勉強しようぜ!
それから毎日、俺はタダシの家に通った。
毎日二時間、問題集を一緒に解く。タダシの手が止まったら、横からヒントを出す。ヒントの中身は骨伝導イヤホン越しにオリガミが教えてくれるので、俺はそれをかみ砕いて伝えるだけだ。
高卒家庭教師の面目躍如である。
三日目あたりから、タダシの目つきが変わってきた。
問題が解けたときに「おっしゃ!」と声が出るようになった。ペンを持つ手に力が入っている。机に向かう姿勢も、初日とは別人だ。
「タダシ」
「あ?」
「勉強には工夫も大切だ。何をどのように勉強するかも大切だ。考えたり、調べたりして自分なりのやり方を見つけろ。効率がいい勉強であればあるほど、気持ちよくなる頻度はあがるぞ?」
「……マジ?」
「マジだ。やみくもにやるより、自分に合ったやり方を探すのが先だ。それが見つかると、一気に加速する」
と、オリガミが言っていた。
タダシが問題集に視線を落とす。
「……やり方、か。何かヒントとかないのか?」
「ヒントな……一般的な方法はあるだろうけど、継続できて自分に向いている勉強法は、自分で見つけるしかない。人はそれぞれ得手不得手があるしな。まずは自分を知れってことだ」
「自分を知る、か」
「そうだ。孫子も言っている。『彼を知り己を知れば百戦危うからず』だ。まずは自分と向き合え、何が好きで何が嫌いか。何が得意で何が苦手か。それにより勉強のやり方も変わるってもんだ」
孫子が言っていれば、正しいのだ。
タダシは顎に手をやり考え込む。
「俺は何が好きなんだろう……?」
そうだ。そうやって考えるのが大切なのだ。多分だけど。
※※※
五日目。
タダシの家を訪ねると、玄関で待ち構えていたタダシの母が駆け寄ってきた。
「藤崎先生!聞いてください!」
「どうしました?」
「あの子、本当に変わって……ありがとうございます!夜も出歩かなくなったし!」
目元を押さえている。泣いていた。
「家族と食卓を囲むようになったんです。『クソババア』って言われなくなって……昨日なんて、『飯うまいな』って……」
声が詰まっている。
「いえいえ。タダシが頑張ってるだけですよ」
「いいえ、先生のおかげです。本当に……本当にありがとうございます……!」
タダシは……きっと心に余裕ができてきたんだろうな。
……母親に『飯うまいな』、か。……いいもんだな。
何度も頭を下げるタダシの母をなだめて、二階に上がった。
※※※
タダシの部屋の扉は――壊れたままだった。
あ。弁償するの忘れてた。あとでオリガミに手配してもらおう。
扉を押して中に入ると、タダシが机の前に座っていた。問題集が開いてある。窓のカーテンも開いていて、部屋に日差しが入っている。初日に散らかっていたゴミも片付けられていた。
「お、タダシ。もう始めてるのか」
「ふ、藤崎先生……」
首にマットブラックの首輪デバイスをつけたまま、タダシが振り向いた。
何か言いかけて、口を閉じる。視線が泳いだ。
「……あんがとよ」
耳が赤い。
「今日の定期テスト、今までにない手応えだったわ。こ、これからもがんばれそうだ」
「そっか、それは良かったな」
素直に嬉しかった。
こういうのがいいんだよ。よいこ保育園で「わるいこ」を力尽くで更生するのも必要だと思うが、こっちの方が断然気持ちがいい。
「定期テスト、あと二日残ってるんだろ?今日もやるぞ」
「おう!」
タダシがペンを握り直した。
※※※
翌日の夕方。
スマホが鳴った。
画面に表示された名前は「タダシ母」。登録してあったのだ。
「はい、藤崎です」
「ふ、藤崎先生……!」
声が震えていた。六日前に初めて会ったときと同じ震え方だ。
「どうしました?」
「あの子が、あの子が帰ってこないんです……心配で調べてみたら、廃工場にいるみたいで!」
「廃工場?」
何でそんなところに?
「携帯の位置共有で見たら、工業地帯の方に……あの子、昔つるんでた子たちに連れていかれたんじゃないかって……」
タダシの母の声が途切れた。泣いている。
今のタダシが勉強を放置してそんな所行くと思えないし、やっぱあれか?「足抜け禁止」みたいな、足を引っ張り合うシステムがあるのだろうか。
何にせよタダシの更生には邪魔だな。排除するか。
「おまかせください」
短くそう言って、電話を切った。
唇だけで、オリガミに話しかける。
「タダシの位置、わかるか」
『首輪デバイスのGPSで確認済みです。工業地帯の廃工場ですね。お兄様の現在地から車で十五分ほどです。』
「よいこ軍団に連絡しておいてくれ。出番かもしれない」
『かしこまりました。待機させます。』
家を出た。
※※※
工業地帯の外れ。
日が傾きかけていて、工場群の影が長く伸びている。
その中に、一際古びた建物があった。
錆びたシャッターが半分開いたまま止まっている。窓ガラスは割れて、中は薄暗い。コンクリの地面にはタバコの吸い殻や空き缶が散乱していた。
……いかにも、という場所だ。よくこんな所見つけたな……。
シャッターの隙間から中を覗く。
奥の方に、人影が見えた。
五人。いや、六人か。
タダシと、四、五人のチンピラ高校生。髪を派手に染めたやつ、ピアスだらけのやつ、いかにもな連中が古びたソファやドラム缶に腰かけている。リーダー格らしいのは一番奥にいる高身長でがたいのいいやつだ。腕を組んで、ふんぞり返っている。
タダシだけが居心地悪そうに端っこに座っていた。首にはマットブラックの首輪デバイスがついている。
※※※
シャッターをくぐって、中に入った。
コンクリの床に足音が響く。
「タダシ、こんなところで何してる?勉強しようぜ」
全員の視線がこちらを向いた。
「ふ、藤崎先生……」
タダシが立ち上がりかけて、リーダー格に肩を掴まれた。座らされる。
「なんだてめぇ。最近タダシ付き合い悪いからよぉ、話を聞いてただけなんだよ」
リーダー格が、ソファから立ち上がった。
でかい。百八十は超えている。鍛えているのか、腕も太い。高校生にしては威圧感がある方だろう。
「あ、そうなんですね。じゃあ俺も聞かせてください」
ニコニコしながら近づく。
「邪魔なんだよ。関係ないし、すっこんでろ」
「なんで?聞かれて困ることでもあるんですか?」
リーダー格の目が細くなった。
取り巻きの四人も立ち上がっている。囲むような位置取りだ。
「ここいい場所ですねぇ。チンピラが集まる場所として最高ですよね!どこで見つけたんですか、こんなところ!」
わざとらしく周囲を見回した。
割れた窓、錆びた配管、コンクリの壁に描かれた下手くそなスプレーアート。
「てめぇ、喧嘩売ってんのか」
「まさか。俺はタダシの家庭教師ですよ?」
「家庭教師だぁ?」
リーダー格が鼻で笑った。
「タダシにはなあ……ちょっとだけ世話になってるのよ!ゲーセンとかカラオケとかで寄付してもらったりしてな!」
取り巻きがニヤニヤしている。タダシが目を伏せた。
なるほど。パシリか。
「タダシのお金で行ってるんですか?もしかしてお金ないんですか?バイトでもしたらどうです?乞食みたいですよ?」
空気が変わった。
リーダー格の顔から笑みが消える。取り巻きの表情も硬くなった。
「ボコすぞてめぇ!」
リーダー格が胸ぐらを掴みにきた。
掴ませた。
至近距離で、にっこり笑ってやる。
「よくないですねぇ!そんなことで粋がっちゃだめですよ。じゃないと……怖い大人に睨まれちゃいますよ?」
「あぁ?何言って……」
唇だけで、オリガミに指示を出す。
「出してくれ」
『よいこ軍団、投入します。』
――ガシャンッ!
錆びたシャッターが、外側から一気に持ち上げられた。
夕日が差し込む。
逆光の中に、黒い影が並んでいた。
全員が同じデザインの黒いスーツに身を包み、黒いサングラスをかけている。
一人、二人、三人……次々とシャッターをくぐって入ってくる。五人、八人、十人。革靴がコンクリの床を叩く音が、規則正しく重なっていく。
十二人。
廃工場の入り口を塞ぐように、扇形に展開した。
全員の体格が、リーダー格よりでかい。元半グレだが、海外の民間軍事教練施設やら早瀬剛健さんの訓練などで、今はみっちり鍛えられている。顔つきが違う。目の据わり方が違う。
高校生のチンピラとは、格が違う。
リーダー格の手が、俺の胸ぐらから離れた。
取り巻きが後ずさりしている。一人は腰を抜かしかけていた。
先頭に立ったよいこ軍団の隊長が、まっすぐにこちらを見た。
「団長に敬礼!」
十二人が一斉に踵を鳴らし、右手を額に当てた。
「はっ!」
廃工場に反響する声。統率された動き。訓練された兵隊そのものだ。
チンピラたちが固まっている。
「な、なんだよ!ヤクザかなにかなのか!?」
リーダー格が叫んだ。声が裏返っている。
「まさかまさか。俺はただのしがない魔法使いですよぉ」
よいこ軍団に背を向けて、タダシの方へ歩いていく。
タダシは目を見開いて、呆然とこちらを見ていた。
「タダシ」
目の前にしゃがんで、目線を合わせた。
「おまえはどうしたい?このままこいつらと一緒にいるか?それとも勉強やって気持ちよくなるか?」
タダシの唇が震えた。
目に涙が浮かんでいる。
「べ、勉強がやりたい!父さんも母さんも喜んでくれて……なんだか勉強自体もたのしくなってきて……いまは勉強がしたい!」
「じゃあ、俺がその環境づくりを手伝ってやろう」
立ち上がって、チンピラたちの方を向いた。
「タダシの友人君たちにお願いがあります」
よいこ軍団が一歩前に出た。革靴の音が十二人分、同時に響く。
チンピラが肩を震わせた。
「タダシはちょっとやりたいことがあるんですよ。彼を自由にさせてやってくれませんか?」
「……」
リーダー格が唇を噛んでいる。取り巻きは完全に萎縮していた。
「人のやりたいことを邪魔しちゃだめですよ。友人ならわかりますよね?むしろ応援すべきだと俺は思うんですけど。わかりますよね?」
よいこ軍団の最前列が、腕を組んだ。サングラスの奥の目が、リーダー格を射抜いている。
住む世界の違う人間の放つ殺気にも似た圧が、物理的に迫ってくる。黒スーツ集団の壁だ。逃げ場もない。
昔の俺だったら、おしっこ漏らしてたかもしれない。
リーダー格が、両手を上げた。
「わ、わかったよ!タダシの邪魔をしない!応援する!それでいいんだろ!」
「ありがとうございます。タダシの友人なら分かってくれると思いましたよ」
にっこり笑って、タダシの肩を叩いた。
「じゃあ勉強にもどろうか。定期テストはあと一日残ってるんだろ?タダシ、いこうぜ?」
「お、おう……!」
タダシが立ち上がった。足が少しふらついている。
よいこ軍団の隊長に目配せした。あとは任せた。チンピラたちには、もうちょっとだけ大人の怖さを知ってもらおう。
隊長が無言でうなずいた。
※※※
廃工場を出ると、夕焼けが広がっていた。
タダシと並んで、住宅地に向かって歩く。
しばらく無言だった。
タダシがちらちらとこちらを見ている。何か言いたそうな顔だ。
「なんだ?」
「ふ、藤崎先生って何者なんですか?」
「俺?」
振り返った。
「だから俺は魔法使いだって」
ニカッと笑ってやった。
タダシが、ぽかんと口を開けている。
……が、すぐに、ふっと笑った。
さて、明日のテストに向けて、もう一回くらい勉強見てやるか。
オリガミがな!
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