【2-8】
日がな一日。二人で映画を鑑賞して過ごした。
夕飯後にはメアの熱も徐々に下がってきたがまだ安心はできないので今日は早めに寝ることにした。まさかメアが風邪を引いて延泊するのは流石に予期せぬ事態ではあったけど、世話を焼くのは嫌いじゃない。
というわけで。お互いに寝る準備を済ませ自分が寝る用の布団を敷くために丸テーブルを退けようとしたところで、先にベッドで横になっていたメアから、
「――リックス、待って」
と呼び止められる。
振り向くと、すっぽり頭まで被った布団から恥ずかしそうに顔の上半分だけをひょっこりこちらに覗かせたメアと目が合う。
「今日は、その…………私が眠るまで隣にいて欲しい」
「ああ、じゃあベッドの隣に布団敷くか」
そう答えて。再度丸テーブルを動かそうとしたところで、
「そうじゃなくてっ」
「へ?」
またもメアに強めに呼び止められる。
「そういう意味じゃなくて……。その……一緒にベッドで寝て欲しい…………です」
…………。ん? 待て待て、ちょっとまだ理解が追い着かないぞ。――僕が? メアの隣で? 一緒のベッドで寝る……? ――Why?
「それは……友達としてって、こと?」
友達協定の域を……、なんなら男女の一線をも越えてしまうんじゃ……、と大袈裟に考え過ぎてるのは僕だけなのか、ざわめく想いを視線に乗せメアの表情を窺う。
視線に気づくと、メアは堪らずといった様子で布団で顔を覆い隠し、見えている葵色の髪の頭頂部だけが無言でこくりと頷いた。
「そばにいてくれた方が……安心するから……」
……と、取って付けたように。いつもとはかけ離れた弱々しい声で言う。
「ま、まあ確かに……。風邪のときってメンタル弱って落ち込みやすいもんな……」
シーゼル先輩との一件以来僕らは同盟関係にあるけど、どちらかと言えば普段のメアは何事も一人で解決するのを好んでいる節がある。まだ友達歴が浅いからってのもたぶんあるが、こうやって僕に頼ってくるのは珍しいことなので、それだけ今は精神的に参っているのかも。
少なからず、昨日は散々僕がヘヴィな自分語りをしてしまったから、その精神的ダメージが風邪に影響を及ぼした可能性もきっとゼロではない。
しかし。常識的に判断するならここは断るべきだろう。
「うーん……。でも万が一、風邪がうつったら今度はメアに迷惑かけちゃうから……自分が看病するのはいいんだけど、してもらうのは気が引けるというか……」
僕が真面目に意見すると、
「…………」
顔を出したメアは尾を引く寂しげな視線を残し、しんみりと言う。
「そう、だよね……。わがまま言ってごめん……。風邪うつしたら大変だもんね」
「……寝つけるか不安なら眠れるまで起きてようか?」
またすっぽりと頭まで布団に潜ったまま、メアは横向きに寝返り僕に背を向け、ぽつりと言う。
「大丈夫……」
「…………」
どうしよう、反応を見るにかなりマジなやつだったっぽい。本気度ガチなお願いをド真面目に断ってしまったからか、急激にいたたまれない気持ちが湧いてくる。……なんかこう、胸に来るものがあるな……。
「――分かったよ。まあなんでもするって言ったし…………メアがその、どうしてもって言うなら……」
この微妙な距離感の空気を引き摺るぐらいならいっそ――っと思い直し、もし風邪がうつったらそんときはそんときだ、とこの場はメアの気持ちを優先するのに切り替える。
メアは振り返り布団からひょっこりと顔の上半分だけを出しておずおずと訊いてくる。
「……いいの?」
眉尻は下がりながらも後ろめたさに勝る期待を込めた熱視線をこちらに向ける。表情は隠れて見えないのに消え入りそうに布団の裾を握り締める姿を直視できなくて……顔を逸らし、後頭部を掻く。
「……今日だけなら」
照れ臭くて言葉が続かない。短い返答と僕の表情から精一杯の想いが伝わったのか、
メアは嬉し恥ずかしといった様子ですぐにまた布団で顔を覆ってしまったが、やがて布団の中から、
「……ありがと」
とくぐもった小さな声が聞こえてきた。
――暗くなった室内で、クリスティア一の美少女と言われている女性と同じベッドの上で向き合って添い寝をしているこの現実を……きっと、ほんの三週間ほど前のメアと喋ったこともなかった自分に教えても信じないだろう。
薄らと見えるメアの表情は、まるでトイレにでも行きたそうな悶々《もんもん》とした様相を呈しており、僕がベッドに入ってからずっとこの調子だ。メアがベッドに入る前にトイレから出て来るのは見てたからそうじゃないのは分かっているけど。
お互いしばらく無言でいたけど、先に痺れを切らしたメアがそわそわと切り出す。
「ねぇ、その……今日だけは、何でも言うこと聞いてくれるんだよね……?」
「まあ、さっきも言ったけどできる範囲でなら……」
「……じゃあ」
とメアはこわごわと手を伸ばし――枕元に置いた僕の左手の小指あたりをちょこんと摘まんで、もごもごと、か細く言葉を声にする
「腕枕……して欲しい……です」
「…………ッ!?」
なんだこの破壊力は……っ、心音が……ドッドッドッって爆音で響いてる……っ。今にも僕の理性やらその他諸々のメーター値が臨界点を突破しそうな勢いで脳内の非常警報が鳴り止まらない……っ。エマージェンシー、エマージェンシー! パターンレッド! 識別不能なクソデカ感情の襲撃に備えよ……!
――マズい、一旦冷静になれ僕……。僕らは友達、僕らは友達……。――よし……っ。
「け、今朝してたのに……?」
僕の問いに。きょとんとしたメアは言う。
「え? いつ?」
あ、そっか……。
「今日起きたらメアが隣でワインボトル抱きかかえながら僕の腕を枕にして寝てたんだけど……酔ってたから覚えて……ない?」
「えっ」
驚いたメアは口元を押さえてた両手でそのまま顔面を覆い隠し、震える声で言う。
「……全然、覚えてない」
顔から火が出るというのは正にこういうことかと体現したメアを目の当たりにし、改めてお酒の怖い一面を思い知らされた。……良い教訓になった。
顔を覆って己を恥じ続けるメアの――頭の傍に左腕を差し出す。
「ん。ほら」
無意識とはいえ一度してるからか抵抗も少ない。
メアは恐る恐る下ろした両手を握り締めては茹だった顔で「……ん」と小さく頷く。それでも目は合わせないまま、体を一つ分こちらに寄せ、僕の左腕の上に頭を預ける。
黙ったまま俯いて少しの間じっとしていたけど、やがて「うへへ」とちょっと気持ち悪い笑みを零しては「じゃあ次はー」と続ける。
「え? まだあんの?」
反射的に出た言葉に。メアはしゅんとして上目遣いにこちらを見る。
「……もうダメ?」
「いや……いいけど」
途端に頬を緩ませ興が乗ってきたような口振りになる。
「じゃあ頭なでなでして」
「…………」
今宵のメアはなんだか距離感がおかしい……。僕が田舎者だから感覚が違うだけで都会の女の子は仲良くなったら皆これくらいの距離感が普通なのか? それとも僕のことをからかって面白がってるんだろうか? ……分からん。
「……一応訊くけど、何で?」
どういう心理で言ってるんだろう、と理由が気になったのだが、メアは返答に困った様子で言う。
「何でって……、えっと……。子供の頃、風邪引いたときはいつもお母さんがそうしてくれて……安心できる、から?」
「いや僕に聞かれても……」
またも上目遣いで僕を見る。
「……ダメ?」
「……それズルくない?」
この小悪魔め。このペースに乗せられたらきっと恋愛に免疫のない僕なんていとも簡単に食われちまうぞ。甘え上手ならぬ甘えジョーズか。
我ながら何を言ってるんだと思った矢先に。メアはそっぽを向き、少し唇を尖らせる。
「嫌なら……諦める」
「そうじゃないけど……。女の子の頭なんて撫でたことないから……」
メアはどこか嬉しそうな目つきで僕を見つめる。
「ないの? 一度も?」
「……悪いかよ?」
メアは意味深ににっこりと微笑む。
「ううん、別に。――じゃあ特別に好きなだけなでていいよ」
そう言って。俯いてつむじを見せる。
「…………」
なんだか少し癪だが、メアの頭頂部に手を乗せ猫の頭をなでるみたいに手を動かす。サラサラとした髪の上を指が滑る感触が心地よく……ちょっと癖になりそう。
夢中になってなで回していたら、
「うぉっ」
思いがけずメアのつむじが急接近してきて僕の顔面にぐりぐりとすり寄ってくる。
「ちょ、髪の毛っ、くすぐったいって……っ」
手で身を守るも、
「うりうりー」とはしゃいだ声をあげ、なおも体ごと僕の胸に当たりにくる。
――ああ……頭からフローラルな良い匂いが…………って言ってる場合じゃなかったっ。
「ちょい……やめいっ」
片手でメアの顎を押さえて固定し、顔をこちらに向けさせた。
「へへへ」と眼を細めて蕩けた笑みを浮かべるメアに――ドキッとしてつい見蕩れてしまう。
…………ハッ。違う違う……ッ。僕らは友達、僕らは友達……。――よし……っ。
「このっ、お返しだっ」
「うぎゅッ!?」
メアのほっぺを親指と人差し指で両側からむぎゅっと押しつぶした。アヒル口になったメアの変顔が新鮮で「ハハハッ」と笑い声を出さずにはいられない。
「やったなー」とメアもアヒル口で笑いながら、
「ちょっ――アハハッ。タンマタンマッ」
僕の両脇の下に手を突っ込んで擽ってくる。
先にメアの顔から手を離して降参する……と見せかけて、
「――とでも言うと思ったかっ」
素早くメアの脇の下に右手を滑り込ませやり返す。
「ほらほら~! どうだ~!」
「あひ……っ、そこダメ……ッ」
こちょこちょと脇を這う刺激に悶え、メアは笑いの悲鳴をあげ上半身をクネクネさせる。良いようにされまいとしぶとく抵抗してくるうちに偶然彼女の脇が締まり――僕の右手がズレて柔らかな弾力のあるものを握る。
「――んっ……」
すぐ鼻先にあるメアの顔から笑い声が消える。ビクッと肩を震わせ口元を手で押さえながら目をぎゅっと閉じる。
「あ……、ごめん……っ」
普段聞いたこともない声にびっくりして思わず手を離して謝ると、
「う、うん……。ちょっとびっくりしただけ……」
メアは胸元に手を当ててはにかんで言う。
「…………」
心臓が飛び出そうなほど高鳴っている。なぜこんなにも心がざわめくのか自分でも不思議でしょうがないが……。あんな声出るんだ……と頭の片隅でいかがわしい想像を一瞬してしまったのが大いに関係ありそうだ。
不埒な自分が恥ずかしく思えてまともに目も合わせられない。やり過ぎてしまった……、と自省して口を慎んでいたところ、
「……先に始めたの私だし気にしなくていいのに」
僕の両頬に手を添えたメアが頬を緩める。
…………。僕らはどうして友達なんだろうか――。正直、友達以上を匂わせるメアの度重なるスキンシップにより、僕はもう友達と恋人の境目がなくなってきている。距離感を見誤るほど頭がバグってきてしまってる。
……メアは僕をどうしたいんだろう? 僕のこと好きにならないようにするって言ってたけど……本当にそうなんだろうか……? 生殺しにされてる気がしてならない……。そもそも何であんなルール設けたんだ?
だって。これじゃまるで僕たち、本当に――――
「ふぇ――くちっ」
突然。メアがくしゃみをしたことで飛沫が僕の顔面に飛び散る。
「…………」
リアクションもない僕に。メアが「あ……」と焦った顔をして言う。
「ご、ごめんね? 我慢できなくって……」
あわあわと慌てながらもヘッドボードに置いてあったテッシュを数枚を取り出して僕の顔を念入りに拭いてくれる。
「大丈夫だよ、その辺で」
その手を止めさせ、忘れていたわけじゃないが状態を鑑みてメアに言う。
「風邪に響くし、そろそろ寝よう」
「……ん。そうだね」
少し寂しそうに口元に笑みを湛え頷いたメアは、僕の目をまじまじと見つめて言う。
「最後に……もう一つだけわがまま言っていい?」
「うん」
メアは反対向きに寝返ってから――埋められない隙間を埋めるような……ずっと我慢してきたものをねだる子供のように――切実な声で甘える。
「後ろから……ぎゅってして」
いつもだったら慌てふためく僕だったが、
「……うん」と、率直に体が先に頷いていた。
メアがそうして欲しいと思っている以上に僕がそうしたいと思っているのかもしれない。
体を寄せメアの……どことなく孤独感が漂う背中にぴったりと密着し、Tシャツの上からお腹に手を回し抱きしめる。今だけは許される気がして眼前の長い後ろ髪に顔を埋める。
さっき嗅いだフローラルな――強いて言えばオスマンサスみたいな香りがする。その甘い匂いに包み込まれた途端、先ほどまで感じていた、メアが僕をどう想っているのか、という疑問がどうでもいい些細なことに思えてきて……僕らは眠りに就いた。
翌朝。
平熱に戻りすっかり体調が良くなったメアは元気に朝食を平らげた。
ちゃっかり持ってきていた柄物のワンピース(こういう服をファミレス『サイゼリア』に飾られた絵画の中の貴婦人が着ているのを見たことがある)に着替えたメアは、お母さんが心配してるからお昼前には帰る、と先に身支度を済ませる。
どうやらカノンさんには風邪を引いてうちで寝込んでいた事情は伝えたそうだが、それ以降鬼のように来る連絡をのらりくらりと躱し続けているみたいなので帰ったら雷が落ちるのは確定演出だろう。
残された少しの時間をいつものようにカーペットに隣り合って座り談笑して過ごす。
会話する間。脳の片隅でふと、去年や一昨年はどうしていたっけ、と過去の今頃を遡って思い返す。毎年、父や昔から家族ぐるみで付き合いのあるご近所さんから誕生日のお祝いをしてもらうのはそれはそれで嬉しかったが――地元から遠く離れたこの地でもこうして僕の誕生日をお祝いしてくれる良い人たちに出会えたことに感謝の気持ちが芽生えてくる。
「メアが来てくれてホントに良かったよ」
脈絡のない感謝に。メアが不思議そうに首を傾げる。
「どしたの? 急に?」
照れ臭くも気持ちを言葉にする。
「僕にとっての誕生日って正直嬉しいことばかりじゃなかったんだけど……でも今年の誕生日はメアが来てくれたおかげで間違いなく今までのどれよりも楽しいと思えたから」
「…………」
感謝するも特に反応もなく……。メアはただぼーっと僕を見つめていた。
「……メア? どうかした?」
そこでようやくピントの合っていない視線が僕を捉えたみたいで、
「あ……ううん。そういう人も世の中にはいるんだなってちょっと意外に思って」
と、少し余韻を残して僕に微笑みかける。
「私も来て良かったなって思えたよ」
そう言ったメアの顔はいつもの笑顔なのに……どこかいつもの快活な笑顔とは違って見えた。本心からの言葉に見えるし単なる思い過ごしなだけかもしれないが……でもやっぱりメアには晴れやかに笑っているときの顔が一番似合う。
……僕も、メアを喜ばせたい。もっと笑顔にさせたい。
「こんだけお祝いしてもらったからには、僕も来年のメアの誕生日にはお返ししないとな」
「そんな……別に気にしなくていいよ」
「そういうわけにもいかないだろ? まだ聞いてなかったけど誕生日いつ?」
遠慮しているのか、メアは少し戸惑いの色を見せ、ぽつりと言う。
「……四月九日」
「四月かー。その頃にはメアは卒業してるんだろうなあ」
「そのつもりだけどまだ決まったわけじゃないよ」
「少なくとも僕よりかは確実だろ? そしたら卒業祝いも兼ねて盛大にやろうぜ」
控えめな笑みを浮かべ、「……うん」とメアはぎこちなく頷く。
それからしばらく談笑した後――
「それじゃあ、そろそろ帰らないと」
立ち上がってメアがそう言った途端に寂しさが胸を刺す。一緒にいるのが当たり前の感覚になり過ぎて半身をもがれたような喪失感に見舞われる。どうも合宿以前と比べ何か自分の基準が知らず知らずのうちに変わってしまったかのような感覚がつき纏う。
少しでも長く一緒にいたいという未練がましさの裏返しで「駅まで見送るよ」と言ってみたものの、案の定「ううん。玄関までで大丈夫」ときびきびとした答えが返ってくる。
荷物をまとめたトートバッグを肩に提げ、玄関でスニーカーを履き終えたメアがこちらに振り返る。
「また連絡するね」
「ああ、また」
名残惜しいけど明るい顔をして手を振る。笑顔で応えたメアは手を振り返すと、扉を開け帰って行った。
こうして――多少ハプニングもあったけど、今度こそ合宿は終了した。
ちなみにこれは後日分かったことだが、僕らがノンアルだと思い込んで飲んでしまったワインの中身をアルコール入りにすり替えたのはクレールさんの仕業だったらしい。メアが問い詰めたら、禁酒を命じられたときにこっそり中身をすり替えたまま忘れていたことを白状したのだとか。
メア曰く、カノンさんには黙っていてあげる代わりに、自分がカノンさんから何か反対されたときはメア側につくのを条件に手を打ったそうだ。自分の親を言葉巧みに誘導し、いとも簡単に懐柔させてしまうメアさんまじパネェっす。




