【3-5】
――甲高く鳴く海鳥の声がどこまでも響く。都会の喧噪を忘れさせる穏やかなさざ波の音色に耳が癒やされる。
磯臭くない、爽やかな――それでいて乾いた潮風が頬を撫でる。島の中程にあるヘリポートに着陸し、一歩外に出た僕らを真っ白なビーチとエメラルドに透ける海が調和した非日常が出迎えてくれる。
急展開でいきなりどこぞの見知らぬ島に連れて来られたのも相俟って眼前に広がる壮大な景色に言葉をなくしていたところ、
「本当に来ちゃったね」
重そうにボストンバッグの取っ手を両手で持ちながらメアは僕の隣に並び立ち、同じく空を見上げながら漠然とした様子で言う。
「……うん」
船でなら本土から十五分ほどで着くという小さな離島。飛行中に見えた平坦な三日月型の島の外周は歩けば約一時間ほどで一周できるほどの広さらしい。中心に位置する宿泊先の(これまたやたらと立派なログハウス作りの二階建て)コテージ周辺以外は野原に覆われ人工的なものはほとんどなく、島を囲むテリハボクの木が伸び伸びと群生している。
周りに自然しかない景色は、僕の故郷ラズリンドと少し通じる部分もあり懐かしい感じがする。自然に慣れ親しんだこの体にはとても適した環境だ。
荷物をコテージのエントランスに置き身軽になったところで、今日の主役であるバーベキューの準備に取り掛かる。と言っても、既にビーチには立派な大型の四脚テントの屋根とバーベキューコンロやテーブルセットが設営されており、僕らの仕事は食材が入った箱を運ぶくらいしかなかったけれど。
時期がもっと早ければ綺麗な珊瑚と多種多様な魚が見られるシュノーケリングも満喫できるというエメラルドの入り江をバックにバーベキューの準備が整う。
先ほどダグを捕まえヘリに連行した迷彩服の大男の一人(聞けば元軍人で現在はシュタール家の使用人兼ボディガード)が、白い浜辺に仁王立ち姿で海を眺めていたアーシュの傍らに近づき、屈んで耳元で報告する。
「お嬢、予定通りいつでもいけます」
それを聞いたアーシュは音頭を取る。
「よし。――本日ヒトフタマルマルよりBBQ作戦開始だ」
「ハッ」
大男は敬礼してから踵を返し規律正しい歩行で戻っていくかと思いきや、
「フゥ~! ようやく肉にありつけるぜ~!」
はしゃぐダグの首根っこを掴み、
「お前は食べるんじゃなくて焼くのが仕事だ、ついて来い」
引き摺りながら積まれた食材の箱の方に向かっていく。
「えっ? ちょっ!? なんで俺だけ!?」
「お前に肉焼きの極意を伝授してやれ、とお嬢からのお達しだ」
「んな!?」
あんまりだ、という悲痛な面持ちでダグはアーシュの背に向け必死に叫ぶ。
「なあ!? 待ってくれよっ。調子に乗った俺が悪かったからさっ、なあアーシュ! 許してくれよ? なっ?」
肝心のアーシュは一切振り返らず、ダグとは反対側の方角に上機嫌な足取りで歩いていく。
「さあ! おめぇら飯にすッぞー! 今日は最高級の肉を用意したからたらふく食ってってくれよな」
「おいおいおい…………っ、頼むよぉぉ~俺ら友達だろおおお~っ」
……すっかり手のひらくるくるで威勢なく引き摺られていくダグを哀れな視線で見つめる。メアも気の毒そうにチラっと視線を哀れな男に投げるも、この場はアーシュに従い後を追う。
こうなったのも自業自得か、と僕も最後にダグを一瞥して見送り、二人の後に続く。
たぶん気のせいじゃないが背後から「リックスぅぅ~! 俺の分の肉取っといてくれよなあ~!」と食い意地が張った誰かの喚き声が聞こえてきたが……やっぱり気のせいだろう。
――一時間半ぐらい経過した頃。
BBQを堪能し腹も満たされたところで、僕らのテントから数百メートル浜辺を歩き、少し離れた距離に設置されたもう一方の四脚テントのもとに顔を出す。
屋根の下でキャンプ用の折りたたみチェアに背中を丸めて腰掛けていたダグを発見。両目を閉じ安らかな表情で眠るその横顔は、既にもう真っ白に燃え尽き灰と化した後だった。彼の前に置かれたバーベキューコンロの網が油汚れで一面真っ黒に焦げ付いているのを見れば、ここで壮絶な戦いが繰り広げられたのが一目で分かる。
変わり果てたダグの姿に……思わず目を伏せる。
「……っ。どうしよう……。まさか僕が……第一発見者になってしまうとは……」
すかさずダグがぼそぼそと「俺の遺灰は……次期ミスクリスティアに……」とえらくはた迷惑な遺言を残したのでひとまず生存を確認。
隣のチェアに腰掛け、ぴくりともしないダグの顔色を窺う。
「肉焼きの極意は伝授できたのか?」
まあ、すっかり憔悴しきったその顔を見れば答えは聞かずとも明白だけど。
「伝授もなにも……。腹ぺこ状態で自分が食べれもしない肉を延々と焼かされ続けて……マジで拷問じゃんかよ」
続けて皮肉に笑った顔を浮かべる。
「もしかして俺、マジでアーシュに嫌われてんのかな?」
……本気で思ってもないくせに。
「さあな。でもダグもアーシュも張り合うとこ似てるし、同族嫌悪ってやつかもな」
「俺、あんな意地っ張りじゃないって」
「そういうとこだと思うぞ」
ちょうどいいタイミングだろうと、ダウンジャケットの下からパーカーの腹ポケットに忍ばせておいたタッパーを取り出し、
「――ん、これ」
ダグに差し出す。
中身が見えないタッパーに一度不審な視線を向けてはこっちを見て首を捻る。
「? なにこれ?」
「アーシュからダグに持ってってやれって言われてさ。なんでも最高級の一番いいところの肉らしいぜ」
「…………アァ~シュゥゥゥ~ッ」
サプライズ的人情が怒りを上回り顔面崩壊したダグの姿は……とても人様にはお見せできない絵面とだけ言っておこう。
その様子に。やっぱり同族だわ、と見ていて微笑ましくなる。
「アーシュも自分で渡せばいいのに素直じゃないよな」
ひどい顔になりながらもダグは反論する。
「バカお前……、あいつが直接渡しに来たらそれこそ毒入りだろ」
「お前ら宇宙の果てまで平行線だな」
この裏返しもある意味友情……なのかな?
網を新しいのに変え二人で切り分けられた最高級の肉を炙る。香ばしい匂いにつられ満たされかけた腹も空きスペースを作る余力をみせ始める。
肉厚の霜降りに両面火が通るのをじっと待っている間、
「――なぁ、リックス」
ダグが似つかわしくない真面目なツラを下げ、
「普段見えてる俺ってどんなイメージなんだ?」
いつもと違う様子で僕に訊く。
「なんだよ急に……。なんか気持ち悪いな」
照れ隠しからか、ダグは居心地悪そうに後頭部を擦る。
「いやぁ~、ちょっと自己分析をアップデートしたくてさ。俺ら出会ってもう半年以上は経っただろ? 俺がリックスがどんな奴か大体分かってきたように、お前も俺がどんな奴かって大体は分かってきたんじゃないかと思ってさ。今後の参考までに是非訊かせてくれよ」
ふざけているときのノリではない謙虚な態度を示す。四六時中笑いに飢えている奴がこの場に限っては笑いよりも誠実な答えを欲しがっているので、僕も至極真剣に考える。
「そうだな……。お前の個性を図形に置き換えて数学的に表すなら――ウザイン、ザコイン、タンジュン♂ってところだな」
「なに!? つまり俺の角が六十度、三十度、九十度のとき、タンジュン♂がルート3ってことか!」
「ノッてくんなよ。ツッコめよ」
そこは『サイン、コサイン、タンジェントみたく言うな』ってツッコムところだろ。『いやそれ三角比やないかい』ってツッコんでくれよ。ってかお前の体どこ探しても六十度、三十度、九十度に角張ってるとこなんてねえんだわ。モ○ルスーツでもそんな直角三角形みたいな形の奴見たことねえよ。あとタンジュン♂がルート3って何? 先にそのワード出したのは僕だけど未知数な造語から余計なもん引き出してくんなよ。よりわけ分かんなくなるだろが。……くそっ、結局僕がツッコんでんじゃねえか。
一拍置いてから言う。
「まあ……アレだ。なんだかんだ言ってもいつでもノッてくれるのがお前の良いところだな」
ついついふざけてしまったが、一応、忌憚のない意見も交えたつもりだ。ウザいだのザコ臭がするだのひどい言われようだが、ダグは自慢げに腕組みして胸を張る。
「おう、ノリだけで生きてっからな」
……真にこいつのすごいところは例え悪口を言われてもそれを笑いに昇華できる寛容さや、悪口を悪口と思わないポジティブな思考回路にあるのかもな。
バーベキューコンロの炭火をじっくりと眺めていた僕の口からぽつりと思考がもれ出る。
「ダグは悩みが軽そうでいいよなあ」
「あれ? 俺、ひょっとしてバカにされてる?」
ちょうどいい具合に焼けてきたお肉をトングで裏返していた最中、
「なら…………軽くないマジなやつ、いっちょぶっ込んでもいいか?」
ダグの……その嬉々とした眼差しが虚空を見つめるかのように細まり哀愁味が増す。
「……なんだよ?」
淡々と。感情なくダグは口を動かす。
「もし俺がリックスにいきなり好きだって告白したら、お前ならどうするよ?」
「ふぁ!? ……それ、マジで言ってんのか?」
「マジになんなって。……いやマジで聞きたいは聞きたいんだけどさ、もしもの話だよ。俺だって男に興味持ったことは一度もないって」
「なんだ……。びっくりさせんなよ」
ひとまずほっとしたところで。ダグに告白されている自分を…………中々無理があるシチュエーションだが、想像してみる。
――花弁が舞い散る例の告白スポットにある木の下で、こちらに振り返ったダグが激しく体をくねらせ決めポーズを取って叫ぶ。
『凍みる俺のシャーシにお前の滾るプラズマダッシュエンジンがジャストフィッ~ツ! ブォンブオオオン~ッ!』
――想像終了。
「うーん……。真っ先に隠しカメラの有無を疑うかなあ?」
「ドッキリじゃねえって」と冷めたツラのダグに突っ込まれる。
改めて考えてはみるものの、同性愛には理解は示したいが、実際に自分がする側となるとどうにも難しい。色々と本能的な壁をぶち破らないと同性を好きにはなれない。
「まずお前がふざけて言ってるのかどうか確かめてから、そうなら一発殴る。そうじゃないならきっぱり無理だと断るだろうな」
僕がそう答えるのが前提にあるかの流れ作業で、ダグは一言「だよな」と、空返事で言う。
「仮に、俺が本気でリックスに告白してフラれたとして……その後も俺ら友達で居続けられると思うか?」
「それは……難しいかもな」
自分が友情だと思っていたものが相手にとってはそうじゃなかったら……少なからずショックだろうし困惑もするだろうなあ。断った手前顔を合わせるのも気まずいし、告白以前の関係性に戻りたくてもどうすればいいのか分からない。……ましてや男同士なら尚更ギクシャクする気がする。
「まあ……なるべく普通に接するように努力はするけど、変に気を遣ったり特別視しちゃって以前と同じ友達目線で見るのが難しいときもありそうだよな」
偏見のない意見を述べたつもりだが、人によっては偏見だと聞こえてしまう。聞き手側の価値観も問われるセンシティブな問題に、ダグは重々しく頷く。
「俺もだ。以前と変わらずに友達でいられる自信はあるけど、相手もそうじゃないとたぶん無理だ。お互いの気持ちがないと自分だけじゃ保たない」
カチカチと鳴るコンロの炭火をダグはぼんやりと眺めながら、
「…………。そういうのって時間で解決できるんかな?」
と、しばしの間の後で僕に訊く。
「……さあ。どうだろうな」
見当もつかない。これまで生きてきてそんなことを考える機会はなかった。同性愛をどこか自分とは無関係な世界の話だと切り離して過ごしてきたからだ。おそらく、当事者にならない限りこの先も考えることなんてなかっただろう。
答えは出ないままに、ダグは辛気くさい顔をして言う。
「わりぃな、変な空気にしちまって……」
「いや。別にいいよ」
「この話はここまでにしようぜ」
持ち前の明るさで会話の現状復帰を図ろうとし――興味ありげな視線を僕に向けてくる。
「それよりリックスの話も聞かせてくれよ」
「話って言われてもなあ。特に話すようなことも何も……」
「あるだろ? 一体、メア先輩とどこまで進んでんだよ?」
「どこまでって……」
成り行きでキスはしたけど付き合ってるわけじゃない、なんて言えないしな……。自ら、僕って案外軽薄な奴なんだよね、と宣言しているみたいで嫌だ。どっちにしろ同盟関係は他言無用だから下手なことは言えないけれど。
「僕らは……別にそういう関係じゃないって」
「じゃあどういう関係なんだよ? ただの友達ってわけじゃないんだろ?」
「……肉コゲるぞ」
「――うぉっと!?」
そうこうしている内に最高級の肉が赤身を残しつつも表面が絶妙な焼き加減に仕上がった。
「頂きますっ」と豪快に肉にかぶりつきぺろりと平らげたダグの頭からは、メアと僕の関係についてはすっかり抜け落ちたようで、その後は特に追及されずに済んだ。
バーベキューが一段落したので僕ら一行はコテージに移動した。男子グループと女子グループで分けた二階の客室に各自荷物を運ぶ。上着などを脱ぎ軽装になってから一階の吹き抜けのリビングに集合した。
大窓の向こうに見える海と浜辺を一望しながら、入れてもらった紅茶を呑んで休憩していた折に、
「せっかく無人島にまで来たのに何でやることがカラオケなんだよ」
左隣に座っていたダグが四人掛けのふかふかなソファにがっくりともたれかかってはアーシュの出した提案に文句を垂れる。
「いっぱい食ったからカロリー消費しねぇとだろ」
ティーカップとマイクが置かれたローテーブルを挟んで、対面の同様のソファに腕と足を組んで座っていたアーシュは『逆に何言ってんだ?』みたいな視線をダグに向ける。
その左隣でお嬢様座りしていたメアが空気を読んで宥める。
「まあまあ……、普段より周りを気にせず騒げるしいいんじゃない?」
対して。僕はあまり気乗りしなくて自信のなさが口に出る。
「カラオケはあんまりしたことないなあ……」
アーシュは僕を見てはニヤリとほくそ笑む。
「因みに採点つきで一番点数低かった奴は罰ゲームな」
またかよ、と呆れた顔をしてダグは皮肉る。
「ホント、それ好きだよな。もう罰ゲームと結婚すりゃいいのに」
このままじゃ僕が罰ゲームをやる線が濃厚なのでここはダグに加勢してイジりにいくか。
「結婚おめでとう、アーシュ。罰ゲームと末永くお幸せに」
メアも面白がってテーブルの上のマイクを一つ手に取り、ヘッド部分をアーシュに向ける。
「アーリッシュさん、是非罰ゲームさんとの馴れ初めをお聞かせください」
メアには強く出られずアーシュは眉間に皺を寄せる。
「ぐ……っ、メアまで……」
バーベキュー中のダグと僕がいない間に、彼女たちは二人っきりでどんな話をしていたのか気にはなるが、二人の間に流れる空気が和やかな方向に変わりつつあるのは肌身に感じる。
しかしながら。ここはシュタール家の別荘ということもあり強権発動でカラオケをする流れに。
順番を決める公平なジャンケンの結果……、
「ウェ~イ、リックス~! いったれ~!」と、隣でダグがうるさく囃し立てる。
「んじゃ決まりだな、ほらよ」と、アーシュからマイクを手渡される。
「…………」
まさかの僕からスタートになってしまった。
どうしたもんか……。最近はちょくちょく流行りの曲とかも聞くようになったけど、歌えるわけじゃないしなあ。そもそもカラオケをするのなんていつ以来だ? 覚えている限り子供の頃に村の宴会で一度歌ったっきりかも。音楽と隔離された環境でずっと育ってきたから覚えてる曲のレパートリーが三、四曲ぐらいしかないの終わってる。あ、詰んだわこれ……。
――仕方ない。あまり気は進まないが……歌えもしない最近の曲を入れてグダるよりかはマシだろ。
カラオケ端末から歌う曲を検索し送信。モニターに表示された曲名を見てダグは、
「おぉぉ、懐っ! 俺もこれ観てたよ!」
と、歓声を上げて騒ぐ。
「んだこれ?」と、アーシュが片眉を上げ首を捻る。
「確か、昔やってたアニメじゃなかったっけ? 観たことはないけど」と、モニターに映るアニメ映像に好奇の目を向けるメア。
ニャルロンボール――僕らが生まれるより少し前に放送していたデフォルメされた茶トラ猫が主人公のアニメだ。毛並みが金髪に逆立った伝説の猫を探すストーリーで、その『スーパーサイヤニャン』と呼ばれる猫たちが一匹につき一個だけ生成すると言われている星の形が描かれたオレンジ色の尿管結石、通称ニャルロンボールを七個集めれば猫神ニャルロンが現れてどんな願いも一つだけ叶えてくれるという伝承があり、それを知った主人公が仲間のメカニックであるブルドッグと共に旅に出て摩訶不思議な大冒険をするのだが、僕の地元じゃこれの再放送ばかりやっていてオープニングの歌も自然と歌えるほど覚えてしまった。
モニター両脇のゴツい縦長のスピーカーから演奏が流れる。歌い出しに合わせマイクを構え――息を吸う。
「タマ出して! ニャルロンボール♪」
決して上手くはない歌声に皆が引いてないか不安だが、とにかく歌うので手一杯で周りを見る余裕もない。
――三、四分の曲をなんとか歌いきり緊張から解放されマイクをテーブルに戻す。落ち着かない視線でモニターに採点が出てくるのを見守るが……結果は『七十点』とこれまたリアクションに困る点を取ってしまった。
周りの反応を見るに、ダグはノリノリで「これ面白かったよなあ」とか「俺にとっては人生のバイブル的存在!」とか熱量高めなのに対し……女子二人はなんとも言えない微妙な表情で静止していて……特にアーシュの方が、なんだコレは、という困惑の目つきをしている。
まあ歌う前から世代違いのアニソンという選曲の時点でこれは女子ウケ最悪だろうな、とある程度覚悟はしていたが……。
「ごめん。これぐらいしか歌える曲なくて……」
これからはもっとカラオケに行って流行りの曲を歌えるように練習するなりしよう、と一人反省していたら……アーシュがまじまじと圧のある視線をこちらに向け、言う。
「……おい、あの茶色い猫なんつうんだ?」
「え? そのまんまチャトラだけど?」
アーシュは反射的に立ち上がり、
「チャトラめっちゃイカしてんな! これどこで観れるんだ?」
無邪気な顔でさっきまでアニメ映像が流れていたモニターを指差し目を輝かせる。
「あー、どうだろう……」
意外な反応にびっくりしている間に。アーシュに賛同したダグが代わりに活気よく答える。
「それな! なんとアマゾゾプライムで観れるらしいぜ」
「おいメア聞いたか、今すぐリサーチだ」と、興奮して早口になるアーシュ。
「うん。チャトラもいいけど一緒にいたブルドッグの子も良かったなあ」と、一足先にスマホで検索をかけながら言うメア。
……皆、僕の歌よりニャルロンボールの方が気になっているみたい。歌にはまったく触れてもらえないのはそれはそれで悲しきかな……。
ニャルロン話が終息したところで。マイクを手に取り、「次は俺だな」と、ダグは得意げな顔をする。自信満々な振る舞いで立ち上がりマイクを構えるもんだから、一体どんな曲を入れたのかモニターを見てみれば、
「マシンダーZって……、めっちゃ昔のやつじゃん」
世代違いのアニソンを連続で被せに来てて衝撃を受ける。たぶん僕らの親世代よりも更に前の世代のアニメだ。オープニングの主題歌は有名なので聞いたことはあるけど、当然アニメは観たことない。
「……知ってるか?」と、真顔でアーシュがメアに訊く。
「んー、曲だけなら……一回ぐらいは」と、曖昧に首を傾げるメア。
そのまま無言になる二人。メアもアーシュもついていけず歌う前から微妙な空気が漂っている。妙な沈黙を紛らすためか、二人ともティーカップに手を伸ばす。
それを見て。僕も歌って喉が少し渇いていたのでティーカップに口をつける。――良い紅茶なのか鼻孔の奥まで充満した香りがして味わいも格別に感じる。
そんな雰囲気の中。出だしの歌詞テロップが流れ――ダグが歌い始める。
「会社に~行くとき~♪ パ~ンツは履か~な~い♪」
「ブホォ……ッ!?」
歌い出しを聞くや否や、久々の噴き芸を披露してしまった。……まさかの出だしのテロップとは全然違うオリジナルの替え歌である。
隣で僕が口と鼻から紅茶を噴き出し大惨事になろうが、ダグはお構いなしのノンストップで替え歌を続ける。
「ノーパン~のスリルを~楽しんでまっす~♪
ブラブラさせたりユラユラさせたり~♪
ときにはかた~く~♪ なる~ときもある!
伸ばせ~♪ どことは~言えないけれど~♪
今さ~出すのさ~ズボンを脱いで~♪
フルティン~♪ フルティン~♪ フルティン~だぜ!」
――その後も聞くに堪えないド下ネタの替え歌をフルで歌いきったダグは、「ふぅぅ」と軽く息を吐き、額の汗を腕で拭う。
「…………」と、開いた脚の膝に両肘を置き俯くアーシュ。
「…………」と、お嬢様座りの姿勢で俯いたままじっとしているメア。
…………。『ふぅぅ』じゃねえよ。何やりきった顔してんだよ。女子の前で堂々と下ネタぶっ込んで来やがって。どうしてくれんだこの空気。……あと、まじでこの原曲作った各方面の方々に一旦怒られて来い。
いや、でも……今はそれよりも得点の方が大事だ。気になる採点が遅れてモニターに表示され……結果は『八十二点』。
「よっしゃあ!」と、ダグは喜びに拳を突き上げバンザイする。
……解せぬ。替え歌なのに何でこんなド下ネタソングが僕より得点高いんだよ。どうなってんだよこの採点。
お通夜みたいな空気にもかかわらず。小学生染みた幼稚なノリの風を一人吹かせるダグは、僕らを振り返り満面の笑みで尋ねる。
「なっ、俺の替え歌『フルティンダーZ』どうだった!?」
訊くが早いか、鋭く眼光を尖らせたアーシュは冷え切った圧を放ちながら中指を立て吐き捨てる。
「どうもクソもあるか。――くたばれ」
想像通りのブチギレである。いやまあ……アーシュも前にキンタマとか言ってたけど。
一方。メアはずっと屈んで俯いたままだ。顔色は窺えないが……この状態で機嫌が良いことはまずないだろう、と誰にでも予想できる様子だ。
「メア、その……ごめん。こいつ、こういう悪ノリする奴なんだ」
恐る恐るなぜか僕が代わりに謝るも、
「…………」と、反応はない。
アーシュはギリッとダグを睨む。
「おい、すっかり怒ってんじゃねえか。――おめぇのせいだぞ。謝れ」
ダグは、失敗したかな……、といったバツが悪そうな顔をして後頭部を掻く。
「やー……。ちょっとやりすぎちゃったかなあ……?」
やや眉を下げ真摯な表情を浮かべたダグはメアの方に向き直り、
「メアしゃす、ごめんな…………さい、さい……っ――サイドチェストォォォ!」
ボディビルダーのマッスルポーズをマネて胸筋を見せつける。
「誰もボケろなんて言ってねえだろがい!」
すかさずアーシュのツッコミが飛んでくる。
「――プハ……ッ、アハハ、アハハハハ……ッ」
急にメアが吹き出して笑い出す。一同皆唖然とする中、顔を上げたメアはお腹を抱え苦しそうに言う。
「ご、ごめん……っ。そんな空気じゃなかったし、こんな下ネタで笑ってたら……っ、はしたないかと思って我慢してたんだけど……っ、おかしくて……もう、ムリ……っ」
笑い過ぎて潤んだ瞳を指で拭うメアを見て、安堵したダグはここぞとばかりに調子に乗る。
「お? メアしゃす、ひょっとしてイケる口?」
「しゃしゃんな! おめぇはもう黙っとけ!」
……今日はアーシュのツッコミが大忙しで僕の出る幕はなさそうだ。まあアーシュには悪いけれど、ひとまずメアが怒ってないなら良かった。しかし……あんなにメアが笑っているのを見るとダグのセンスにちょっとジェラシーを感じなくもない。
メアの笑いが落ち着いたところで。「ごめん、次私だったね」と、彼女がカラオケ端末から曲を選ぶ。真剣な表情で人差し指を上下に振りパネルを操作していたが――お目当ての曲があったのか、ぴたっと指が止まる。
「…………」
その際に。何故か一瞬チラッと僕の方を見ては、目が合うとビクッとして視線を引っ込める。すぐに両手でカラオケ端末を持って顔を隠したメアの思わせぶりな様子に、僕の方も不意にドキッとしてしまう。
悩んでいるみたいで手が止まっていたが……数秒後に再び動き出す。選曲が済んだようで、メアはマイクを手に取り立ち上がる。
モニターに表示された曲名『Love or Not?』を見るに……僕の知らない曲だ。
「来た~! ラブソンの定番!」と、ダグが盛り上げる。
演奏が流れ出し――メアの鈴を振るような声がマイクに乗って心地よく響く。
「目が合ってエ~ンカウント~
人知れず今日もは~じまる
一歩近づく~度に~一拍~速くなる~
息ひそめテ~ンカウント~
擦れ違ってサイレンたか鳴る
本能の警告を~嘘だと~信じたい~」
「もう~す~こし~だけ~ あと~す~こし~だけ~
ち~かづいて~みて~もいい~ですか~? 温めてくれますか~?
望む~のな~らば~ 叶う~のな~らば~
ら~いせもいっしょに~なれ~ますか~? お願い~神様~ ねえ~?」
「恋かな~? 恋じゃな~い 揺れ~る~ままでいさせて~
今はま~だ知らないフリ~で~言わず~にい~てよ~
恋じゃな~い、恋かな~? 夢見る~ままでいた~い~
ウラハ~ラな~気持ちぃ~響け~ 君の胸に~……」
「どうかあ~わい~まま~で~とけないで~♪」
――歌い終わっても耳に残る甘美な余韻がしばらく消えそうにない。ラブソングだけど甘くないって言うか……恋に悩む乙女の迷いとか儚さみたいなものも感じられる曲ですっかり聞き入ってしまった。
初めてメアが歌うのを聞いたけど、人の歌声がこんなにも胸に突き刺さった経験がなくて感動以外の言葉が出てこない。歌の価値観を塗り変えられてしまうほどの衝撃だった。
肝心の採点結果は……『九十八点』。普通にすごくて笑える。
「うぉぉ、マジかよー」と、ダグが勝負関係なく称賛し拍手を送る。
「んー、惜しいっ。もうちょっとで百点だったのに」
マイクをテーブルに置き、座り直したメアは悔しそうに笑う。
アーシュは言い難そうに指で頬を掻いてから、
「いや~、なんつーか……」
予想を上回る実力に感嘆して表情を和らげる。
「あの頃よりも更に上手くなっててびっくりだぜ」
「まあね」と、嬉しげに返すメア。
「ふっ」と、ふと口元に笑みを浮かべたアーシュは、
「カラオケ行き始めた頃は七十点超えれば良い方だったのにな」
と、柔和な眼差しでメアを見ては過去を懐かしむ。
「嘘? そんな時代あったんだ?」と、今の僕の点数と大差ないことに驚きを隠せない。
メアは短い微苦笑を浮かべて流す。
「もう昔の話でしょ。あの頃はアーシュが歌の先生をしてくれてたけど、あれからも一人で練習続けてたんだよ?」
「やるじゃねえか」感心したアーシュは不敵に笑い、
「負けてらんねえな。あたしも技術を磨いてレベルアップしたとこ見せてやんぜ」
と、闘志を燃やす。
顎に手を置き、ダグは首を傾げる。
「そういやいつも聞いてるのはアーシュのギターばかりで歌ってるとこは見たことないな」
唯一聞いたことがありそうなメアの表情がぱっと明るくなり、その実力のほどを熱弁する。
「もうね、人の声とは思えないくらい綺麗なんだよ。特にハイトーンボイスなんか空から降り注いでるみたいに聞こえてきて、天国に最も近い声なんじゃないかって衝撃を受けるほど感動するんだから」
「へぇー。ギターだけじゃなく歌も上手かったのか」と、感心する僕。
「ほぉー。今日だけでアーシュの新たな一面が盛りだくさんだな」と、ニヤけるダグ。
なおも。メアの弁は止まらずアーシュの歌を絶賛する。
「これはアーシュのお母様から聞いたんだけど、アーシュが小学生の頃に入ってた聖歌隊ではあまりの美声に天使たちもアーシュの歌声を聞きに舞い降りてくるって言われるくらいに評判になって、アーシュが歌う賛美歌目当てで休日は教会に行く人が増えて大盛況だったんだって」
持ち上げられすぎてアーシュは照れ臭そうに眉を寄せ、
「いつの話してんだよ……」と、ぶつくさと小声でもらす。
居たたまれない空気にそそくさと端末から選曲を済ましたアーシュはマイクを握り立ち上がる。期待値が上がっている分、皆の熱視線がモニターに集まる。
表示された曲名『Frenzied Feast』を見るにまたしても知らない曲だが……アーシュが大きく息を吸い込んだ――次の瞬間、咆哮が轟く。
「ヴヴヴァァ■■■■■▲▲▲▲▲▲▲●●●ッ」
禍々しい演奏とともに出だしからいきなりの耳を劈くデスボイスに僕含め皆の顔が強張る。
人語かどうかすら理解不能なスクリームの嵐に、ゴリゴリのヘヴィリフ、複雑怪奇でメロディックなベースライン、超速連打の荒々しいツーバスのツービート――。聴いたことのない異質なジャンルの曲に聴覚野が麻痺する。偏に言うなら、降り注ぐミサイルの雨に脳内を爆撃されている感覚。
…………。なんか思ってたんと違う。
技術を磨いてレベルアップしたってそっち? 確かに人の声とは思えぬ奈落の底から木霊して鳴り響いてきそうな不気味さはあるけど……あれ? ハイトーンボイスどこいったん? 天国に最も近い声? むしろ墓から亡者を呼び覚ましそうな呪詛ばら撒いてますけど? なんなら天使が聞きに来るどころか最早降臨した悪魔たちが一斉にヘドバンかまし出す勢いなんですが? え? もしかしてこれを聞きに休日に足蹴なく教会に通ってた人たちってもれなく全員邪教徒の方々なんじゃ……?
――誰も一言も発しないまま波紋を呼び寄せた約四分間の狂乱の宴が終了する。
モニターに採点結果が表示されるも……『採点できませんでした』のエラーの文字に、アーシュは吠えてマイクをソファに投げ捨てる。
「んでだよっ、歪みの密度とかシャウト具合完璧だったろっ。この採点イカれてんじゃねえのかっ」
「いや妥当だろ」と普段は突っ込まないダグが冷静に言い切った。
ほんの四分ほど前までは素晴らしいものが見られるという期待でいっぱいだったメアの瞳が、今やすっかりジト目に変わり……その視線の矛先がアーシュに向かう。
「……久々にアーシュの美声が聞けると思ってたのにな」
拗ねるメアに。アーシュはどさっとソファに座り直し、
「あんな持ち上げられたあとに歌えるかってんだ……」
肘置きに肘杖をついてはそっぽを向き『フンッ』とした態度で愚痴を零す。
つれないアーシュの様子に。「そういえば……」と、メアは微笑ましく懐古する。
「二人で初めてカラオケ行ったときもこんな感じの曲ばっか歌ってたよね」
大窓の外に窮屈そうな視線を投げながらアーシュはきっぱりと即答する。
「大人しく普通の曲歌ったってつまんねえだろ。これがあたしなんだよ」
なにやら物思いに耽る空虚な目で遠くを見つめるアーシュに……現実逃避から帰還してもらうべく、僕は一言申告する。
「アーシュ、罰ゲームお忘れなく」
すぐさま顔を渋めたアーシュは、
「……チッ。わかってら」と、嫌々そうに返事をする。
ダグの提案で罰ゲームの内容は『新郎罰ゲームさんとの結婚式』に決定。上着を着て再度入り江に降り立ったメアと僕は、海側を向き波打ち際に立たされたアーシュと、その斜め後方に控えたダグを離れたところから見守る。
スマホで検索した誓いの言葉を見ながら、ダグはカタコトな発音で読み上げる。
「アナタは~スコやかなるときもヤめるときも~、ヨロコびのときもカナしいときも~、トめるときもマズしきときも~、バツゲームをアイし~、バツゲームをウヤマい~、バツゲームをイツクしむことをチカイますカ~?」
堪えた顔を浮かべながらもアーシュは声を張り上げる。
「うぐぅぅ……っ。誓い……ますっ」
「オヤ~? コエがチイさいデスネ~。もっとオオきなコエで~、サン、ハイ♪」
「ちかいまああああああす!!」と、アーシュがヤケクソ気味に海に向かって叫ぶ。
直後に「ファッキイイイイイイン!!」とも叫んでいたけど、とりあえず目的は完遂。




