【3-3】
ポロに着くと、いつものテーブルの奥側に座ってメアを待つ傍ら勉強する。
――約一時間後、ガランガランと錆びついたドアベルが鳴り、
「やっ、おつかれ」
メアがにこやかな顔をしてやって来る。
「よっ、おつかれ」
一週間振りの挨拶もそこそこに向かいの席に座るなり、
「やったねリク! エーテル基礎学で三位取れたんでしょ?」
まるで自分のことのようにメアは喜びを露わにする。
メアにとっては自身が不動の一位であるのは通知表を受け取った時点で分かりきっているのに、わざわざ僕の名前をずらりと並んだあの成績優秀者のリストから探してくれたのかな。
「ああ、うん。自分でもびっくりしたけどこれもメアの指導のおかげかな」
「ふふん、まあね」とメアはしたり顔で返し、
「でもリクの頑張りがあってこそだよ。ちょっと厳しくし過ぎたかなってときもあったけど、それでもめげずにちゃんとやってきた甲斐があったね」
活き活きと暴露するメアに、やり過ぎかもって自覚はあったんだ……、というなんとも言えない気持ちが嘆きの川に攫われていく。
それはさておき。褒められると褒め返したくなるのが人間の性ってもんだ。
「メアも全科目満点おめでと。知ってはいたけど、やっぱりオールS評価は伊達じゃないな」
苦笑交じりにメアは言う。
「ありがと。まあ……もう慣れてきちゃってあんまり感動とかは薄いけどね」
「うわ、流石勉強強者。言うことが違いますな」
「もぉ、からかわないでよ」
メアは少し膨れて言い返すと、真面目モードに切り替わる。
「良い点取るのも全ては早期卒業のためだし、あと一回後期期末を頑張ればゴールだからそれまでは喜べないかな」
そしたらメアのサポートを受けられるのも後期のあと一回だけか……。仮に僕が二学年に進級できたら来年からは独り立ちだ。今のうちにメアから吸収できる勉強のノウハウはなんでも取り込んで一人でやっていけるようにしないと。
「やっぱメアは凄いよ。見据えてる未来が違うもんな」
メアは照れてるのか、困った様子で苦笑いを浮かべ、
「そんな立派なもんじゃないけれどね」
と謙遜をもらす。
「それより――、通知表もらったんでしょ? どうだった?」
ぱっとにこやかな表情に切り替えて訊いてくるメアに――。まずはリュックから通知表を取り出して手渡す。
受け取ったメアは静かに読み上げる。
「――GPA【3.0】……」
エーテル基礎学の成績だけは抜きん出て良かったものの他に足を引っ張ってしまった科目もあり、成績は決して悪くはなかったが目標にはあと一歩足りなかった。しかし、悔やんでいる暇なんてないのでこの悔しさを後期期末にぶつける気持ちで現在進行形の軌道修正をしているところだ。
「…………」
目標に届かなかったことにメアはいたたまれない表情を浮かべ、僕を見て言葉を探すも出てこないといった感じで視線を下げる。僕も落ち込まなかったわけじゃないけれど、口ごもって唇を噛み締めるような仕草に正直僕よりも悔やんでいる様子が窺える。
協力してくれたメアにこんな顔をさせてしまった、というばつの悪さに首の後ろに手を置き、申し訳ない気持ちで述べる。
「せっかく協力してくれたのにこんな結果でごめんな?」
「そんな……。謝らないでよ……」
より一層悲しみの色を浮かべるメアに、努めて明るく振る舞う。
「まあこれが今の僕の実力ってことだよな。指標が分かったから後期に向けて【3.8】以上取るためにここからさらに勉強量を調整していくだけさ」
きっぱりそう言い切ると、メアも前向きに捉えてくれたようで真摯な表情で頷く。
「……惜しかったね。泣いても笑っても次がラストチャンスだから、今度こそ笑って迎えられるように私ももっと気合い入れてくから」
僕がメアを助けた以上にもう助けられている気がするが、それでも損得なしに協力してくれるその心意気がなによりも嬉しい。
メアから返された通知表を手に、気持ちを切り替える。
「ありがと。……キャンプは残念だけど、メアと勉強できる冬休みだって悪くはないよな」
なんせ一緒に行く予定だったのは常日頃から騒がしいあの凸凹コンビのダグとアーシュだ。間違いなく愉快で楽しいキャンプになると思ったけど、こればっかりは宣言通りに目標を達成できなかった自分の実力不足なので致し方あるまい。
前向きに捉えようとしている僕の発言を受け、眉尻と視線を下げたメアは数秒の間、脳内で何かと格闘しているようだったが、やがて顔を上げ、
「――キャンプ、行ってきたら?」
と口元を緩めて言う。
「え?」
予想外の返答で思わず驚く僕に。メアは控えめに微笑んで再度繰り返す。
「前期から五ヶ月足らずで【0.8】成績を上げるのだって中々できないことだと思うよ? 頑張ったご褒美に行ってきたら?」
「いや、でも……」
僕にだってプライドはある。見栄を気にしてしまい後頭部を掻きながら視線を横に逸らす。
「自分で達成できなかったらキャンプに行かないって宣言しといて、なのにできずに行くのはなんかカッコ悪いっていうか……」
口元に手を当て、メアはクスッと吹き出す。
「くふっ。リクもそういうの気にするんだ?」
「うぅ……」
既にカッコ悪い自分に顔が熱くなって窓の外に視線を向ける。
その様子をニコニコと眺めていたメアだったが、
「達成できなかったのはリックスのせいじゃないよ。だって――原因は私にあるもん」
不意に。表情に影を落とし呟くように言う。
自身を責めるメアに。真っ先に否定の言葉が浮かぶ。
「そんなことないだろ。自分の勉強だってあるのに時間割いて協力してくれたじゃんか?」
対してメアは歯痒そうな苦笑いを浮かべる。
「んー……。問題はそこじゃなくてさ」
「?」
切り出しづらそうに表情を曇らせ……メアは話し始める。
「二学期の目標ラインを【3.2】に設定したのはね、どこまでリックスの学力を伸ばせるか自分への挑戦って意味もあって。敢えて達成するのは際どいラインにしたの」
「そ、そうだったのか……?」
「でもリックスの実力は教えている私が一番分かってるつもりだから、達成するには現実的な数字じゃないことも分かってたんだ。このままじゃ達成なんて夢のまた夢だと思って途中からどんどんリックスにも厳しくしちゃったし……それでも一生懸命私についてきてくれたからいけるかもって欲が出ちゃって……実際、【3.0】取れただけでも十分凄い進歩だよ」
「……そう、かな?」
実際達成はできなかったものの言われてみれば、自分だってやればできるんだ、という自信回復には繋がったかもしれない。僕一人じゃこうはいかなかった。
口角を上げ笑顔を飾るメアの頬に表情とは裏腹な負い目が浮かんで見える。例えるなら、チェチャにデフォルトで入っている冷や汗を垂らして笑う顔の絵文字みたいで妙にもどかしい。
「今回の結果はそもそも無理難題なレベルに目標を設定した私個人に責任があるから、リックスに見合った難易度にしないで目標を私物化しちゃってごめんねって、その分のお詫びも含めてキャンプ楽しんでおいでよ」
両手を合わせ、『ね?』とでも言いたげに首を傾げるメア。
ただ僕の実力が足りてなかっただけの話なのに、功労者であるはずのメアが罪悪感を抱く姿を見るのは忍びなくて……ありのままに気持ちをぶつける。
「確かに最初は高過ぎる目標に達成できるか半信半疑だったし、途中厳しくて何度かめげそうにもなったけど、メアを間近で見てて、本気で言ってるんだなって熱意が伝わってきたから自分もやる気になれたんだよ。メアが本気じゃなかったら僕もやれるって信じてなかった」
「ん……うん……」
メアは小恥ずかしそうに顔を逸らし頬を掻く。普段あんまり見ない様相に珍しく照れているみたいだったが、そのままいつもの調子に戻ってくれれば、と励ます言葉を探す。
「あれだけ親身になって僕の勉強を見てくれたんだから落ち度なんて一つもないだろ? むしろ、あるとすれば僕の本気がメアよりも足りてなかったってことだ。だからキャンプは諦めて勉強に励むことにするよ」
俯きがちに僕を見て、メアは合点がいかぬ表情を浮かべ口にする。
「……リックスがずっと頑張ってたの知ってるもん。落ち度があったなんて思えないよ」
「いや、僕のミスだ。メアから教わった知識をもっと活かせてたらもう少し良い点が取れてたはずだ」
「リックス呑み込み早かったよ? リックスのせいじゃないよ。初めから目標を高くし過ぎた私に責任が――」
「それはメアの教え方がうまかったってだけだよ。それだけメアは存分に協力してくれたし何も悪くない。全部僕の責任だ」
「違う、私がいけなかったんだって」
「そうじゃない。僕がいけなかったんだ」
「私だもん」
「僕だね」
「わ・た・し――っ」
「ぼ・く――っ」
両者同時に両手の平でバンッとテーブルを叩き立ち上がる。テーブルの上空で顔と顔を突き付け、睨めっこの空中戦が始まる。激しく視線と視線がぶつかり合い、火花が散る。
「「~~~~ッ」」
互いに声にならない声を震わせ一歩も引かない相手を威嚇する。どちらが先にこの頑固者の首を縦に振ることができるか、というピリついた空気が辺りを包み込む。
先に口火を切って叫ぶ。
「この分からず屋のガリ勉オタク!」
「なによ! この……お母さん想いの大好きっ子!」
……? せめてそれを言うならマザコンでは?
「あ、えっと……なんだよ! このスパルタ鬼教官!」
「うぅぅっ。この――ッ、んぅ~~……んと……、親孝行者、はちょっと違うし……そもそも悪口じゃないし……あぁ~、ん~っと…………パスッ!」
……あれ? なんかもう一回僕のターンが回ってきたぞ?
「あ、えっと……この結果主義の効率厨!」
「ひどいっ。自分の時間削ってでも勉強見る時間増やすために捻出したのに……っ」
「う……っ。それはその…………ごめんね?」
――結論。メアと僕では喧嘩にすらならないことが判明した。
グダグダな掛け合いに緊迫感が長く保つわけもなく、
「――ぷふっ、あははっ」
急に我に返ったのか、メアは吹き出すと腹を抱え笑い出す。
「なんか私たち、周りが見えてないカップルみたい……っ」
「う、うぅ……」
カップルという言葉と正鵠を射た指摘に僕も急激に恥ずかしくなってきて静かに着席しながら俯き額を手で押さえる。普段の僕だったらこんな痴話喧嘩をしているバカップルがいたら生暖かく見守っているだろうに……。
座ってからも、なお。メアは背中を丸め笑いながら、僕に訊く。
「そもそも……っ、なんで言い合ってたんだっけ?」
「――さあ? なんかどうでもいいことだった気がする」
そんな風に言われたら頑ななメアに少々ムキになってしまったのが途端にくだらなく思えてくる。きっと僕が譲らなかったのと同等の気持ちが彼女にもあったんだろう。
ようやく笑いがおさまったメアは目尻を手で拭う。
「――そうだ、キャンプに行くかどうかって話だよね? この際、私もついてっちゃおっかな?」
なんだかもうキャンプ行くのが前提みたいなノリで言うけれど、それよりも驚きが優る。
「え!? 行きたいの?」
メアはしれっと言う。
「まあ流石にそれは冗談だけど」
「なんだ、冗談か……。ならいいんだけど……正直メアがキャンプに来ても僕の友達二人とはなんていうか、ノリが合わないかもしれないしな」
あの二人のノリはときどき僕の手に余るほど過激になるときがあるのでついていけない可能性がありそうだ。
二人に興味を示したメアは首を傾げる。
「それはノリが良いってこと? どんな人たちなの?」
「まあ平たく言えばそうなんだけど、一人は芸人気質な奴で、もう一人は名刀のような切れ味っていうか」
メアはくすっと笑う。
「なにそれ」
「二人とも同学年でダグとアーシュっていうんだけど、――ほら、前に僕の誕生日祝いをしてくれた友達の話をしただろ? その二人だよ」
「へぇー……。そう……なんだ?」
僅かな間を挟んでから――笑顔を作ろうとして失敗したのか、メアはいつになくぎこちない半笑いを浮かべた。
「どうかした?」
思わず尋ねると、
「あ……うん」
俯きがちに不安そうな表情で僕を見つめる。
「その、アーシュって子……男の子、じゃないよね?」
「そうだけど?」
「その子の名前って……アーリッシュ・シュタール?」
「そうだよ? アーシュのこと知ってるの?」
「まあ……ちょっとね」
もしかしてアーシュの数々の悪名高き噂……というか、武勇伝を知ってて萎縮しているんだろうか? 例えば『ナンパしてきた上級生をメンチ切っただけで失禁させた』とか『やらしい視線で見てくる教員の胸ぐらを掴んで一喝した』とか……ともかく散々言われているけれど、どれもこれも事実を歪曲した噂に過ぎない。……まあ似たようなことはなくはなかったけども。
「あぁ~……。アーシュの色々と恐い噂を気にしてるんなら心配いらないよ。案外、話してみれば良い奴だから」
「あ、うん……。別に、そういうんじゃなくて……」
メアは思い詰めた顔のまま下を向き黙ってしまった。肩に力が入っているのを見るに、膝上の拳を握り締めているのだろうか。
やがて。ひしひしと僕の目を見て言う。
「――ねぇ、やっぱり…………私もキャンプに行きたい。――一緒に……行ってほしい」
「えぇ? さっき冗談って言ってたのになんの心境の変化?」
どういった心変わりなのか、困惑する僕に。メアは、
「その――お願い……。今なら……リックスがいてくれたら…………大丈夫な気がするから」
薄く細めた眼に憂いの色を湛え懇願する。
「大丈夫って……何の話?」
「それは……、その…………」
「…………。アーシュと何か関係あるの?」
「………………」
来たる沈黙に振り子時計の秒針が独奏を始める。そのまま十数秒ほど待ってみても、メアは塞ぎ込んで下を見るばかりで何も答えなかった。――どうやら僕には言えないことらしい。
メアとアーシュ……、二人の間に何かあったのかな? ……もしかして、仲悪いとか? 困ったな……。あわよくば冬休みにまた勉強合宿してもらえないだろうかと期待していたが……そんな空気じゃなさそうだ。
黙りを決め込んで何も言わなくなったメアの様子に、何か良からぬことが起きるのではないかと雲行きを案じつつも、なぜか辛そうな表情をしている姿をじっと見ていられず、
「ふぅぅ……」
と溜め息がもれる。
気にはなるけど……自分も元々キャンプに行きたい気持ちはなくはなかったわけだし、深く詮索はしないでおこう。
「――分かった。メアも誘って良いか、ダグとアーシュに訊いてみるよ」
メアは俯いたままテーブルの下で両手を太腿の間に挟むような仕草をし、
「……ありがとう」
と、か細く答えた。
その後のメアは少し元気がなく若干気まずさはあったものの、普段通りに勉強をしているうちに調子を取り戻していき、いつもの定時で解散する頃にはすっかり笑顔に戻っていた。
家に帰って早速、ダグとアーシュのグルチャにキャンプに参加する旨と、メアから参加したいと申し出があった件を伝えた。一分も経たぬうちにダグから返信があり、『お前らどういう関係だよ?』とびっくりしつつもクリスティア一の美少女と言われている才女からの申し出に喜んでオーケーをくれた。
――数時間後。アーシュからグルチャではなく僕宛に『あっちはあたしがいるって知ってんのか?』とメッセージが来ていた。やはり何かありそうな予感がしてどう伝えるか悩んだが、ありのままに『アーシュの名前を出したら急に行きたいってなった』と返信した。その後、既読はついたがアーシュからの返信はなかった。
翌朝。起きてからグルチャに新着が来ていたので確認すると、深夜遅くにアーシュからオーケーのスタンプが送られてきていた。




