【2-3】
――この部屋だけでも僕が住んでるワンルームよりも奥行きがあって広い。お嬢様なだけあって庶民の部屋なら普通は置いてない格式高そうなものばかりが目に留まる。
澄んだ空を彷彿とさせる水色の天井と壁に囲まれた室内には白を基調とした多くのインテリアが整然と並べられている。部屋の正面には、遊園地に設置されている回転式コーヒーカップを想起させるデザインのテーブルとソファのセットが配置されている。その真上にはクリスタルの花々からライトを咲かせたシャンデリアが煌びやかな輝きを放っている。
左手奥側にはファンタジーの世界でしか見たことない屋根のついた四柱に白いレースのカーテンが括り付けられた天蓋付きのベッド、その脇には傘を被った背の高い真鍮のフロアランプ、手前側にはお姫様御用達といった感じの湾曲した足がついた三面鏡のドレッサーが置かれ、その横には重厚なデザインのキャビネットや姿見、部屋のドアの左側にはクローゼットの扉も確認できる。
右手奥の角に配置されたカジュアルなL字型ソファの上には、クマやウサギのぬいぐるみたちが仲睦まじく並んでいる。丸テーブルを一つ挟んだ反対側にももう一台同じソファが置いてあるのにまったく狭く感じない。
右手の壁の半分以上を占領している本棚は天井近くまで隙間なく分厚い本がびっしり詰められている。漫画類はほとんどなさそうだ。
手前の角にあるL字型テーブルの上に筆記用具などが収納された箱が見えるので、どうやら普段はここで勉強しているみたいだ。机に置かれたノートパソコンやその上のウォールシェルフに飾られた小物類も白でそろえてある徹底ぶりで拘りが窺える。
一通り見回してみたが……まるでおとぎ話の世界にいるみたいで、正直感覚が違いすぎてこんなリッチな部屋で暮らしている人の日常の姿が全然想像できない。
「すごいな……。白が好きなんだ?」
「私じゃなくてお母さんがね。この部屋の家具は全てお母さんが趣味で選んだものか、元々お母さんが使ってたものだから。私自身は特に拘りはないからお母さんに合わせてるんだ」
メアは困ったような笑いを浮かべ、ドレッサーの方を指で示して言う。
「でも、流石にああいうのは私もあんまり好みじゃなくてほとんど使ってないんだけどね」
「へぇー……。――このスイートは一泊いくらすんの?」
あまりの格差に自分との違いを感じて茶化すかのように僕が訊くと、メアは少し考える間を置いてから、
「……残念ながらこちらのお部屋は親しい女性の友人のみが無料でご宿泊いただけます」
と接客スマイルでやんわりと断られた。
「僕だって今は女の子のはずなんだけどな……」
「心は男の子のままでしょ」
「ムッ。そうやって決めつけるのは良くないんだぞ。めっ!」
人差し指を立てて年上のお姉さん口調で反論する僕に対し、
「急にお姉さんキャラになられても……」
と困惑した表情をメアは浮かべながらも、身構えるかのように僕の目の底を覗き込んでは言う。
「……本気で泊まりたいの?」
「え!?」思わぬ質問が飛んできたもんだから動転してしまう。
「いやいやっ、そんな滅相もないです!」
慌てて両手を上げ、ぶんぶんと首を横に振る。
「…………」
メアの無言の視線がしばし僕を刺す。だが、そんな度胸もない人畜無害だと分かってもらえたのか、メアは肩を落とし溜め息を吐いては眉間に皺を寄せる。
「ふぅぅ……。――もぉっ、本気かと思ったじゃん」
「いや~……すんません」
メアはつんとした顔でそっぽを向き、腕を拱く。
「どうしよっかな~。この後勉強を見てあげるつもりだったんだけど、今日は厳しくしちゃおっかな~」
「それはちょっと……。できればムチとロウソクだけはやめていただきたい……」
懇願する僕を指差してメアは軽蔑した目をこちらに向ける。
「それ普通にセクハラだから」
「セクハラってあれだろ? セクシー過ぎてハラハラするって意味だろ? ん~、確かにメアがムチとロウソクを両手に扇情的に構えてるところを想像したらちょっと刺激的だな」
「――もぉっ」
メアは眉を吊り上げ、床にあった手短なクッションを拾って僕に投げつける。
「――いてっ。ごめんって」
怒気を眉間に刻んだまま、メアは中央のコーヒーカップのような丸いソファをビシッと指差しては僕に言い放つ。
「――ハウスッ!」
「クゥゥ~ン……」
真ん中の円形テーブルを背もたれ付きの大きなソファがC字型に囲んでいる。そこに大人しく座り、持ってきた教科書やノート類を机に広げる。対面に座り自分の課題をしながら殺伐とした冷気の圧を吹きつけてくるメア教官から時折厳しく指導を受けること三時間ほど。
途中でカノンさんが甘いもの数品と紅茶を持ってきてくれたところで一旦休憩を挟む。後に再開するが、勉強に集中するあまり気づけば窓の外が薄暗くなってきてメアが照明の電気をつける。そのまま窓際に寄ってカーテンを閉めながら空の様子を見て言う。
「雨が降ってきそう……。予報では晴れになってたのに」
メアから借りたおしゃれな腕時計で時間を確認する――午後四時半を過ぎた頃。まだ真夏の時季だ。日が落ちる時間でもない。
構わずに勉強を続けるが、メアが言ってから数分後に本当に降り出したようで外から雨音が聞こえてくる。次第に雨音が激しくなり、ゴゴゴゴォ――っと雷鳴が唸り始める。
同時に窓の方に視線を向けた僕らは見合う。
「まじか……。傘持ってきてないけど帰るまでに止むかな?」
メアは不安げな表情を浮かべる。
「どうだろう……。止むといいけど……」
しばらく様子を見ることにしてノートにペンを走らせる。――数分後、順調に進んでいたペン先が難問に当たって止まる。
「――なぁメア、ここの問題がちょっと分かんないんだけど」
「………………」
返事がないので見れば、心ここにあらずといった憂いを帯びた顔で俯いている。
「――メア?」
二度目の呼びかけでようやく気づき、重い顔を上げる。
「あ、うん……。何?」
「どしたの? 具合でも悪いの?」
いつもより元気のない笑顔でメアは首を横に振る。
「ううん。大丈夫」
「……ならいいけどさ。ここんとこがちょっと分かんないんだけど――」
そう言った直後に。ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォッ――と轟音が鳴り響いた。近くに雷が落ちたようで途端に部屋の照明が落ち辺りが仄暗い闇に包まれる。
「うわっ。びっくりしたっ」
「――――ッ」
声にならない微かな悲鳴が聞こえ、メアの方を見る。暗くてはっきり見えないが両方の二の腕を握り締めて縮こまっている。
「大丈夫? ――もしかして雷苦手?」
「……だ、大丈夫。ちょっとだけ……ね」
余裕のない声でメアが答える。
「……ちょっと待ってて。そっちいくよ」
手探りで立ち上がりメアの方に近づこうとした刹那――再び。ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォッ――と轟音が鳴り響いた。
「ヤ……ッ、お父さんっ、お母さん……っ」
切羽詰まった悲痛な声を上げ、メアが太腿の辺りに飛びついてくる。
「ちょ――っ、メア……?」
「…………ッ」
恐怖にびくびくと全身を震わせ必死に耐えている様子で、僅かに聞き取れる声で「ヤダッ、一人は……いっ。おいて…ないで……っ」と痛ましく千切れた言葉を口から零す。
「ちょっ、メア、落ち着いて……! 大丈夫だから……!」
「いきた…な…っ。ここに…たいっ」
抱きついた腕に一層と力が籠もる。ギュギュギュッと体を僕に密着させぐりぐりと顔を押しつけてくる。
「……っ! ど、どこにもいかないから! とりあえず色々とまずいからちょっと離れて!」
「――――ッ」
聞く余裕すらなく身を強張らせるメア。後々のトラブルを避けるためになんとかメアを引き離そうとするが、一向に離れようとしない。膠着状態に陥り互いに動くに動けないまま数分間が経過した頃――やっとブレーカーが復旧したみたいで部屋の照明がついた。
「あ……。メア……、ライト、もうついたから…………一旦離れてみようか?」
「ふぇ……?」
そこで半べそ顔のメアが僕から頭を離すと――ようやく事の次第を飲み込んだようで一気に顔面を真っ赤に染めあげる。今メアの視界には、自身の目と鼻のすぐ先に僕の股間がどアップで映っており、つい先ほどまで自分がどこに顔面をぐりぐりさせていたのかを悟ったようだ。
「――イヤァァァッ!!」
メアが放った渾身のエルボーが僕の股間にクリティカルヒットする。
「おぷ……ッ」
電撃が全身を駆け抜け、一瞬宙に舞ったかのような尋常じゃない痛みの後味に腰が砕ける。股間を押さえ、ソファの上に、こてんと転がり、固まったまま動けなくなる。ピクピクと悶える僕の様子に。徐々に思考回路が復活してきたメアは気恥ずかしそうに口を開く。
「あっ……。リックス……、その………………ごめんなさい」
「~~~~ッ」
そこへ。バッドタイミングで部屋のドアが開く。様子を見に来たカノンさんが顔をこちらに覗かせる。
「二人とも大丈夫? 停電あったけど怪我とかしてない?」
ソファの上に蹲る僕を見つけて慌てて言う。
「あら!? どうしたの? 大丈夫?」
すかさずメアがでまかせをでっち上げる。
「あ、えっと……クゥ、ちょっと足の小指をぶつけちゃったみたいで。直に治ると思うから心配しないで」
話を合わせるために仕方なしに平然を装った顔をカノンさんに見せ、痛みを堪えて女の子トーンを喉から絞り出す。
「だ、大丈夫れす……!」
カノンさんは片眉を少し吊り上げ、怪訝な顔をする。
「そう? ――メアも顔色悪いけど大丈夫?」
苦笑いを浮かべたメアは顔の両脇に手を上げて答える。
「私は平気。ちょっとびっくりしただけだから」
「なら良いけど……。メアってば昔から雷、大の苦手だもんね。――クゥちゃんはもし湿布とか必要だったら言って頂戴ね」
「は、はい……!」
「うん。ありがとうお母さん」
ドアが閉まり足音が遠のいていく。ひとまずは誤魔化せたみたいだが、こっちはそれどころじゃない……。メアが発する謝罪の言葉と時折雷鳴により飛び出す小さな悲鳴を聞き流し、痛みに悶えること五分余り。どこかに旅立ってしまった玉の感覚がようやく帰還したみたいで安堵して起き上がる。
流石にこの仕打ちには僕も我慢できず非難の目をメアに向ける。
「……危うく玉が潰れて本当に女の子になるところだったぞ」
頬を赤らめつつも、メアは眉尻を下げしょんぼりと言う。
「だからごめんってば……。わざとじゃないんだよ……」
ソファの上で膝を抱えたメアは沈鬱な表情で俯く。
「その……。雷の音を聞くとどうしても身が竦んじゃって…………。小さかった頃の怖かったときの記憶を思い出しちゃうの……」
その痛ましさに……。文句を言いたい気持ちも霧散してしまい、「はぁぁ……」と溜め息一つ吐く。仕方なくメアの右隣に座り、何が良いかと考え思い浮かんだ適当な歌を歌う。
「トゥインクルベ~ル♪ トゥインクルベ~ル♪ トゥインクルオ~ルザウェ~イ♪」
唐突に歌い出した僕を、メアは呆気に取られた様子で不思議そうに見ていた。気にせずサビのフレーズを歌いきってから、メアを見てちょっと恥ずかしかったのを後頭部を触り誤魔化しながらに言う。
「その……。雷が聞こえないように、隣で歌でも歌えば少しは気が紛れるかと思って」
メアが気の抜けた声で言う。
「……あ、ありがとう。――でも、何でトゥインクルベル? 冬の歌だよ?」
「いいだろ別に……。他に明るい歌なんにも思いつかなかったんだよ……」
メアは数秒ぽかんとした顔をしてから、
「……ふふっ。変なの」
吹き出して笑い出す。
その笑顔に。ひとまずは大丈夫だろう、と僕も安心して笑う。
「何か楽しい曲でもかけてとっとと勉強の続きしよう」
「――うん」
メアがポケットから取り出した三角形の猫耳がついたカワイイ見た目のスマホにワイヤレスイヤホンを接続して二人で分け合う。メアが左耳で、僕が右耳。左隣に座って肩を寄せ合い、彼女のお気に入りの選曲を流しながら勉強を再開。
「――あ、ここ間違ってるよ」
「え? どこ?」
メアが指差して指摘した箇所を訂正していく。すっかり元気になったかと思ったが、
「…………ッ」
それでも。雷鳴が轟くと引っ付いたメアの右肩がびくっと反応する。
「――まだ怖い?」
イヤホンの音量に呑まれた微かな声が返ってくる。
「……ん……。少し……」
普段はハキハキとしているメアが珍しくおどおどと右腕を動かし、僕のスキニーパンツの左ポケットのあたりを遠慮がちに摘まんで呟くように言う。
「ねぇ……。手、繋いでてくれる……?」
「え? あぁ~……うん」
覚束ないメアの右手の指を、包み込むように左手で握る。自分の手とは違う、強くすれば砕けてしまいそうな華奢な柔らかさから伝わる冷たい感触にやけに胸が高鳴る。――女の子の手を握ったのなんて子供の頃以来だ。
握る力が強かったのか、メアは居心地悪そうにもぞもぞと僕の指を握ったり離したりを繰り返していたが……やがて、
「…………こっちのが……たぶん、落ち着く…………」
そう言って。僕の五本の指の隙間に、自分の指を通していく。
……恋人同士がよくやる繋ぎ方だ。男女の友人同士でやるにはかなり勇気がいる繋ぎ方。
チラッと横目にメアを見る。
「これは…………ルール的にありなのか……?」
『私たちの間に恋愛感情を持ち込むのは禁止』という協定。そのルールに抵触するのではないかというメアの行為に心拍数が上がり続け……、思わず訊かずにはいられなかった。
「…………。何があってもずっと変わらずにいてくれるなら……大丈夫…………」
俯いて不安を握り締めるかのように――反対側の手で握った拳を胸元に添える――いつもの手癖である仕草を見せる。
「それは…………もちろん」
ここで契約を解消されでもしたら僕はお先真っ暗だ。……退学するわけにはいかない。
僕は開き直って努めて明るく言う。
「そうだよな……。考えてみればこれから一週間も一緒に寝泊まりするっていうのに、たかが手を繋いだくらいで慌ててちゃこの先やっていけないしな。メアに勉強を教えてもらえなくなったらたぶん僕は退学まっしぐらだ。――絶対にそれだけは避けたい」
まるで進級を人質に取られているかの言い草になってしまったが、隣で俯いたままの、垂れた横髪の隙間から垣間見える端麗な輪郭が、こくりと頷く。
「……うん。私も必ず君を進級させてみせる」
「――頼りにしてるよ、先生」
繋いだ手に意識を持って行かれないように気持ちを切り替えみっちり勉強に励む。
利き手しか使えない不自由さはあるものの、言葉にせずともメアが代わりにページを捲ってくれたり、僕の右手に動きを合わせ教科書を開いてくれたりと、まるで自分の左手のように動いてくれる。
――集中していたからか、気づけばあっという間に二時間ほどが経過していた。
外から聞こえていた雷鳴も治まったみたいで雨脚の音も静かになる。これ以上手を繋ぐ理由もなくなり持て余したメアの右手の処遇にどうしたものかと言葉を探す。でも……内心のどこかでまだ繋いでいたいという欲求と、それはルールに反するのではないかという良心がせめぎ合い……葛藤の末にそれとなくメアに訊いてみる。
「……雷、聞こえなくなったね」
「……そうだね」
ぽつりとそう答えたメアが、繋いだ僕の手をきゅっと握る。
「…………」
「…………」
なんだか『まだこうしていたい』と言われたような気がして……僕もそれ以上は何も言えなくなる。
走っていたペン先が滞る。勉強せねばと鋼の意志を持って臨んだのに、今や高鳴る心音とともに水銀の如く波打っている己の軟弱な精神が憎い。でも僕の思い上がりかもしれないが、ここで手を離したらきっと彼女は寂しがる……手の平から伝わる感触がそう物語っている気がした。
メアも俯くばかりでそれ以上は何も言わない。結局二人とも押し黙ったまま緩やかに時間が過ぎていく。イヤホンから流れてくるキャッチーなメロディーをバックに、ただただお互いの手の温もりを分かち合うことだけに全神経を委ねる。
――どれくらい時間が経ったか分からなくなった頃。
急に、コンコン、とドアをノックする音で陶酔感を奪われ、僕らはハッとして手を離す。
「入るわよー」と、ドアから顔を覗かせたカノンさんがくっついて座る僕らを見て、
「まあ二人とも仲良しね。お邪魔だったかしら?」
手で口元を隠し冗談めかして言う。
「あはは……」
引き攣った笑みを浮かべこの場を濁そうとする僕以上に、メアの方がテンパっていて、
「別にそんなこと――あるもん!」
あまり聞き馴染みがない方の定型句を口走る。あるんかい。
おそらく気恥ずかしさからか、条件反射で先行してしまった失言を修正しようとした結果なのだろう。しかし、転んでもただじゃ起きないのが彼女だ。咄嗟に軌道修正を図り、焦る気持ちを作り笑顔で覆い隠して僕の左腕に抱きつく仲良しムーブを決める。
一瞬。不可解そうに首を傾げたカノンさんだったが、
「? でもそろそろ夕飯のお時間よ? 準備できてるからクゥちゃんも是非食べていって」
どうやら僕らを呼びに来たことを思い出したようで難を逃れる。
「あ、はい……! ご相伴させていただきます!」
…………。僕も思っていた以上にテンパっていたようで上司に付き合うビジネスマンみたいな場違いな返答をしてしまった。たぶんこういう場面で使う言葉ではないはず……。
「ふふっ。そんな堅苦しくしなくて良いのよ。大した夕飯じゃないんだから楽にして頂戴」
「いえ……最近適当なものしか食べてないんで手料理が食べられるだけでも大変ありがたいです」
「もうクゥちゃんったら口が上手いのね。そう言ってくれると作りがいがあるわ。――それじゃあ下で待ってるからね」
嬉しそうに微笑みを残してカノンさんがリビングに戻って行く。
名残惜しい気持ちがないわけでもないが待たせるわけにもいかず、立ち上がってメアに言う。
「じゃあ……いこっか」
「……うん」
物寂しさが漂う姿勢で俯いた彼女が頷くと、僕らも部屋を後にする。
――ハーヴィッツ一家と食卓を囲んで夕食を終えた頃には時計の針は二十時を過ぎていた。
随分長居してしまったのでその場でそろそろ帰ることを告げたら、心配そうな顔をしたカノンさんから、
「これから帰ったら家に着くの遅くなっちゃうでしょ? 今日は泊まっていったらどう? お風呂も沸いてるからメアと一緒に入ってきちゃえば?」
と僕を女の子だと思っているが故の爆弾発言を投下されたが、
「それはダメ!」
僕よりも真っ先にメアがいつになく取り乱した表情で声を張り上げ制止した。
「あら? どうして?」
当然の如くカノンさんは眉を顰めて首を傾げる。クレールさんも片眉を上げ少し驚いた様子でメアを見ている。
「あっ、えっと……」
我に返るメア。真剣な顔で何かないかと抜け道を探し――出し抜けに僕に視線を向ける。
「クゥちゃん、明日朝一のコマで補習受けないといけないんだよね?」
「え?」突然のキラーパス。当然、そんな予定はない。
「あー……はい。実はそうなんです……」
ここで選択を誤ってよもや実際に一緒に入浴する流れになってしまうようなことがあれば、今度こそ僕の玉が潰されかねないので保身のために話を合わせておこう。
左隣に座るメアがテーブルの下でサムズアップのサインを僕に出す。
「今日のところは帰らないと。これ以上単位に響いたら大変だから」
メアがそう言うと、カノンさんもしぶしぶといった感じで了承する。
「それは残念ね。なんだかあなたたち二人を見てると姉妹のように思えてきて、お母さんついワガママ言っちゃったわ」
「「姉妹?」」
僕はメアを見る。同時にメアも僕を見た。数秒目が合い……照れ臭くなってすぐにお互いに顔を背ける。自己評価では自分の顔立ちも悪くはないとは思うが、メアほど格別に見た目が良いわけでもないので姉妹には到底見えない。
隣でくすっと笑う声がしてメアの方に目を向ける。
「そしたらきっと私がお姉ちゃんだね」
僕を見てニッと笑う。……こんなに完璧な姉がいたらどんなに良かったことかと思う反面、常に周りから姉と比較され今以上に勉強漬けの毎日で苦しんでいたかもしれない。
カノンさんとクレールさんに玄関で見送られた後、僕らはすっかり暗くなり静けさの増した高級住宅街の通りを並んで歩く。クレールさんは『駅まで送ろうか?』と言って下さったが、メアは『二人で話したいことがあるから』と断って駅まで見送りについてきた。
来たときも通ってきた道を歩きながら、やけに勝ち気な笑顔を引っ提げてメアが言う。
「ね? ちゃんと成功したでしょ?」
「まぁ……。急造の泥船だった割にはよく保ったなって感じかな」
メアは可笑しそうに笑う。
「まーた言ってる。豪華客船並みの安心感だったでしょ?」
「途中何度か沈没しそうな場面あったのに?」
「船旅には多少のトラブルはつきものなの。成功したんだから細かいことはもういいじゃん」
「その成功の半分は僕のおかげだろ?」
「それはー――そうだね。リックスもよくやってくれたよ」
「ならもっと褒めてくれよ。僕は褒められると伸びるタイプなんだ」
「もぉ、しょうがないなあ」
イタズラを思いついた子供みたいにメアはにまっと笑う。僕の後頭部に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと荒く撫でる。
「おー、よしよし良い子だねー。わしゃわしゃー♪」
………………。
「ガルルルゥ」
僕は犬じゃない、というアイデンティティを確固たるものにすべく、主人に牙を剥く。
「ひゃ――っ。あははっ。ひゃあ――っ」
撫でている方の手を掴んで噛みつくフリをすると、メアはきゃっきゃっとはしゃいで掴まれた方の手を高く上げ、クルクルと僕の周りを回って逃げる。
誰もいない夜道に僕らだけの声が弾んで響く。世界から僕ら二人を切り取ったみたいに。
戯れもそこそこに、早々に駅前に到着してしまった。コインロッカーに預けていた服を取り出し、再度カラオケ店でメイクを落とし元の服に着替える。女装の服一式はメアの手元に置いておくとバレるかもしれないのでキャリーバッグごと僕が預かることにした。
一曲も歌わずカラオケ店を出て、ほんの数時間前の出来事のはずなのに懐かしく思える地下駅に戻ってきた。
改札の前で少し寂しそうに微笑んだメアは僕に手を振って言う。
「それじゃあ、次は四日後だね」
「ああ。それじゃあまた」
手を振り返し、メアに背を向け改札を抜ける。地下鉄を乗り継ぎ帰路に就く。
長かった一日を無事に終え、自宅に着いた頃には慣れないことをした疲れで満身創痍のクタクタだった。入浴する気力も湧かずすぐに死んだようにベッドに倒れ込み、深い眠りに落ちていった。




