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【1-5】

 一週間後。七月二十一日。

 あれから僕は、メア先輩が噂通りの人物なのか知りたくなって、一度二人っきりで話してみたくなりずっと機会を窺っていた。前々からメア先輩の論文にも興味があったし、どうにか話せないものかと時間割の空き時間に何度か例の告白スポットにも訪れてはみたものの、やはり命運が尽きたのか、これ以上の幸運は訪れなかった。

 この一週間はメア先輩を見掛けることさえできずモヤモヤした気持ちで過ごしていた。

 ……明日から夏休みに入ってしまう。今日をのがせば夏休み明けまで先輩と会う機会はない。

 メア先輩の時間割が分かれば話は早いが、生憎僕にそこまでの情報収集力はない。他の三年生の先輩に訊き、三年の必修科目の時間割だけは分かったが、どうやらメア先輩は既にそれらの科目の単位を修得しているようで授業には来ていないらしい。

 僕もメア先輩と同じく医術工学の専攻だが、基本的にエーテル学部ラボ施設内での授業が大半で、今期の時間割では他学部のラボ施設で行う授業は一科目しか選択していない。おそらく先輩の行動範囲も似たようなものだろう、と高をくくっていたのだが、そんなことはなく……、早期卒業を目指してかなりタイトなスケジュールを組んでいるのが予想され、行動範囲はエーテル学部ラボ施設内に留まらず、あちこちのラボ施設を渡り歩いているみたいだ。

 総面積約四十万坪とクリスティアのパンフレットにも書かれている広大な敷地内から、限られた休憩時間に忙しく(学区内を走るバスや自転車で)移動する一人の生徒を当てもなく探し出すのは不可能に近い。さしずめ状況は絵本の『ウォーニーを探せ』状態で、ウォーニーが落とした普段履いている縞々《しましま》ソックスの片方をごった返す人混みの中から探し当てるような難問に直面している。

 仮に空き時間に遭遇できたとしても、人気者(ゆえ)に先輩の周囲には常に誰かしらがいる状態が予想されるので、二人っきりでとなるとその分障害も多くなるだろう。

 今日も今日とて。一日の講義が終わったところで、エーテル学部第一ラボの玄関口入ってすぐ横にある休憩所のソファに腰掛け、一応勉強のかたわらに出待ちしてみたものの、講義二コマ分――時間にして三時間ぐらい我慢して粘ってみたがメア先輩は現れず、結局断念して日が暮れる前に帰ることにした。ってか、これじゃやってることストーカーと大して変わらないんじゃ……。まじキモいな、自分……。

 メア先輩と話すのは夏休み明けまでお預けか、と沈んだ気持ちですぐ脇の駐輪場に向かい自分の自転車に鍵を差し込んでまたがる。一人暮らしを始める際に街の自転車屋で購入したカゴと荷台はついているがエーテルインジェクションはついてない(機能インジェクション付きは高くて買えないので)至って普通の安価なタイプだが、三ヶ月も乗ればもう立派な相棒だ。

 公道に出たら片側二車線の大通りを右に行く。ペダルをぐ道すがら、そういえば日用品や食料が切れかかってるな、と思い出し、帰り道にある大通り沿い近くのスーパーに向かう。

 大通りの両脇に建ち並ぶ年季の入ったレンガ造りのビルは、一階に小洒落こじゃれたブティックや雑貨店などが連なるショッピングストリートになっている。夕方になり帰宅ラッシュで行き交いする人の量も多いが、歩道と道路の間に敷かれた自転車専用レーンがあるので、趣がある街並みの景観にひたりながら気兼ねなく走行できるのが気持ちいい。

 大通りをまっすぐ進んでいくと、右手側の角に右折の目印であるカフェ『ルトロヴァイユ』が見えてきた。目的地のスーパーはそこの交差点を曲がったらすぐに右側に見えてくる。

 ルトロヴァイユは今年の初めにオープンしたばかりの落ち着いたシックな雰囲気のカフェで、ちょっとした会合や勉強するのに最適だと学生たちの間で評判のお店らしい。

 入ったことはないけれど、補講があって僕が行けないときにダグとアーシュは二人で行ってきたらしい。……別にうらやましくなんかない。通学途中に外から見えるガラス張りの店内を横目に通り過ぎるが、洗練されたオシャレな内装とそれに見合った垢抜けた都会人の客層でいつも賑わっていて、正直自分には場違いな場所だ。

 なので。いつものようにルトロヴァイユの角を曲がり通り過ぎたところで――僕は思わず急ブレーキを掛けた。

 すぐさまUターンしてルトロヴァイユの店内を外からこっそりと覗く。窓際のカウンター席から一つ奥に並んでいる黒くて丸い二人掛けテーブル席の一卓を注視する。

 ――メア先輩だ。いつもの服装ブラウスにフレアスカートとヘアスタイル(ルーズサイドテールと言うらしい)の姿で何やら物憂ものうげな顔をして膝の上に拳を置き座っている。

 メア先輩……こんなところにいたのか。通りで学園内で見つからないわけだ。――どうやら珍しく一人みたいだな。テーブルの上には何もないけど、これから勉強でもするのかな? もしくはもう終わって帰るところとか? ……だとしたら急がないと。この絶好のチャンスを逃したら次はいつメア先輩と話せるか分からないし。

 意を決して。自転車を店脇の路地に止め、両開きの自動ガラスドアをくぐり、ゆったりとしたBGMが流れる店内に入る。正面のレジに並ぶ人の列に加わって順に待つ。メニューにうといので前で並んでいた背の高い青年がアイスラテを二つ注文しているのをマネて自分も同じものをオーダーする。できあがるまでの十数秒の合間に第一声になんて話しかけるか悩みつつ、出てきたお店のロゴが印字された蓋付きの紙カップを受け取ってメア先輩が座る席に向かう。

 はやる気持ちからか、足取りが早くなる。メア先輩のパーソナルスペースのギリギリを見極め、背後から声をかけようとした……正にそのとき。

「――やあ、お待たせ」

 先ほど。レジで前に並んでいた背の高い青年がそう言って、片方のアイスラテをメア先輩に手渡す。メア先輩がお礼を言って両手で受け取ると、大層イケメンな青年は余裕綽々(しゃくしゃく)といった笑みを浮かべ、向かい席に堂々と座る。そこでようやく――その青年の正体に気づく。

 まさかの――シーゼル先輩だ。我が国エルトバエルの隣国であるシェザーリアの王室出身で王位継承順位第二位の正真正銘の王子だ。留学生で学年はメア先輩と同じく三年生、専攻は確か心理学。無造作にウェーブがかったブロンドのショートウルフ、彫りの深い碧眼へきがんに爽やかなルックス、百九十センチを超える高身長、加えて成績も優秀で、クリスティアではメア先輩と並ぶ超有名人だ。

 紺色のシャツに黒スキニー、足元はサンダルとシンプルな装いだが何を着てても様になる。

 よりによって王子と一緒だったなんて……。くそっ。早まったか…………。普通に考えれば、注文もせずに一人で席に座ってるなんておかしな話だ。誰かと一緒に来ている可能性を見落としていた。

 ひとまず。ここで突っ立っていてもしょうがないので空いてる席を探そう。半分以上の席が取りかれたようにスマホやタブレットをいじる都会人や学生の群れ、息抜き中のビジネスパーソンたちによって埋まっているが、メア先輩の背中側、一卓挟んだ左斜め後方のテーブル席が場所的に良さそうだったのでそこにする。

 席に座るや否や。メア先輩が急にこちらを振り返り、自然と目と目が合う。

「…………」

「…………ッ」

 やべっ、バレた……っ。いや、落ち着け……。メア先輩は僕のことなんて知らないだろ。今の僕は外が暑いから冷たいものを飲みに来ただけのただの一人の学生に見えてるはずだ。何食わぬ顔で視線を逸らせばきっと大丈夫。

 なのに。なぜだか……。メア先輩の瞳から目が離れない。……離せない。メア先輩の鮮やかな翡翠ひすい色の瞳に吸い込まれるように、互いに視線をむさぼり合う。その刹那。微かにメア先輩の目がほんの一瞬見開いたように見えたのは……僕の思い過ごしだろうか。

「――どうかした?」

 固まって静止した時が、シーゼル先輩の一言でひび割れて現実に引き戻される。

 メア先輩が前を向き何事もなかったかのように「いえ、なんでもないです」と平然と答える声が周囲の雑音にまぎれて聞こえてくる。

 王子の視線がこちらに向く気配がし、僕は反射的に窓の外に目を向ける。

「誰か知り合いでもいたか?」と、王子が繰り返したずねる。

「ううん、ちょっと周りの視線が気になって……。――ねぇ、やっぱり場所を変えません? ここはクリスティア生もよく来るし、その……妙な噂が立ったらあなただって困るでしょ?」

 もしかして勘付かれたんじゃなかろうか、とそわそわと二人の会話に聞き耳を立てながら、こっそり視線を戻す。

 すると。王子様はフッとキザな笑みをこぼして言う。

「俺は全然構わないけど? むしろ君となら大歓迎さ」

 自信満々なイケメン王子の表情とは裏腹に、短く溜め息を吐き肩を落とす後ろ姿からメア先輩の苦悩が伝わってくる。

「ふぅ……。あなた、それでも一国の王子なんでしょ? 王子の特ダネを狙ってるパパラッチがすぐそこで盗み聞きしてるかもしれないんだから、もう少し慎重に行動した方が良いと思いますよ」

 ……なんだか自分のことを遠回しに言われているみたいで心が痛い。……気のせいだよな?

 忠告など意に介さず、シーゼル先輩は両手を広げ堂々としてみせる。

「別に悪いことをしているわけじゃないんだからこそこそ隠れる必要もないだろ。せっかくの君とのデートなんだ、楽しんで何が悪い?」

「……すいませんがそういう話なら私は帰らせていただきます」

 メア先輩は右隣の席に置いてあった大きめのトートバッグから財布を取り出し、「これアイスラテ代です」と、五ヴェル硬貨を一枚テーブルの上に置く。

「色彩心理学研究《SPP》の次の共同課題について話したいって言うからわざわざ時間を作ってきたのに……。あなたの嘘に付き合ってられるほど私だって暇じゃないんですよ?」

 トートバッグを肩に掛け紙カップを持つと、メア先輩は椅子から立ち上がる。

「方向性が決まったらまた話し合いましょ」

 そう言って。体の向きを反転させ、少し不機嫌そうな表情で一歩目を踏み出したところで、

「それを言うなら君の方こそ嘘まみれだろ」

 背中から浴びせられた悪態に、流れるように立ち去ろうとしたメア先輩の足が、ぴたり、と止まる。

「………………」

「図星で何も言い返せない、か」

 終始ご機嫌だったシーゼル先輩の甘いマスクが、途端にニヒルな笑みへと変貌へんぼうする。

 無表情で立ち尽くしていたメア先輩は王子に見返り、平坦な声で言う。

「だったら何だって言うんですか? 何が言いたいの?」

「ふっ。自分が嘘吐きだって自覚はあったんだな」

 口元に薄い笑みを残したままあおり文句を吹っかけたシーゼル先輩は、愉快そうに言い募る。

「婚約指輪だけに飽き足らずマッスルレディしか愛せないって話も嘘っぱち。それに早期卒業を目指してるのだって、ホントは恋愛を避けるための口実なんだろ?」

 眉一つ動かさずに聞いていたメア先輩が反論すべく体をシーゼル先輩の方に向け、きっぱりと言う。

「どう思おうとも勝手ですけど、私は本気です。――あなたこそ、どうしてそんなことを知りたがるんですか? 仮にそうだとしたら何か得することでもあるんですか?」

 聞いたことがないメア先輩の感情を押し殺した静かな声。一瞬空気がピリっとするのを感じたのは僕だけだったのか、シーゼル先輩はさも平然とした振る舞いで受け答える。

「気になる相手のことをもっと知りたいと思うのは本能に紐付けられた抗えない欲求じゃないか。魅力的に見えるわけを知りたくてついつい質問ばかりしてしまっても、それは人間の摂理せつりで何も不自然なことはないさ。例えば――そうだな」

 キザ度が増した笑みを浮かべ、シーゼル先輩が言う。

「メアはどうしてそんなに恋に臆病なのか――、とかね」

 そう言われた瞬間。トートバッグの肩紐を握るメア先輩の手が僅かにりきんだように見えた。

「別に、そういうわけじゃ……。ただ単に早期卒業するのに専念したいから今はそういう気分になれないだけです」

 シーゼル先輩は『やれやれ……』といった具合にあきれまじりな顔で肩をすくめる仕草をする。

「確かにまぁ、早期卒業するには恋愛なんてしてる暇がないくらいに忙しいだろうさ。恋に臆病な心を自分の勤勉さで覆い隠すのは実に合理的だ。良い隠れみのを見つけたもんだね」

 メア先輩は少し冷ややかな声で言う。

「……何なんですか、さっきから? 感じ悪いですよ」

「やだなぁ。さっきも言っただろ? 俺は魅力的な君がどうして嘘ばかりくのか興味があるだけさ。一応これでも心理学を研究してる身なんでね、人間観察は俺の趣味の一つと言ってもいい」

「……なら逆に聞きますけど、どうすれば早期卒業を目指してるのが嘘じゃないって信じてくれるんですか?」

「そうだなー……」とシーゼル先輩は顎に手を置き考える仕草をし、

「――じゃあこうしよう。今週末、俺とデートに行くってのはどうだ?」

 不意に。爽やかスマイルで右手の人差し指を立て、めちゃくちゃなことを言い出した。

 間髪入れずに。メア先輩が紙カップを持っていない方の手をテーブルに勢いよく付け、身を乗り出して反発する。

「ふざけてるんですか? こっちは真面目に話してるんですよ?」

「ふざけたように見えたならそいつは失敬。でも、俺は君のためを思って言ってるんだぜ?」

「何を言って――」

 メア先輩がそう言う前に、シーゼル先輩は至極冷静な顔付きで席を立ち、そのままメア先輩の耳元に顔を寄せ――何やら聞こえぬ声でひそひそと告げる。

「――え……っ」何やら驚いた様子でメア先輩が声を上げる。

 その後もシーゼル先輩から耳打ちされる度に、メア先輩もひそひそと言い返すやり取りが何回か続き――、頃合いを見て、シーゼル先輩は紙カップを片手に擦れ違い様にメア先輩の肩に手を乗せて言う。

「それじゃデートの時間と場所は追って連絡するから。――週末に君と会えるのを楽しみにしてるよ」

 シーゼル先輩はテーブルに置かれたアイスラテ代を受け取らずに颯爽さっそうと入り口に向かい出て行ってしまった。

 やがて。意気消沈したように。メア先輩はがっくりと同じ席に再び腰を下ろす。持っていた紙カップをテーブルに置き、両手でトートバッグをぎゅっと抱きしめると、そのままテーブルに俯いてしまった。

 …………。待ちに待ったチャンスだが……非常に声を掛けづらい。こんなときに気の利いた一言がぱっと言える人種だったらどんなに良かったことか、と自分を呪ってみても致し方ないので、玉砕覚悟で声を掛けに行く。

「あの――メア先輩」後ろから呼びかけると、

 メア先輩はびくっと頭を上げ、恐る恐るといった様子でゆっくりと振り返る。

「…………わ、私ですか……?」

 いきなり声を掛けられ驚いたのか、上擦った声で返ってくる。大事そうに抱えていたトートバッグを僕から隠すように若干腰を捻りながら、青白い顔でメア先輩が僕を見上げている。

 ……ヤバい、いざ先輩を目の前にすると緊張してドキドキしてきた。

「あー、えっと……驚かせてすいません。自分はクリスティアの一年でメア先輩と同じ医術工学を専攻しているリックス・アスクレイといいます。先輩の優秀さは兼々《かねがね》伺っています」

 警戒されてそうなので、まずは胸に手を当て自己紹介をする。

 すると。

「…………」メア先輩は開いた口を片手で覆いながら丸く輝く翠眼すいがんを二度三度瞬かせていたが、やがて、体を向き合わせると軽く会釈えしゃくをしてから少し固めの笑みで応えてくれる。

「初めまして、メア・ハーヴィッツです。……私も、あなたのことは以前からうかがっています」

「え……。僕のこと、知ってるんですか?」

 う……。それじゃ見てたのバレてたのか……。くっそ気まずいな……。

 少しばかり言いづらそうにメア先輩が愛想笑いを浮かべて言う。

「友達が話してて――、ほら、その……。君はなんて言うか……ちょっと珍しい色だから」

 そう言って。彼女は自分のサイドテールを持ち上げ、ちょんちょん、と指差して示す。

「ああ……。この髪色も、――この瞳の色も、親からの遺伝なんで」

 自分ももみあげをつまみながら言う。僕は生まれつき、髪も瞳も灰色だ。母も僕と同じ色だったので極普通の当たり前のことだと受け入れていたが、クリスタッドに移り住んでから街でたくさんの人を見掛けるうちに、自分と同じ髪色と瞳の色をした人がまったくいないのに気付き、どうやらそれが珍しいことだと知ったのはつい最近の出来事だ。

「……そうなんだ。前から神秘的で綺麗な色してるなって思ってたの。――それで、私に何か用かな?」

 固かった頬を少し和らげ、メア先輩は小首を傾げる。

「あー……。いや、その……メア先輩が浮かない顔してたんで大丈夫かなって思って……」

 少し考えるように間を置いてから、メア先輩はにっこりと微笑む。

「……優しいんだね、ありがとう。でも大丈夫だから気にしないで。気持ちだけでも嬉しい」

 まずいっ。このままじゃ会話が終わってしまう……っ。なんとか……なんとか繋げねば!

「実はその、用はそれだけじゃなくて……。この前、自分……たまたまメア先輩の秘密を目撃しちゃったんです」

 僕の発言に不穏な空気を感じ取ったのか、メア先輩は微笑を少し引きらせ、トートバッグをぎゅっと抱き締めて言う。

「秘密……? ……何のことかな? 悪い冗談はやめてよ」

「…………コレを見れば先輩も分かると思います」

 僕は肩に提げたリュックからこのときのために携帯していた『それ』を取り出して見せる。

「――――ッ」『それ』を見た瞬間。メア先輩の表情が青ざめる。

「実は、僕もたまたまあの場にい――――ぶべらッ」

 脳が揺れる衝撃。僕がまだ言い終えぬうちに。僕の頬にメア先輩の平手打ちが物の見事にクリーンヒットした。

 呆然と痛む頬を押さえ視線を戻すと、

「な……っ、何を考えているの――この変態!!」

 メア先輩が羞恥心と軽蔑の入り混ざった剣呑けんのんな目つきで僕を睨んでいた。

 変態? 僕、が……?

「いやメア先輩、違うんです! 聞いてくだ――」

「イヤ……ッ。来ないで……っ」

 説明しようにも見たくないと言わんばかりの拒絶っぷりでそっぽを向かれてしまい、まるで視姦から逃れるように身を逸らされる。

 手っ取り早く証拠を見せた方が話が早い、と判断したのが早計だったのか、おそらく今、メア先輩の脳裏では僕の恐ろしく変態的な行為がイメージングプレイされているのだろう。

 とんだ誤解を招いてしまい、慌てて挽回しようと僕は両手を挙げ声を張り上げる。

「だから誤解ですって! これは、あのとき先輩が使ったものじゃなくて、後日あの辺の近くから適当に拾ってきた別の胡桃クルミの殻です! 先輩がどれを使ったかなんて知りませんよ!」

 手を挙げながら握っていた胡桃を指差して示す。

 店内のBGMを掻き消すほどの僕の声量に。メア先輩は周囲の視線を気にしてあたふたと左右に目を走らせる。

「ちょ……っ、あんまり大きな声出さないで……っ」

 小声でメア先輩がそんなようなことを言っていた気がするが、誤解を晴らさねば今後のカレッジライフにも致命的な支障をきたしかねない一大事に、テンパりすぎた僕はひたすらに口を動かし続けた。

「流石に僕だって! メア先輩がキンタマと偽ってパンツの中に隠し入れた胡桃を! こっそり家に持ち帰っていかがわしいことに使おうなんて発想なかったですよ! どんな変態ですかそれ! 嗅ぐんですか! しゃぶるんですか! それとも自分のパンツの中に入れてご満悦ですか! ぬぁぁ~! なんかもうっ、自分で言ってて寒気がしてきましたよ!」

 なんだなんだ、どういう状況だ、と周囲の奇異な視線が僕たち一点に集中する。メア先輩は耳まで真っ赤に染め狼狽うろたえた表情できょろきょろと周囲を見渡したかと思うと、

「~~~~ッ。ちょっとっ、来て……っ」小声でそう言って、

「い? ちょっ、先輩……!? あ……! 五ヴェル硬貨置きっぱですよ!」僕の手首を引っ掴み、急ぎ足で出入り口まで向かい店から飛び出した。

 道行く人々を気にも留めずに僕の腕を引っ張りながらぐいぐいとブロック調の歩道を足早に進んでいくメア先輩の様子に、思わず声が出る。

「ちょっとセンパ……ッ、どこ行くんすか……っ」

「…………」

「あのっ、店の横に自転車停めてるんでそれだけ取って来てもいいですか……っ」

「…………」

 擦れ違う人々にじろじろと注目されようがお構いなしに無言で突き進むメア先輩に、されるがままに早足でついていく。

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