■ 20話 呼び方が変わる夜 ✦
夜
机の上にはノートが広がっている
「ここ、違うよ」
紬の指が、静かに式をなぞる
「もう一回」
陽向は何も言わずに消しゴムを動かした
静かな部屋に、鉛筆の音だけが続く
「……できた」
紬が覗き込む
「うん。今度は合ってる」
陽向の顔が、ふっと緩む
「……やった」
小さな声
でも、確かな手応えがあった
「ほら、できるじゃない」
紬はそれだけ言って、ノートを軽く叩く
大げさには褒めない
でも、ちゃんと認める
陽向は少しだけ迷ってから、ぽつりと呟いた
「……ママのおかげだね」
空気が、止まる
紬の手が、わずかに止まった
「……今、なんて言ったの?」
静かな声
責めるでも、否定するでもない
陽向は目を伏せる
「……ごめん」
少し間
「でも……そう思ったから」
紬はすぐには答えなかった
視線をノートに落としたまま、ほんの少しだけ息を吐く
「……外では、やめて」
短い言葉
陽向の肩が、少しだけ落ちる
でも紬は続ける
「ここでは、好きに呼んでいいから」
顔を上げる陽向
紬は視線を合わせないまま、ノートを指さす
「ほら。続きやるよ」
陽向は少しだけ考えて、
それから、小さく言った
「……うん」
ペンを持ち直す
さっきより、少しだけ落ち着いた手つき
「……ありがとう」
今度は、その言葉だけ
紬は何も言わない
ただ、隣で式を追う
しばらくして
小さく、聞こえないくらいの声で
「……ママ」
紬は反応しない
でも、ほんのわずかに指が止まった
そして、何もなかったように言う
「そこ、またミスしてる」




