【5-5】
「リックス!? ――リックスッ!!」
何度も何度も、私は彼の名を呼んだ。
「………………」
でも……。私にもたれ掛かったまま、もう何も答えてはくれない。
「…………ッ。何で……? 何でよ……っ」
涙が止めどなく溢れてくる。
最後の最期まで私を責めずに逝ってしまった。それに……。最期まで私のことを気遣って……っ。お人好しにも……程があるでしょ……? いいんだよ、なんて……去り際に言い残していかないでよ……。
「だから……っ。言いたくなかったのに…………っ」
――こうなる予感はしてた。私が死ぬのを……許してはくれなかった。
でも……。あの場で言わなかったら、リックスはあのまま悪魔に殺されてた。どうにもできなかった……。私の力じゃ…………。
「本当だったら私はとっくに死んでたんだから……身代わりになる必要なんてなかったのに……」
どうせ生きてたって後一ヶ月もない命だったんだよ? こっちはとうの昔に覚悟決めてたんだよ? なのに……。不完全燃焼にされたまま残された私の気持ちも考えてよ……。
纏わりつく良くない思考を振り払うように。ぶんぶん、と首を横に振る。手首で涙を拭う。
――ダメ、弱気になるなメア。これまでだって散々図太く生きてきたでしょ? 今考えるべきことはそれじゃない。まだ……、まだ可能性はあるんだ……! ここで諦めちゃダメ!
決意を胸に。リックスの後頭部を――そっと撫でる。
「……ホント、バカなんだから……」
もう充分、君からたくさん夢を見させてもらったから。――だからね、もういいんだよ?
やっぱり君が身代わりになるなんておかしい。私は私よりも――君に生きてて欲しいから。
「ねえ! そこにいるんでしょ……! いい加減出てきたら?」
今もどこか見ているであろうあの悪魔に向かって叫ぶ。
「あなたが欲しいのは私の魂なんでしょ? だったら! もう一度契約しましょう? 私の魂をあげるから! 彼の――リックスの魂を、元の肉体に返してあげて!」
不気味な静寂を突き破って。どこからともなく――忘れもしない、あの日聞いた人間味のない冷徹さを孕んだ笑い声が響いてくる。
「――クカカカカッ。今一度契約を結ぼうとハ――流石は我が見込んだ魂ヨ」
正面の――数メートル離れた先に、古めかしい玉座が現れる。あちこちに髑髏の装飾が見られる悪趣味な意匠。遅れて――その玉座に横柄に足を組んで座る大柄な悪魔――ニズロックと名乗っていた声の主がとうとう姿を現す。
人の形を為しているけど……人じゃない。どちらかと言えば、人の姿を模した鷲に近い。
下向きにうねった山羊の角を生やした鷲の頭部に、焦げ茶の羽毛に覆われた体、背にある大きな翼は尊大に広げられ、尾は獅子のそれに見える。脚先は鳥そのものの黄土色の三前趾足。腕は四本もあり――向かって左上腕は赤い液体が注がれたワイングラスを指に挟み、右上腕は……青く発光する球体を手の平の上で転がしている。肘掛けに置かれた左右の下腕の手では赤く発光する糸をあやとりのように指に繋ぎ弄んでいる。
黒紫を基調としたロングコートに身を包んだ――貴族、強いて言えば領主みたいな服装。
玉座にどっしりと構えた不遜な悪魔の、金色の瞳が――私を捉える。人間を人間とは思わぬ侮蔑的視線に……負けじと見返す。
ニズロックの黄色い嘴が――不満そうに開く。
「オマエの望み通り出てきてやったというのニ……なんだその目つきハ? もっと喜んだらドウダ?」
「……あなたのことを許したわけじゃない。――それと、口車に乗せられてあなたと契約してしまった自分のことも」
私の言い分に。聞き捨てならぬ、といった態度で、ニズロックがふてぶてしく言い返す。
「フンッ。何を言ウ、ちゃんとオマエの病を治してやったであろウ?」
「……ッ」
こんなのと契約してしまった自分への怒りが込み上げてきて――思わず睨みつける。
「初めから誰かの心臓を奪ってくるって知ってたら! 私は契約なんかしなかった!」
ニズロックは視線を私からワイングラスに逸らすと、スワリングさせながら聞き流すように言い放つ。
「ならバ、先に確認しなかったオマエの落ち度ではないカ」
……返す言葉がない。騙される方が悪い、という悪人の物差し。
「……そうね。だから今回はちゃんとリックスが生き返るのをこの目で確認するまでは、私の魂は渡さない」
鷲頭の悪魔が「クカカカカッ」と、哄笑する。
「笑わせてくれル。我がその気になれバ、今すぐにでもオマエの魂をひねり取れるとは考えぬのカ?」
人を小馬鹿にした態度に、
「そんなことできないくせに」
と正面切って断言する。
「……ナニ?」
ジロリ、と高圧的な金色の瞳が不穏に私を睨むが……、ここで屈したりするもんか。
「悪魔のルールは知らない。けど、もしそんなことができるなら、初めから契約なんかしないで好きなだけ魂を奪い取ればいいじゃない? ――でも、あなたは五歳だった私にすら契約を結ばせた」
推論から導き出した答えを悪魔に叩き付ける。
「悪魔には契約こそが法なのよ。じゃなきゃ――人から魂を取れないんでしょ?」
高圧的な視線を放っていたニズロックは、ニヤリといった顔をして言う。
「なるほド、そうきたカ……。流石はデッドロータスシンドロームが病ではナク、我の仕業だと見破っただけはアル。アレには見た者の脳に心臓が破裂したと思わせる認識阻害の術をかけておいたというのにナ」
――よし……。関心を引き出したこの機に一気に畳み掛ける!
「よく言うわね。その私にデッドロータスシンドロームを研究するように仕向けさせたのも、他ならぬあなたなんでしょ? こんなことして……何が目的なの?」
ニタッと、下嘴を横にズラし、舌を覗かせながら、
「……何、ちょっとした余興ダ。オマエがどこまで知り得るか試したまでのことヨ」
ニズロックは肘掛けに置いていた左右の下腕の手を上げ、両手の指に巻き付いて繋がる赤く発光する糸を、だらりと垂れ下げて私に見せつける。まるで運命をも操れる、と言わんばかりに……。
「悪趣味……」と、ぼそっと小言をもらすと、
「そう褒めるナ」と、ニズロックは愉快そうに舌をチロチロさせて返した。
……こんなのとまともにやり合っても時間の無駄よ。
「前に言ってたわよね? 悪趣味なあなたは、恋の味付けがされた魂が大好物なんだって」
胸に手を宛てがい――声高らかにこの悪魔が欲しがりそうな殺し文句を決める。
「私の魂は過去最高に恋い焦がれてて今が絶好の収穫時よ! 極上の旬を逃す手はないでしょ? どうせ食べるなら――私にしたら?」
左の下腕で顎杖を突いたニズロックは、物色するかの不快な視線でじろじろと私を見る。
「ニンゲンにもこれほど面白い奴がいたとはナ。――無論、オマエの味付けも我の目には魅力的に映らなくもナイ。だが……所詮は二流の味など入らヌ」
「な……っ」
予想外にも食いついてこず……口調に焦りが生まれる。
「なんでよ……! 恋をしてる私の魂が欲しいんじゃなかったの!?」
玉座から私を見下ろすニズロックが、ニヤニヤとシニカルに表情を歪ませる。
「オマエのその肝っ玉に免じていくつか悪いことを教えてやろウ。我が欲していたのはオマエの魂ではナイ」
そう言って。右上腕の手の平に持っていた青い球体を――私に見せつける。
「初めから――このエンダーの魂サ」
「え……」
その一言で。否が応でも全てを察した私に……悪魔はさぞ愉快そうに語る。
「エンダーの魂は我々悪魔にとっても魔がつく大変稀少で高価なものなのダ。だガ、エンダーから直接魂を取ろうにモ、此奴らが発するあの忌々しき天使どもと近しいマナの臭いのせいで我らの契約を受け付けヌ」
「しかシ、だからとて方法がないわけではナイ。契約を結んだ駒を別に用意シ、此奴らにエンダーの力を使わせ契約を肩代わりさせれバ、この通り例外ではなくナル」
「極上のエンダーの魂を手に入れた正にこの時こそガ! 我が虎視眈々《こしたんたん》と待ち続ケ、念願を成就させた瞬間なのダ! オマエの魂なんぞ端から入らぬワ!」
…………。じゃあ、私がこれまで頑張ってきたことって、一体…………。何もかも、この悪魔を喜ばせるためのものだったの……? 私が余計なことをしたから……、リックスはこんな目に…………。
「最初っから全部……騙されてたのね…………」
リックスの亡骸を抱きしめ顔面蒼白となる私に対し。ニズロックは、その顔が見たかった、とでも言うような性悪なツラを浮かべる。
「騙された、とは嬉しいことを言ってくれル。それはそれは悪魔聞きの良い甘美な響きダ」
二の句が継げない私を見ると、ますます悦に入ったニズロックは饒舌になる。
「我が好むのは恋は恋でも悲恋の味。魂から溢れ出るあの哀愁こそが天下一品でアル。故にこの魂に悲恋の味を染み込ませるために幾度も入念な下拵えをしてキタ。ニンゲンは高揚すればするほど堕ちたときの絶望の深味も濃くナル。だから大いにオマエたちの恋を盛り上げてやったのダ」
そこから。ニズロックは私たちに行ってきた悪事の数々を暴露し始めた。
私と引き合わせるためにリックスにクリスティアに入学するように仕組んだこと、私たちの運命はもちろん、ときには関係ない人々や私の両親をも操ってきたこと、毒蛇に咬まれたアーシュを助けるためにエンダーの力を使わせることで真実に気づくよう導かせたこと、私の意識を奪って病院に運ばせたこと、等など……数え切れない。
それでも飽き足らず、悪魔の嘴は止まらない。
「確かに悪魔の目から見てモ、オマエの美貌は恵まれているであろウ。――だガ、所詮はニンゲンの美的感覚など我には理解が及ばヌ。だかラ。このエンダーと確実に恋をさせるためニ、予めオマエには周囲のニンゲンを魅了する術をかけておいたのダ」
聞き流せない発言に。私の耳がぴくりと反応する。
「魅了……」
まさか……。それもこれも…………コイツのせいなの?
「じゃあ……アーシュやニーナたちが、私に恋するようになったのも……?」
取り立てて言うほどのことではないかの頷き具合で、ニズロックは答える。
「左様。オマエといればいるホド、オマエを好きになっていく術の効果ダ」
「…………」
私の親友までもが……コイツに苦しめられてたなんて…………。
「何で……、彼女たちも巻き込んだの……? 百歩譲って魅了させるにしても……異性だけにすればいいじゃない…………」
ニズロックが冷然と言い放つ。
「恋が何たるかヲ、少しでもオマエに分からせるためダ。それニ、その心にある恋への渇望を極限まで熟成させる必要があったのでナ」
そう言って。非情なる言葉を連ね、悪意に満ちた真意を明かす。
「恋をしたら魂を取られるとオマエに思わせたのもそのためダ。ニンゲンは禁欲されればされるホド、いずれ膨れ上がった己の欲望の重みに耐えられなくナル。性欲、酒やタバコ、ドラッグ――どれも禁止されれバ、いずれ溺れるニンゲンが出てくル。恋がしたいという欲求モ、本質的にはそれらと同じものダ」
「………………」
恋を知った今なら言える。そんな邪な欲求と、この気持ちを同列に語らないで欲しい。
これまで散々恋を恐れてきた私だけど、恋をすることで、人を愛する気持ちや分かち合える喜び、逃げない勇気や自分と向き合う強さ、ときには辛いこともあったけど……どれもかけがえのないものを得られた。
――この気持ちは私だけのもの。コイツが悲恋を味わった魂をどれだけ貪ってきたのか知りたくもないけど、勝手に人の心を知った気にならないでよ。
でも……。そう思うからこそ…………。
悔しいけれど……この悪魔が言っていることは、概ね正しかった。……結局、私は恋に抗えなかった。リックスが救われるには彼を好きになってはいけなかったのに…………好きになってしまった。私の恋への渇望が…………彼を二度も死に追いやったんだ。
私の心身はすっかり疲弊しきっているというのに、あまつさえニズロックは反論の手を上げようとする。
「なぜ異性だけにしなかったのかとオマエは言うガ、我からすれバ、同性と異性とで愛を分別するオマエたちニンゲンの方ガ、悪魔よりもよっぽど残酷な生き物に見えル」
……悪魔に説教される筋合いはない。けど……私たちが自分と違うものを良しとしない排他的で残酷な生き物であるのは確かにそうかもしれない。……まあもう、そんなことはどうだっていいや…………。リックスを生き返らせる望みが潰えた今となっては…………。
抵抗する気力を失った私に。なおも嬲る言葉を浴びせていく。
「此奴のオマエを愛する気持ちモ、所詮は魅了の術の効果による養殖に過ぎナイ」
「そんな……。ちがっ、違う……っ」
「フンッ。どちらにセヨ、我にはどうでもいい話ダ。結果的にオマエは自分が生き長らえるためニ、此奴の恋心を利用しエンダーの力を使わせたのダロ? おかげで我の望みも叶ってお互いウィンウィンではないカ」
「違うっ、そんな……、そんなんじゃない……っ」
「本当に感謝しているのだゾ? 我にとってハ、此奴の魂を手に入れるにハ、此奴の母親は邪魔な存在だったからナ。ついでに始末できたのもオマエのおかげダ」
「やめて……っ、やめてよ……!!」
「何をそんなに謙遜スル? オマエもニンゲンの形をしているだけで中身は我らと同じダ。悪魔のような女、いや悪魔そのものではないカ」
「……うぅっ、ひぃっぐ…………」
「オマエの演技も然る事ながラ、此奴がバカ正直な奴で助かっタ。最後まで騙されてるのを知らずに死んでいったのだからナ。オマエの本性を知ったイマ、この魂から怨嗟の罵声が聞こえてきそうダ」
「ごめんな……さい……、ごべんな――あぁぁああ……っ」
「クカカカカッ。全て思い通りに事が運んで笑いが止まらン。やはり操るなら愚か者の善人に限ル。これまで数多のニンゲンを見てきたガ、ここまでバカなお人好しは見たことがナイ。あまりにも滑稽で良い見世物ダッタ」
「お願いします……。もう、やめてください……」
「フム?」
「私のことなら、なんて言われてもいいです……。だから……。これ以上、彼を侮辱しないでください…………」
「……フンッ。張り合いのない奴メ」
右上腕に持っていた青い球体を――彼の魂を掲げ、ニズロックは気が済んだかの表情で私を見ては言う。
「オマエにはもう何もできヌ。大人しく此奴の魂が我に食われるところを見てオレ」
――とてもじゃないけれど、罪悪感で見ていられなかった。
「……ごめんね、リックス……。ごめんね…………っ」
私の肩に寄り掛かったままのリックスを抱きしめ……顔を伏せ、瞼を閉じた。地獄の時間がただ過ぎ去るのを心から願った。何もできなかった自分を呪いながら――。
すぐに。
「――ウムッ。これぞ極上の一品! 正しく美味でアル!」と、
ニズロックの歓喜する大声が聞こえてきた。
「なんとも濃厚ナ! 死に逝くオマエを守るためニ! 愛するが故ニ! 自ら命を投げ打って身代わりとなった悲恋のスパイスガ! この魂の味を格別なものにしてイル!」
「――――ッ」
終われ! 終われ……! ……早く……終わってよ…………。
「クカカカカッ! クカカカカカカッ!」
耳障りな高笑いが聞こえた――次の瞬間。
「――ヌッ!? なんだコレハ……! この光ハ……ッ?! ――グウオオオオオオォォォ!!」
ニズロックの――絶叫が辺りに木霊した。
と同時に……。瞼に刺さる眩しさに。何事かと恐る恐る目を開けると、
「………………」
そこに――一人の天使がいた。
ニズロックがいたはずの場所に入れ替わる形で――空に舞う天使様が現れた。曇天だった空が割れ……雲の隙間から差し込んだ光芒が、天使様と――、私を――、照らし出していた。その片手には……リックスの魂を抱えているのが見て取れた。
驚愕に目と口が開くのも束の間。天使様の――そのご尊顔に気づいたとき、
「……ッ」
思わず息を呑み込んだ。
見間違えようがない……。一度だけ写真で見た人。何度も何度も、夢で見てきた人――。
「リックスの……お母さん…………」
特徴的な灰色の髪と瞳。リックスとそっくりな目元。不思議なオーラがある柔和な顔立ちは忘れもしない。背中までの光沢のあるウェーブヘアをふわふわと靡かせ、純白のワンピース――キトンを身に纏い、翼をはためかせた姿は――なんとも神々しい。
「ああ……、あぁぁ……ッ」
言わなきゃいけないことが、伝えなきゃいけないことが……もっとあったろうに……。言葉に……できなかった。
「ごめん……なさ……、ごめん、なさい……、ごめんなさい……っ、ごめんなさいッ、ごめんなさいッ、ごめんなさいッ、ごべんな……ッ、ご――ッ。――――ッ」
喉が震えて声も出ない。歯痒く下唇を噛み締める。視界がぼやけて霞む。目の奥底がじんじんと熱くなる。呼吸もままならない。心臓が――飛び出したがってる。
リックスのお母さんがゆっくりと宙を歩きながら、こちらに近づいてくる。
リックスを抱えたまま固まった私のところまで来ると、
「――大丈夫、大丈夫」
穏やかにそう言って。憎まれるべきである、恨まれるべきである、私の頭をそっと撫でた。
「…………」
その手に感触はないのに……。もう変えようもない世界と引き金を引いてしまった咎に蝕まれる私の心を……まるでまるごと愛して抱き寄せるかのような仮想の温もりに――。魂に烙印された罪過が溶けていく――――。
たった一言で。絶望の淵で暗闇に染まり色を失っていた私を救い上げてくれた。照らし出してくれた。
それどころか。
「遅くなってごめんなさいね」と、何故か逆に謝罪までされてしまった。
私を……対等に見てくれている。存在してはいけなかった私を……。不正に生き長らえたこの命を……裁きに来たのではなく、罪から釈放するかの慈愛の眼差し――。
そのおかげか。自然と……喉奥に詰まっていた言葉が出てきた。
「……私は、もう……。生きていく、自信がありません…………。 この心臓は……私には重すぎます……。この重みを一生背負って生きていくのかと思うと……辛くて……っ、耐えられない、です…………っ」
おそらく。ぐしゃぐしゃになっているであろう私の顔、その頬に。リックスのお母さんの手が添えられた。私に柔和な眼差しを向けてから、首を左右に振った。
「悪いのは全てあの悪魔よ。自分を責めないで」
なおも。私の心に巣くう大罪に加担した罪の意識を、取り除くかの物腰で言う。
「『悪魔が契約なしに人に干渉するのを禁じる。また人に過度な干渉をしてはならない』、天界と魔界との間で定められたこの掟を監視の目をすり抜けて幾度も逸脱してきたあの悪魔には、天上の神もさぞご立腹だったもの。故に、それ相応の然るべき天罰が下ったのよ」
もういいの、と罪のしがらみを払い除けるように、
「ここまで一人で耐え抜いてきたあなたを罰するなんて私にはできないわ。むしろ、よく頑張ったねって褒めてあげたいくらいだもの」
重ね重ね私の頭を撫でてくれた。
「…………。本当に……私を罰しないのですか……?」
気づけばカサついた心の声が私の口を衝いて出ていた。
この人がそう望むのであれば、私は今すぐにでもここから飛び降りただろうに……。この命の生殺与奪権を差し出すほどの、それだけのことをしたと思っていたのに……。どうして……こんなにも温かいのだろう。
見つめた視線に荒涼とした気持ちを込めるも……。その神秘的な灰色の柔らかな瞳に、放たれた負の感情が吸い込まれていく。
リックスのお母さんは微笑んで頷くと、徐に話し始めた。
「私、本当はね、リックスにはエンダーの力なんて知って欲しくなかったの。普通に生きて普通の、ごく当たり前の人生を送って欲しかった」
でもね……、と言って。少し表情を哀愁に寄せた。
「私がこの子を命懸けで救おうとしたあのときに悟ったわ。愛する我が子を命を投げ打ってでも助けようとする母の姿を見て、きっといつかこの子も、私と同じように守ると決めたもののためならば、自分の命すら捧げてしまうんだろうって」
そこで。今度は自身の頬に手を当て困ったように首を少し傾けると、苦笑いを浮かべた彼女はこう続けた。
「だって――私の子ですもの。親子って良いところもダメなところも似てしまうものなのよ」
「…………」
この温もりを――私はとうに知っていた。だってそれは、私が初めて好きになった人が肌身離さず持っていたものだから。――そっか、あの優しさはここから来てたんだ。
元凶ではなかったにせよ、あなたの命が損なわれた因子の一つである当事者が生きていて良いのでしょうか、という心の苦悶に……。天使様は天啓を与えてくれた。
「生きてる限り意味は生まれ続ける。あなたは息子が選んだ自分よりも大切だと思えるほどの人なのよ? そんなあなたを信じてあげて」
……今日だけで何度涙を拭ったことか。一生分は泣いた気がする。――いい加減笑顔を見せてあげなきゃ、天使様だって安心して離れられないもんね。
「はい……。リックスはホントに……、どうしようもないくらいのお人好しです。でも――そんなリックスだから好きになれました」
私たちを祝福するかの素敵な笑顔で応えてくれたリックスのお母さんは、
「これからも不出来な息子をよろしくお願いしますね、メアさん」と、
いつもどこかで見守っていなければ知る由もない私の名を呼びながら、彼の魂を私に手渡し――授けてくれた。
そして。
笑顔の横で満足そうに手を振りながら、足元から徐々に光の粒子となって散っていく。そこに存在を視認できなくなるまで――にっこりと喜ばしい温かみのある笑みを残して……霧散していった。
私は、巻き上がった僅かな粒子が天に昇っていくのを――見えなくなるまで見送った。
「――――、――ックス!」
誰かに名前を呼ばれた気がして――目が覚める。瞼を開けると、
「――ッ! リックス……!」
不安げな表情から笑顔を咲かせたメアが一番に視界に飛び込んできた。
「……メア……?」
……腫れぼったい目に、目のクマも残っていてひどい顔だ。
腰を起こし……自身の胸に手を宛てがう。――ドクッドクッと。心臓の鼓動を感じる。
「生きてる……?」
俄に信じられなくて。驚き冷めやらぬ顔で、隣で女の子座りをしていたメアをまじまじと見つめる。
「リックスのお母さんがね……助けてくれたんだよ」
目尻の涙を指で拭い、声の強弱が覚束ない調子でメアは言う。
「母さん、が……?」
「うん……!」
満面の笑みで答えたメアを見て――死んでも夢って見るのかな、という思考が脳裏を過る。
まだ夢現のままだったが……。そんなのはお構いなしに胸に飛び込んできたメアに抱きつかれる。
「バカ……ッ、リックスのバカ……ッ。君がまた犠牲になったら……私はどうやって償えばいいの…………。どうやって……謝ればいいの…………っ」
堪えていたメアの感情が爆発して鎮火を余儀なくされる。
「ああ……。ごめん」
彼女の体を抱きしめながら……思う。――ああ、メアだ。僕の知っている、いつもは強がっているけど、本当は泣き虫の――メアだ。
「ほんと……っ、バカバカ……、バカ…………ッ」
僕の肩に顔を埋め連呼する。
「そんなに言わなくても……。自分でもそう思ってるよ」
まだまだ静まりそうにない心の声を大にして――メアは喚く。
「……大っ嫌い……。リックスなんて……だいっきらい…………っ」
――誰が聞いても分かる本心。ここは彼女に最も相応しい言葉を以て話を締めるとしよう。
「この――嘘吐きめ」




