【4-1】
黒く……、深く……沈み行く意識の中で、途切れ途切れに誰かの叫ぶ声が聞こえてくる。
「――リックス! ――――を見てリックス! お母さんの――、――える!?」
………お、かあ、さ……ん…………?
重い瞼をこじ開ける。すぐ目の前にいた母がハッと驚く。目を丸く見開き僕を覗き込んでいた。その灰色の瞳が涙に濡れ輝く。と同時に。僕の両肩を握る母の手に力がこもる。
「リックス……! …………っ。良かった……。リックス、私が見えるのねリックス?」
僕が気がつくと、母は何度も確かめるように名を呼んだ。
ここ……は……?
鬱蒼とした森の奥で、雑草の上に大の字で空を見上げている自分の体。
――そうだ。うちの裏手にある森を抜けて……花畑にいる昆虫を捕まえようと思ってたんだ……。
いつもと変わらぬ朝。お母さんが作ってくれた昼食を食べた後でお気に入りのTシャツとハーフパンツに着替え、今日は何が捕まえられるかわくわくしながら花畑に駆け足で向かっていたはずなのに……。僕は何で……こんなところで倒れているんだろう……? 持ってきた虫取り網や虫かごも、母から手渡された麦わら帽子と水筒も……皆、どこにいったんだろう…………。
「………………」
必死な様子で母が僕を見つめるが……返事をしようにも声が出なかった。それどころか体が鉛のように重くてままならず……、僅かに顎を引いて頷くことしかできなかった。
ぼやけた視界でも分かるくらい、母の表情は、それはもう……死んでる人みたいに真っ青だった。
こんな顔をした母を見るのは初めてだった。
普段の母は、いつ見ても笑顔を絶やさずお日様みたいにぽかぽかとしている人なのに。これまで母が怒るところはおろか、泣いているところすら一度も見たことがない。いつもどんなときでも笑顔でいるのが母だった。のどかな母しか知らなかった。
だが……。このときばかりは僕の知らない凍えきった表情の母がそこにいた。今や笑顔の片鱗の影さえも見えない悲愴な面持ちで、母は下唇を噛み締め肩を小刻みに震わせていた。
だからだろうか……。大好きな母が普段は絶対見せない表情で食い入るように僕を見つめるもんだから、皮肉にも、自分が絶望的な状況にある、ということを告げていた。
不思議とどこも痛みは感じなかった。ただ意識した途端――猛暑だというのにこの上ない寒さが込み上げてきて……木漏れ日が注ぐ何の変哲もない青空の景色が、この世の終焉みたいな……なんだかとてつもなくおどろおどろしいもののように思えた。何もかもが色褪せていく錯覚に囚われた瞬間…………そのときが訪れるのが急激に怖くなった。
でも……。それ以上に。涙で濡れた母の瞳が……視線が……心の芯に突き刺さったままで……そんな顔をして欲しくなくて、せめて一言、「大丈夫だよ、お母さん」と伝えたかった。
「ひゅー……、ひゅー…………」
だけど。声を発しようにも、僕の口からは空気がもれるだけだった。
そんな僕を見て。目の前の母は、僕をこれ以上不安にさせまいと両目に涙を溜めながら、いつもみたく「大丈夫、大丈夫」と無理して笑ってくれた。僕の頭をいつもの優しい手で撫でてくれた。
「……大丈夫だから、リックス。お母さんが命に代えてでも、あなたを助けるから…………。何があっても……っ、お母さんが……守って……っ、あげる、から…………っ」
半分言葉を詰まらせながらそう言うと。母の手が視界を包み込み、そっと僕の瞼を閉じた。
しかしながら……。頭が理解する以前に肉体からの声なき悲鳴が、もう助からない、という現実を明確に宣告していた。僕を安心させるために言ったのだろう、と。少しでも不安を取り除き安らかに逝けるように、と僕の心を案じて言ってくれたのだろう、と。そう思って、母が言うことを本気で信じてはいなかった。
むしろ。端からそんな見送りの言葉なんていらなかった。母が傍にいてくれる、それだけで十分だった。凍えるように感じていた死に対する恐怖心も、母の温もりに触れていつの間にか自然と溶けていった。
安堵するや否や。再び、意識が遠のいていく。――と同時に。瞼の向こう側の暗闇に確かな光が灯るのを感じた。柔らかな熱を帯びた……悲しいまでに、優しい光…………。
それが天国からの迎えの光なのか分からぬまま……深く沈み行く闇の中で、母の声だけが微かに聞こえてくる。
「願わくはそんな日が来て欲しくないけれど……。きっといつの日にか、この想いを理解したときに……あなたも決断するときが来るわ」
僕はここで終わりを迎えるのに……。あたかも運命が垣間見えたかのように、僕の行く末を案じる母の言葉は……意識が途切れる最後の瞬間まで理解できそうになかった。
「リッ――、――クス? もう大丈夫だよ?」
またも誰かに呼ばれている気配がして――夢から覚める。
「……ううぅ……」
瞼を開けると。沈痛な面持ちをしたメアの姿がそこにはあった。すぐ左隣で僕の顔を見下ろし、不安げに覗き込んでいた。
目覚めた僕を見て、少し赤らんだメアの目元が潤んで細くなる。その目尻の滴を指で拭った彼女は、
「――良かった……。気がついた?」
寝覚めの悪さにまだ寝惚けている僕の聴覚野を優しく揺すり起こす。
「メア……?」
左手に触れる温かな感触に視線を向ける。ベッドに寝そべる僕の手を、大事そうにメアの手が握っていた。
「あっ、ごめん……。リックス、泣きながらうなされてたから心配で……」
ぱっと手を離し頬を赤らめつつ、小さな肘掛け椅子に座り直した。
「…………。ここ、は……?」
体をベッドに寝かされ白い天井を見上げている。天井の何箇所かに埋め込まれた円筒のライトには明かりが灯っていないが部屋は暗くはない。
「首都より南にあるエスコピアの病院だよ。ヘリで急いで送ってもらって早く治療ができたから右足の怪我も塞がって特に後遺症は残らないだろうって。二、三日安静にしてれば退院できるってよ」
周りを見るに――どうやら個室の病室らしい。……病院特有の消毒薬の匂いがする。ベッドの正面奥には引き戸が見える。すぐ左側には壁に密着して置かれた一人用の机がこちらに背を向けている。メアの座っている椅子もそれの付属品みたいだ。右側には腰よりも低い高さの棚の上にテレビが置かれている。壁際にはソファもあり、そちらの窓は山吹色のカーテンが開かれ日が差し込んでいる。少なくとも今が夜ではないことだけは分かるが、メアに訊けばどうやらあれから半日が経過しているようだった。
メアの装いも記憶にあるものと違い、オーバーシルエットのラベンダー色のボアジャケットに、クリーム色のロングスカート、肩には小さいショルダーバッグの紐も見える。
ゆっくりと上半身を起こす。ふと自分の着衣も前開きの水色の病衣に変わっているのに気づく。左腕の肘の内側にはカテーテルが刺さっているのが見え、そこから延びたチューブが点滴スタンドに吊されたパックに繋がっている。
右手で掛け布団をめくり右足を出す。上とセットの病衣のズボンの裾を捲ってみる。包帯がぐるぐる巻かれたふくらはぎに触れてみるが……多少痛みはあるものの特に腫れている様子などはなさそうだった。
「…………」
これがエーテルリアクターの効果に由るものなのか、はたまた話には聞いていたこの身に宿るエンダーの自然治癒力の高さに由るものなのか、僕には判別できない。
「アーシュは……どうなったんだ?」
これで無事じゃなかったら骨折り損もいいところだが……。核心に一歩踏み込まんとする僕の緊張した視線を、
「…………」
しかと受けとめたメアの表情は難儀な様相を呈していた。
彼女は数秒ほど答える間を置いてから、口角を僅かに上げ重苦しい頬を和らげる。
「……無事だよ。すっかり元気になったみたい。ホントはさっきまでアーシュとダグ君も一緒にいたんだけど……アーシュが変な気を遣わせて二人とも先に帰っちゃったところ」
「そうか……」
少しだけ安堵する僕の様子に、
「ただ、その……。色々と気になることが起きてて……」
メアはどこから話したらよいのやらと順序に思い悩んだ様子で問題に切り込む。
「アーシュ、咬まれたこと全然覚えてないみたいなの」
「覚えてない? 何にも?」
「うん……。そうみたい」と、メアは表情を暗くして言い足す。
「脳にダメージを受けた可能性もなくはないから念のため脳内も検査したみたいなんだけど、どこにも異常は見られなかったって」
異常はないのにそんなことあるのか……? 思えば今回の出来事は色々と不審な点が多い。
「確かにそれはちょっと気になるな……。メアたちが見た毒蛇だってどこから来たのかさっぱり謎だし……」
僕の視点から見ても不可解な状況なのだから、メアの視点から見れば相当不可解な状況に見えているに違いない。
おそらくメアも訊くタイミングを見計らってうずうずとしていたのだろう、まるで狐につままれたかの顔をしてはまじまじと深刻そうにこちらを見つめる。
「……リックスは何が起きたのか、思い出せる? あの後……何がどうなってこんなことなったの?」
「………………」
……まあ、そう思うのは当然だ。現代の科学では到底説明できない事態を目の当たりにしたのだから。何が起きたのか、さっきの夢で忘れていた記憶の欠片を取り戻したおかげで理解はしたが……正直、未だに受け止めきれない。真実を知ってもなお、信じられないし……信じたくもなかった。
口を噤む僕を見て。まだ頭の整理が追い着かないのだろうと思ったのか、メアはあの後の状況を掻い摘まんで説明してくれた。
「私がボディガードさんたちを連れて戻ってきたときにはリックスも倒れてる状態だったの。でもそれだけじゃなくて、アーシュにあった怪我が初めからなかったみたいに綺麗さっぱりなくなってて、今度はそっくり入れ替わったみたいにリックスが同じ箇所に怪我をしていて……もう何が何だかさっぱりだったけど一刻を争う事態に変わりはなかったから、ホントに間に合って……。生きててくれて……良かった……っ」
瞳を潤ませ辿々《たどたど》しく喋るメアの姿が……さきほど夢で見た母の姿に重なる。
…………。これだけメアを心配させておいて何も話さないのは心が痛む。
自分がこんな超常現象を起こせる力を持っていることを世間に知られたら、どんな危険に曝されるか分かったもんじゃない。エンダーの力のことは公にはしたくないけれど……幸いアーシュが咬まれた現場を見ているのはメアだけだ。彼女には事情を話しても大丈夫だろう。
「……メア」
俯いていたメアが、まだ湿り気の残る眼差しをこちらに向けた。
「今から話すことは誰にも言わないで欲しい。……正直、僕もこんなことになるまでは全然信じてなかったんだけど――」
そう切り出して。ネヒリム教授から呼び出された日の出来事を話した。
この耳で聞いたエンダーに纏わる逸話をもれなく話している間、こんな馬鹿げたおとぎ話みたいな話を本気で信じている僕の姿を見たら、アーシュだけじゃなく僕も脳にダメージを負ったんじゃないかと余計に心配されるのでは……、と内心不安しかなかったが、
話し終えるまで終始重たげに目を細めていたメアは、
「そっか……。――ちょっと納得できたかも」
ぽつりとそうもらし、
「リックスの灰色の瞳と髪が神秘的に感じたのも……きっとそういう理由だったんだね」
ありのままに信じて受けとめてくれた。
「…………」
疑う素振りすらない様子に。敢えて僕が傷つかないように話を合わせてくれたのかな、と深読みして考え込んでいると、
「……リックス?」
そんな僕の顔を覗き込み、メアは心配そうに小首を傾げる。
「あ、いや……。正直信じてもらえないんじゃないかって思ってたから。なんか意外だったっていうか……」
自分がエンダーの話を初めて聞いたときは全然信じてなかったから、こうもあっさりと信じてもらえるとは思わなかった。おかげで変にしどろもどろになってしまった。
メアの共感力の高さがそうさせるのか、的確に僕の心中をスキャンした彼女は瞬く間に消え入りそうな微かな笑みを浮かべ、しみじみと言う。
「……私も、普通じゃ説明できないあんな光景を見ちゃったから、常識では考えられないことが起きたんじゃないかって予想はしてたんだよね」
メアが常識外の範疇を受け入れるスピードも然る事ながら、それもそうかと僕も合点がいく。笑われることなく真剣に聞いてくれたのはある意味心の救いだったが……本題はここからだ。
メアは眉根を寄せ、僕に問う。
「でも、その……。エンダー?の力でアーシュの怪我が治ったのなら、どうしてリックスがアーシュと同じ目に遭ったの? ……偶然、同じ箇所を噛まれたわけじゃないんだよね?」
……そう。これは……そんなご都合主義の単純な話じゃない。
「僕も知らなかったんだ……。エンダーの力はただ治すわけじゃなかった。そんな万能な力じゃなくて……相手の背負っている因果を肩代わりする……たったそれだけの力だったんだ」
「因果を、肩代わり……、…………」
メアの表情がやりきれない悲愴感が溢れるものに変わり、言葉を失う。
「確かにこの力を使えば相手の状態を元に戻すことはできる。だけど……代わりにその因果を自分が請け負わなくちゃいけないんだ。根本的な解決はできない不完全な力なんだよ……」
全てに合点がいったメアの顔に影が差す。
「じゃあ……リックスもそのことを知らずに力を使った結果、こうなっちゃったんだね……」
「ああ……。でも、これで終わりじゃなくて……この話にはまだ続きがあるんだ」
こちらを見るメアの瞳孔が不穏を察して萎縮する。
「ようやく分かったんだよ、真実が……」
俯き、そう零した僕に、
「……何が分かったの?」
メアが恐る恐る問いかける。
……握る拳が小刻みに震える。首から上が熱くなっていくのを感じる。渦巻く激情に呑まれないように……言葉にする。
「あの日……あのとき……。デッドロータスシンドロームを発症したのは本当は母さんじゃなくて僕だったんだ……。母さんは僕と同じくエンダーの力を使って……自分の心臓を犠牲にして……僕の命を、助けてくれたんだ……っ」
一度は吹き飛んだはずの胸に手を宛てがい、あのときの死に直面した危篤状態と壮絶な恐怖を追想する。あれを……母も味わったのかと思うと、息が詰まりそうになる…………。
心が抉られるばかりで顔すら上げられなかったが、
「………………」
メアが何も言わないのをいいことに、感情に歯止めが効かなくなって……やり場のない憤りをぶつけるかの如く、振り上げた右手の拳をベッドに叩き付ける。
「何で……何でっ、僕を助けたんだよ、母さん……っ。やっと立ち直って前を向けるようになれたってのにっ、こんな真実、知りたくなかった……っ。僕はあと何回……っ、絶望すればいいんだ、…………っ」
再度。右手の拳を力任せに振り上げるが……途端に自分が虚しく思え、静かに下ろす。押し寄せる虚脱感に為す術なく打ち拉がれ、がっくりとうなだれる。
行き場を失った拳を茫然と眺めていたところに、
「――――!?」
不意に。メアがゆっくりと体を寄り添わせ抱きついてくる。
「メア……?」
「…………」
あまりにも痛々しい僕をそのままにはしておけなかったのか。腰を屈め、背に手を回し、僕の胸に顔を埋める。ぎゅっと抱きしめたまま……何も発さない。ただ病衣の上からメアの頬が僕の胸元を僅かに擦るだけ。
しばし無言が続いたが……。病衣の胸元がしっとりと濡れる感触に、メアの……その小刻みに震えている両肩を掴んで体を離すと、彼女の顔を覗き込む。
メアは目を見開いたまま、茫然自失といった様子で固まっていた。言葉にならない感情が、その翡翠の瞳から結晶みたいな大粒の滴となって、きらきらと零れていた。
僕が……、見るに堪えない惨めな姿を晒してしまったから……。感受性の強い彼女の繊細な心を傷つけてしまった。
「メア……。その……ごめん……」
僕の謝罪に。ようやく我に返った彼女は、
「――――ッ」
何も言わずにすごい勢いで病室の扉から飛び出していった。
「……メア、…………」
……僕が止める間もなく行ってしまった。
子供みたいに乱暴に喚く醜態を見て幻滅したのかもしれない……。自分が情けない。内心どこかでメアに慰めてもらおうと依存していたのかもな……。
でも……。きっとメアのことだから自分の身の上のようにシンパシーを感じてしまったのだろう。デッドロータスシンドロームを研究する過程で記録に残された遺族の辛い話も散々目にしてきたって言ってたしな……。
「…………」
足に巻かれた包帯をなぞる。追いかけようにもこの体の上、僕は僕でメンタルが粉々に罅割れてしまいそこまでの気力なんてなかった。
――あれからメアが戻ってくることはなかった。
僕の方はというと、二度も助かってしまった、という鬱屈とした想いがこんがらがったまま、ベッドに寝っ転がり天井を見上げていた。一人悶々としている内に気づけば夕食の時間になっていたが事態が好転するわけもなく……。一人で悩んでいてもしょうがないという踏ん切りと、父さんは母さんがエンダーだってこと知ってたのかな、と思い至り、久々に連絡してみることにした。
窓際のソファに置いてあった僕の荷物からスマホを取り出す。見ると父から怪我の具合を心配する内容の通知が来ていた。
ベッドに腰掛けながら父に電話をかけると――すぐに繋がった。
「リックスか!? お前、怪我は大丈夫なのか!?」と第一声から随分と慌てた様子の父が出た。
「ああ……父さん? 怪我なら大したことないし……心配ないよ。特に後遺症もないってさ」
「本当か? 声に元気がないが無理してないか?」
父が僕の調子を聞いて訝しむ。
「ああ、いや……。とにかく大丈夫だから」
電話越しに父はほっと溜め息を吐く。
「ふぅぅ、そうか……。いきなりシュタール家の執事を名乗る人からお前が毒蛇に咬まれたと連絡があってびっくりしたよ……。危うく心臓が止まるところだったぞ」
むしろどうやって父の番号を調べたんだろ……? シュタール家の情報網恐るべし。
「心配かけてごめん。とりあえず問題ないよ」
「明日の朝一でそっちに直行しようと思ってたんだが平気そうか?」
ここがどこの病院だがはっきりしないが、ラズリンドからクリスタッドまで来るにはまず山岳地帯を抜けるのに二時間、そこから空港まで電車で一時間、次の空港までフライトで三時間、乗り換えでクリスタッドの空港までフライトで六時間の約十二時間はかかる。この程度の怪我で済んだのならおいそれと来てもらう距離じゃない。
「無事だし来なくて大丈夫だよ。それに……連絡したのはそのことじゃないんだ。ちょっと話したいことがあるんだけど、今大丈夫?」
「構わないが……無事を知るよりも大事なことがあるのか?」と、懐疑的な父の声。
「僕にとっては大事なこと、かな……。――父さん、エンダーって知ってる?」
「お前……!? どこでそれを……?」
驚愕する父の声。この反応からしてやっぱり父さんも知ってたのか……。
「……実は毒蛇に咬まれたの僕じゃなくて、本当は僕の友達の、そのシュタール家のお嬢様だったんだ。それを僕がエンダーの力を使って助けたんだ」
「うーむ……。それで身代わりを買って出たわけか……」
父は悩ましげに唸り……考え込む間を空けてから、
「友達の命を助けようと行動したお前の勇気を……父さんは立派だと思うぞ」
誇らしそうに……でも口にするのは辛そうに、そう言った。
しかしながら。案の定というか、おまけにしっかりセットで戒めの言葉もついてくる。
「だが……自分の命に関わるような行為はやめてくれ。お前まで失ったら母さんに申し訳なくてあの世で顔向けできないからな」
エンダーの存在を知っているなら肩代わりする能力のこともやっぱり知っていて当然か。
「それについては僕もエンダーの力を使うまで肩代わりする能力だとは知らなかったんだ。父さん……エンダーのこと知ってたんならどうして今まで教えてくれなかったのさ?」
「うーむ……、…………」
さきほどより参った様子で父は大きく唸ると、十分な間を溜めてから言葉に想いを込める。
「お前の母が……リディアが、強くそう望んでいたんだよ」
「母さん、が……?」
「まだリックスが産まれたばかりの頃に言われたんだ。『この子にはエンダーとは関係のない普通の人生を送って欲しい。普通の子に育って欲しい。――例え、私に何があってもエンダーのことはこの子には秘密にしてください』……とね」
「…………」
「リディアのあんなに必死な顔を見たのは一緒になって以来あれの一度っきりだったよ……。お前は知らないと思うが、あいつは元々何をしようがされようが無表情でまったく笑わない奴だったんだ。――でも、お前が産まれてからは毎日楽しそうにニコニコ笑うようになってな……。あの笑顔を見られただけでも結婚して良かったと思えたよ」
「……母さん……」
「だからそれがあいつの遺言だと思って言わずにいたんだ。それに母親が死んだショックで塞ぎ込んでたお前に言えるような話でもなかったしな」
……僕の平穏を望んでいた母さんの願いは夢半ばで叶わずに終わりを迎えた。知ってしまったからにはもう普通の人生を送れる気がしない。
「もう一つ……父さんに伝えなきゃいけないことがあるんだ」
「何だ?」
「母さんが亡くなる直前の記憶、ショックで忘れてたんだろうけど思い出したんだ……。本当はデッドロータスシンドロームを発症したのは僕の方で、母さんがエンダーの力を使って僕の肩代わりをしてくれたことを……さっき病院のベッドから目覚めたときに思い出したよ」
父は特に驚くことなく……しみじみと口にする。
「やはりそうか……。確信はなかったが、あの場に残された断片的な状況からそうだろうと思っていたよ」
続けて父は、こうも言った。
「自分の命か、子供の命か、どちらかを選べと問われたら私も子供の命と答えるだろうが、それを実際に行動で示すのは生半可な覚悟じゃできないことだ。でもリディアは……きっと迷いなくお前を選んだ。今でも命を懸けて息子を守ったリディアを、母親として、一人の女性として……この世の何よりも尊敬している」
母が亡くなってから約十四年という長い年月が経過したが……母を想う父の気持ちは少しも色褪せていない。運命は残酷だけれど……そこまで想える相手に巡り合えた父は偏に運が良かったんだと思いたい。
「…………」
また自分の人生に絶望しなきゃいけないのかと暗澹としていたけれど、母の僕への想いをちょっとでも知れて胸の内がふっと軽くなるのを感じた。母の命と引き換えに生きている現実に絶望していたら、母も天国で浮かばれないよな。
生かされたこと、生きていることに意味がある、と今一度信じてみてもいいんじゃないか? ――そう、自分の胸に問いかける。
「……僕もそう思うよ。――話、聞いてくれてありがと」
「何言ってんだ。親子なんだから当然だろ」
屈託なく答えた父と、一言、二言会話して電話を終える。
ゆっくりとベッドに背中から倒れ込み、頭の下に両手を敷く。ぐるぐると頭の中を回る情報を一つずつ整理していく。
そもそもの始まりは母がエンダーであったことだ。始祖返りが母に起きたのか、それとも過去に母方の先祖に起きて母に引き継がれてきたのかまでは分からない。
昔、父から聞いた母の身の上話では、初めて母と出会った時点で既に母の周りの親族は皆他界していて天涯孤独の身だったらしい。ネヒリム教授の言っていたエンダーは皆短命だったという話が本当ならば合致する部分もなくはないが、僕が思うにおそらく肩代わりのせいで皆長くは生きられず寿命を全うすることができなかったのではないだろうか。
かくして。その母から産まれた僕もエンダーの血を引き継いでいた。エンダー特有の灰色の髪と瞳を持って産まれてきた僕を見て、母は僕にもエンダーの力が宿っているのを確信したのだろう。
そこで母は、僕に普通に生きて欲しい、という願いから、父にエンダーの話を秘密にするように頼んだ。父は母が亡くなってからもその約束を守り続けた。おかげさまで今日まで僕は辛い過去はあれど周りにいる学生たちとなんら変わりない人生を歩んで来られた。
しかし。エンダーの力を知り、自分には万人を救える万能な力があるのかもしれない、と思い込んでしまった。唐突に訪れた友達の危機に、本当は肩代わりするだけの能力とは知らずにエンダーの力を使ってしまった。初めからこの力の正体を知っていれば、僕はアーシュを助けていただろうか? ……正直、自信はない。
だけど。前向きに捉えるならその甲斐あってショックにより忘れていた記憶が甦った。デッドロータスシンドロームを発症したのが母ではなく僕だった真実に辿り着いた。一分にも満たないたった数十秒のあの記憶は僕の根幹を揺るがすには十分過ぎるほどの大事件だった。
そして。木っ端微塵に心臓が弾け飛んだ僕を、母さんはエンダーの力で……、…………。
肩代わりの結果、胸部が破裂し心臓を失った母の無残な姿は今でも脳裏に焼き付いている。息子の命を救ったのにあんな凄惨な終わり方は……あっていいわけがない。
今更感謝しても天国まで届くか分からないけど……母さんのおかげで今がある。今があるおかげで大変だけど楽しい学生生活を送れている。それがなければ、まあ、その……メアにも出会えなかったわけだし。
「――ありがとう、母さん」
母さんが願っていた普通の人生じゃないけれど、僕は元気にやっています。これからもいつもの笑顔で天国から見守っててください。
…………。横になっていたら段々と眠気が増してきた。体力がまだ完全には回復していないからかな……?
布団に入り大人しく睡魔に従うも……脳の片隅には一つだけ腑に落ちぬ点が残っていた。
母が亡くなる直前に最期に言い残したあの約束の言葉――。
――あなたも、いつか……じぶんよりも、たいせつなものと……であう、ひがくる……。そのときが、きたら……そのきもちを……まもれる、こに…………なって……ね…………――
……あれは今だから分かるが、エンダーの力を使う覚悟を示していたのだろう。
でも、それなら。僕に普通の人生を送って欲しいと願ってエンダーの話を隠していたのなら、母はどうして最期にエンダーの力の存在を示唆するような言葉を言い残したのだろう。
僕を助けるために今まで隠してきた力を使ってしまったことでもうこれ以上は秘密にできない、とでも母は思ったのだろうか。なんだかそんな気もするし……そうじゃないような気もする…………。
眠たい頭でいくら考えてもそれだけは分からぬまま眠りに落ちた――。




