【3-7】
僕もダグの隣に腰を落ち着けたまますっかり聞き入ってしまったが……色々とすごい話を聞いてしまった。というか僕らが聞いていい話じゃなかったのでは……?
メアとアーシュ――二人の過去にそんな出来事があったなんて。それにメアの気になってる人って……。それが自分だと思いたいのは僕のエゴなんだろうか?
「…………」
メアにとっての僕はどっちなんだ? これまでも幾度も自問自答するたびに、彼女が出した『何が起きても友達のままで変わらない』というルールを結局愚直に守り続けてきたが、果たして本当にその選択が正解だったのか……自信が持てなくなってくる。
親友以上の何かでありたいけれど、それは単に、アーシュのような大切な友達のままでいて欲しい、という彼女からのシグナルを、僕が履き違えているだけなんじゃないか……と考えれば考えるほど自分じゃないみたいに気持ちが臆病になる。
先の見えない問題に嫌気が差し結局また棚上げすると――いつになく静かな隣を窺う。
「……ダグ。――お前、知ってたのか?」
見れば……輝く満天の星を見上げながら膝を立てて座っていた友は、
「なんだ? あの二人のスリーサイズのことか?」
と飄々《ひょうひょう》と答えた。
「茶化すなよ。今はそういう空気じゃないだろ」
そのままの姿勢でダグは言う。
「じゃあ何が知りたいんだ?」
「あの二人に昔何があったのか知ってたから、バーベキューんときに僕にあんな質問したのか?」
ダグは投げやりに視線を下ろすと、虚無感顕わな表情をする。
「まさか。全知全能の神じゃあるまいし知る由がないだろ」
付け加えて言う。
「ただ俺が知ってたのは過去にメア先輩がアーシュから告白されたんじゃないかって噂を別のカレッジに通ってるフォルス出身の女の子から聞き出しただけさ」
「それ、ほぼほぼ答えじゃないか……」
ニヒルに気取ってはダグは肩を竦める。
「その情報に辿り着くまでに結構苦労したんだぜ? メア先輩のファンクラブから情報掻き集めたり、フォルス出身の女の子を探して何度もやり取りしては情報聞き出したり、メア先輩の行く先を尾行したこともあったな」
「お前……そんなことまでしてたのか? 何でそこまで?」
『……ふっ』、といった自嘲めいた笑みを零してから、ダグは徐に答える。
「……俺、アーシュのことが好きなんだよ。外見もだけど特にあのスカッとした唯一無二の性格が好きでさ、あいつと話してるとぴったりハマるっていうか、なんか気持ちいいんだよ」
「まじか……。いや、実際良いコンビだとは思うけど……芸人としては」
「そっちかよ」とダグは味気ない表情をして続けて言う。
「――入学して一、二ヶ月後くらいの頃だったかな。アーシュが落としていったものだとは気づかずにたまたま俺が拾ったんだけど、それがフォルス女学院の生徒手帳でさ、その手帳の間におそらく中学時代のアーシュとメア先輩の切り抜かれたツーショットの写真が何枚もしまってあったんだ」
中学時代の写真、か……。アーシュの奴、よほどその頃の想い出に思い入れがあったんだな……。
「フォルス女学院のことも知ってたんだな……。てか、勝手に中身見たのか……?」
引き気味に僕が訊くと、ダグは肩を落としうなだれる。
「見たというよりかは、拾い上げたときに写真が散らばったって感じだな……」
まるで懺悔室にでもいるかの空気で、諦観したダグは淡々と、静かに語り出した。
「未だに中学時代の生徒手帳を持ち歩いてるのを見たら何か特別なことがあるんじゃないかって勘繰るだろ、普通は。昔のことを詮索するのは良くないとは思いつつも好きだから知りたいって気持ちもあって……。だからバレないように生徒手帳をアーシュに返した後であれこれ探ってみたんだ」
「で、さっき言った噂を聞いて、アーシュは未だにメア先輩のことが好きで男なんか眼中にないのかもしれない、って考えたらすげー複雑な気分になったわけ。自分の気持ちとアーシュの気持ちを天秤に掛けて、悩みに悩んで……最終的にアーシュの力になってやりたいって気持ちのが強かったから応援することにしたんだ」
「でも正面に切ってあいつにそんな話はできないし、仮にメア先輩のこと好きなのかどうかあいつに直接訊いたとしても性格からして認めるような奴じゃないだろ? 考えた末に俺が思いついた方法は、SNSで『婚約指輪の話は嘘だった』とか『男より女の子にぞっこんらしい』とか、突き止めた真相や噂話を流してイメージ操作することでアーシュが告白しやすい空気を作り出す……精々そんくらいの回りくどいやり方でしか応援できなかったんだ」
ダグの懺悔が終わる頃には……僕の脳内ではある疑念が引っ掛かり膨れ上がっていた。
「もしかして……メアがマッスルレディ好きだって情報を拡散したのもお前だったのか?」
伏し目がちにダグはあっさりと自白する。
「ああ、それな……。メア先輩を尾行してたらたまたま告白されてる場面に遭遇して、そこで得られた情報をもとにSNSに流したんだ」
……やっぱり、ダグもあの場にいたんだ。こいつもどこかに隠れてあの告白現場を見てたから、あの場だけの秘密の話が拡散されて翌日には知れ渡っていたわけか。
「お前……その結果メアがどれだけの面倒事を被る羽目になったか、ちゃんと考えたのか?」
腹が立つくらい落ち着き払った顔でダグは言葉を返す。
「まともじゃなかったことは認めるよ。俺は嘘を暴いただけで何も悪いことはしてないって思い込もうとしてた。そんときの自分は利己的になりすぎて目的以外のことは度外視だったんだ」
どこか機械的に聞こえる言い方に対し。感情を抑えながらも言葉に力を込めて言う。
「嘘を吐いたメアに何にも責任がないとは思わないけど、さっきの彼女の話を聞いてたなら自分を守るための嘘で誰かを傷つけるための嘘じゃなかったってことくらい分かるだろ?」
苦虫を噛み潰したような顔をするわけでもなく、悲嘆に暮れるわけでもなく……ダグは粛々と心情を吐露する。
「……今になってようやく自分が仕出かしたことを猛省してるさ。イメージ操作の結果、あの二人の関係性が変わったかと言えば全然効果はなかったわけで、そもそもあの様子じゃとっくの昔にアーシュの好きって気持ちは後悔に変わってたのかもな……。俺のしたことと言えばただメア先輩に多大な迷惑をかけただけだ。俺が何もしなくたってあの二人の仲は好転して仲直りできてたはずさ」
常日頃ウザったいくらいに陽気な奴が、こんなにも物静かに己を殺して感情の底に沈んでいる様は見たことがなくて……僕も少し冷静になる。
「……それが分からない奴じゃなくて安心したよ。僕が言うまでもなく反省してるならとやかく言うつもりはない」
「おいおい……もっと怒ってくれてもいいんだぜ? これだけのことをしといて、メア先輩の前じゃ素知らぬ振りでいたんだからな」
「今日一日、お前がいつも以上に張りきってて……あの二人の気まずい空気をどうにか盛り上げようとしていたのは傍から見てても分かったからな」
「なんだ、気づいてたのか」と、ダグは自嘲気味に微かに笑う。
続けて。茫然自失といった様子で夜空を見上げてから言う。
「あーあ……、結局俺は何がしたかったのかなあ……。今思えば、メア先輩の女の子しか愛せない発言は嘘のカミングアウトだったわけだけど、同性愛者だと自らカミングアウトするのだってリスクが高いのに、それを他人からバラされるのはもっとリスキーな行為だったなって、浅慮な自分にますます嫌気が増してきたところだよ」
「僕にはその見解はなかったな……。おかげで一つ学べたよ」
「……何でこんな話リックスにしたんだろうな? もしかしたらお前に怒られて楽になりたかったのかもしれないなあ……」
「だとしたら危うく乗せられるところだったな」と、僕も夜空の星を見上げながらに返す。
都会よりも緩やかに感じる時間の波に精神を委ね、揺蕩わせる。静寂の中で静かに聞こえてくるさざ波のアクセントが心に安らぎを与えてくれる。
周りに街灯一つない孤島だからこそ見られる幾千もの星の瞬きに。心を奪われたのか、ダグは上の空な口調で、
「――なあ、メア先輩に全部話して謝ったら許してくれると思うか?」
と、僕に問いかける。
「…………」
事の顛末はどうあれ結末だけ見ればメアとアーシュは仲直りできたのだから、結果オーライ主義のメアなら許してくれる、とは思うけども……。
「さあ……。どうだろうな」
星を眺めながらに漠然と返事をする僕に、
「意外だな。リックスに見えてるメア先輩ってそんなに厳しいのか?」
ダグは不意を突かれたようにそう言った。
いやまあ……確かにたまにスパルタな部分を発揮するときもあるけど。
「……僕もたまにメアが何を考えているのか、分からなくなるときがあるんだ」
回り道しても結局この難問に戻ってきてしまう。……メアの気になってる人って僕なのかな? どうなんだろ? でも『私たちの間に恋愛感情を持ち込むのは禁止』って言い出したのは他ならぬメアだしな……。あのときの僕らは知り合って間もなかったし、単に保身から出た言葉だったのかもしれないけど。
ってか、それについてもだけど……。メアが頑なに告白を断り続けてきた理由を予期せぬ形で知り得てしまったが……できれば本人の口から直接聞きたかった。メアのことを知れて嬉しいと思う反面、どうして恋愛感情に恐怖心を持つようになったのかという根本的な原因については未だ分からぬままだ。
思い悩む僕を横目に見て。それが普通だろ、といった感じで、事もなげにダグは言う。
「天才様は思考回路からして我ら凡人とは違うからな。ましてや自分のことすら分からないのに人様のことを全て分かろうなんて不可能だろ」
自分のこと……。確かにこの体に眠ってるとかいうエンダーの力についてもよく分からないしな……。そっちの方が僕にとっては重要なんじゃないのか?
「そうだな……。まあメアの件だけど、許してくれるかどうかは二の次で、まずは誠心誠意謝ることが大事なんじゃないか」
「アーシュにも謝らないとだしな……。前途多難だぜ」と、辟易とした言葉が返ってくる。
頃合いかと思い立ち上がった僕は、スウェットパンツと地面が接していた部分を手で払いながら言う。
「僕たちもそろそろ戻ろう」
真面目に少し考える間を置いてから、ダグは似合わない哀愁のある表情をして言う。
「悪い、俺はもう少しここで頭を冷やして謝罪の言葉を考えたいから、先に戻っててくれ」
「……分かった。冷えるしあんまり遅くなるなよ」
「おう、すまんな」
ダグをその場に残して来た道を帰る。
行きに通った、両脇を草藪に覆われた足元が覚束ない細道に差しかかる。またここを通るのかと思うとちょっと気が滅入るけど、知らない道で帰って迷子にでもなったら困るので観念して進む。
しばらく歩くと――
「うああアアァァァ……ッ」
不意に。この道の奥の方から誰かの悲鳴めいた叫び声が聞こえてくる。
「……アーシュッ!? アーシュ……ッ!!」
次いで。聞き馴染みのある声の主の、ただならぬ気配を感じて、
「――ッ!?」
即座に声のする方に脇目も振らずに走る。一分もしないうちに草藪の出口付近に差しかかったところで……顔面蒼白でへたり込んだメアを発見した。
「メア! どうしたのっ?」
隣に駆けつけ呼びかける。
上下セットのもこもこのパーカーとパンツに、今朝も着ていたダッフルコートを羽織ったメアが振り向き、「リックス……?」と、困惑した目つきで一瞬僕を見つめるも、
「――た、大変なの……っ、アーシュが……っ」
すぐにひどく焦った様子で訴える。
傍で片側のふくらはぎを手で押さえ倒れていたアーシュが、
「ううゥゥゥ……ッ」
と目を閉じ苦悶の表情で呻き声を上げる。厚手のネグリジェにレザージャケットを羽織った彼女の――右足のふくらはぎの横っ腹に見える……咬傷のような二つの傷穴から鮮血が滴り落ちていた。
「……ッ。何があったの?」
言葉を詰まらせながらもメアがあわあわと説明する。
「アーシュと二人で寄り道して帰ってる途中で……、急に草藪から見たことない大きな蛇が飛び出してきて……驚いて動けなかった私をアーシュがかばってくれたの……。でもそしたら、アーシュが噛まれたみたいで……っ、噛んだ後は蛇はどっかに逃げてった……」
この時期に蛇? 本来なら大抵の蛇は冬眠してるはずだけど……まずいな。蛇に噛まれたとなると毒のありなしで話が変わってくる……。
「落ち着いてメア。――どんな蛇だったか覚えてる?」
メアは少しの間、目を瞑り思い返すが……やがて、見開いて言う。
「黒と黄色の縞々で……額に小さい角があった」
「小さい角だって……!?」
その特徴に当てはまる蛇は僕の知識だと一種類しかいない。
「まさか……? モルデンデザートヴァイパー……?」
あり得ない事態に思わず顔を顰める。
モルデンデザートヴァイパーは名前の通りモルダ山岳を越えた先にある砂漠地帯にだけ生息している種で大きいものは全長二メートルを優に超える。最大の特徴は他の種では見られない小さな角が眉間の上に生えていることだ。餌が不足している時期に極稀に僕の故郷であるラズリンド近くの森まで迷い込んでくることもあったが、海に囲まれたこの孤島ではまず遭遇するはずがない猛毒を持つ危険生物だ。
「…………ッ。もし本当にそうなら、二、三時間以内に血清を打たないと命を落とす危険がある……」
「そんな……っ」
驚愕して口元を押さえるメアだったが――閃いたとばかりに声を上げる。
「エーテルリアクターは!? 緊急用のがコテージにもあったよね!」
記憶が合っていればモルデンデザートヴァイパーは出血毒と神経毒の両方に強力な毒性を持ち合わせている。エーテルリアクターの細胞浄化作用は出血毒には効果はないが、進行が早い神経毒には効くはずだ。厄介な神経毒を妨げられれば多少の時間稼ぎはできるかも。
「……やらないよりかはいいはずだ。すぐにとって来てくれ」
「分かった! 待ってて! ついでに使用人の人たちにも連絡してくるから!」
そう言って立ち上がったメアはコテージがある方角に急いで駆けていった。
「……ゥゥ……ッ」
目も開けられないほどアーシュの呻き声が小さくなってきている……。意識が混濁しているのかもしれない。
――ここからが問題だ。応急処置の方法を思い出せ。まだ近くに蛇が潜んでいるかもしれないし背負ってでも移動するべきか? 傷口よりも心臓を高い位置にキープした方がいいし、そうするか。でもその前に毒が全身に回るのを遅らせるために咬まれた方の足の付け根を一旦何かで縛りたい。それと傷口も水で洗わないと……。直接傷口に口づけて毒を吸い出すのは……かえって唾液の細菌で悪化する可能性があるって聞いたな。あとは――
そこまで頭を巡らせたところで。運命に導かれたかのように、ある方法が脳裏を過る。
「直接……傷口に、口づけて…………?」
ネヒリム教授の言っていた言葉が脳内で掘り起こされる。
――おそらく君のエンダーとしての能力はまだ休眠状態にあると見える――
――伝書に拠ると治癒の力を発現させるには対象の血を体内に取り込む必要があるらしい――
…………これだ。エンダーの力が本物ならすぐにでもアーシュを助けられる。
額に脂汗を滲ませ横たわるアーシュの、ふくらはぎの傷口から滴り落ちる血に目が行く。
「血を……取り込む……」
どうなるかは分からない……。はっきり言えば半信半疑どころか疑う気持ちの方が大きくて信じられなかったが――試す価値はある。
固唾を呑み込み……アーシュのふくらはぎを押さえ、傷にそっと口づける。その血を吸い込み、食道を通して体内に取り込んだ――その瞬間。
「――――ッ」
体の芯に火がついたような、全身が自分のものじゃないみたいに燃え上がる感覚。
傷口から顔を離し、自分の体の異変を確かめる。僕の全身を……灰色に燃え上がるオーラが包み込んでいるのが見える。……不思議と熱くはない。
そのオーラの一部が、僕の胸の中心からロープみたいに一筋の光となって伸び、アーシュの胸の中心に繋がっていく。アーシュと僕の間に人の目には視認できない回路が通ったかのような実感……。自分の神経が肉体の壁を超え、延長線上にいるアーシュと連結し感覚を共有する。
……分かる。アーシュの傷口で燃え上がっている黒炎が元凶なのだ、と――。第六感に従い、手を伸ばし、その黒炎を両手で押さえ込む。僕の手から溢れ出る灰色の炎のオーラが黒炎とせめぎ合い、やがてそれを呑み込んで吸収していく。
黒炎が完全に消え去り手を離すと……直ちにふくらはぎの傷跡部分からオーロラのような淡いエーテルの光――ルミナスが溢れ出す。まるで逆再生しているかの如く傷口が見る見るうちに塞がっていく。ものの数秒で出血は止まり、傷も消え……元通りになった。
アーシュの顔からも脂汗や苦悶の色が消え失せた。穏やかな寝息を立てている。
…………。夢でも見ているのかもしれない。本来なら出血毒により凝固しないはずの血が止まっている。一応、アーシュの頸動脈に触れ脈を確認するも……安定している。
「やった、のかな……?」
ずるりと座り込み、安堵のあまり頭をがくりと下げる。
見た目には治ったように見えるが……本当に体の内部まで治っているのかどうかまでは分からない。念のために病院に急いだ方がいいのは変わりないが……何はともあれ、命の危機は回避できたか。
「はぁぁ……」
と……、溜め息を吐いた途端に、
「――――ッ!? アア……ッ、うががぁぁアアアァァァッ!!」
ちぎれるかと思うほどの灼けつく激痛が右足に奔る。痛みのあまり悶絶し地面を転がる。
何事かと血走った目を痛みの箇所に向けるが、
「……ッ!? 嘘、だろ……!?」
信じられない光景に戦慄する。
自分の右足のふくらはぎに……今し方見た記憶がある二つの傷穴が空いている。しかも、つい先ほどまでアーシュのふくらはぎにあったものと全く同じ位置に、だ。
「どうなってんだよ、コレ……ッ」
一体、何が起きてるんだ……? 傷が、転移するなんて……っ。治ったんじゃ……っ、助かったんじゃなかったのか……? エンダーの力なら……どんな病人や、怪我人でも……立ち所に回復させるんじゃ、なかった……のかよ……?
急速に視界が霞みゆく。周りの音が……聞こえなくなっていく…………。
「……う、アァ……」
やばい……。もう、意識が…………。――――。




