【1-4】
翌日。七月十四日。
昨日の一件は、僕の読み通りに(?)予想外の決着を迎え濃厚な一時を与えてくれたが、その代償として看過できぬ新たな問題が発生したおかげで、昨日は中々寝付けず朝から寝不足気味だ。寝ぼけた頭で家を出るための準備を通過儀礼のように熟し、半袖のTシャツとハーフパンツ姿でリュックを肩に引っ提げ、うとうととカレッジへ向かう。
午前の授業を気怠い意識でなんとか乗り越え、真夏日の紫外線に耐えながら学園の敷地内にある目的地に向かう。庭園の隣に面する四方ガラス張りの平屋建ての食堂に入り、冷房の風を浴び息を吹き返したところで、中央の配膳カウンターで日替わりランチの三種からパスタセットのペペロンチーノを注文しそれをトレイに載せ、いつもの隅の四角い四人掛けテーブル席が空いていたので一番乗りで陣取る。
リュックを床に置いて席に着き、一人で淡々と食事をしていると、
「――よっ、戦友。今日の戦績はどうよ?」
黄土色のツンツンショートヘアの男がハンバーグプレートが載ったトレイをテーブルに置きながら気さくに話し掛けてくる。
「聞くな……。死にたくなる」
午前は必修科目である人体構造学だったが、返ってきた前期試験の惨憺たる答案結果を思い出し、友人Aことダグ・バッシュに辟易したツラで答える。
専攻は違うが同じ科の同学年でもあるダグは、初対面のときでも初めて会った気がしなかった親近感を匂わせる顔でこちらを一瞥すると、だよな、とでも言うような納得した表情を見せ、肩から掛けたデカめのショルダーバッグを床に置きながら颯爽と正面の席に腰掛ける。
今日は、白のロゴTにネイビーの半袖シャツを羽織り、下はカーキのクロップドパンツという夏っぽい装いで、こんなふざけた奴でもそれなりの好青年に見えてくるから不思議だ。
「ふっ。そうか……。葬儀にはちゃんと出てやるからな」
憐れみの一笑を寄越すダグをジト目で睨み言い返す。
「おい、死なせる前に助けろよ」
ダグは不敵に笑い、グッドサインを見せてくる。
「安心しろリックス。俺も爆死して夏休みは晴れて補習地獄だ。お前を一人で死なせたりはしないぜ」
遠い目をして天井の一点を見上げた僕は溜め息を吐く。
「はぁ……。あの補習地獄さえなけりゃダグもあんなことには……。惜しい人を亡くしたもんだ」
「おい、まだピンピンしてんだろうが。勝手に未来の俺を死なすな」
目の前の亡霊が斜に構えた態度でフォークの先をこっちに向けてくる。
「つーか、何一人だけ補習戦争を生き延びようとしてんだよ。友達が爆死したら仲良く道連になってあげるのが友情ってもんだろ?」
ダグの謎理論をスルーしてグラスに入ったハーブティーを飲んでから告げる。
「せめて死ぬ前に要望くらいは聞いといてやるよ。……土葬と火葬、どっちがいい?」
食事の手を止め、ダグは顎に手を置き真剣な目つきで考え出す。
「うーむ……。強いて言えば女の子に囲まれながら見送られたいからハーレム葬を希望する」
そんな葬儀あってたまるか。
「分かった。ダグの棺桶には寂しくないようダッチワイフたくさん詰め込んどくな」
「死後もイジられる屈辱!」
対面に座る顰め面の故人がフォークを握った拳でテーブルを、トントン、と叩き抗議する。
「冗談はさておき、レポートの再提出は間に合ったのか?」
昨日はこいつ、午前中に一緒に受けたエーテル基礎学Ⅰの授業で、その日締め切りのレポートの再提出をくらい、その後はずっとカレッジ内の図書館にこもりっぱで取り組んでいたみたいだからな。無事に生還できたんだろうか。
「ああ、なんとかな……。おかげで飯も食えず閉館時間ギリギリまでかかっちまった」
ダグは厭わしそうにわしゃわしゃと後頭部を掻き、切ったハンバーグを頬張る。
「良かったな、間に合って」
「ふぁひふぁふぉよ」
口に詰め込んだまま話すなよ。推測するに、ありがとよ、かな?
「何語だよ。食べ終わってからでいいぞ」
「ふぉふぉう」
「…………」
なぜだか急に。ふと脳裏にメア先輩のことが過った。
昨日はあの後どうなったんだろう、とか、また噂になってないだろうか、とか僕が気にしてもしょうがない気がかりばかりが思考に絡まってくる。
そういや昨日メア先輩の噂話してたし、ダグなら何か知ってるかも。
「なあ、ダグ」
「――んっ。なんだ?」口を空にしてからモスグリーンの瞳がこっちに向く。
「昨日、メア先輩が実は女の子好きだったって話してただろ? あれから先輩のことで何か進展あったりしたか?」
片眉を上げ訝しんだ視線を寄越す。
「どうしたんだ急に? いつもゴシップトークしても興味ないって顔してるくせに」
まあ普段なら惜しげもなく顔に出してるけど……。
「いや、ちょっと気になってさ」
「ふーん……」
ジロジロと人の顔に懐疑的な視線をぶつけてくる。だが、なんも面白味もない僕の顔に早々に飽きが来たようで、ダグは口を開く。
「いんや、特に何も聞いてはいないな。そもそも昨日はそんな余裕すらなかったしなあ」
「そりゃそうだな……。なら良いんだ」
自分にとって貴重な情報源であるダグが知らないとなると、あとは望みは薄いが話を聞けそうなのは彼女ぐらいしか――と思ったところで、
「おーっす……。クソあちぃなー、今日も……」
萎びて気の抜けたような声が聞こえ、ちょうど当てにしていた人物がのそっと隣に現れる。
暑いのが苦手で既に溶けきった表情をしている彼女の名は、アーリッシュ・シュタール。
普段は僕とさほど変わらない百七十センチあるかないかの女性の中では長身に入る部類だが、今はその影もなくぐったりと猫背になって干からびかけている。
同じ一学年で学科は違うが授業外の時間はよくダグと僕の三人でいることが多く、昼食時は大体こうして同じテーブルを囲む。
親しい友人からはアーシュと呼ばれているが、彼女のことをよく知らない周りの人たちからは、なんというか……良く言えばエッジが効いた性格で、悪く言うなら粗暴でおっかないイメージが定着しており、様々な異名を付けられちょっと恐れられている。
ただ、黙ってじっとしていれば中々に美人なのは確かで、凜とした目鼻立ちの良さと、切れ長の目元に差し込んだ琥珀色の瞳が冴える、中身に違わず外見もクールなレディだ。
スレンダーながらもモデルばりにメリハリのあるスタイルに物を言わせた格好で、黒のホルターネックのキャミソールの上に、白いレースの膝丈までのロングガウン、デニムホットパンツにコルク柄のヒールサンダル、肩にかごバッグ、頭には白黒のツートンカラーのキャップを被り、普段は背中まで届く銀朱色のストレートヘアを両サイドからちょろっと垂らし、あとはキャップの後ろから通してポニーテールに結っている。
と、まぁ……。むしろここまでは良い方で、ちぐはぐにも耳周りがやたらと装飾過多なのは今日も相変わらずだ。右耳には上部の軟骨に棘状のピアスと耳たぶにシルバーの三連リング、左耳は上部の軟骨からぶら下がったチェーンが耳たぶを貫く大きな十字架の形状をしたピアスと繋がっていて、なぜだか中途半端に両耳だけがごてごてしたパンクな仕様である。そこさえ目を瞑ればファッション雑誌の表紙を飾ってもおかしくない見栄えなんだが。
「おはよう、アーシュ」と、僕。
「よっ、アーシュ。相変わらずテンション低そうだな」と、すかさずダグが声を掛ける。
ここに来る道のりでバテてしまいまだ本調子じゃないアーシュは、虫の居所が悪そうに持って来たチキンサラダなどが載ったトレイをテーブルの上に雑に置き、ダグと僕の間の席にドカッと長い脚を放り出して座り込む。
「フォォウウウウウウ! 本日も生足ありがとうございまぁっす!」
いきなりアクセル全開になったダグが両手でアーシュの美脚を指差して喚き立てる。
勝手に感謝された当人の方は冷めた目つきで見向きもせずにバッグを床に置き、トレイに載ったトールサイズのチルドカップにストローを差し込みながら、かったるそうに言い放つ。
「たくっ、毎度懲りずにうっせーな……。別におめぇに見せるために出してるわけじゃねぇっつってんだろが……」
「なんと言われようとも我々にとってはご褒美です! ――な、リックス?」
敬礼のポーズを取ってから僕に微笑み掛けてくるダグを、
「アーシュ、これやるからちょっとは元気出せよ」
普通に無視し日替わりランチのデザートでついてきたミニカップに入ったサイダーゼリーとそれ用のスプーンが載った小皿をアーシュの方に寄せる。
アーシュはチルドカップに手を添えたまま渋い表情で、二、三秒ほど寄せられたゼリーに鋭い視線を突き刺していたが、
「…………リックス」と、ぽつりと言う。
「ん? あ、もしかしてゼリー好きじゃない?」
訊き返す僕を見て、アーシュはニカッと笑う。
「いや、お前ってホント良い奴だな。どこぞの生足化推進大臣とはえれぇ違いだぜ」
言われたダグがすかさずにしゃしゃり出る。
「おっほんっ。この度、生足化推進大臣に任命されましたダグ・バッシュでございます。今後も引き続き、我が政党は『夏は生足化政策』を推し進めていく所存でございます」
ダグの演説を聞き流し、アーシュは手に取ったチルドカップのストローに口づけ、一旦喉のコンディションを整えてから痛烈に言い放つ。
「おめぇは大臣クビだ。ひっこめ」
「えー、この度、生足化推進大臣を解任されましたダグ・バッシュでございます。今回の件は偏にわたくしの不徳の致すところであり、誠に返す言葉もございません」
「潔い退陣だな」就任からの異例のスピード解任で僕のツッコミ速度が追い着かない。
三人で集まると大体こんな感じで、ノリの軽いダグと切れ味が鋭いアーシュのどちらかがボケるともう片方がそれに興じてノッてくるので、必然的に僕がツッコミに回る機会も多い。
アーシュの機嫌も回復したようで意気揚々と小皿からスプーンを取る。
「あんがとな、リックス。さっそくいただくぜ」
「え? デザートから先いくの?」ちょっと驚いて僕が言う。
「別にいいだろ。あたしは今食べたい気分なんだ」
そう言ってミニカップを手に取りサイダーゼリーを一口掬って口に運ぶ。
「んー! んめぇな、コレ!」
幸せそうにアーシュは頬を緩ませる。一口また口に入れ、味わい終わってから訊いてくる。
「んで――、二人で何の話してたんだ?」
「あー、そうそう。リックスがあの天才美少女メア先輩のあんなことやこんなこと、えっ!? そんなことまで!? っていうような妄想が膨らむ話を何でもいいから知りたいんだってよ」
「すまんダグ。お前のリスニング力がバグってたのを失念してた僕が悪かったからひとまず黙ろうか」
アーシュが正にちょうどゼリーを口に入れようとした瞬間でピタッと手を止め、疑る眼差
しで僕を凝視してくる。
「いや……言ってないからな? 昨日話してたメア先輩の噂のことで何か進展がないかダグに訊いてただけだ」
自分の名誉のために訂正しておくと、アーシュは少しよそよそしく、
「……別になんも言ってねえだろ。美人で可愛い先輩をどう思おうがウチには関係ねえし」
素っ気ない素振りでそう言って再び手を動かし始める。
「まあ、そうかもだけど……」これは完全に誤解されてそうだ……。
アーシュは意識をゼリーに向けながらも会話をする意思はあるようで転がる程度には話を拾ってくれる。
「そのパイセン、ついこの前も婚約指輪が偽物だったって噂になったばっかじゃねえか。もう次の噂が拡散してんのか?」
なぜか自分のことのようにダグが得意げに答える。
「それがさ、実はメア先輩が同性愛者でしかも筋肉隆々の女の子がタイプだって話なんだよ」
アーシュは露骨に眉を顰め溜め息混じりに言い捨てる。
「はああ……。あるわけねえだろ、んなこと……」
負けじとダグが大げさに振る舞って反論する。
「いやいや、どうやらこれがさ、マジな話みたいでメア先輩本人がそう言ってたんだってよ」
ミニカップから最後の一口を掻き込んだアーシュは、カップを、ドンッ、とテーブルに置き、涼しげな目を左右に走らせダグと僕を見遣る。
「おめぇら二人とも、もし自分がその超絶パイセンだったら人に何が自慢できるか、なんでもいいから思いつく限り言ってみろ」
「え? なんで?」ダグが僕も思ったことを代弁すると、
「いいからはよ」アーシュは有無を言わせぬ圧を視線に込める。
仕方なしに僕は思いつく長所を挙げていく。
「んー、まず言うまでもなく頭が良いところかな。試験ではどの科目でも毎回満点を取るほどの努力家だって話も聞くし」
続いてダグが飄々《ひょうひょう》と言う。
「むぅー、色々あり過ぎて困るなあ。とりあえずポイント的にデカいのは、容姿に恵まれててスタイルも良いってとこは絶対だよな。あとは度量があって上からも下からも信望が厚い人格者ってとこも大きいよなあ」
そこへ。我が物顔でアーシュも加勢する。
「その上、家も裕福で、父親はカレッジの教授、母親は開業医っていう噂だぜ? セレブなのに本人はまったく気取ったりしなくて誰とでもすぐに打ち解けるそうだし、その癖気立ても良いって話だ。ああいうのが真のお嬢様って言うんだろうな」
ダグが納得した顔で唸る。
「なるほど……。つまり、情報を纏めると――メア先輩は人ではなく、より神に近い存在ってことでオッケー?」
「なんだ、ただの女神か」つい反射的に痛いことを口走ってしまう自分。
アーシュは肩を竦めるが、表情はやけにさっぱりとした様子で話す。
「だろ? こんだけ神懸かってりゃ、お嬢様の恋心だって自分を超えてくれる相手にしか働かねえのさ。でも告白される度に毎回それを断る理由にしてたら、周りの奴らを見下してるみたいでまたアンチ共が黙ってねえだろ? どうせ今回のも、しつこく迫られたから適当な嘘ついて撒いた、とかきっとそんなこったろうぜ」
「…………」何気に的を射た意見に、巻き取ったパスタを口に運びつつしばし考え込む。
嘘か実か。メア先輩は男か女か……。ここ三日間、三度彼女の告白現場を垣間見てきたが……あれらは全て辻褄合わせの作り話だったのだろう。証拠もあるし、十中八九間違いない。
告白を断るためにやむなく苦渋の決断で嘘をついた、と考えるのが一番妥当だが、人格者と謳われるあのメア先輩がなんでこんなしょうもない嘘をつき続けるのか、そこがどうしても引っ掛かる。
怜悧であろう先輩が後腐れも考えずにその場しのぎで誤魔化すマネをするような人物には僕には見えない。仮にアーシュの言うところの本命が現れてもそれじゃ自滅の道しか……ってまあ、それは本当に先輩が異性愛者だったらの話だけど…………んあぁぁ~、考えたところでろくに話したこともない先輩のことなんてちっとも分からん!
勉強にも集中しなきゃいけないのに、ここ最近メア先輩のことばっかで全然手につかないし……あ~、また動悸がしてきたな……。なんでだろ、こうやって先輩のことを考え出すとすぐにこれだ。せめてこのモヤモヤの答えだけでも分かればすっきりするのに。
一人黙考する僕を余所に。アーシュの柄にもない発言に関心を寄せたダグは顔をニヤつかせ、感嘆の声を上げる。
「へぇー……。まさかアーシュの口から人様の、それも乙女の恋心について聞ける日が来るなんて夢にも思わなかったな。――ってあれ? もしやアーシュって女だったのか?」
「おい、気づくのおっせーぞ」アーシュがツッコむ振りをして左手で空を切る。
だが。アーシュもまんざらでもないといった風に、しれっと付け足して言う。
「まあでも……もし自分が男に生まれて変わったとして、あんだけ華がある娘に出会ったら、間違いなく即惚れてるけどな」
ダグはすっと目を瞑り、気の毒そうな表情を浮かべ首を横に振る。
「やめとけアーシュ。お前が生まれ変わった日には間違いなく雄ゴリラだ。人じゃない……」
アーシュの片眉が吊り上がり、応酬するべく乱暴な物言いでダグに噛みつく。
「あァン? ゴリラパワーでおめぇのキンタマもぎ取んぞ!」
「ブホォ……ッ!?」そして咄嗟に横を向き吹き出す僕。ここ最近吹き芸が板についてきてる。
昨日の『メア先輩の股間に二個玉事件』の記憶が甦ってしまった……。あのとき股間を握らされたポピーさんの断末魔のような悲痛な叫びが脳内でリピートされる。
「おい……汚ねえぞリックス」アーシュと、
「なになに? どったの?」ダグが、二人してきょとんとした顔つきで何事かと僕に視線を集める。
「いや……何でもない。ちょっと玉つき事故に遭って軽いフラッシュバックにやられただけだ。問題ない」
「……何言ってんだお前?」
怪訝な顔で言うアーシュに。ダグは、端から期待なんてしてないけどな、とでも言うような憮然とした態度で、うんうん、と頷いて腕を組む。
「言いたいことは分かるぞリックス。酔っ払ってるわけでもない普通の女子大生なら真っ昼間からキンタマなんてワード、口が裂けても出ないもんな。まあアーシュにそんな淑女な一面を期待しても無駄なんだけどさ」
アーシュは不満げに口を尖らせジト目で数秒間ダグを睨み付けてから、
「…………お黙りなさい。紳士的なパワーで貴殿のゴールデンボールいただきに参りますわよ?」
と、どこぞの怪盗みたいなセリフを上品に宣う。
「いや、オブラートに包んでまで言い直すほどのことか……? つーか、上品に言ったところで発言自体がアウトだろ」
速攻でダグにダメ出しされ、限界を迎えたアーシュのお口が暴れ出す。
「だああああっ。――んだよっ。キンタマをキンタマって言って何が悪いんだっ」
「はい、スリーアウトー! チェンジー!」
ダグが野球の審判員っぽくポージングする。
そんなこんなで昼休みの愉快な一時は過ぎ、アーシュの玉泥棒は未遂に終わった。




