孤独に生き抜いてきたグーニャとの心の触れ合いを描いたヒューマンドラマがメインストーリーになっていて、人を警戒していたグーニャが次第に打ち解けていき言葉を覚えて野生から人間へと成長していく姿に、思わず目頭が熱くなる。
物語は中盤に差しかかり、捜索隊に連れられグーニャが街で暮らし始めると変化が劇的に色濃くなっていく。
慣れない街での人間としての生活に苦心するグーニャ。グーニャを保護し人並みの生活を送れるように奔走するラッセルと、グーニャを研究機関に売り渡そうと裏で画策していたリヒターとの対立。ラッセルと暮らしていくうちにグーニャに芽生えるラッセルへの想い。グーニャの恋心に気づき自分の気持ちとの葛藤に挟まれ揺れ動くナタリー。中盤以降まったく出番のないカルロス。
なんやかんや紆余曲折を経て。最後にはグーニャを養子に迎え入れたラッセルが色々問題はあったが無事に通えるようになった学校に笑顔でグーニャを送り出し、それに嬉しそうに
応え校門をくぐるグーニャのシーンをバックにエンドロールに入る。合わせて流れ出したエンディング曲のバラードが、しっとりとした劇場内の空気を柔らかに包み込む。
……不覚にもうるうるが止まらずちょっと泣いてしまった。最初はホラーだったらどうしようかと思ったけど、予想外にも心温まる感動系の話だったのでこれは観て正解だった。
クライマックスのシーンでもあちこちで観客からもれ出た嗚咽染みた声が聞こえてきたが、現在進行形で隣から、ズーッ、ズビビ……ッ、と頻繁に鼻を啜る音が聞こえてくる。
見れば、メア先輩が俯いて涙で濡れた頬をハンカチで拭っていた。でも、拭いたそばからまた涙が零れ落ちていく。僕よりもひどい有り様だ……。しかしながら、先輩の泣き顔によって掻き立てられた庇護欲が僕の鼓動をグングンと加速させ、グーニャの感動を上回る破壊力で僕の心を責め立ててくる。
気持ち悪いくらいに直視し過ぎたからか、一瞬、僕と目が合ったメア先輩は反射的に顔を反対側に逸らし、指で目元を拭いながら小さく涙声で言う。
「ごめん……。ちょっとトイレ行ってくる……」
席を立ち、まだ余韻に浸る同じ列席に座る人たちの前を「すいません」とペコペコしつつ姿勢を低くして列から抜け、急ぎ足で出入り口の扉の向こうに消えて行った。
仕方なしに待つことに。しかし、七、八分ほどのエンドロールが終わっても先輩が帰ってこないので、とりあえずトイレを探しに行き、チェチャで先輩に『大丈夫ですか?』、『今、トイレ前の通路にいます』とメッセージを送る。
すぐに『ごめん大丈夫』、『すぐ出るね』と返信が来た。
間もなく。メア先輩はトイレから出てきて「ごめん。待たせちゃったね」と、無理して笑ってみせるが、明らかに目が赤く見える。
「……まだ目赤いっすよ。もう少し休んでいきます?」
メア先輩は首を横に振り、「もう大丈夫だから」と、元気よく答える。
次いで。両手の指で目元を隠し、照れながらに言う。
「あはは……。そこまで感動する?って感じで逆に引くよね?」
「いやそんなことはないですけど。もしかして無理に急かしちゃったかなって罪悪感が……」
「それこそないって。気にしすぎだよ」
「あ、そういえばここの近くにドラッグストアありましたよね。その状態で外出るの恥ずかしかったら代わりに目薬買ってきましょうか?」
メア先輩は嬉しそうに笑い、
「もぉっ、心配し過ぎだって。――なんだかお母さんみたい」と、
本音を滑らせたところで、ハッとした顔になり気まずそうに言う。
「あ……っ。ごめん…………」
今さっきの言葉が脳裏を過り、僕の口から……笑いがもれる。
「――ふっ、ははっ。先輩こそ気にしすぎですよ。いつまで僕が引きずってると思ってるんですか。いくらなんでもそんなにやわじゃないですよ」
少し遅れて。メア先輩は苦笑いを浮かべる。
「そう……だよね。かえって変な空気出しちゃってごめんね」
律儀にまた謝るメア先輩を見ている方が心苦しいので、さっさと話題を変える。
「先輩、まだ時間大丈夫ですか?」
メア先輩は腕時計に視線を落として言う。
「あと――一時間半くらいなら」
「じゃあ時間まで公園でゆっくり映画の感想でも話しませんか?」
即、笑顔で返ってくる。
「いいね。そうしよ♪」
外は夕方だがまだ青い空の下。近くにある大きな公園に移動する。湖を一望できる背もたれ付きのベンチの一つに並んで腰掛け、グーニャの感想やたわいのない雑談に花を咲かせる。
話しているうちに僕の女装の話題になり、メア先輩は急に思い出し笑いをする。
「すっかり女装にも慣れたみたいだね。――ふふっ。今朝、私がメイクして家から一歩外に出たときとは大違いだ」
「人間は何事にも適応していく生き物なんですよ」
とはいえ……夕方になり多少涼しくはなったが、ずっとウィッグをつけているせいで頭はムレてむず痒いし、内側でじっとりと湿った筋肉スーツの感触に気持ち悪さを感じずにはいられない。……ただ、それでもメア先輩と話したい気持ちの方が大きかった。
ニヤニヤとした表情でメア先輩は言う。
「ふーん。地下鉄に乗ってたときはずっと下向いてて誰とも目を合わせようとしなかったのに」
「……車内の全員がこっち見てくるんであそこで稼いだ経験値がエグいです」
メア先輩はくすっと笑い、真面目な口調で言う。
「でも恥ずかしい思いしてまでも女装してくれたおかげで結果的にうまくいったし、ホントに君の優しさに助けられたよ。私一人じゃきっと解決できなかった。――改めてありがと」
…………。自分のお願いのためでもあるが、人助けをして感謝されたのはなんだか久しぶりな気がする。
ここ、首都クリスタッドに上京してからというもののクリスティア以外で人を関わり合う機会もないので、地元であるラズリンド特有の持ちつ持たれつの仲間意識が当たり前だった僕には時折どこか他人行儀な冷たい都会の風に肌寒さを感じるときがあるのだが……。
やっぱり感謝の言葉を耳にすると、久しぶりに人と関わっているという実感が湧き上がり嬉しく感じる。それにメア先輩ほどの美少女からお礼を言われて喜ばない男はいない。
「どう致しまして」
誇らしげに僕がそう言うと。
メア先輩は晴れやかに「今度は私が君を助ける番だね」と言い、
「一年次も二年次も通算GPA【4.0】 でオールSだった私に任せて。君が進級できるようにみっちりサポートしてあげる」
僕の二の腕辺りに拳を宛てがい、ニカッと歯を剥き出しにして笑う。
――そう。メア先輩に何をお願いするか悩んだ結果。僕は夢を見るよりも現実的にもっとも相応しい案をお願いすることにした。
つまり。僕が前期だけでGPA【2.2】 というクリスティアでやっていくには厳しいとされる成績を叩き出してしまい、中期と後期で巻き返せなければ退学やむなしの崖っぷちの状況にいることをメア先輩に説明し、なんとか進級できるように勉強の面倒を見てほしい、とお願いしたのだ。
これこそ、メア先輩にお願いできる範囲で最も有効な使い方、に違いない。ちなみに殊更説明するまでもないが、通算GPA【4.0】 というのは全ての科目でS以外の評価を一度たりとも取ったことがないという証でもある。それも授業レベルは全世界のカレッジでも最高峰難度と言われているクリスティアにおいて、だ。
「先輩だけが頼りです。なんとかお願いします」
絶望的な未来に一筋の光が見え、一礼してから神でも見るかの眼差しをメア先輩に向ける。
僅かな笑みを浮かべてメア先輩は頷くが、やがて表情を曇らせ、
「あのね……」と切り出し、
神妙な面持ちでワンピースの胸元を――いつもの手癖による所作で――掴み、不安を払拭するかのように握り締める。
「後からこんなこと言うのはフェアじゃないけど、勉強をサポートするに当たって一つだけ条件があるの」
「何ですか、条件って?」
眉を寄せたメア先輩は急に思い出したかのように頬を染め、一旦視線を斜め下に落とす。それから再び。僕をまっすぐに見つめ、もごもごと重く結んでいた唇を開く。
「その……さっきはつき会ってるフリとはいえ、勢いで……キス、したでしょ? 今後、何度も二人で会うことになると思うし、念のため本当にそういう関係にならないように言っておこうと思って……。私たちの間に恋愛感情を持ち込むのは禁止。もしそうなったら、この契約と関係はその時点でおしまい。何が起きても友達のままで変わらない――それを君と私のルールにしたい」
真剣味の増した口調で釘を刺す言葉を、僕に打ちつける。
「私も君のことを好きにならないようにするし、君も私のことを好きにならないで」
「………………」
突き放された感じがしなくもないが、切なげに両目を細めて僕を見つめるメア先輩の視線が、痛切に不確かな情動を心に訴えかけてくる。……どうしてそんなお願いをするのかは分からないが、やるせない表情を見るに何か言えない事情があることくらいは察しがつく。
「……分かりました。メア先輩に勉強を教えてもらうためにも善処します」
正直。メア先輩の言ったことに違和感があったが、ひとまずは目先の進級のために頷いた。
好きになる、ならないって自分の意思でコントロールできるものじゃなくて、自然の流れでそうなるものだと僕は思うけども。
仮初めの承諾もいいところだったが、それでも気を良くしたメア先輩は表情を和らげる。
「あと先輩って呼ぶのももうなしで。これからは対等な関係でいたいから――メアでいいよ」
「いやでも、一応年上なんで呼び捨ては流石に……」
僕が遠慮すると。メア先輩は「あー……」と、何かに気づいた様子で開いた口を手で覆う。
「――そっか。てっきり知ってるもんだと思ってたけど」
「? 何の話です?」なんのこっちゃっと、首を捻る。
さらっと。取るに足らない質問が飛んでくる。
「生年月日だよ。何年生まれの何月?」
「PX16年の八月ですけど」
その途端。メア先輩は口元を綻ばせる。
「じゃあ私と同い年だ」
「へ?」
何を言ってるんだ、とすっかりデート気分で浮かれ想像力が欠如した僕の前頭葉に目掛け、メア先輩から事もなげな口振りでセンセーショナルな一撃をお見舞いされる。
「私、二年飛び級してクリスティアに入学したの。だから来年二十歳で、今は十九だよ」
………………。
「ええええええーっ!?」今日イチで声が出た。
思わず跳び上がってベンチから立つ僕。そのリアクションをにっこりと楽しげに眺めていたメア先輩は満足そうに顔の両脇でダブルピースを決め、天使のようにキュートな小悪魔めいたスマイルでほくそ笑んだ後、晴れやかに言う。
「そういうことで――改めてよろしくね、リックス」
まだ青い夕方の空の下。驚きがさめやらぬ中で、嘘吐きな君が初めて僕の名前を呼んだこの日を――僕は生涯、忘れることはないだろう。




