魔法使いの家庭教師
翌日。
俺は家庭教師という名目で、千代夫人の姉の家にいた。
都心から少し離れた住宅地。どこにでもあるような、普通の一軒家だ。
リビングで、千代夫人の姉と向かい合って座っていた。
彼女の息子の名前はタダシというらしい。今回の作戦は、このグレた息子の更生だ。
「藤崎社長、千代がすみません。無理を言ったみたいで……」
「いえいえ。もともと無理を言っているのは俺なので。千代夫人は悪くありませんよ」
タダシの母は、四十代半ばくらいだろうか。品のある顔立ちだが、目の下に濃いクマがある。手も少し震えていた。
相当、追い詰められているように見える。
「それで……息子さんのことで、お力になればいいんですね?」
「ええ……」
タダシの母が、膝の上で手を握りしめた。
「あの子、昔はとてもいい子だったんです。小学校の頃は成績も良くて、友達も多くて……」
声が震えている。
「でも中学に上がってから、だんだん成績が落ち込んで。本人なりに頑張っていたみたいなんですが、どうしても追いつけなくなって……」
「……」
「それからです。勉強を投げ出して、言葉遣いも荒くなって、家族にも当たるようになって」
タダシの母が唇を噛んだ。
「最近では、あまりガラの良くない連中と付き合い始めたみたいで……。夜中に帰ってくることも増えましたし、お金の使い方もおかしくなってきて」
「……」
「私、もうどうしたらいいのか……」
頑張ってるのに結果が出ない。
そういうのって、しんどいよな。
勉強については、高卒の俺がしたり顔で言えることでもないが。
「頑張ってるのに結果が出ないのって、一番つらいですよね」
タダシの母が顔を上げた。
「息子さんが荒れてるのは、まだ諦めきれてない証拠だと思うんですよ。本当にどうでもよくなったら、暴れもしないと思いますし」
タダシの母の目が潤んだ。
「お母さんが心配してくれてるのも、ちゃんと伝わってると思います。大丈夫です。俺に任せてください」
「……ありがとうございます。藤崎社長だけが頼りなんです。どうか、どうかよろしくお願いします……!」
タダシの母が深く頭を下げた。
……よし。なんとか力になってやろう。
「あ、あと俺のことは『藤崎社長』じゃなくて『藤崎先生』でお願いします。一応、家庭教師という名目で来てますので」
「あ、そうでしたね。すみません、藤崎先生」
「じゃあ、案内お願いします」
タダシの母が立ち上がり、二階への階段に向かった。途中で振り返る。
「あの、藤崎先生。あの子、きっと失礼なことを言うと思います。本当に申し訳ないのですが……」
「大丈夫です。そういうのは慣れてますから」
今まで、更生してきた連中に比べれば、高校生なんて可愛いものだろう。
※※※
二階の部屋の前に着いた。
扉の向こうから、怒鳴り声が聞こえてくる。
「クソババア!家庭教師なんか呼んでんじゃねーよ!帰れ!しばくぞ!」
……おかわいいこと。
タダシの母が、申し訳なさそうに俺を見た。目に涙が浮かんでいる。
そんなタダシの母に軽く頷き、扉越しに声を張り上げる。
「高卒家庭教師の藤崎先生が来ましたよー。タダシ君の家庭教師ですよー。救世主ですよー。あけてくださーい」
「う、うるせえ!だれがあけるかよ!」
「あれぇ?こわいんですかぁ?俺を、しばくんじゃないんですかぁ?扉をあけないとしばけないよぉ?」
――ガンッ!
扉の向こうから、何かがぶつかる音がした。物を投げたのだろう。
「だまれ!」
振り返って、タダシの母に小声で言った。
「えっと、お母さん。この扉、壊していいですか?あとで弁償しますので」
「え……?構いませんが……」
足元に置いていたキャリーケースを開けた。
中から、四足歩行の犬型ロボット――イヌガミタイプが静かに這い出てくる。
タダシの母が目を丸くしている。
唇だけで指示を出す。
「頼む」
『お兄様、かしこまりました。扉の鍵を破壊します。』
イヌガミタイプの頭部にある多目的アームから小型ドリルが展開した。
ウィィィィン……ガギッ、バキン。
鍵はあっけなく壊れた。
「お、おい!なにやってんだよ!」
「じゃあ、入りますねえ。藤崎先生が来ましたよー」
ずかずかと中に入っていく。
散らかった部屋。カーテンが閉め切られて薄暗い。ベッドの脇に座り込んだ少年が、こちらを睨んでいた。
金髪。痩せ型。目つきが鋭い。だが、顔立ち自体は悪くない。身長は……俺より少しだけ低いくらいだな。
「てめっ……!」
拳を振りかぶった。殴りかかってくる。
「た、タダシ!やめてぇ!」
タダシの母が悲鳴を上げた。
――『折』。
ガンッ!
俺の顔を直撃しようとしていたタダシの拳が、見えない壁に跳ね返った。
「いてぇ……!な、なんなんだよお前……!」
拳を押さえて、うずくまっている。殴りかかった自分だけがダメージを受けた現実に、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「あれ?タダシ君、なにかしましたか?」
「……っ!」
タダシが睨みつけてくる。だが、もう手は出してこなかった。
タダシの母の方を振り返る。
「あとはお任せください。二時間ほどしたら、また来ていただけますか?」
「は、はい……。大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫です。お母さんは少し休んでいてください」
タダシの母が不安そうな顔で部屋を出ていった。壊れた扉を押して、なんとか閉める。
さて。
「タダシ君」
「……なんだよ」
布団にもぐり込もうとしている。
「お母さん、泣きそうだったよ。あんまり困らせちゃだめだろ」
「うるせえ。あんなババアどうなってもいいんだよ」
「……いいなあ、お母さんがいて」
タダシの手が止まった。
「俺、両親いないからさ。ちょっと羨ましいよ」
タダシは何も言わない。
布団にもぐり込んで、毛布を頭まで被ってしまう。
……さて、どうしようか。
『お兄様。今回は、側坐核砲の「薬」の側面をお見せしたいと思います。許可をお願いします。』
骨伝導イヤホンから、オリガミの声が届いた。
唇だけで返す。
「……なるほど。あれかぁ……」
『この男がグレたのは、成績が落ち込んだのがきっかけです。つまり、勉強ができるようになれば全て解決します。側坐核砲で学習意欲と集中力を、無理やり引き出してあげましょう。あとは本人の力で立ち直れるはずです。』
「わかった。側坐核砲の使用を許可する。……勉強させるかぁ」
タダシに明るく声をかけた。
「タダシ。勉強しようぜ!」
「……は?」
毛布の隙間から、怪訝な目がこちらを見た。
「勉強して、自分を取り戻そうぜ!」
「無駄なんだよ!俺なんかいくらやっても無駄なんだよ!」
「いや、学校の勉強なんてやれば誰でもできるよ。タダシはやってる時間が少ないか、やり方がマズイだけだ」
「……んなわけねーだろ」
「いいから布団出てこい。出てこないと、ちょっと辛い目にあうかもよ?俺、一応魔法使いだし」
「……は?魔法?頭おかしいのかよ」
唇だけでオリガミに指示を出す。
「オリガミ」
『はい、お兄様。最低出力の前庭砲を照射します。よろしいですか?』
「ああ、構わない。布団から追い出す」
『イヌガミタイプ、前庭砲を照射します。』
オリガミの声とともに、イヌガミタイプの頭部が僅かに動く。
「ぐっ……!?な、なんだこれ……!?うぁぁぁぁ!」
布団の中で悶え苦しむタダシ。
「タダシ、つらいか?」
「やめろぉ!やめてくれぇ!」
「じゃあ、布団から出て机につこうか」
「わかった!わかったから!やめてくれ!」
「止めて」
『はい。照射を停止します。』
タダシが布団から這い出て、ふらふらと机の前に座った。顔が青い。
「こ、これでいいかよ……」
「うん。じゃあ問題集開いて」
「……勉強って、何すりゃいいんだよ」
「簡単な問題でいい、一問ずつ解いていけ。わからないところは俺が教える」
俺が分からなかったら、オリガミが教えてくれる!
「……」
タダシが渋々、机に積まれた問題集を開く。ほこりを被っている。
唇だけでオリガミに話しかける。
「で、今回は側坐核砲をどう使うんだ?前から言ってた『薬』の側面なんだろ?」
『はい。今回は、最低出力の側坐核砲を使います。タダシさんが真剣に問題に取り組み、それを解き終えたタイミングで、ランダムに照射します。勉強中にまれに快感が得られるようにします。』
「ランダム……変動報酬か」
『おっしゃる通りです。いつ来るかわからない報酬が、一番依存性が高いのです。ソーシャルゲームのガチャと同じ原理ですね。勉強すること自体が快感と結びつくようになります。』
勉強のガチャ化。なかなかとんでもない発想だ。
『ただし、あくまで最低出力です。本人の意思を歪めるほどではありません。きっかけを作るだけです。コントロール可能なカフェインみたいなものですね。』
これが毒も薬になるってことか。
タダシの肩を軽く叩いて、声を掛ける。
「ほら、早く始めろ。一問ずつでいいからさ」
「……わかったよ」
タダシがペンを持って、問題集に向き合い始めた。
……ほほう。半分くらいは解けるじゃないか。全く勉強してないのにこれか。地頭は悪くないと見た。
やっぱり、勉強時間が少なかっただけなんじゃなかろうか。
そして数分後。
「おうふぅ!」
「タダシ君、どうした?」
「な、なんでもねぇよ!」
顔が赤い。身体がびくっと跳ねていた。
……一発目か。
「タダシ君、解き続けるんだ。本来、勉強ってのは楽しいものなんだぞ?」
「……おう」
その数分後。
「おおっ……」
またその数分後。
「ほおおおっ……」
俺は、何回か報酬刺激を打ち込まれたであろうタダシに声を掛ける。
「挙動不審だな。どうした?」
「な、なんか体がおかしいんだけど……勉強してると、たまに気持ちよくなるっていうか……」
「……そうか。うまく効果が出てるみたいだな。俺が魔法をかけた。勉強が大好きになる魔法だ」
「え……」
「どうだ?気に入ったか?」
「あ、ああ……悪くねえ……」
「じゃあ、頑張れ。ほら、手が止まってちゃ気持ちよくなれんぞ?」
「……っ!」
タダシが猛然とペンを走らせ始めた。
※※※
二時間後。
壊れた扉がそっと開く音がした。タダシの母が、恐る恐る顔を覗かせている。
タダシは机にかぶりつき、わき目もふらずに問題集を解き続けていた。
「た、タダシ……?」
「うるさい!今いいところなんだ!邪魔すんな!」
タダシの母が、ぽかんと口を開けて俺の方を見た。
「お母さん、あとちょっとだけタダシ君と二人にしてもらえますか?」
「は、はい……」
タダシの母が出ていった。
「さて、タダシ君。俺はそろそろ帰るから」
「え……」
ペンが止まった。
「魔法は残しておいてほしいか?」
「お、おう!頼む!お願いだ!」
さっきまで殴りかかってきたやつの目じゃない。すがるような目だ。……大丈夫なのかコレ?本当に『薬』か?
キャリーケースからマットブラックの首輪型デバイスを取り出して渡す。オリガミがコントロールする側坐核砲を撃つための端末だ。
「ほら、これを受け取って首につけとけ。魔法の効果が続くから」
タダシが恐る恐る受け取った。大事なものを受け取るように、両手で慎重に。
「別に外してもいいからな?勉強でいい気分になりたかったら、つければいい。あと、夜はちゃんと眠れよ?睡眠とらなかったら効果なくなるからな?」
「わ、わかったよ……俺……勉強やるわ……」
タダシの目は、もう問題集に戻っていた。
「お、おふぅ」
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