【4-2】
翌日。十二月二十六日。
ちょうどおやつどきかというくらいの時間に、ベッドに座りテレビを眺めていたら部屋の外から引き戸をノックする音がした。
「? どうぞ」
そう返すと、
「失礼いたします」という凜とした声がして、
開いた引き戸から、上下グレーのスーツ(下はスラックス)をかっちり着込んだ秘書っぽい服装の二十代半ばぐらいの女性が現れた。
戸を開けた手とは反対の手には、本人の肩幅より横長のバッグらしきものを絶妙なバランス感覚で掲げていたが、それをさっと腹に抱えて持ち直すと、僕から見てベッドの左脇にある机の上に置いた。
手が空いた女性はキリッと引き締まった顔でこちらを振り返る。うねうねと広がった肩までの赤毛の髪に褐色の肌、銀縁の眼鏡越しに見えるアンバーの瞳が特徴的だ。
「初めまして。私、アーリッシュお嬢様の専属使用人で身の回りのお世話をさせて頂いております、ルシルと申します」
と、畏まった一礼をされた。
――あ、アーシュとメアの会話に出てた癖っ毛で眼鏡の監視役の人だ……。
アーシュと僕並みかそれ以上に背丈が高く、細身だがスーツの上からでも分かる引き絞られた体からは何かスポーツをやっていそうな体幹の良さが見受けられる。
「ど、どうも。初めまして……」
言葉や仕草の一つ一つに何やら形式張った気品があって少し気圧される。服装はよくあるメイドのイメージとは違うけど、使用人というレアな職種に従事している人と関わる機会が僕の人生にも訪れるとは思わなんだ。
ルシルと名乗った頬肉が固そうな女性は真っ直ぐな眼差しをこちらに向ける。
「この度は我々の管理体制が不十分であったために、お嬢様のご学友であられるリックス様に命の危機に瀕するお怪我をさせてしまったことを、シュタール家の使用人を代表して謝罪させて頂きたく参りました」
両手をへそに重ね、ザ・メイドといった礼儀正しい所作で頭を下げる。
「誠に申し訳ありませんでした」
「いえ、そんな謝罪なんて……。病院まで急いで運んでもらえたおかげで大した怪我にならずに済んだので僕も感謝してますよ。シュタール家のせいだとか思ってないですから」
なおも。ルシルさんは頑として頭を上げず実直な姿勢で臨む。
「そういうわけにいきません。おもてなしするはずのお客様に被害を出したまま何もせずに帰したとあればシュタールの家名に傷をつけてしまいます。お詫びとして入院費は既にこちらでお支払いしておきました。また詳しい経緯は存じませんがお嬢様をお助け頂いたということで、謝礼の分も含め別途入院中に支払われた経費に多少多めに色をつけてこちらで全額負担いたします」
「いやいやっ、入院費だけでも十分ありがたいんで結構ですよ……っ」
話している間も一向に頭を上げないルシルさんに向かい慌てて断るも、彼女の姿勢と態度が崩れる気配はない。
「そう遠慮なさらないでください。リックス様が頷いて下さるまで私めも帰るわけにはいきませんので」
「は、はあ……」
思った以上に手強そうな人で、困ったな……、と後頭部を擦る。そのタイミングでようやく頭を上げたルシルさんは、
「それとお気に召すか分かりませんがお見舞いの品をお持ちいたしました」
さきほど机に置いたバッグから――どうやら保冷バッグだったらしいその中から――透明なポリ袋を被せたフルーツの盛り合わせを手に持ち取り出す。
パイナップルを縦半分に切り果肉をくり抜いた土台に赤、黄色、緑、オレンジ、青紫、その他色取り取りの鮮やかな果物が見栄えの良い形に整えられドーム状に盛り飾られている。崩れぬよう串でしっかり固定され芸術点の高い絢爛な均衡を保った職人技に目を奪われる。
「各地から取り寄せた新鮮なフルーツを使いシュタール家お抱えのパティシエの手により飾り付けましたカットフルーツの盛り合わせでございます」
……なんかすごいのキタ。
アーシュんちパティシエいるんだ、というレベチな情報も然る事ながら、祝賀会の会場ならどこでもスタメン張れそうな豪勢な見た目のインパクトに後押しされ、面食らう。
「いやすごいですけど……。こんな豪勢なものをいただくわけには……」
フルーツの盛り合わせを保冷バッグに戻しながら、ルシルさんは粛々と答える。
「これはもうリックス様のものでございます。お好きになさってくださいませ」
「というか一人じゃ食べきれない量なんですけど……」
明らかに三、四人前くらいはありそうなボリュームに困惑する僕の様子に。傍から見ていたルシルさんは無表情に眼鏡のブリッジをくいっと中指で押し上げ、助言する。
「ご心配なく。本日この後よりお嬢様とご友人の方がこちらに訪問されるご予定になっております。皆様で召し上がって頂ければ問題ないかと」
「そえば……今朝返事返したら今日の午後にでも行くって言ってましたね」
クリパをした日に作った四人のグルチャにダグとアーシュからの連絡はあったが……メアは忙しいのか、既読すらつかない状態だ。とりあえずダグとアーシュは来るみたいだけど、メアはまだ昨日のことが響いてるのかな……?
取り乱してしまったことを悔いる僕を余所に。何かを察知したルシルさんの片眉がぴくりと反応する。
「――おや? 噂をすればご予定よりもお早いご到着のようで。……急で申し訳ありませんが、私めはお先に失礼させて頂きます」
「え? あ、はい……」
「それではリックス様、謝礼の件はまたこちらから追ってご連絡いたします」
「あ、いえ……。それはホントに大丈夫なんで……」
ルシルさんは終始真一文字に結ばれていた唇を最後に少しだけを緩めると「では、また」と一礼して病室から出て行った。
ものの数分後。ルシルさんの予感通りにダグとアーシュが見舞いに来た。何で分かったのかは僕が訊きたい。
ダグは、幾何学模様が並んだ柄物のセーターに、グレーのテーパードパンツと紺色のスニーカー姿で病室に入ってくるなり、ベッドで暇そうに横たわる僕を見て、
「お、大将! 今日やってる?」
と、早々におっさんギャグをかましてきた。……お前いくつだよ。
まあ、せっかく来てくれたわけだしちょっと付き合ってやるか。
「坊主は帰んな。ここは未成年お断りだよ」
バーの店主にでもなったつもりで返すと、ダグは澄ました顔で、チッチッチッ、と人差し指を立てて左右に振る。
「実は大将が寝てる間に法律が変わってよ、この国の成人は百歳からになったんだぜ?」
「人類ほぼ未成年じゃんか……。子供の王国でも建国する気か?」
「ってなわけで大将! ホットミルク一つ、哺乳瓶で!」
「どこの親だか知らんが早く引き取りに来てくれ……」
いつからここは託児所になったのかと思い、やれやれと僕はジェスチャーする。
ミルクご所望の大きな子供の背後から、
「よぉっ、冗談言えるくらいには元気になったみてぇだな」
ひょっこり現れたアーシュが一安心した顔をして言う。
すっかり元気そうな今日のアーシュの格好は、上はロゴ入りの白のパーカーにミリタリー風のブルゾンを羽織り、下は膝部分がダメージ加工された黒のレギンスパンツと黒のブーツ。被った白のキャップの後ろからポニーテールを出していくスタイルと、両耳のごちゃごちゃしたピアスは相変わらず健在だ。
「体力も回復してきたし明日には退院できるってさ」
僕が言うのを聞いてアーシュは快活に笑い、
「大したことなくて良かったじゃねえか」
後ろ手に持っていた、デパートのスイーツコーナーで見たことあるブランドが綴られた持ち手付きの化粧箱を掲げて見せる。焼き菓子が有名なとこだ。
「これ、今回迷惑かけちまったからお詫びにダグと選んで買ってきたぜ」
「あぁー……」
先ほどルシルさんが机の上に置いていったお見舞いの品が入った保冷バッグに、つい視線が行ってしまう。
「…………?」
アーシュは僕の視線を追いバッグの存在に気づくと、不審な顔をして机に近づいていく。
中身を覗き込んだ瞬間。アーシュは、
「――あっ、ルシルの奴ぅぅ~! あたしが自分でやるからいいって言ったのによぉ~!」
一目で誰の仕業か見抜きギリギリと奥歯を噛み締め拳を突き上げる。
メイドのお節介に振り回されているお嬢様の様子に。彼女たちの日頃の光景がなんとなく目に浮かんで苦笑がもれる。
「はは……。ついさっき皆さんで召し上がってくださいって置いていったんだよ」
「たくっ、いつもいつも余計な世話ばっか焼きやがって!」
今日の分だけじゃない積もりに積もった鬱憤を露わにするアーシュだったが、すぐに日常茶飯事かのように熟れた仕草で溜め息をもらしてはがっくりと額を手で押さえる。
「はぁ……。しゃあねえ。食いもんに罪はねえし、皆で食っちまおうぜ」
被せてあった透明な袋を取り外すと、ベッドに備え付けのテーブルをスライドさせその上にフルーツの盛り合わせをドシッと置く。
甘い匂いに吸い寄せられ豪華な盛り合わせに顔を近づけたダグが、どのフルーツ串にするか様々な角度から吟味する。
「くぅぅ~、うまそ~っ。どれにしよっかなあ」
「こっちは生ものだし早めに食べねえとだけど……三人でいけっかコレ?」と、改めてボリュームの多さに少々眉を顰めるアーシュ。
「任せろい! メアシャスの分も俺が頂くぜい!」
張りきるダグの言葉に。アーシュが反応する。
「メアがいねえ分戦力ダウンだぜ……。あいつ、朝から呼んでんのにずっと既読すらつかねえかんな」
アーシュが何気なく言った一言に心が波立つ。結果的に昨日は母が亡くなった真実をメアに当たり散らすような形でぶつけてしまい、それが原因で彼女が病室から飛び出して行ったっきり音信不通なのはダグもアーシュも与り知らぬ話だ。
僕が押し黙っているのを不審に思われたのか、
「――リックス、メアからなんか聞いてっか?」
アーシュからの不意打ちに、
「えっ。あ~……いや、僕も分かんないや」
と……思わず嘘を吐いてしまう。
「……そっか」とアーシュは残念がる。
後ろめたさにメアの話題は避けつつも三人でフルーツの串盛りを頂く。
これだけ大きな事態になれば自然と話題は毒蛇の件に。
食べかけの串を片手に右の壁際のソファに足を組み腰掛けていたアーシュは『どう思う?』と言いたげな手振りと表情を見せ、僕らに――主に僕に向け――言う。
「んでよ、メアがあたしも毒蛇に噛まれたっつーんだけど、倒れる直前のこと全然思い出せねえわけよ? 特に怪我もねえし、実際噛まれてたのはリックスだけだったから、たぶんメアもあまりのことでパニくって勘違いしたんだと思うけどよ」
メアの言ってた通りだ……。噛まれたこと自体覚えてないんだな。分からないけど……もしかしてアーシュの記憶が曖昧なのもエンダーの能力が影響している、とか……?
とにかく。そういうことならエンダーの話に触れずに済むから覚えていない方が都合が良い。
「実は……僕もあんまり覚えてないんだ。誰かの悲鳴みたいなのが聞こえたんだけど、急いでそっちの方に向かって走ってたらいつの間にか噛まれてたみたいで……。目が覚めたらここの病室だったよ」
「リックスもかよ? ホント、あたしらついてねーよな」と、肩を竦めるアーシュ。
左側の椅子に足を開き反対向きに座ったダグは背もたれの上で腕組みしながら寄り掛かって聞いていたが、口に咥えていた串を手に取ると両目をぎゅっと閉じ手を合わせて言う。
「二人がピンチのときになんにもできなくてすまん! お詫びにとって置きの一発ギャグするから許してくれ!」
「それおめぇがやりてぇだけだろ」
すかさずアーシュが冷めたツラしてツッコム。
「ハイ! 口の悪いお嬢様が言いそうなモノマネします!」と、ダグが威勢良く手を挙げる。
「おい、それあたしのことじゃねえだろうな?」と、アーシュの鋭い視線がダグを突き刺す。
「ウホッ、ウホウホッ、ウホーッ」
立ち上がってドラミングのマネをするダグに、
「どこがじゃい!」
と、アーシュが一喝する。
「続きまして~! 口の悪いお嬢様が庶民に言いそうな名言やります!」と、ダグ。
人相悪そうに眉間に皺を寄せ両手をポケットに突っ込むダグ。
「パンがなきゃよ、ガムでも食ってクチャクチャしてりゃいいじゃねえか」
ソファの背もたれの上に肘を置きながら頬杖をついていたアーシュは不愉快そうに舌を鳴らす。
「……チッ。ガムが何なのか知らねえけどよ、さてはおめぇ喧嘩売ってんだろ?」
「え? マジ……?」と、僕の口から一言もれる。
お嬢様要素がさっきから一つもないだろ、とお題無視のボケにツッコミを入れるのを我慢していた僕も、アーシュのガム知らない発言には、流石は超一流のご令嬢、とかえって感服してしまう。路地裏でギターケース背負ってヤンキー座りでフーセンガム膨らませてそうなイメージなのにな……。
「続きまして~」と、ダグが言ったところで、
「もういいわっ」と、アーシュが遮って無理矢理締め括った。
その後もお決まりのくだらないトークが一時間以上は続いたが、普段の日常が戻ってきたみたいで妙に安らぐ。つい話し込んでしまったが日が少し暮れ始めた頃合いで二人は帰っていった。
翌日。十二月二十七日。
朝食後にバックパックに入れておいた着替え用の服(上はトレーナー、下はフリースパンツ)に着替え、キャンプのときにも着ていたダウンジャケットを羽織る。
無事に退院して病院を出た後は何事もなく昼前には家に着いた。想定外の三日振りの帰宅となってしまったので、遅れた分の勉強時間を調整しなければ、と思うと少々鬱だ。
ジャケットを脱ぎ暖房を入れる。荷物を片付けてから早々に机と向き合い勉強に取りかかるも……思うように捗らない。気づけば度々脇に置いたスマホの画面に意識が向いてしまう。
「…………」
メアはあれ以来ずっと沈黙を保ったままだ。自分から連絡した方が良いだろうとは思いつつも……かける言葉が出てこない。こんなときは僕にも、ダグみたいな気まずい空気をも吹き飛ばしてくれる陽気さがあればな、とあのノリと勢いが羨ましくなる。
本来勉強に割くはずの脳のリソースが余計な思考に使われている現状に嘆きたくなるのを計っていたかのように、スマホからチェチャの通知音が鳴る。スマホに映った吹き出しのメッセージを見て――その差出人の名前に――画面に食いつく。
『退院おめでとう』『もう家に着いた頃かな?』とメアから。
退院日は言ってないはずだけど……アーシュから聞いたのかな。
すぐにありがとうのスタンプと『もう家だよ』と返信する。
秒で通知音が鳴り、『遅れた分勉強しないとだし、今からリックスの家行ってもいい?』と返ってくる。
「今から……」
一瞬迷う。現に集中できずメアの手も借りたいところなのに。……ただ勉強だけをしに来たいわけじゃないのが薄々分かっているからだろう。僕もこの前のことちゃんと謝らなきゃな……。
決心して『来てくれると助かる』と返信したら、『じゃあこれから向かうね』と即返ってきた。
――二時間後。
インターホンが鳴る。モニターを覗き込む前からもう誰だか分かってはいるけど……覗き込んでもカメラに映らない位置にいるのか誰の姿も見えない。
「はーい」と返事をすると、
「着いたよ」というメアの声と、カメラに向かい手を振る彼女の、その右手だけがクローズアップされて見える。
……? 何で隠れてるのかは分からないけど、
「おっけ」
ひとまずオートロックの鍵を解除する。
先に玄関の鍵を開け待っていると、チャイムが鳴る。気持ちが早まりほぼ同時にドアを開ける。
ドアの先で待っていたのは――
「メア……?」
僕が見慣れている彼女とは少し違った雰囲気のメアがそこにいた。
黒のタートルネックのニットにグレーめのキャミワンピース、足元も黒のローファーで合わせたシックな印象のコーデ。肩に引っ提げた通学時にいつも使っているトートバッグの肩紐を握り締め、やや固い笑顔の横で手を振る。
「……やっ、おはよ」
「お、おはよ……。髪……切ったんだ?」
普段は肩から垂らしていたサイドテールのテール部分がすっかり綺麗になくなっていた。ロングだった葵色の髪が短くなり肩までの長さに切り揃えられている。
「うん……。思い切って短くしてみたの。――どう、かな?」
メアが振り向く度に揺れるサイドテールが内心可愛いと思っていただけに、正直哀愁にも似た気持ちがひっそりと湧き上がらなくもない。別に新しいヘアスタイルもこれはこれで似合っていると思う。前のより活発に見える雰囲気に、僕の中で新たな扉が開きそうではあるのだが……いかんせん本人の表情は活発とは裏腹で芳しくない。
「良いんじゃ……ないかな?」
残念に思う気持ちが僕の顔に出てしまったのか、
「……なら良かった」
メアは微妙な間の後で、心なしか空虚に見える角度に唇の両端を持ち上げ、そう言った。
かける言葉に困り、
「散らかってるけど、どうぞ」と定型文で促す。
ウチに泊まりに来るようになってからは毎度『ただいま』と言っていたメアが水臭く「おじゃまします」と家に上がる。
まずメアが定位置であるリビングの丸テーブル付近にあるクッションに座る。次に僕がキッチンの水切りかごに常備してあるメア用のマグカップにコーヒーを入れテーブルに持っていく。締めにそれを見たメアが「ありがとう」と言うまでが恒例の流れ。
僕も自分のコーヒーを手にテーブルを挟んで対面に座る。以前の自分はコーヒーなんてまったく飲まない人間でなんならちょっと苦手な部類だったのに、メアの影響ですっかり僕までコーヒーを飲む側の人種になってしまった。
お互いにコーヒーを一口飲んだ後で、何かが吹っ切れたみたいにメアは笑顔交じりに明るく話を振る。
「一昨日はごめんね。急に帰っちゃって」
「いや……僕の方こそごめん」
メアは不思議そうに首を傾げ、苦笑する。
「どうしてリックスが謝るの?」
「そりゃメアにみっともないとこ見せちゃったし……。それに感情任せに当たるようなマネしちゃって……」
やんわり微笑んでから、メアは首を横に振った。
「それは気にしてないから大丈夫。そんなの大したことじゃないよ」
てっきり原因は僕のせいだと思ってたのに……違ったのか?
「じゃあ……帰ったのは何で?」
素朴な疑問が……メアの表情を暗い影で覆わせる。
「…………」
数秒。視線を落とした彼女は、閉ざした口を開いた。
「……あんなに辛そうにしてるリックス……初めて見たから……。それ見てたら、私もなんだか胸が締め付けられる思いがして…………」
そう言って。いつもの手癖を見せた。……現に今辛そうにしている彼女をこの目で見ると、僕も触発されて同じ気持ちになってくる。
続けて。彼女は言う。
「泣き顔見られるのハズいし、気持ちが落ち着くまで病院のトイレに閉じこもってたんだけど、トイレの鏡で自分の顔見たら目とか真っ赤に腫れててもうひどいのなんのって……ブサイクすぎてこれはちょっと見せらんないな~って」
あはは……、とはにかんだ笑みを取って付けるメア。
「そういや……一緒に映画館行ったときも号泣してトイレに駆け込んでたもんな」
「もうっ、それは忘れてよ」
メアが上目遣いに僕を睨む。視線の割合的に照れ隠しが七割、拗ねが三割といった感じ。
さらっと話を流し……。不安げに揺らぐメアの翡翠の瞳が、再度、僕の目を見つめる。
「リックスは……もう平気なの?」
……此度の件で事情を知っているのはメアと父さんしかいない。現状では数少ない頼れる味方であり、心の支えでもある。僕が信頼する気持ちを知ってか知らずか、あれからずっと気に掛けてくれてたのか、と今日も遙々来てくれた律儀なメアに笑みが零れる。
「うん。心配させてごめん」
引き続き僕の顔を覗き込んでは言う。
「……無理してない? 大丈夫?」
「大丈夫だって。――あれから父と電話で話したんだ。エンダーや母について知らなかった話を色々と聞けたおかげでなんとか立ち直れたよ」
「……疑ってたわけじゃないけど、やっぱリックスにエンダーの力があるのは本当なんだね」
寂寥感が滲む声で、ぽつりとそう言ったメアは続けて訊く。
「リックスのお父さんもそのこと知ってたんだ?」
「知った上で内緒にしてたらしいんだ。母からのたっての願いで僕が生まれたときにエンダーのことは秘密にするって約束してたんだとさ」
メアは、訊いてよいものかどうか、と気が引けて躊躇する感じを出しつつも、首を傾げる。
「それは……何でなの?」
「普通の子に育って欲しいっていうのが母の願いだったんだって。たぶんだけど、この力は誰かを救えど、代わりに自分を不幸にするから……。僕に、母と同じエンダーとしての道を進んで欲しくなかったんじゃないかな」
「…………」
僕の考えを聞くや否や。メアは考え込むように身を屈めて俯き、口籠もる。
「メア?」と気になって呼びかけると、
「……私も、その通りだと思う」と少ししてから微弱な反応が返ってきた。
垂れた前髪で表情は窺い知れないが、首がだらりと下がった様子は糸が切れたマリオネットを連想させる。哀愁漂う姿が……言葉に悲愴の重みを乗せる。
「アーシュの無事を知ったときは嬉しかったけど……でも病室で目を覚まさないリックスを見てたら、そんな気持ちも一瞬で消し飛んじゃった……。誰かを救うためにリックスが傷つくのを見るのは……いた堪れないよ……」
病室で僕が目覚めるのを待っていた時間がよほど堪えたのだろう、片方の二の腕をぎゅっと握り締めたメアは、
「もうその力は…………誰にも使って欲しくない」
憔悴しきった声を喉から絞り出し、打ち明ける。
「あ、ああ……。僕だって自分が傷つくのは嫌さ。使わないで済むならそれに越したことはない」
僕の回答に。メアは「うん……」と俯いたまま頷いてから、ひとまず安堵した様子でゆっくりと面を上げる。半分くたびれて見える笑みを見せ、
「それでも、アーシュを助けてくれてありがとね」
と、自分も辛そうなのに感謝を告げる。
「別にお礼なんて……。感謝されたくてやったわけじゃないしさ」
少々照れ臭くて後頭部を擦る僕に。メアは毅然として首を横に振る。
「皆は知らないけれど……アーシュを救ったヒーローはリックスなんだから、知ってる私だけはリックスを讃えてあげなきゃ」
続けて、固かった頬をやんわり解してから、彼女は言う。
「それに――リックスと仲良くなれたからアーシュとも仲直りするきっかけができたし、ホントに感謝してもしきれないよ」
仲直りという言葉に約四年越しの悲願を感じる。実際にその現場に居合わせてしまったわけだが、メアから見た僕は当然、彼女たちの過去に何があったのかは知らないわけで……。
「んと……何があったかは知らないけれど、仲直りできたんなら良かったよ」
とりあえず。当たり障りのないように言われたことをまんま返しておこう。
リックスには色々と気を遣わせちゃったから一応話しておくね、とメアは過去にアーシュとの間に起きたあのわだかまりについて話してくれた。でも予想通りというか、告白された件には触れずじまいだった。きっとアーシュにとっては人には知られたくない過去だから、そこは伏せたのだろう。
「――とまあ、大体そんな感じの話」と、
盗み聞きしていたときは大分重苦しく話していた事柄をさっくりとした内容で締め括ったメアに、
「な、なるほど……。それは大変だったね」
顔が少し強張っているのを感じながらも典型的な相槌を打って返す。
それ以上話が広がることもなく、その後はすっかり勉強モードに移行した。黙々と教科書と睨み合い、ノートにペンを走らせる。
数日ぶりの勉強漬けをメアと共にし――気づけば日も暮れ時刻は午後六時を回っていた。いつもより少し早いが、まだ怪我から復帰したばかりの僕の体調を気遣ってくれて今日の勉強会は終了となった。
今日はお母さんが夕飯作る準備して待ってるから、と切り出したメアを玄関先まで見送る。安静にするように医者から言われている僕を気にかけ「本当だったら夕飯を作ってあげたかったんだけどごめんね」と去り際に言い残していった。
まあ口にはできないが、メアの手料理を食べるには万全の体調で臨まないと不安が残るので助かったのかもしれない。
――今年も残すところ、あと数日となった。
ダグは今年最後の日にまた集まって新年のカウントダウンをしたかったみたいだが、アーシュは実家で行われるパーティーに参加を余儀なくされており、メアも親戚たちと過ごす予定が重なり都合が合わなかった。
僕も年末ぐらいはラズリンドに帰って久しぶりに父の顔を見たかったが、ネヒリム教授から出されていた特別課題の提出期限日が一週間後に迫っていて、まだ何にも手つかずなので帰郷は諦めた。
そんなわけで。今年は一人寂しく年越しとなった。




