【1-2】
翌日。七月十二日。
昨日と同じ時間、同じ場所で、同じように木を背にして太い枝に腰掛け、物陰から背後の様子を窺う、ほぼ代わり映えしない服装の僕。
ストロー刺しっぱなしのマナマックスΩを片手に持ったまま、十メートルほど先に見える大樹の手前で二人組の女性が話している会話に耳を傾ける。
一人はメア先輩。今日もお馴染みの服装だ。毎回似たようなファッションなのになぜか見飽きない。表情は明るいが……少し緊張しているのか、なんだか落ち着かない様子だ。
その左手薬指には、この位置からじゃ少々見えづらいがいつもの婚約指輪が見当たらない。つけてきてないってことは昨日言ってたことは全部本当で婚約者の話も嘘だったのか?
もう一人は昨今では絶滅危惧種に近い由緒正しきフォーマルなおさげ姿の同世代と思しき見知らぬ女性。黄緑のワンピースを着ている。先輩と親しげに話しているところを見るにおそらく友人辺りだろう。
便宜上、名前があった方がいいな……。――よし。ぱっと見のイメージでオサレオサゲと命名しよう。
オサレオサゲは祈るように両手を組む。恥ずかしそうにメア先輩に向き合いながらも羨望の眼差しを注ぐ。
「あ、あのね……っ。わたしっ、メアちゃんに聞いてほしいことがあるの……っ。こんなこと言ったら嫌われちゃうんじゃないか、とか、変な目で見られちゃうんじゃないか、とか、不安で、不安で……、誰にも内緒にしてきたけど…………私、メアちゃんのことがずっと前から好きなの! 友達としてももちろん好きだけど恋愛としての好きなの! ライク以上にラブなの! 同性相手にこんな気持ちになったの初めてで……。本当は婚約者なんていないんだって知って、メアちゃんも……女の子のが好きだって聞いたから、だからね、あの…………良かったら私と付き合ってください!」
…………どうしてこうなった? 今日こそはと思ってまたベストスポットに来てみれば、腰掛けてからものの三分もしないうちによもや昨日と同じ展開に遭遇するとは。
二日も連続でどうなってるんだ……? さてはあの木の下で告白して恋が実ったら永遠に幸せになれる噂でもあんのか? いやどんな伝説の木だよ。つーか、一日で噂広まるの早過ぎんだろ。
唐突な友人からのカミングアウトにメア先輩の目が点になる。まあそりゃそうだよな。
すぐに先輩の顔つきが至極真剣なものへと変わる。普段のトーンより重みのある声色が聞こえてくる。
「ニーナ、一つだけ聞かせて。――いつから? いつから私のこと好きだったの?」
オサレオサゲの個体名がニーナと判明したが、オサレオサゲがすっかり口に馴染んでしまったので続投で。
ニーナもといオサレオサゲは、両指の人差し指をもじもじさせつつ答える。
「……初めて意識したのは二年前の入学式かな。入学生総代として壇上に上がって華やかに挨拶するメアちゃんを見た日から、気になり始めて……。話すようになってから段々とこの気持ちが大きくなっていって……。ああ、そっか。これが一目惚れなんだって気づいたの」
聞いてて背中がむず痒くなりそうなセリフに。メア先輩は照れ半分、申し訳なさ半分といった複雑な心境を覗かせた表情を浮かべる。
「そっか……。そんな風に想っててくれてたなんて全然気づかなかったなあ。…………。私がもっと早く気づいてれば、ニーナに長いこと不安な想いをさせずに済んだのかな」
慌てて首を横に振りながら、オサレオサゲは言う。
「そんなことないよ! 私が臆病だから……いつまで経っても言い出す勇気が出なくて…………」
そこで。ようやくメア先輩は純度百パーセントの笑顔を見せる。
「打ち明けてくれてありがとう、ニーナ。不安な気持ちを抱えたまま今まで仲良くしてくれたニーナの優しさに心が痛いよ。それでも勇気を振り絞って話してくれたんだなって思えたから素直に嬉しかったし、そんなに特別に想ってもらえることなんてこの先一生ないかもしれない。――でも私も、その気持ちに負けないくらいニーナのこと大切だと思ってるよ」
話を聞いているうちになぜかちょっと涙目になる僕。
先輩、良い人だなぁ……。このままだとオサレオサゲより先に僕の心が浄化されてしまいそうだ。あの人本当に僕と同じ人間なのか? ちょっと前に、一部の熱狂的なメア信者たちが「メア様はこの学園に舞い降りた女神様だ」とか口をそろえて祭り上げている光景を目にしたときは、何言ってんだか、と内心呆れていたが、その理由が今なら少しだけ分かるかもしれない。……今度ファンクラブ見学してみようかな。
「――ほ、ホントに……? じゃ、じゃあ……! 私と付き合ってくれるの……?」
女神様の慈愛に満ちた御言葉を受け、オサレオサゲはそわそわと両手を組む。期待のこもった潤んだ瞳で先輩を見つめ、返答を待つ。
メア先輩は口角を上げ微笑み返すが、その目には……どこか寂しそうな陰りが見えた。
「…………ごめんね。私が女の子のが好きだなんて言ったばかりにニーナに期待を持たせてしまって……。せっかく勇気を出して告白してくれたのに、その想いに応えられそうにない。――ニーナも知ってるでしょ? 私が早期卒業を目指していること。今学年で無事に卒業するには勉強する時間はいくらあっても足りないの。それに何度も言ってるけど、医術技師になるまでは誰とも恋愛する気になんてなれないよ。だからニーナが辛くなければこれまで通り友達でいてほしい」
思わぬところで衝撃的な話を聞いてしまったが……。先輩、来年には卒業するつもりなのか。――ひょっとして、オサレオサゲのやつ、先輩が自分より早く卒業しちゃうかもしれないから焦ってたんじゃ? 卒業するまで気持ちが抑えきれずに暴発しちゃったって感じか。
オサレオサゲから表情が消え、がっくりとうなだれる。
「ともだち…………。そっか……。そうだよね、やっぱりダメだよね……。だって私じゃ全然メアちゃんに相応しくないもん。私みたいな地味女じゃメアちゃんと釣り合うわけないもんね」
困り顔でメア先輩は眉を顰め、小首を傾げる。
「え、えーっと……、ニーナ? 別にニーナにダメなところなんてないよ? そうじゃなくて、ただ単に卒業できるまでは勉強に専念したいだけで――」
「大丈夫、もういいから」俯いたままオサレオサゲはそう言うと、両拳を固く握り締める。
「いくら女の子のが好きでも誰でも良いってわけじゃないよね。メアちゃんにだって好みはあるもん。……こればっかりは仕方ないよ」
顔を上げたオサレオサゲは意外にも笑顔を見せる。
「だからニーナ。違くて、好みの問題じゃなくて、私はただべんきょ――」
「もういいって」先輩の話を聞かずにオサレオサゲは首を左右に振る。
「ニーナ……?」
「……それぐらい私にだって分かるよ。一応、これでも二年もメアちゃんを傍で見てきたんだよ? メアちゃんはいつも勉強を言い訳にしてる。毎回テンプレみたいに勉強勉強って、恋愛絡みのときはいつだってそう。確かに早期卒業するには恋なんてしてる暇がないくらいに忙しいのは知ってるよ。――でも、きっとそれだけじゃない。メアちゃんはまだ何かを隠してる。私の親友としての勘がそう言ってるの」
メア先輩の瞳から視線を逸らさずに、真剣な目つきをしたオサレオサゲは続けて言う。
「友達なら……親友と思ってくれてるなら……、教えてほしいの。メアちゃんが何でそんなに恋愛ごとを避けるのか……、何か困ってるなら、私だって、親友の役に立ちたいのっ」
なにやら緊迫してきた空気に。僕はストローからマナマックスΩを吸引し固唾を流し込む。
うわー……。同性の友達に告白されてからの今度は友情関係のもつれに発展かー……。これはまためんどくさい展開になってきたぞ。――さあ、どう出る先輩?
メア先輩は視線に哀愁の重みを乗せ、オサレオサゲを見つめ返す。
「…………そんなこと言うのズルいよ。私だってニーナは特別だと思ってる。クリスティアに入って色んな人と関わり合うようになったけど、ニーナほど話も気も合う子は他にいないし、エーテル学の話題でディスカッションしても私についてこれるのは教授以外じゃニーナだけだもん。どうしてそこまで疑うのか分からないけど、でもニーナが思ってるようなことは何一つもないんだよ? 信じてほしいな」
口元に笑みを湛えて返す先輩を見て、オサレオサゲは俯き握り締めた拳を震わせる。
「……メアちゃんこそ、ズルいよ。信じてないのはメアちゃんの方じゃない。……あのときの約束、もう忘れちゃったんだね?」
「……? あのときの……?」
「ほら、やっぱり忘れてる……。私たちの仲に隠し事は不要だって約束したのに……。だから、私、勇気出して自分の気持ち打ち明けたのに……。どうやら親友だと思ってたのは私だけだったんだね……」
「ちがうっ。そんなことない……っ。私もニーナのこと――っ」
「もういいよ……。今日は急に呼び出したり、あれこれ言ったりしてごめんね。――私、もう行くから」
オサレオサゲは踵を返すと足早に立ち去っていく。
「――ニーナっ。待って、聞いて……っ」
先輩の悲愴な声に。オサレオサゲの足が止まる。
「…………。さよなら、メアちゃん」
だが。振り返らずにそのまま再び歩き出す。離れていく友の後ろ姿に一度は手を伸ばすものの、歯痒そうに唇を噛み締めたメア先輩は伸ばした手をゆっくりと引っ込める。
段々と小さくなっていくその背に。メア先輩は意を決した様子で叫んだ。
「――――ッ。分かったっ。言うからっ。私のヒミツ話すからっ」
その言葉に。オサレオサゲの背中がぴくりと反応して立ち止まる。
「ごめんっ、ニーナッ。私も……っ、私も、ホントはずっと言うのが怖くて隠してたのっ。でも……ニーナは親友だからっ。ニーナにだけは本当のこと打ち明けるからっ。だから聞いて……っ」
必死に叫ぶメア先輩。
「メアちゃん……」
想いが通じたのか、振り返って瞳をうるうると輝かせるオサレオサゲ。
「………………」
一方で。瞬きもエナジー補給も忘れ、意味なくストローを咥えたまま傍観する僕。
……何なんこれ? 何だこの臭いメロドラマは? 僕は一体何の劇を見させられているんだ? てかどうでもいいけどここで告白する奴ら全員情緒ガッタガタ過ぎやしませんか? この人たちの感情、山の天気並みに移ろいやすいんだけどどうなってんの? もう少し情緒の舗装しておいた方がいいんじゃない?
急いでメア先輩がオサレオサゲのもとに駆け寄る。オサゲの両手を掴んで握り締めると、気恥ずかしそうな様子で先輩は斜め下を向く。
「その……先に約束して。聞いても絶対に笑わないって……」
少し顔を赤らめながら懇願する先輩の姿にあてられ、脳内で湧き出るドーパミン作用により興奮度が高まっていく。一瞬も見逃せない場面。雰囲気に呑まれ渇いた喉が水分をせがみ、急速にマナマックスΩを吸い上げる。
「……うん。笑わない」
オサレオサゲは頷く。それを合図に。メア先輩は大きく深呼吸し、決意を固め顔を上げる。
「わたし……、――――っ。わたし……っ、ゴリゴリマッチョの筋肉の塊みたいな女の子が大大大好きなのおおおおおおおっ」
「ブッフォォォ――――ッ?!」
言うまでもなく盛大に噴いた。なんなら鼻からも出た。
「――――ッ。クッソ……ッ。鼻が逝った……ッ」小声をもらし痛みに悶える僕。
いやいやいや……これはきっと何かの間違いだ。さっきメア先輩だって言ってたじゃないか。好みの問題じゃないって。早期卒業するのを最優先に考えているからただ恋愛に時間を割けないだけだって。決してオサレオサゲが好みのタイプじゃないから振ったわけじゃない。
たぶん何か特別な事情が……そうだ、きっとのっぴきならない事情があって、それをこれから語ってくれるにちが――
そう思った矢先。メア先輩から怒濤の早口が繰り出される。
「破裂寸前まで膨れ上がったバルーンみたいな上腕二頭筋と三頭筋が好きっ。胸の間を流れる汗の渓谷が目に浮かぶほど盛り上がった大胸筋が好きっ。肩に月を担げちゃうぐらい夢のあるおっきな三角筋が好きっ。背中に滑走路引いたら着陸できそうなくらい幅広い広背筋と僧帽筋が好きっ。世界一硬いアダマンタイトでさえぶつけたら粉々になっちゃうような頑強な腹直筋が好きっ。世界樹の如くどっしりと構えた揺るがない大腿四頭筋が好きっ。あとは、えと……、ああ~! なんかもう普通に逞しい腓腹筋がすぅっきいいいいいいいいいいっ」
噛まずに止まることなく言い切ったメア先輩が思い出したかのように肩で息をする。
「――――ッ」唇を噛み締め大声でツッコミたい気持ちを必死に堪える。どうにかこうにか欲求に打ち勝った僕は行き場を失った衝動を心の内でぶちまける。
――おもっくそ好みの問題やったあああ! 特別な事情なんて微塵もなかったあああ! オサゲの言う通りだったあああ! 先輩を信じてた自分が恥ずかしいいいい! 筋肉のバカやろおおお! 僕たちのメア先輩を返せえええ! 僕たちの青春を返してくれよおおおおお!
てかまたしても好みが強過ぎる変態マッチョたちがオールスターしてんじゃねえか! 肩で月を担ぐ、だ? アダマンタイトをも砕く腹筋、だ?? 世界樹のような太腿、だ?!
そんなメルヘンチックなマッチョ見たことねえよ! 絵本の中でさえ見たことねえよ!
「…………ぶふっ、あははっ、あははははっ」
しばし。呆気に取られていたオサレオサゲが急に吹き出して笑った。
「ちょっとニーナ! 笑わないって約束したじゃない!」先輩はむすっと赤面して抗議する。
「あははっ、ご、ごめんっ。だって、可笑しくて……っ」
「――もぉっ、だから言いたくなかったのっ」
先輩はぎゅっと目を閉じ――照れ隠しからか――オサゲの両肩を掴んで前後に揺さぶることに躍起になる。なにあれカワイイ。オサゲの役と代わりてぇー……。
なされるがままに、一頻り笑い終えたオサレオサゲは目を拭った。
「ふぅー……。ごめんね。でも、まさかメアちゃんが筋肉好きだったなんて思わなくて」
拗ねた表情を浮かべつつ、先輩はそっぽを向く。
「うっ……。だって……皆、私に対して本当の私とはかけ離れたイメージを抱いてるから、ホントのこと言い出しづらくて」
肩から垂らした髪の毛先をくるくると弄る先輩。その様子を微笑ましそうに見つめていたオサゲがクスっと笑った。
「ふふっ。それを隠すために嘘ついて男避けの指輪までしてたんだね」
「う……っ。誰にも言わないでよ? 絶対だよ?」
「言うわけないじゃん。私たち親友でしょ?」
「――うん。大事な親友。だから信じてる」
欲していた返答を聞けて。満面の笑みで応えたオサゲは、唐突に元気よく切り出す。
「よーし! 私、今日から筋トレとかランニング始めることにする!」
「え? あー……、うん。いいんじゃない?」
「なんならメアちゃんも一緒にやろうよ!」
「あー、んー……私はいいかな。見るのが好きなだけで、別にムキムキになりたいわけじゃないから」
「ムキムキじゃなくて美ボディを作るためにやるの! ね? メアちゃんも一緒にやろ?」
「んー、でもやる時間もないし、時間あったら勉強したいし」
「あああ~、もうそのセリフは聞き飽きたから聞こえな~い! ほら、そろそろ戻る時間だから研究室まで競争しよ! 負けた方は自販機でジュース奢る《おご》こと!」
「えぇー、急にかけっこなんて子供じゃあるまいし」
「それじゃ! よーい――ドン!」
「あ! ちょっとニーナ! ……もうっ、待ってってば!」
すぐに校舎の方に駆け出したオサレオサゲを追って先輩も走り出す。走り去る二人の横顔がちらっと見えたが、二人とも笑っていた。
今日も見ていて波乱の展開だったが……よく修復不可能になりかけたあの状況からここまで立て直せたもんだ。これも日頃のメア先輩の人徳があってこそ為せる技なのか?
日頃の先輩はそこまで知らないから分からんが、想像していたよりも大分変な方向にベクトルが突出してらっしゃるのはこれまでの経緯で十分に分かった。それと友達想いの良い人ってこともだ。
いやー、でも先輩の好みのタイプを知れば知るほどますます癖が増していくな。先輩の恋愛観は一体全体どうなってるんだ? 先輩は紛れもない天才だが、こと恋愛に関する嗜好と思考ははっきり言って常人には理解できないものがある。まあそう思うだけで人の好きなものにとやかく口出しするつもりはないし、そもそも先輩とは話したこともないけど。
とりあえず、これ以上考察しても所詮天才様の考えることなんて凡人には分からん話だ。
「もうボーっとする気分でもないし昼寝でもすっか……」
腰掛けていた枝から飛び下りて木の根元にもたれ掛かる。目を瞑り、今し方のメア先輩の発言をあれこれ思い返しながら眠りに就く。
――三十分後。ハッと目が覚めて飛び起きる。
「はあはあ……っ。……ゆ、夢か…………」
絵本の中にいるようなファンシーな世界でムキムキマッチョな妖精たちに延々と筋トレを強制させられる悪夢を見た僕は、筋肉内に蓄積した幻の乳酸による疲労感でしばらくその場から立ち上がれそうになかった。




